聴いております。私のデフォルト盤はカラヤンですが、比べるとやや荒削りな部分があります。
ですが、推力はこちらのほうが大きい。データが家なので、詳細は後ほど。
人間には何といろいろな啓示が用意されているのだろう。地上では雲も語り、樹々も語る。大地は、人間に語りかける大きな書物なのだ。…… 辻邦生
聴いております。私のデフォルト盤はカラヤンですが、比べるとやや荒削りな部分があります。
ですが、推力はこちらのほうが大きい。データが家なので、詳細は後ほど。
カラヤン盤リング、「ジークフリート」に
到達しました。
ブリュンヒルデに出会う場面、本当に興味深いです。
これは男ではない!
と驚く場面のヴァイオリンのフレーズが、狼狽するジークフリートの胸中を的確に表現してます。
このヴァイオリンのフレーズを聴いて、シュトラウスの「カプリッチョ」の最終部で、伯爵夫人が心を乱す場面を思い出しました。
フラマンとの約束と同じ時間にオリヴィエも来訪することを知るあの場面。
明日の午前11時ですって!
という場面。
ジークフリートに話を戻すと、そのあと「お母さん! お母さん」とジークフリートが連呼するわけです。
恐れをしらない若き勇者が初めて知った恐れが女性で、母親に助けを求めるなんて。
なんだか、可愛らしい勇者です。
今はここまで聴いています。
次は、ブリュンヒルデとジークフリートの
バトルですね。
それでは。You have.
昼休み中。
ポップのシュトラウス歌曲、上手過ぎて怖いぐらい。完璧にも思える技巧。
ひと息ついたので、仕事に戻ります。
引き続き休暇の写真。あまりに絵はがき的構図で、色も巧く出ていないけれど、それっぽい雰囲気は出ていると思われます。
この写真はEOS 7Dで撮りましたが、この日まではJPEGであえて撮っています。ピクチャースタイルはスタンダードですが、風景にすれば良かった、と反省しています。
まだ瞬時に追い込むほど習熟していませんので、時後に追い込むのりしろを考えて、翌日からはRAW で撮ることにしました。
ただ、RAWだとFlickrに上げられないという難点が。なかなかうまくいきません。
ローエングリンのライトモティーフシリーズ。きょうは二回目。オルトルートのテーマ。
これは第二幕冒頭に登場するフレーズですね。
裏表がひっくり返りながら、途中の転調で色彩が変わるあたりが実に面白いです。
こちらからダウンロードしてお聞きください。
https://museum.projectmnh.com/midi/lohengrin/Lohengrin_2.mid
もう7月が迫っているのにやけに涼しい関東地方です。電力不足にあっては天佑かもしれません。
それでは。You have.
先週、恩賜の休暇で沖縄方面に行ってきましたが、色々写真を撮ってきましたので紹介します。
海岸の一コマ。男三人で沖縄旅行をしているようで、この後かれらは潮の引いた浅瀬で腕立て伏せをしていました。さすが。
今日は、カラヤンのリングを最初から。まずは「ラインの黄金」を聴いて、「ワルキューレ」まで。
相変わらずワルキューレでジークリンデを歌うヤノヴィッツがいいなあ。か弱いジークリンデ。
ディースカウのヴォータンをいいなあ。でもこの方が歌うと、ヴォータンも神々の長らしく凛々しく賢く落ち着いて聞こえるから不思議です。
ホッターのヴォータンはちと焦燥感があって、それはそれでストーリーとあっていていいとおもうのですけれど。
それでは、You have.
