Richard Strauss

Twitterにも書きましたが、これから渋谷へ。プレヴィンをききます。オペラではありませんが、双眼鏡も配備。シュトラウス漬けの時間になる予定です。
ちなみに、このエントリは携帯から投稿しています。BGMはもちろんプレヴィンの家庭交響曲。この2週間は家庭交響曲ばかり聴いていまして、忙しいながらも癒されていました。これだけ聴けばスコアを読めなくても曲を 覚えますね。
しかし、シュトラウスの「誇大妄想」的に創作センスはすごいです。日常生活を芸術に昇華させる驚異的牽引力。オペラ「インテルメッツォ」や交響詩「英雄の生涯」などもそうですが。
しかし、もうちょっとシュトラウスを勉強しないとなあ。頑張らないと。
それではまたのちほど。

Philharmony,Richard Strauss

やることが多くて、逆にわくわくする感じ。そういう感じで、なんとかくらいついていかないといけないですね。山登りと一緒です。辛くても登り続ければいつかは頂上にたどり着きますので。途中に山小屋もあれば渓流や滝もありましょう。頂上からの景色はきっとすばらしいはず。

さて、カラヤン盤「家庭交響曲」を聴きました。EMIの録音で、少々録音が古く思えます。1973年録音なのですけれど。やっぱりカラヤンらしい流麗さとか、ポルタメントとか楽しめました。最終部の圧倒的な盛り上がりへの牽引力はすばらしいです。テンポを少し緩めながらも、制御を失わずに、飛び続ける大型旅客機的な感じ。カラヤンもパイロットでしたので(あまり巧くなかったようですが)、そうした感覚があるのかも知れません。

そしてカラヤン盤を聴くとなにか安心感を感じるのです。私が最初にクラシックを聞き始めたのは、カラヤンづくしでしたので、カラヤンを聞くと安心しきってしまうのかもしれません。あるいは、カラヤンほどの大家であれば、その後の演奏に大きな影響を及ぼしているでしょうし。

ただ、マゼール盤の個性的な演奏を聴いた直後ですと、なにかオーソドックスな演奏だと感じてしまうのは、贅沢でしょうか。

これで、家庭交響曲は、ケンペ盤、プレヴィン盤、マゼール盤、カラヤン盤で予習しました。今週末の日曜日はNHKホールでプレヴィン指揮のN響で家庭交響曲を聴きます。もう少し予習をしたいですし、ここに書かなければならないこともありますので、土曜日にがんばろうと思います。

Philharmony,Richard Strauss

昨夜は、大学時代からの先輩を自宅にお招きして食事会でした。 いろいろご苦労されながらも教壇に立っておられる学者でいらして、私なんて大学時代からお世話になりっぱなしです。まあ、私も頑張らないと、と思います。

さて、今日もマゼールのシュトラウスを聴くシリーズの第三回目です。今日は「ツァラトゥストラはかく語りき」。この曲、私が最初に心弾かれた曲らしい。私の記憶にはありませんが、2歳だが3歳の頃、この曲をかけてくれ、と両親にねだっていたそうです。誰の指揮だったんでしょうね。古いLPはもう残っていないでしょうから、探すこともあたわないでしょうけれど。

マゼールの指揮は、やっぱり堂堂としたものです。テンポはそうそう早くはない。もちろんギアは動かしますけれど。やっぱりうねる官能性のようなものが垣間見えますし、わき上がる高揚感も。本当に分厚くて大きい。カラヤンの流麗な感じに比べると、本当に巨躯をのっしりと動かしながら歩いている感じ。真面目一徹とも思えます。良い意味で不器用な感じ。つまり自分の意志を隅々まで浸透させようとしている。そう言う意味では、すこし癖のある演奏とも言えましょうか。八方美人的演奏じゃない、ということです。

この曲、シュトラウスが32歳の時の曲なのですが、10年後に作曲しているサロメやエレクトラが随所に聞こえてきます。シュトラウスの生真面目な方面ですね。それからばらの騎士に見られる戯けたシニカルな面も聴いてとれますし、なんだかニーチェを揶揄するようにも思える部分も。ともかく、シュトラウスは本当にすてきです。

