2013/2014シーズン,NNTT:新国立劇場

新国立劇場に2003年にケルビーノで登場したエレナ・ツィトコーワさんが、今シーズンは《ヴォツェック》でマリーを歌います。Facebookで紹介されていましたのでシェアします。
1つ目の映像が、昨日Facebookで出ていたもので、2つ目の映像が、昨年のタンホイザーの際に撮られたと思われる映像です。両方共きっと同じタイミングで収録されていたのだと思います。
2つ目の映像で、レパートリーにクンドリが入った、と語っています。そうか。クンドリの妖艶さを演じるのと、マリーを演じるのは少し共通点があるのかも、と思いました。そういう意味では、昨年の《タンホイザー》でヴェーヌスを歌っていた時からその線はあったのかもしれない、と思います。
ツィトコーワのオクタヴィアン、2007年でしたね。あの公演は素晴らしすぎて涙が止まらなかったです。2003年の《フィガロ》のツィトコーワさんも素晴らしかったです。
ツィトコーワさんも新国のことをMein Hausと言ってましたが、本当にこの10年間盛り上げてくれていたと思います。
来年の《ヴォツェック》公演がとても楽しみです。期待大。
そして、クンドリ、というからには、もしかして新国での《パルジファル》公演も近かったりして。
映像その1

映像その2

ちなみに、明日はヌーヴォー解禁です! 痛飲の予定。
 
それではまた明日。グーテナハト。

NNTT:新国立劇場

はじめに

今日は、早帰りをあえてして、新国立劇場で「バレエ・リュス ストラヴィンスキー・イブニング」を見てきました。
ストラヴィンスキーの《火の鳥》、《アポロ》、《結婚》の三演目。3時間たっぷりかかりました。
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実はストラヴィンスキーは普段はあまり聞きません。理由はわかりません。特に苦手意識もないのですけれど。もちろん三大バレエは知っています。ですので、今回はとてもいい勉強なりました。

演目の感想

《火の鳥》、初めて見ましたが、意外にオーソドックスなんですね。もっと過激なものをイメージしていました。というのも、バルトークの《中国の不思議な役人》ばかり聴いていたので。あれぐらい激しくないともうダメかも。なんちゃって。でもほんといい曲です。
《アポロ》(あるいは《ミューズを率いるアポロ》)は、《プルチネッラ》のような新古典主義。均衡と崩壊の間を縫うように進んでいくのがスリリングでした。だまし絵のような感じです。試作、演劇、舞踏を司る三人のミューズが象徴的に振り付けられていて、解釈が楽しかったです。
それにしてもバレエダンサーの筋力体力は想像を絶しましね。あの動きをして息を乱さないなんて。バレエはあまり見ないので、そんなことが気になります。
《結婚》は、《春の祭典》といった原始主義の系統でした。ですが、オケは使いません。ピアノ四台、打楽器、合唱からなるアンサンブルという特異な編成で、不思議なサウンドでした。やっぱり若い頃のストラヴィンスキーは本当にぶっ飛んでたんですね。それにしても、きっと実演に触れることは難しいはずです。

《結婚》関連について少し考えてみる。

ちなみに、ダンサーたちがあまりに無表情に踊っていたのが象徴的でした。ロボットのように踊っているのですから。
で、ここは少し考えてみました。
この《結婚》はロシアにおける結婚儀礼がテーマなのですが、その儀礼が持つ形式性を象徴しているのかもしれません。あるいは、そうした儀礼がある種の自然力として人間を抑圧しているとかもしれません。というのも、結婚前の娘は挽歌を歌うというのですから。嫁入りというのは、未知の世界へいくということ。それまでの娘時代から、一度死ぬのと同じぐらいの断絶で、悲しみを伴うものだったようです。思い通りの結婚なんてできるわけもなく、であるからしてあたかもロボットのように振る舞わないとみんなやっていられない、そういうことを象徴しているように思いました。
やはりバレエが主なので、テンポは動かせないのですね。ダイナミズムもあまりつけないように思います。当たり前ですが、それが何か新鮮でした。
今日、バルトークの弦楽四重奏曲全集が届きました。いや、これも凄いっすよ。また勉強を始めないと。
では、みなさま、グーテナハト。

