Literature,Murakami Haruki

今日も、少しだけ小説を読んでみました。

村上春樹です。今日は週末ですので自宅におりましたので、電車に乗っているわけでもなく、別に小説を読む時間があるわけでもないのですが、まあ、せっかくなので少しは読んでみようかなあと思い、5分ほど時間を見つけて読んでみた次第です。

それで、村上春樹を語るほど村上春樹を読んでいるわけではありませんが、それでも何か語りたくなるような欲求を抑えないわけにはいきません。

今日、私があらためて感じたのは、物語の中にまるで通奏低音のように何か運命性のようなものが流れていることを感じる。それもほとんど超自然的な運命性です。

辻邦生においてもやはり超自然的な運命の出会いであるとか、あるいは幻覚や天変地異あるいは天文学的な現象等によって、運命性を感じさせる場面があります。例えば、背教者ユリアヌスでは、ローマの神々がユリアヌスの前に姿を現し、ユリアヌスに様々な示唆を与えます。

村上春樹においてはそれを超えるような超自然的運命的な事柄が描かれているわけです。「ねじまき鳥クロニクル」では、ノモンハン事件、満州国、井戸と言ったキーワードで、場所や時間を超えたつながりが描かれていると思います(もちろん、まだ読み終わっていないので全貌がわかっているわけではありません)。

私は、昔から思うのですが、小説においては、普通では説明のつかない、現実を超えた、あるいは科学では説明できない超自然的現象が、何かしら語られていることが多いように思います。

小説の起源が、おそらくは古代において口伝えで伝えられた神話であるということからして、あるいは、18世紀以降の小説が未知の世界を伝えるメディアだったということからして、小説が自分の理解や知識を超える何かを伝えるものだとすれば、小説が超自然的なことを伝えることに関して何の不思議もなく、むしろその本質の1つなのではないかと思います。

などと言いつつ夜も更けてきました。そろそろ眠りについて、明日に備えないと。

それではみなさまおやすみなさい。グーテナハトです。

Literature,Murakami Haruki

今週月曜日から始まった小説を読む時間。今日で5日目になります。今日も引き続き、「ねじまき鳥」を読んでいます。

村上春樹の小説は間口が広く、だれもが何か共感できるチャンネルを持っているのが強みだと思います。歴史、音楽、政治、芸能…。この間口の広さが、普遍性の秘密なのだなあ、と。これはやはり「騎士団殺し」でも感じたことです。プロットはあるような無いような。しかしながら、伏線と謎が縦横に張り巡らされているように感じられ(もしかすると、それは、伏線があるかのように読者が受け取るように仕組まれたものとも思えますが)、ページをめくる手が止まらないわけです。

ただ、ときに、その手が止まることもあるのは何故なのか。もしかすると、この特異すぎる世界観を理解することは精神的な負担が強い、ということではないか、と。現実世界で生きているなかで、村上春樹の文学世界はあまりに苛烈に真実で、心が焼き切れてしまいそうなのです。

それは、辻邦生を読むときにも感じることです。あまりに現実と離れた理想の世界を見たときに、感じる脂汗をかくような疲れにも似たものです。おそらくは、真実は、現実にとっては都合が悪いことなんでしょう。だから脂汗をかいてしまうということなのかもしれない、と思いました。

今日の東京地方はとても良い天気でした。朝の雲1つない空は筆舌に尽くしがたいものでした。明日も明後日も良い天気。そしてそれ以降は梅雨が来そうです。皆様もよい週末をください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Literature

今週から、仕事場からの帰宅時間は、小説を読む時間と決めてみました。

おかげで、「背教者ユリアヌス」を読み終え、村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」を再開しました。ずいぶん中断していましたが、不思議にも違和感なくどんどん入り込んでいます。

思えば、辻邦生ひとすじでこれまで生きてきました。永井路子、岡本かの子、塩野七生などを読む機会がありましたが、それ以外の小説を読む機会はありませんでした。外国だと、プルースト、アニタ・ブルックナー。あるいは、SF。ハインラインやアシモフ。振り返りきれていないかもしれないですが、記憶の地平の上にあるのはそうしたものです。