ちなみに、このCDには「ばらの騎士」組曲も入っていますが、洒脱な感じと言うよりは堂堂とした、という感じの演奏ですよ。こういう「ばらの騎士」もありですね。

Richard Strauss,Symphony

いやはや、ご無沙汰しております。色々ありまして、Twitterしか書けなかったのですが、なんだかやはり何か書いていないと落ち着かないようです。

今週はYellowjacketsばかり。今日になってようやく、マゼールのシュトラウスに戻ってきました。

アルプス交響曲は、マゼールのボックスセットに入っていたものです。マゼールって、こんなに大きな演奏をするのですね。 確かに単純に言えばテンポが緩いということもいえましょうが、緩いだけではなく、やっぱりきちんと制御された緩行性なわけでして、ちゃんとギアは入れ替えてます。カラヤン盤でもハイティンク盤よりも、聞いていく中で大きさに意識が向きます。テヌート感とかフェルマータ感が良く伝わってきますです。

それから、なんというか官能性のようなものも感じますね。弦楽器のうねりに加えられたしなだれかかるような感じ。ばらの騎士的とも思えますが、なぜかマーラーに感じられる女性的なものへの憧憬にも似た感情を感じます。

しかし登り道(トラック3)のところの舞台裏金管群はすごいです。舞台裏の金管の味をはじめて知ったのはマーラーの復活でした。あとはトリスタンの二幕にもありますね。私はこの三つがつながっているような気がしてならないです。 マゼールのボックスセット、少々お高めでしたが、買ってよかったです。マゼールのことも見直すことが出来ましたし。

Classical,Richard Strauss

ロリン・マゼールの演奏を始めて聴いたのは、彼が1980年代後半にマーラーの交響曲第八番を振った演奏をNHK-FMで録音したときでした。オケがどこだったか。クリスタ・ルートヴィヒとか、クルト・リゲルとか、ベルント・ヴァイケルが歌っていたような。少年合唱はテルツ少年合唱団だったかと。

当時の私は中学生でしたが、この演奏を聴いてマーラーの熱狂的信者となり、なかでもこの8番を教典のごとく毎晩毎晩聞き込んでいたのでした。

それで、マゼールは凄い、と思い込んで、同じくマーラーの交響曲第五番を聴いたのですが、これは全く理解できませんでした。曲自体が難しくて、中学生時代の私には理解できなかったのかも。ですが、歳をとってきいたラトル盤では感動しましたので、やっぱり当時の私としてはマゼール盤との相性は良くなかったという感じでしょうか。

それで、昨日、私は禁じられた聖域に入ってしまったのですよ。つまり、新宿のタワレコの9階ゾーンに。物欲を駆り立てる危険なゾーンで、シュトラウスはたんまり、ハイティンクもたんまり、私は気狂いを起こしました。

それで、あれよ、とかごに放り込んだのが、マゼールのシュトラウス管弦楽集的なボックスセットで、4枚で3000円ぐらい。ちと高め。

早速、家庭交響曲を聴きましたが、すげー、こんな解釈ありなんだ、的な驚きの連続でした。家庭交響曲と言えば、私はケンペ盤とプレヴィン盤を聴いただけでしたが、彼らの演奏とは全く違うアプローチ。

twitterにも書いたのですが、まずはテンポが気宇壮大でして、これはもう家庭交響曲ではなく宇宙交響曲である、といえましょうか。Symphonia Domestica がSymphonia Cosmologia的な状況。それで、さらに、これはもうマーラーですよ。マーラーの八番で、マーラーはアルマへの愛をファウスト最終幕を借りて歌い上げたわけですが、マゼール盤では、シュトラウスが、パウリーネへ壮大な宇宙愛を説いて聴かせているように聞こえます。