Opera


ラモーの《優雅なインドの国々》の最終幕とアンコールと思われる映像。ウィリアム・クリスティ指揮ですね。この強力無比なパトリシア・プティボン。
アンコールのところ、ほんと、心洗われます。こういうふうに盛り上がれるのは幸せだとおもいますよ。
今週は明日で終わり。音楽聴きに行きたいけれど、どうでしょうか?
ではグーテナハト。

2013/2014シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera,Wolfgang Amadeus Mozart

前回に続き10月26日《フィガロの結婚》のことを。
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シルマーの素晴らしさと、九嶋さん、マンディ・フレドリヒの素晴らしさは前申し上げたとおり。でも思いこすほどのにマンディ・フレドリヒの熟成感は凄いと思う。昨年デビューとは思えないです。今後恐ろしいことになりそうな予感。
さて、今日はまずは男声陣から。
フィガロを歌ったマルコ・ヴィンコ。大柄な体格を活かした演技は素晴らしく、この雰囲気はやっぱりあちらの方は素晴らしい、と思います。そして歌も素晴らしい。たしかにすこし豊かさに書けるかもしれないけれど、全くはずさない巧さがありました。
アルマヴィーヴァ伯爵を歌ったのはレヴェンテ・モルナールでした。歌詞を文脈の中で捉えてきちんと咀嚼し表情をつけていて、今回のパフォーマンスの雰囲気作りの中心を担っていたと思います。歌も最高。声もバッチリ豊かな感じです。この方が今回のパフォーマンスを引っ張っていたのだろうな、と思います。
ケルビーノのレナ・ベルキナ。前半はすこしセーブ気味だったですが、後半にむけてどんどんカッコよくなっていきました。いや、ホントうまい。
素晴らしかったのはバルトロの松位さんです。松位さんは最近何度も新国立劇場に登場しています。《魔笛》、《オテロ》、《さまよえるオランダ人》などなど。いつも思うのですが、この深みのある声はどこから出てくるのだろう、と思います。ヨーロッパで鍛えられた声なのでしょうか。どっしりと落ち着いた演技でした。
関係ないんですが、フィガロの出生の秘密が明かされたところで、カツラを取りましたが、スキンヘッドになっていました。そしたら、なぜか故市川團十郎に似ておられることに気づいてしまいました。
それから、マルチェッリーナの竹本さん。竹本さんのようなメゾ・ソプラノがいらっしゃると舞台が引き締まります。竹本さんは、たしか《アラヴェラ》に出ておられたはず。
新国の《フィガロの結婚》では、バルバリーナを歌うのは素晴らしい人であることが多い気がします。今回は吉原圭子さん。巧いですよ。深みのあるソプラノです。
本当に楽しく素晴らしい演奏でした。最後は、シルマーがタクトを下ろす前から拍手が始まりましたからね。普通はタクトを落とすまで拍手するのはご法度なんですが、この素晴らしさと楽しさなので、全然納得です。私もつられて拍手しました。
でも、意外なことにカーテンコールは一回だけ。みんなそそくさと席を立っていきました。こんなに素晴らしかったのになぜ?
帰ってカミさんと話しをしたのですが、多分地震のせいではないか、と。土曜日の未明に東北で少し大きめの地震がありました。東京でも震度3を記録しています。年配の方々にとっては、地震で帰宅できなくなるのではないか、というのが結構ストレスになっているらしいと聴いたことがあります。私の母もやっぱりそうで、二年前の地震以降はなかなか都心に出るのが億劫になったと言っていましたし。
私はずーっと拍手していたかったんですが、まあ仕方がないです。
ともかく、今回の公演では、ウルフ・シルマーの素晴らしさを再認識しました。そして、新国立劇場のレベルの高さも。プレミエが2003年ですから、ちょうど10年前でしょうか。あのころに比べてどんどん素晴らしくなっていきます。
次の演目は《ホフマン物語》です。たしかこれもプレミエは2003年だったはず。カーテンコールにフィリップ・アルローが登場して場内がどよめいたのを記憶しています。次も変わらずたのしみ。
では、こんどこそ本当にグーテナハト。