こうして、振り返ると、あまりにも小説を読んでいないと思われるということと、文学でいうと女性作家が多いということに気づきます。理由は特にないはずですし、あったとしても後付けの理由のはずです。

で、村上春樹も、ほとんど読めていません。ただ「騎士団長殺し」や「色彩のない多崎つくると 彼の巡礼の年」はリアルタイムに読んでいます。予約して買いましたし。本を予約して買うワクワク感は半端ないです。

いずれにせよ、帰宅時間で小説を読む、という習慣が長く続けられるよう、頑張りますし、実際長く続けられることを願っています。

それではみなさま、おやすみなさい。

Tsuji Kunio

文庫で再刊された辻邦生「背教者ユリアヌス」全四巻を読み終わりました。

とにかく、最後の四巻は、ユリアヌスの死へと至る悲しいコーダのようなもので、それは、「トリスタンとイゾルデ」や「ニーベルングの指環」のような救済もなく、ほとんど「ビーター・グライムス」か「ヴォツェック」のような終幕感だなあ、と今は感じています。

辻文学を「美と滅びの感覚」と評した文章の記憶があります。まさに、「ユリアヌス」は美と滅び。史実ながら、現実に感じる無力感に通じるものがあり、悲劇的です。私の今の読み方は、あまりに悲観的で、それは、なにか現実解釈が歪んでいるからなのでしょう。終幕に至る途中の楽章で語られた美しい調べがあまりに切ないのです…。

20年ぶりに読み返しました。今は、初めて読んだ学生時代には感じることのなかった現実世界で感じる空しさを知っています。だからこそ、胸が痛みます。

そして、この読み方は、きっと間違っている、そうも思います。

今日読めたのは、仕事の帰り道で、文学作品を読むことにしようと決心したからです。どうも仕事の関連する本ばかり読んでしまう嫌いがありましたが、それを変えたいなあ、と思ったので、というのが理由です。おかげでなんとか読み終わった感じ。明日の帰宅もやはりなにか文学作品を読もう、そう思います。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Gustav Mahler


アップルミュージックで、アバドのマーラー全集があるのに気がつきました。この全集は、もちろんCDで持っているものですが、なかなかCDで聴く機会はありません。家にいる時間がほとんどありません。なのでアップルミュージックで全曲通して聞いてみようと思ったのです。

マーラーの交響曲は、もう四半世紀以上聴き続けているわけですが、何か初めて聴いたときのことを思い出したりしてなかなかスリリングな体験でした。

今、やっと第6番まで聴き終わったところです。やはり、第5番が1番心に染みます。

この後がもいいんだよなぁ。7番も素敵ですし、8番は、若い頃は一番好きな曲でした。

マーラーを聞くと、いつも思いますが、本当に多面的で様々な葛藤やコンプレックスを持ちながらその複雑な心情を芸術に昇華したと言うことなんだろうなぁと思うです。ボヘミアの田舎に生まれユダヤ人でありながらウィーン社交界に登りつめると言う事は並大抵のことではないと思うのです。

今で言うと、ベンチャーの起業家みたいなものなのかなあ。

いろいろ立て直し中。まずは掃除から、みたいな感じになってます。明日も掃除日よりかも。

みなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

最近思っていることは、初心に帰る、ということです。いろいろなことがうまくいかないので、謙虚に様々なことを立て直そう、そう思っているのです。

さすがに、ここまでやる事が多いと、正当な判断もできなくなっています。やる事は減りませんので、管理するしかなく、それでもだめなら諦めるしかありません。

大切なものを失わないように、やり直さなければ、そう思いました。

そんな時はこちら。AppleMusic をお使いの方へ、わたしが使ったプレイリストを。

疲れたあなたへ

開けるでしょうか? もしよければこちらでお休みください。

以前書いたこちらも。曲のご紹介があります。

世界に疲れたあなたへ

それではみなさま、おやすみなさいませ。

グーテナハトです。

Miscellaneous

なかなか厳しい戦いを強いられております。

音楽もゆっくり聴けないし、本もゆっくり読めないなあ、と思いますが、いやいや、前からそうだったし、などと思ったりもしました。

とにかく小説がよめません。小説時間のようなものがあって、自分の時間感覚とあわせなければならないのですが、そこを合わせるのに苦労をします。仕事の時間感覚と小説時間は全くあいいれません。