私は、シュトラウスには、シニカルな感じとか、ユーモア精神などを感じるわけでして、たとえばツァラトゥストラなんていうのは、壮大なニーチェへの当てつけである、なんていう話しを聴くと、確かにそうかも、と思ってしまうのです。ばらの騎士に埋め込まれた、たくさんの諧謔精神は、ばらの騎士の高雅な世界をもう一方から支えていますし。

で、マゼールの家庭交響曲には、そうしたシニカルなユーモア精神が影を潜め、シリアスな愛情告白というべきものになっているのです。

これはもうBGM的に聴くことを許さない生真面目な演奏になってしまいまして、気が休まるどころか、アドレナリン全開状態でして、疲れて帰宅する通勤電車で、3回目を聴こうと思ったのですが、さすがに聴けませんでした。

私は、ちょっとマゼールを見直しました。アマゾンのレビューでは酷評されているし、ウィーンのシュターツオーパーは2年で追い出され、ベルリンフィルのシェフの座をアバドに奪われたりと、少年時代の神童ぶりにしては不遇な晩年のようなのですが、まあ、私としてはこの演奏で、実に神聖な家庭交響曲を聴くことが出来ましたので大変満足しています。

しかし、アマゾンのレビューは辛辣だな。私は逆に凄い演奏だと思ったのですけれど。

Classical,Philharmony,Richard Strauss

今日はハイティンクについて。ブルックナー7番を聴いたのですが、どうも最近ブルックナーを聞き慣れていないらしく、ハイティンクらしさを今ひとつ掴みきれませんでした。

ところが、シュトラウスの「ツァラトゥストラ」と「ドン・ファン」を聴くと、これがまた素晴らしいハイティンクの棒さばきでして、躍動感と華麗さと高揚感が十全に伝わってくる名演です。こういうハイティンク、大好き。ハイティンクの演奏で私の中でフィットしているのは、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウス、ショスタコーヴィチ、それからベートーヴェン。実は、マーラーとブルックナーも聴いてみたんですが、ワーグナーやシュトラウスに感じるワクワク感が少し足らないような気がします。これは、ハイティンクが悪いわけではなく、おそらくは今の私にとって、マーラーやブルックナーの音楽を聴く準備が整っていないと言うことだと思うのですが。

しかし、「ツァラ」も「ドン・ファン」も良い曲だよなあ。これが初期シュトラウスにおいてすでに確立されているというのが天才たる所以でしょうか。私はここまでシュトラウスを好きになるとは10年前には少しも思っていませんでした。やっぱりオペラを見始めたことが、シュトラウスに開眼できた理由なのだと思いました。

Piano,Richard Strauss

今日は連休二日目。午前中はいつものカフェでちと仕事てきなことを。午後は不要な本を箱詰め。部屋の整理、英字新聞を読むなどなど。なかなか充実しておりましたが、夕食で少々ワインを飲んだところ、あっという間に眠気に襲われました。昨日、ジムで少々負荷を掛けすぎたというところで、体も痛いです。

さて、 図書館で凄いCDを入手しました。ピアノ連弾による家庭交響曲。アルゲリッチとラビノヴィチの連弾でして、あの華麗重厚な家庭交響曲が洒脱で洗練された響きになっている。Twitterにも書きましたが、ウィーン世紀末的頽廃美とでも言いましょうか。ある意味erotischな雰囲気さえ漂うトランスクリプション。良いですねえ。オットー・ジンガーという方が編曲されています。

久方ぶりに聴いたピアノの音でして、私は普段はあまりピアノを聴きませんので、結構新鮮でしたし、オケ版原曲をいやというほど聴いていましたので、オケ版との違いを見つける度に興味深い。ここホルンの咆吼なんだよな、とか、ここのティンパニーが格好いいなあ、みたいな。

まだまだ面白いものはたくさんありますです。

Richard Strauss

明日は会社の試験ですので、少々本を読むのも手がつかない感じです。最近、仕事もプライベートもタスクが多くて大変です。なんとかいい方法で管理していきたいので色々試しています。まあ、方法にこだわって、肝心の仕事がおろそかになってはいけませんのでそこはご注意。