2013/2014シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera,Wolfgang Amadeus Mozart

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先週に引き続き新国立劇場へ。今日は《フィガロの結婚》でした。台風が来なくて良かったです。

  • 指揮:ウルフ・シルマー
  • 演出:アンドレアス・ホモキ
  • アルマヴィーヴァ伯爵:レヴェンテ・モルナール
  • 伯爵夫人:マンディ・フレドリヒ
  • フィガロ:マルコ・ヴィンコ
  • スザンナ:九嶋香奈枝
  • ケルビーノ:レナ・ベルキナ
  • マルチェッリーナ:竹本節子
  • バルトロ:松位浩

いや、本当にモーツァルトオペラの楽しさを満喫しました。
ワタシ的には序曲から勝手に盛り上がってしまい、あやうく序曲でブラヴォーと叫ぶところでした。それぐらい、ウルフ・シルマーの指揮は実に素晴らしかったのです。素晴らしく濃密な音でした。序曲から、オケの音が引き締まり、少し早めの速度でグイグイと引っ張られて行くような感じです。
シルマーの指揮棒の動きはかなり複雑です。盛り上がる場面では、私にはちょっと拍節がわからないぐらい複雑な動きをしています。ですが、よく見ると細かい指示をたくさん出していました。左手で頻繁にパートを指さして指示を出しているのがわかりました。ですので、腕がとにかくたくさん動いています。まるで阿修羅のようでした。またテンポの取り方も絶妙です。基本的にはあまりテンポは動かしませんが、微妙な音価の操作が音楽の輪郭を際立たせていたように思います。
歌手の方々も素晴らしかったのです。
伯爵夫人を歌ったのがマンディ・フレドリヒですが、去年ザルツブルグでメジャーデビューしたのですね。若手と言われていますが、ベテランともいえる堂々たる歌唱であり演技でした。少しピッチが気になることがありましたが、それは本当にごくごくわずかです。声も美しく、落ち着いていて、伯爵夫人の苦悩を表現しつつも、上品な挙措が素晴らしいのです。まだレパートリーにはないようですが、当然ながら《ばらの騎士》で元帥夫人を歌える方だと思います。あの第三幕で元帥府人が登場する場面を想像してしまいました。次の新国の《ばらの騎士》はカミラ・ニールントとマンレィ・フレドリヒを希望します。
“http://www.mandyfredrich.de/":http://www.mandyfredrich.de/
スザンナは九嶋香奈枝さんでしたが、今年冬の《愛の妙薬》でジャンネッタを歌ってました。あの時も巧いと思っていましたが、今日も素晴らしかったです。日本人離れした表現力だったと思います。時にわざとらしくなってしまう、西欧人的なジェスチャーですが、私はまったく違和感を感じることがありませんでした。あとは豊かな表情なんでしょうね。あれはなかなかできるものではないのだと思います。もちろん歌の方も倍音が豊かで日本人っぽくない声質でした。
続きはまた明日です。ではグーテナハト。

2013/2014シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera,Wolfgang Amadeus Mozart

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二回目は、2010年でした。昨年新国立劇場で《アイーダ》を振ったミヒャエル・ギュットラーでした。で、スザンナは、リゴレットでジルダを歌ったゴルシュノヴアでした。ケルビーノは、ミヒャエラ・ゼーリンガーでしたが素晴らしかった記憶があります。
アンドレアス・ホモキの演出は、今でも斬新さを失っていない気がします。ダンボールを使った演出ですね。ダンボールを動かすことで動的に舞台が作り替えられていくようなイメージだったと記憶しています。それから、色調はモノトーン。というか、真っ白ですね。
私はホモキの演出を、この《フィガロの結婚》以外にも、新国立劇場では《西部の女》、そしてミュンヘンの《マノン・レスコー》で見ています。
特に、ミュンヘンでの《マノン・レスコー》の演出は強烈でした。舞台上にバイエルン国立歌劇場入り口の大階段が設えられていて、客席の大シャンデリアが舞台にも吊り下がっているというあんばいです。民衆はオペラのお客になっていて、警官は劇場の守衛の制服をきていました。マノンは麻薬をやっていて捕まる、という設定になってました。休憩なし二時間の濃密なパフォーマンスで、心底感動した記憶があります。
そういえば、ホモキの《フィガロ》演出についてちゃんと書いたことがなかったです。今回は3回目ですが、なにか新しい発見を見出せるよう考えてきます。
というわけで、楽しみ楽しみ。
後一日。だが戦いは続く。
ではグーテナハト。