なんて言いながら、これから小説を読むことになるかもしれませんけれど。

そんな中で、辛うじて聴いているのが、マーラーとバッハ。

バッハはこちら。こちらは、今日聴いているもの。

J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲
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1ヶ月ほど前に聴いた時には、あまり共感できませんでしたが、曲の理解が深まると、心があってくるものです。つまりは、初対面で全てが分かるわけではない、ということなのでしょうか。いやいや、そうはいっても、それはバロックやクラシックという大枠に共感した上での話で、さすがに普段聞くことのないジャンルの音楽については、初対面であろうがなかろうが、共感をするのはとても難しいことでしょう。

マーラーは、マゼールが振る交響曲第5番。第1楽章の狂おしさが、今の感覚とフィットしています。

Mahler:Symphonies 1-10
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二週間も書かないと、もう終わったのか、と思われてしまいそうです。ブログはメリハリがありながらも15年ぐらい書いてますが、多分、まだ書き続けると思います。

ではみなさま、良い一日を。

Miscellaneous

初夏の眩しい太陽。太陽高度はおそらくは7月と同じです。日差しは夏ですが幸いなことに、空気はまだ涼しく、過ごしやすい一日。

東京地方は本当に気持ちが良い日でした。落雷や雹に見舞われた地方もあったようで、そうは言っても大変な1日だったところもあると思います。仕事をしてされている方もいらっしゃいますので、個人的には、来たる仕事に備える一日だったと思いました。

今日は、音楽を聴く間も無く、本を読む間も無く、淡々と過ごしました。が、とある決心もいたしました。何もしない1日もとても大切です。

皆さまも、来たる良き週末をお過ごしください。

おやすみなさい。

Miscellaneous

朝、近所のカエデを仰ぎ見て、墨絵のようだなあ、と思い、とってみました。

休日一日目は、慌ただしく始まり、緩く終わりそうです。

皆さま、引き続き良いお休みを。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Richard Wagner

ハイティンクのワルキューレ、今日も聴いてます。まあ、CD4枚組なので、時間がかかります。

ちなみに、わたしは通勤時間のみ音楽が聴けますので、iPhoneX にBOSEのQuiet Comfort35をBluetoothで接続し、iCloudミュージックライブラリにアップロードした音源で聴いています。

どうやら、Apple Musicには、ハイティンクのリングはないようで、アップロードした音源が使われているのでは、と推測しています。

ですので、音響的に、結構条件が悪いのでは、と思うのです。

ですが、それでも、音がしていいなあ、と感じる時があります。音の良し悪しは、主観的なものである場合もありますので、私が、良いと感じた瞬間があった、というぐらいです。

なんでかなあ、と思った時に、思い当たったのは、録音場所です。この深く豊かなリバーヴ感。自然で豊かな倍音を含んだ瑞々しい残響の感覚。録音場所は、ミュンヘンレジデンスのヘラクレスザール。

バイエルン放送管弦楽団の本拠地。録音もここでやっていることが多いはず。

http://www.muenchen.de/veranstaltungen/orte/139991.html

ウェブサイトによれば、クラシック以外でも使われている模様。

ミュンヘンは、数ヶ月ぐらい滞在してみたい街です。毎日ピナコテークに行って、毎日オペラかオケを聴く、というのが夢です。

夢は叶うかも。

さて、明日から、祝日ですね。皆さま、どうか良いお休みを。

おやすみなさいませ。グーテナハトです。