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Wagner

新国立劇場情報センター1997年の新国ローエングリン上映会に参加して来ました。みっちり四時間予習しましたが、とても充実した勉強になりました。

このときの演出は、あのヴォルフガング・ワーグナーなのですが、カーテンコールで登場していました。御存命の姿を見ることになるとは予想外でした。

指揮は若杉さんでした。まだお若くて、お元気なお姿でした。
ストーリーもみっちり再確認できました。世界は論理ではないですし、人間はいつの時代も不変です。テーマの普遍性だなあ。




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はじめに

ワーグナーの活躍した19世紀はグリム兄弟がドイツ民話やドイツ神話を研究収集した時代で、ワーグナーもこの影響を受けてローエングリンやニーベルングの指環を作曲しました。

この時代のドイツは、フランス革命後のドイツ国民意識の高まりや、産業革命や帝国主義の進展を背景に、1871年のドイツ統一に向かっていた時代でした。フランク王国が分立しドイツの原型ができあがった時代を舞台とする「ローエングリン」は、そうしたドイツ的なものを再確認する機縁となったのです。

「ローエングリン」に登場するハインリヒ王は、初代神聖ローマ帝国皇帝であるオットー大帝の父親に当たります。ハインリヒ王は、東方のマジャール人の侵攻を防ごうとしていることがこのオペラの一つの背景にあります。

ドイツ統一に向けた時代背景

ドイツを守ろうとするハインリヒ王の姿は、フランス革命により火をつけられたドイツ国民意識の高揚とつながります。

19世紀はこうした、ドイツ国民意識の高揚と、ドイツ統一への機運が高まっている時代です。オーストリア中心の大ドイツ主義とオーストリアを排除する小ドイツ主義のせめぎ合いははげしいものでした。

そうしたなか、1849年に学識者を中心とするドイツ憲法制定議会(フランクフルト国民議会)が小ドイツ主義に基づき、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム四世に皇帝冠を捧げるも、国王は拒絶し、議会によるドイツ帝国成立の機会は潰えました。

Friedrich Wilhelm IV by Kreuger.jpg 

(フリードリヒ・ヴィルヘルム4世とフランクフルト国民議会)

そうしたドイツの激動の中にワーグナーも一人の当事者として関わっていました。1849年のドレスデンにおける革命騒ぎに参加し、追放されていたのです。

「ローエングリン」初演の時代

そのような時代に、「ローエングリン」は成立しました。作曲は1848年に終わっていましたが、フランツ・リストの奔走により、1850年8月28日にワイマールにてリストの指揮により初演されました。

後にナチズムに利用されることになる「ドイツの件をとってドイツの国土を守れ」という第三幕におけるハインリヒ国王の台詞も、こうした国民主義高揚の文脈のなかに身を置いてみると、得心するものがあります。

「ドイツ帝国」のその後

その後、ヴィルヘルム一世とビスマルク率いるプロイセン王国が武力によるドイツ統一を成し遂げることになります。その後、第一次大戦でドイツ帝国は滅亡しますが、ヒトラーにより第三帝国を標榜するナチス・ドイツが世界を揺るがすことになります。

「ローエングリン」はドイツ第一帝国(神聖ローマ帝国)成立の一世代前を舞台とし、ドイツ第二帝国(プロイセン中心のドイツ帝国)前夜に誕生し、ドイツ第三帝国(ナチスドイツ)において利用されたと言えます。

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ああ、これが歴史というものに生きる我々が耐えねばならない試練。

私たちが齢を重ねるごとに、その試練は重みを増し、絶え間ないものとなる。

http://www.spiegel.de/kultur/musik/dietrich-fischer-dieskau-gestorben-a-833828.html

黙祷。

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Wagner

ローエングリン人物相関図

ローエングリンの主要登場人物の相関図を作りました。

登場しない人も書いてあります。パルジファルとブラバント侯爵です。

このオペラのセリフには、後に作曲することになる「ニーベルングの指環」に登場するヴォータンや、「パルジファル」に登場するパルジファルが現れます。

ローエングリンの父親はパルジファルという設定ですが、パルジファルは聖杯を守る騎士で、アーサー王の円卓の騎士の一人に数えられることもあります。

 