2013/2014シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera,Wolfgang Amadeus Mozart

10月20日から新国立劇場で《フィガロの結婚》が始まりましたね。
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この《フィガロの結婚》は新国立劇場の定番プロダクションです。
私は今回で三回目となります。
一回目は2003年のプレミエを聴きました。当時はノヴォラツスキー芸術監督最初のプロダクションという記念すべきプロダクションでした。
外の木の指揮者は今回と同じウルフ・シルマーでした。
私、シルマー大好きなんです。シルマーの指揮で聴いたのは、《影のない女》@バスティーユ、《パルジファル》@東京春祭、《アラベラ》@新国立劇場、そして《フィガロの結婚》@新国立劇場です。
私のシルマーが創る音楽のイメージは、シャープでありながら、重みのある指揮、という感じです。キレのある演奏でありながらも、ここぞという時のエネルギーの溜め方とか爆発のさせ方が素晴らしい、というものです。《アラベラ》でも《パルジファル》でも感動し過ぎましたので、今回も楽しみです。
2003年のプロダクションでは、ケルビーノを歌ったのは、エレナ・ツィトコーワでした。
おそらくこの時が新国立劇場初登場。で、素晴らしいケルビーノを聞かせてくれたのでした。その後の新国立劇場での活躍は言うまでもありません。
特に私がツィトコーワで印象的なのは、2007年の《ばらの騎士》のオクタヴィアンでした。指揮がペーター・シュナイダーだったということもあり、私の中では唯一無二の体験に鳴ってます。その後も、ツィトコーワのフリッカ、ブランゲーネ、ヴェヌスを新国立劇場で聴くことができています。次はなんと《ヴォツェック》のマリーです。
というわけで、一旦グーテナハト。

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新国立劇場の今シーズン冒頭を飾るヴェルディ《リゴレット》を見てきました。

  • 指揮:ピエトロ・リッツォ
  • 演出:アンドレアス・クリーゲンブルク
  • リゴレット:マルコ・ヴラトーニャ
  • ジルダ:エレナ・ゴルシュノヴァ
  • マントヴァ伯爵:ウーキュン・キム
  • スパラフチーレ:妻屋秀和
  • マッダレーナ:山下牧子
  • モンテローネ伯爵:谷智博

演出

演出はアンドレアス・クリーゲンブルクです。《ヴォツェック》の素晴らしさは今でも思い出します。水の張られた舞台が印象的でした。今回の舞台は現代の高級ホテルです。舞台上に円柱形のホテルが登場し、回り舞台になっています。新国の設備を活かした舞台でした。
ですが、このホテルが常に舞台の中央にありますので、演技できる空間が前面に限られてしまうところが難点でしょうか。
《リゴレット》は、音楽を聞いているだけではわからないのですが、中身はどす黒い人間の欲望のドラマです。それも動物的な。クリーゲンブルクの演出はそうした陰惨さを取り出すために、ギリギリのラインに迫る直接的な方法を取りました。おそらくは観客の中にはそうした方法を不愉快に捉える面もあるはずです。あるいは、子供には刺激が強すぎるでしょう(そもそも、子供が見てもよいオペラは数えるほどしかないのですが)。ですが、それがクリーゲンブルクの戦略なのでしょう。いつもはヴェルディの長和音に隠されていますが、こうしたゾッとする陰鬱さがドラマの核だったのか、ということを眼前につきつけられる形です。もちろんこういう陰惨な状況は今も昔も変わらずあるわけです。
もちろん、もともとのストーリーの問題、つまり勝手にマントヴァ公爵に舞い上がってしまったジルダが、マントヴァ公爵に暴行されてもなお愛し、身代わりとなって死に至る、という論理性のなさはあります。ですが、もともと世界は非論理です。そして、《リゴレット》のストーリーと同じく脈絡なく絶望に突き落とされるという偶然の運命もあるはず。そういう意味ではリアリティに富んでいるといえます。
あとは、リゴレットのこと。せむし、という言葉は放送禁止用語で、使用してはならないわけで、ATOK(かな漢字変換)では見事に変換候補に上がってきません。ですが、西欧文化に触れると必ず接する言葉でしょう。《ノートルダムのせむし男》はもちろん、《秘密の花園》にも登場しましたね。また、辻邦生の《春の戴冠》にもせむしの暗殺者トマソというのが出てきました。これは、ビタミンD不足から来るくる病罹患者のことのようです。日照量が少ない欧州では、紫外線に当たる機会が減るためビタミンD不足に陥ることが多いようで、そうした環境上の条件からくるはずです。北欧の人々が短い夏に狂ったように日光浴をするのはこういう理由があるようです。ちなみに、昨今の放射能問題で、屋外で遊ぶのを制限されている子供にくる病患者が増えているようです。