家庭交響曲合宿も今日で三日目です。シュトラウスらしい厚みのある華麗なサウンドは、サロメやエレクトラに継承されていますね。家庭交響曲は1903年、サロメは1905年、エレクトラは1908年。グントラムも火の危機もあまり芳しくなかったようですので、家庭交響曲はシュトラウスの本格オペラへ至る結節点的位置づけともいえましょう。以下のような表を見ますと、シュトラウスが若くしていくつもの大作をものにしているにもかかわらず、40を過ぎてさらにオペラで進化を続けたのが分かります。

  • 1864年:生誕
  • 1888年:24歳:ドン・ファン
  • 1889年:25歳:死と変容
  • 1890年:26歳:マクベス
  • 1892年:28歳:グントラム
  • 1895年:31歳:ティル・オイレンシュピーゲル
  • 1896年:32歳:ツァラトゥストラ
  • 1897年:33歳:ドン・キホーテ
  • 1898年:34歳:英雄の生涯
  • 1901年:37歳:火の危機
  • 1903年:39歳:家庭交響曲
  • 1905年:41歳:サロメ

しかし、ドンファンが24歳頃というのは、凄すぎるなあ。天才は凄い。

Richard Strauss

 今日も一日お疲れ様でした。学びの多い一日。まあ、いろいろありましたが、最終的に重要なのは自分がどれだけ満足感とか充足感を得られるか、でしょうか。人の目を気にしている暇はありませんので。

昨日からシュトラウスの「家庭交響曲」を聴いています。実はこの曲はあまり好んで聴いた記憶がありません。初めて聴いたのは中学生の頃だったとは思いますけれど。

ケンペの全曲盤録音ですと、少々録音音質が古いので、そこだけが玉に瑕です。ともかくその豪華さは大変なものです。特に最終部のコーダ的なところ、執拗という言葉が当てはまるのかは分かりませんが、とにかくたたみかけるような音の大波が幾重にも押し寄せてきて、圧倒されます。

ウィキによれば、サクソフォンが使われているとのことでしたが、今日聴いたなかでは気がつかなかったです。明日も聴きます。

Opera,Richard Strauss

まずは、叫び声。ギャー! 昨日は選挙報道に就寝しすぎて、クラシックロイヤルシート、録画し損ねました。ハイティンクのシューマンとブルックナーだったのに……。

さて、気を取り直して。

8月23日夜のクラシックロイヤルシートは、カラヤンの「ばらの騎士」でした。 第三幕のところだけですが、金曜日の夕食中に観終わりました。実に興味深いです。1960年のザルツブルク音楽祭の映像で、モノラル録音です。おそらくはアマゾンで販売されているこのバージョンに間違いないと思います。

まずはカラヤンの若さ。ウィーンフィルを統率するカラヤンは自身がみなぎっています。それから、オットー・エーデルマンのオックス男爵は表情豊かに歌っていて見本のようなイデアールなパフォーマンスです。クルト・モルのオックス男爵がすごく上品に思えてきます。それぐらいオックスのある種の「品位」を巧く出しておられました。すごいですね。

そして私は生まれて初めてシュバルツコップの歌う姿を見ましたですよ。こういう方だったのですね。これももう見本のようなマルシャリンです。衣装もかなりクラシカルでして、なるほど昔はこういう衣装だったのかあ、と。

オケの音量が思ったより押さえられているのでは、と妻が申しまして、そういやあそうだなあ、と。PA使っていないからか、録音の編集でそうした加工がされているのか、というところ。

クラシックロイヤルシート、侮れないですね。

来月は、スカラ座の「ドン・カルロ」、新国の「トゥーランドット」、チューリヒ歌劇場の「カルメン」と、オペラ目白押し。月末はNHK音楽祭2009から、バレンボイム指揮のヴェルディ「レクイエム」。

CDはこの数ヶ月買っていませんが、聴くものはあまたあります。財布が寂しい今日この頃、助かりますです。