今日は移動日。
この写真は紀伊半島の南を対地速度567ノットで飛行中のものです。ヘディングは055。高度は3万5000フィート。順調でした。
客席から見るとボーイング747のエンジンは大きく見えます。
飛行機に乗るとブルックナーを聴きたくなるようです。
雲海をみながらブルックナーなんて、本当に贅沢に過ぎます。
ジュリーニのブルックナーを初めて聴いたのは1998年でした。
このころはブルックナー狂いでしたので、毎週渋谷のタワーレコードに通ってはブルックナーを買いあさっていました。
ちょうどチェリビダッケのブルックナーボックスが発売になったころ。
レコード芸術誌上で名だたる評論家の方々が「この暑さの中チェリのブルックナーを何曲も聴くのは辛い」とこぼしておられたのを覚えています。
クワイエットコンフォートでジュリーニのブルックナーを聴いているんですが、実に素晴らしい。
このCDの第一楽章がはじまった9分ぐらいのところ。初めて気聴いた1998年に、この圧倒的な情感の膨らみに圧倒されたのでした。
全体にテンポは緩めですが、チェリビダッケのそれほどエキセントリックではありません。マグマのような熱塊が地面の下からゆっくりと昇ってくるようなエネルギーを感じます。
ウィーンフィルが良く鳴っていて、本当に素晴らしいです。
この録音を聴いて、同曲異演の面白さに開眼した記憶があります。
録音場所は楽友協会大ホールにて1984年5月。
明日からは通常業務に復帰です。
それでは、You have.
先週末の16日で新国立劇場の「ローエングリン」も終了と言うことで、オペラ界は夏休みです。
が、休みはないのですね。
次のターゲットはバイロイトです。
ということで、予習してきたローエングリンのあれこれを復習して、次のターゲットに備えましょう。
ライトモティーフを整理してみることにしました。
まずは。ファンファーレから。
こちらから聞いてみましょう。
※うまく開けない方こちらからダウンロードできます。
https://museum.projectmnh.com/midi/lohengrin/Lohengrin_1.mid
このファンファーレ、全部Cメジャーだけで構成されているのですね。三音だけでこの迫力ですか。素晴らしい!
オリンピックのファンファーレですね。しばし、ロス五輪のファンファーレを思い出しました。
このテーマは、この後も何度か出てきます。私はハインリヒ国王のテーマではないかと思うぐらいなのですが、ファンファーレとして認知されているのみのようです。
民衆を動かすには、こうしたシンプルで勇壮なフレーズがふさわしいのでしょうね。
高校の体育祭で、友人のトランペッターが騎馬戦(だったかな?)で、競馬のファンファーレをトランペットで吹いた途端に、全員が盛り上がりまくったのを思い出しました。
ちなみに、自分の勉強のために、こんな感じで譜面を入力しています。
イメージしているのは、吉田秀和のドキュメンタリー番組ですかね。。
あのとき吉田秀和は譜面を切り貼りしていて、「こういう手仕事が大事なんです」みたいなことをおっしゃっていたはずで、それをマネしている感じです。
それでは。You have.
6/23:MIDIファイルへのリンクを追加しました。
ゆえあって海辺に来ております。思いの外天気がよく、日に焼けて体が真っ赤になってしまいました。まったく……。湯船につかろうと足を入れた途端に激痛が走り、泣きそうになりました。
ホテルの部屋にはコンポが備え付けられていました。ですが、iPodをつなぐことが出来ず残念です。接続ケーブルを持ってくるべきでした。
で、何枚か持って来たCDを聴いています。
聴いているのは、シノポリが振る「マノン・レスコー」。
やっぱり、シノポリはカッコイイ!
ダイナミクスなもちろん、テンポにキレがあって、実に清々しいです。
第二幕が終わるところ、テンポを急速に速めて緊張感を作り出すのですが、よくあるやりかたとはいえ、グッと迫ってくるものがあります。
いつもと違う環境で聴くと言うこともあり、あらためて新鮮さ抜群で、カミさんといっしょに、ひえー、かっこいいわ、と二人で驚きながら聴きました。
マノンはフレーニ、デ・グリューはドミンゴ。
ドミンゴが歌う男達は、みんな優しく甘いです。ローエングリンもそうでした。
フレーニのパワーはいつも通り。最後、ルイジアナの砂漠で死に絶えるときでも、絶叫な歌声で(これはオペラによくある矛盾?)圧倒されます。
このCDを聴いて、無性にこの曲を聴きたくなり、ミュンヘンに行ったことがありましたねえ。まだバブルな時代のお話。
明日は台風がくるようです……。
それでは。You have.