演奏

歌手陣のこと。リゴレットを歌ったブラトーニャは、さすがにベテランの風格があり、終始安定していました。ジルダのゴルシュノヴァは、声量に少し物足りなさを感じましたが、テクニックは抜群で、可憐なジルダを歌っていたと思います。喝采でした。あとは、マッダレーナを歌った山下さん。《ヴォツエック》のマルグレートを歌ってましたが、この方の妖艶な歌唱は素晴らしかったです。マントヴァ公爵に擦り寄っていくあたりの演技がカッコイイ。《死の都》や《ヴォツェック》にも出演される予定ですので、楽しみです。あとは、モンテローネ伯爵の谷さんの怒りに満ちた歌声も良かったです。貫禄あり、登場した場面は舞台全体が引き締まったと思います。
指揮のピエトロ・リッツォですが、色々意見はあるようですが、私は嫌いではありませんでした。むしろ計算してテンポ感を巧くコントロールしていて良かったと思っています。
そのほかにも個々には書けない出来事が幾つかあり、まあ、個人的には大変勉強になった公演となりました。
次はすぐ来週になりますが、ウルフ・シルマーが振る《フィガロの結婚》です。
では、グーテナハト。

NNTT:新国立劇場

新国立劇場ビギナー講座に面白いネタを見つけました。
新国立劇場《ヴァルキューレ》の第三幕の冒頭、有名なヴァルキューレの騎行の場面は、病院の設定になっていて、戦死した英雄たちが担架にのって運ばれてくるシーンがあります。
このシーンの写真が、新国立劇場の救護室の写真になっていました!

粋だ!
ではグーテナハト。

Book,Opera,Richard Wagner

1986年に刊行された高辻知義氏による「ワーグナー」。以前も一度読んだはずですが、もう一度読み直しました。

かなりまとまった緻密な一冊でした。ワーグナーを神格化することもなく、逆に誹ることもなく、中立の立場から冷静に論じていたと思います。

ただ、私は悠書館の「ワーグナー」を読んでしまっていたのです。悠書館の「ワーグナー」は最新の研究成果を取り入れた記述になっていました。ここで知った新たな事実は霹靂ものです。
ですので、私はこの高辻氏の記述の裏側に様々な事象を織り込んでいたようです。
たとえば、コジマがビューローと別れた経緯については、ワーグナーとコジマが通じたという事実と離婚という事実が記載されていただけですが、悠書館においては、ビューローが問題のある夫であったという事実が紹介されており、コジマの行動にある意味納得させられてしまうのです。私の中のビューローのイメージは、巨匠のそれですが、若き日は迷いのある日々だったようです。
さて、昨日はブログ休みました。どうにも先日の夜勤明けから、めずらしく風邪を患いました。
昨日は朦朧としながら、別件のインシデント対応を行いつつ、早めに帰宅してよく眠りましたので、今日は持ち直しました。

今日もこちらで落涙。ベン・ヘップナーは、柔和さだけでなく、雄々しさもあります。フォークトやコロにはない英雄的ヴァルターです。私の中のヴァルター像を変えなければならないかもしれません。
では、グーテナハト。