Miscellaneous

久々に静かな夜。

さまざまなことがあって、いろいろなことに取り組んだ2月だったような気がします。まだ2月も終わっていませんし、いろんなことも終わっていませんが。

まあ、思うように行かないことの方が多いのが人生というものです。ただ、いえることは、リスクをとらないと、なにも得られないと言うことでしょうか。

歳はとりましたが、その分リスクをとれるようになったともいえるので、リスクをとることも考えないとなあ、と思いました。

ちなみに、リスクという言葉は、日本語においては、危険という意味合いがありますが、本当の意味はそうではなく、予想に対するぶれ幅、という意味の方が強う息が致します。

さて、そんなことを考えながらきいているのはこちら。

London Concert

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最近、夜に一人でジャズを聴くのにはまってます。もちろん、懐メロに類するものととられるんだとは思います。時代は流れます。

それではみなさま、とりいそぎおやすみなさいませ。

Miscellaneous

なかなか書けないまま一週間以上過ぎてしまいました。ものを書いていなかったわけではないのですが、なかなか時間ができませんでした。

時間は作るものですけれど。

今日はこちら。最近、ショパンを聴くことが多いです。なんでだろう。これまでピアノ曲まで手が回らなかったのに。

Maurizio Pollini: Chopin
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Maurizio Pollini
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まだ、何か言う資格はないのですが、ポリーニは昔から好きです。アバドとやったブラームスのピアノ協奏曲に驚いたことがあります。

さて、仕事でも読まないといけない本がたくさん。まあ、仕事も私事もどうも区別なく取り掛からないといけないみたいです。

また粘りに粘って頑張ります。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

待望の「背教者ユリアヌス」第1巻Kindle版の登場です。

これで、どこでもユリアヌスと会えますね!

さしあたり短信です。

私は、第2巻を読み始めました。なんだかドキドキします。前回よんだのが大分前です。あらすじは覚えていますが、それでもとても読んでいてワクワクします。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

銀杏散りやまず、読了しました。

文庫版後書き(高橋秀夫氏)にもありましたが、辻邦生作品の中でも移植の作品といえると思いました。全体構想を作り上げた中で、作品を構成していくのが辻文学の一つの特色であり、それは「小説への序章」において、そうした全体直感で全体を把捉した上で、文学を構成するということを、プルーストやマンを例にとって、とりあげられていた記憶があります。

ですが、この「銀杏散りやまず」はそうではありません。辻邦生のお父さまである辻靖剛さんが亡くなられたことをきっかけに、辻家の歴史をたどりながら、祖先とのつながりを通してお父さまとご自分の関係を見つめ直す、あるいは和解するという作品です。連載をしている中で、新たな資料が見つかるなど、ある意味エッセイのような趣の歴史小説で、思うままに書いているようにも思います。

私は「型破りな歴史小説」と感じましたが、そのうちに、「私小説」あるいは「家の小説」のようにも感じたのです。とあるご縁で手元にあるモノオペラ「銀杏散りやまず」の演奏会パンフレットにおいてもやはり「史伝風の私小説である」と書かれています。

この「私小説」という言葉に、私は本当に深く思うことがありました。おそらくは、私小説を書かなかった故に、正当な評価をうけられず「フォニイ論争」のようなこともあったのだと思うのですが、「銀杏散りやまず」はやはり私小説であり、であれば初期の短編群もやはり私小説だったのだ、とも思いました。

さて、この「銀杏散りやまず」が、歴史エッセイではなく小説(それは歴史小説なのか、史伝風小説なのかはさておき)である決定的な証拠を見つけてしまいました。それは恐ろしいほどに自明なところにありました。きっと有名な事案なので、ここでは伏せますが、「安土往還記」で、あたかも実在する歴史であるかのように、信長の事跡を再構成した辻邦生ですので、きっとさらりとそうした仕掛けを入れ込んだのだなあ、と思いました。

さて、寒い日々が続きます。どうかみなさま、お身体にお気をつけてお過ごしください。

おやすみなさい、グーテナハトです。

Miscellaneous

月曜日のことを反芻。

お昼頃から東京は雪が激しくなり始めました。ちょうど、遠くに皇居が望める場所にたまたまいたのですが、雪に染められていく皇居前広場は、深々と清楚典雅で、墨絵のようでもあり、あるいはなにか戦前のモノクロームの映像を見ているようにも思いました。

そういえば雪の東京には歴史の匂いを感じ、二二六事件だとするとどこかから兵士達が現れるのではないか、という妄想を抱きました。

夕方に早期帰宅命令。雪国の方には、疑問符だらけなのでしょうけれど、雪に慣れない東京においては帰宅できなくなる可能性もあり、雪の降るなか路上に立ちすくむとか、列車の止まった線路に沿って雪の中を歩く、というようなことも予想(妄想?)されたため、早々に帰宅することに。私は運良く30分程度余計に時間がかかるだけで帰宅しましたが、あとで聴くと4時間かけて帰られた方もいて、首都圏の人口の多さや、高度な交通網が遮断された時の混乱を思うと、綱渡りのような生活を我々は日々送っているのだ、ということをあらためて思います。