私の新国立劇場2011/2012年シーズンは終わってしまいました。
さて、次のイベントはバイロイト音楽祭です。もちろん、実際に行くことはできなので、ウェブや放送で楽しむことになりそうです。
バイロイト音楽祭を楽しむ方法は、現在私が知っている限りでは以下の通りです。
今年は、3.ウェブラジオ を中心に考えてみようと思っています。
パルジファルはガッティが降板しジョルダン。この方は1974年生まれの俊英で、現在はパリ国立オペラの音楽監督です。
タンホイザーとオランダ人は両方ともティーレマンが担当するとは。
というわけで、本日はここまで。明日以降も続きます。
それでは、You have.
ラヴリーな新国立劇場の建築。全然飽きないです。色々写真を撮ってみました。
さて、今回の実演を聞いて、それ、言っちゃダメだから、という言葉がローエングリンの口から何度が出てきました。
そんな言葉を三つ選びました。
これは、演出のシュテークマンの前書きに触発されたのです。
曰く、ローエングリンは女心など知らぬうぶな若者で、やってはならないことをしているのである。
その最たるものが、自分には秘密があるんだよ、ということを女の子に言ってしまっていると言うこと。
本当に秘密ならば、秘密の存在すら秘密にしなければならないのに。
でも、ローエングリンはたかだかに名前は秘密だから教えられんのだよ、といってしまう。
本当にエルザを愛していて、一緒にいたいのならば、エルザに秘密を暴かせるようなことをしてはいけないのだ。
トリスタンが、タントリスと名前を変えてイゾルデの治療を受けたように、あるいは、ジークムントが、本名をかき回したように。
グリーンローエとか、リンローエングとか。
あるいは、ジョン・スミスとかでも良いわけだし。
第二幕、テルラムントが、ローエングリンに名前をあかせ、と迫るシーンがあります。もちろんローエングリンは名前を言うことはありません。テルラムントのような反逆者に名乗る筋合いなどはないのだ、と一蹴します。
その次に、テルラムントは、じゃあ国王陛下に名乗るべきだ。国王陛下には言う義務があるのだから、と。
そこで、ローエングリンはこういう。いや、国王にさえ言う義務は負わないのだ、という。このときの国王の気分はいったいどうなんだろう、と心配になります。
で、次がひどい。
私に命じられるのは、エルザだけなのだ、というわけです。
政治や主従関係を愛情関係に転換してしまうというわけです。
エルザはここまで言われてしまうと、プレッシャーですよね。
ローエングリンは、事前エルザに名前を聞くな、といっておきながら、みんなの前では、エルザに聞かれたら答えるしかない、と言ってしまいます。
エルザはどうすりゃいいねん、という感じ。
秘密があれば、人間はそれを暴きたくなり、さらにそれを暴けるのが自分だけだ、と言われれば逡巡するに決まっているのです。
あとは、最後のシーン。
エルザに名前を聞かれたので、私はローエングリンです、と言ってしまいます。
で、そのあたりでこういうのですよ。
「エルザが約束したことは、みんな知っているよね。名前は決して聞きませんって誓ったよね。でもね、聞かれちゃったんだよ。その硬い誓いを破って。だから僕はここから去るんだ。じゃあね。」
って書いてしまうと、かなりふざけた感じですが、現代に置き換えるとこうなってしまう。
本当に愛しているのならですよ、エルザをもっとかばわなきゃ、と思うのです。
もちろん神的意味があるんでしょうけれど、そうした神的なものをきちんと開示していないから、エルザも人間の一人として、問いを発したくなるわけです。
気の毒なエルザ。
というわけで、現代の社会に当てはめてみると、ローエングリンは結構いまいちな男なんじゃないか、と思ってしまったりしますね。
ワーグナーはそうではないと思います。なぜなら、エルザを描写できているから、です。
たぶん。
本当に人間勉強になりますわ。だから面白いのですよね。
というわけで、本日はこの辺で。You have.