翌朝は、5時20分に出発。凍る雪の上を恐る恐る歩きながら駅へ向かいました。まだ暗い早朝の街には、いつも聴こえる自動車の音はなく、ただ雪を掻く音だけが響いていました。車の上に分厚く積もる雪は、雪が積もったというよりも、雪が乗っかっている、という方がふさわしいほどで、夜半までに降りしきった雪の量に驚くばかりでしたが、驚いたことに、すでに雪掻きが終わり、駅への道が開削されていたのでした。おそらくは深夜のうちに雪掻きがされていたわけで、頭の下がる思いでした。職場近くに着いたのは6時半過ぎ。こなでもやはり歩道は除雪済みで、作業をひと段落した方々数名が、肩で息をしているところでした。自治体の職員なのか、あるいは自治会有志なのか。

雪もやはり非日常である東京ですが、高度に発展した東京の危うさも、人々の働きによって支えられている、ということと思いました。そうした働きへと人々を動かすものは何か。文化圏に応じて様々と思いますが、それだけで本が何冊も書かれているテーマです。自分なりの意見はありますがそれはまたの機会に。

みなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

辻邦生「背教者ユリアヌス」第2巻、予約していまして、ゲット。青春の終焉という言葉に痺れました。

こちらは少し我慢して「銀杏散りやまず」を引き続き読んでいます。

今日は取り急ぎ。

European Art

先日、国立西洋美術館へ。記憶では2015年冬以来なので2年ぶり。

すごい絵が入ってました。ラファエル・コランの二枚。「楽Music」と「詩Poem」。この方、黒田清輝が師事した方々らしく、たしかにこの淡い色調は黒田清輝だ、と。おそらく、一般的には評価されにくいのでしょうが、アウラに圧倒されてしまいました。

総じて、絵の世界の方が真実なんだろうなあ、とあらためて思います。吸い込まれそうでした。

本当にたくさんのことを学んだひとときでした。忘れられない日になりそうです。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio


辻邦生「銀杏散りやまず」を読み始めました。

この本、おそらくは20年ほど前に読んだはずです。辻邦生がお父さまに抱く深い愛情を感じる作品。父祖を語る、ということはそういうことなんだと思います。

まだ読み始めですが、辻邦生のお父さまが亡くなるシーンは、何か深い悲しみとともに、荘重で重々しいものにも感じました。英雄の死のシーンにも重なるもので、この筆致もまたお父さまへの愛情なんだろうなあ、と思いました。

引き続き読みます。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

いやあ、素晴らしかったです、ユリアヌス。

さしあたり読み終わり、余韻に浸る感じ。

巻末の「ユリアヌスの廃墟から」も素晴らしくて、しばし読みふけってしまいました。小説家の舞台裏が満載。もちろん、一度は目を通しているものではありますが、その時々の問題意識に応じて、学ぶものも変わります。トーマス・マンやノサックの事例から、小説を書くに当たって意識されていたことがあらわになっていました。

まあ、その気になれば、旧い文庫本で続きも読めますが、あえて、来週の第二巻発売を待つことにします。一応予約してるので、わくわくしながら待ちます。

短信的に今日はここまで。

みなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

辻邦生作品を読むと、あれ、このシーン、どこかで読んだなあ、ということがたまにあります。初めて読んだときには当然気づきませんが、辻邦生を読み始めて四半世紀もたつと、そういう気づきもあります。

今日、「背教者ユリアヌス」を読んでいたのは以下のような部分でした。

ユリアヌスが、ゾナスという学生とニコメディアで逢ったあとのこと。二人で神殿跡を訪れるシーン。この、神殿の廃墟を訪れるというコンセプト、「ある告別」にもあったなあ、とおもったのです。「ある告別」は、イタリアからギリシアへ向かう船旅に始まり、ギリシアの神殿跡で壮絶な夕暮れを見て、人間の若さ、すぎゆく時と雄々しく別れる、という作品。辻邦生文学の非常に重要なコンセプトであるパルテノン神殿が描かれている作品でもあります。
この場で「ある告別」を語ることは趣旨ではないのでこのあたりでいったん止めますが、このなかで山の中をあるいて神殿跡を探し出すシーンがあるのです。そこで二人のギリシアの娘と言葉をかわし、神殿跡へと至る、というシーン。あそこで「カスタリアの泉にゆくのはこの道よ、ね」と娘が道を教えてくれるのです。かたや、「背教者ユリアヌス」では神殿に至る道に「カストリアの泉」が現れます。微妙な表記ゆれはありますが、関連しているようにも思います。

(左が「ある告別」、右が「背教者ユリアヌス」)

このカスタリアの泉は、デルフォイにあった霊泉で、神託に訪れた参拝者が身を清めたようです。「ある告別」においては、デルフォイにあることになっていますが、「背教者ユリアヌス」では場所が異なりますが、なにか神殿に向かう参拝者が身を清めるために使う泉のことを指しているんもではないかと推察しました。

おそらくは、いずれも実際にギリシアに行かれたときの経験が元に昇華したシーンではないか、と考えます。「パリの手記」においては、1959年8月26日にデルフォイをおとずれ、佐保子さんが、道を聞いたジプシーのようなギリシアの美少女と仲良くなった、とありました。この美少女が、「ある告別」で道を教えてくれた娘に昇華したのではないか、などと想像しました。

作家が作品を生み出す舞台裏を垣間見た気がいたします。

というか、この調査をするなかで、もう一つ、複数も作品における興味深い関連性を発見し、辻文学への理解が深まったのでした。それはまた。

さて、明日の東京地方は雨だそうです。気温が上がり、暖かいのはよいのですが、雪国では雪解けにともなう思わぬ事故が懸念されているようです。どうかみなさま、体調や天候の変化にはおきをつけください。

それではおやすみなさい。グーテナハトです。