私の予習も佳境には入って参りました。日曜日はほぼ究極に近い予習(?)に行く予定です。

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Mon

14

05

2012

Wagner

週末おわり。色んな方にお会いしました。
土曜日の夜は、大学時代の知り合い達と中野坂上で会いました。そのうちのお一人がUSで活躍するサクソフォニスト。14年ぶりに会いましたが、変わらずお元気そうでした。しかしプロともなると相当緻密に体のケアをしているわけですし、行動力も半端じゃない。学ぶべきことが多々あるなあ、と思いました。
私も頑張らんとなあ。
今日もローエングリンの予習。なんか、こんなにカッコいい曲でしたっけ、みたいな。新たな発見がたくさんありました。
すこし前にもtweetしましたが、第二幕の最後からマーラーが産まれたんですね、きっと。分厚い合唱とオケの最大音量、そしてオルガン。マーラーの二番、八番の終幕につながる壮大さなんですね。ますます楽しみになって来ました。




そろそろ飛びだってみますか。がんばれ。

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Wagner

6月はいよいよ私の敬愛するペーター・シュナイダーが新国立劇場に来てくださいます。演目はローエングリン。稽古はすでに始まっており、マエストロ・シュナイダーの来日もそろそろだとか。

というわけで、今日から本格的に予習を開始します。と同時に、またせっせと文章を書こうと思います。このところ筆舌に尽くしがたい(?)状態でしたので、やっと文章に向き合える感じです。私の根が尽きないように頑張ります。

まずは、シュナイダー師が御自らバイロイトで振った「ローエングリン」を聴かなければ。

この音源は、DVDで発売されていますが、個人使用のため音源に落としてiPodに落としました。

CDもあります。キャストを見るとDVDと同じなので同音源かと思われます。

バイロイトの響きは素晴らしくて、柔和な響きがシュナイダー的な繊細な弦と良く調和しています。

私はシュナイダーのこの音量感覚が大好きです。オケをきちんと抑制して、全体のバランスを最適に保ち、歌手を際立たせています。歌に感動しているのですが、じつのところオケがきちんと底部を支えていることによるものなのです。この音源もそうしたバランスの良さを感じることができます。もちろん、録音音源ですので技術の介在もあるでしょうけれどね。

ローエングリンをうたっているPaul Freyは、ペーター・ホフマンの代役でローエングリンを歌ったのがバイロイトデビューだったそうですね。もう少し遠慮せずにうたってほしい気もします。

昨今、時間のねん出が大変。少し寝不足だ。。

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Richard Strauss

ティーレマンのシュトラウスづくし

今晩のBSプレミアムシアター、シュトラウスファンとしては、垂涎です。

番組表

フレミングが出て、アラベラ「私のエレマー」を歌ってくれます。楽しみです。それからティーレマンのアルプス交響曲。おそらくは正統で巨大なアルプスが聴けると思います。

ティーレマンとフレミングがベルリンで競演

この組み合わせ、どこかで見たことあるなあ、と思ったのですが、ベルリンフィルデジタルコンサートホールでも、似たような趣向でフレミングとティーレマンがシュトラウスづくしをやってくれておりました。

こちらです。

しかし、フレミング、ベテランでそんなに若いわけではないなのに、歌っているときはアラベラの年齢まで若返っている。表情は若い女性のそれだ。すごい。

マゼールにフォローされました。。

そうそう、今日はマゼールの「家庭交響曲」も聴いたし。前にも書きましたが、マゼールのシュトラウスは大きいのです。テンポを押さえて、厚みのある壮大な世界を構築するのです。家庭のドタバタ風景が見事に壮麗な芸術に昇華した瞬間です。

そしたら、twitterでマゼールにフォローされました(笑)

シュトラウス大好き。

楽しみです。

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最近ヴェルディが分かってきたわたくし。

先日の新国立劇場の「オテロ」で完全にヴェルディに苦手意識がなくなりました。

どうも、「アイーダ」以降のヴェルディにはすんなりと入っていけるようです。

「アイーダ」→レクイエム→「オテロ」→「ファルスタッフ」と続きますので、レクイエムは、私のゾーンに入っておりますね。

ヴェルのレクイエム、昔から好きでしたが、この音源を聴いてのけぞりました。

アバドの指揮は、キレがあってカッコイイです。

ゲオルギューも巧いですよねえ。もっと歌ってくれればいいのに。

この演奏を実演で聴けれたら幸せだろうなあ、と思います。

ヴェルディが苦手で、レクイエムの音源をあまり持っていないことに気づきました。というか、全然ない。。 カラヤン盤も名演とのことで、入手に勤めようと思います。

今日は短め。

短くても、回数を多く書いた方が良いのかもしれないですね。ライフログ的になるべく多く書くようにしたいところです。

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Wagner

やっと春がきたと思います。昨日までは寒くて寒くて仕方がありませんでしたので。で、あっという間に夏がくるのでしょう。

春はスキップ、バイパス。

でも、昨日は東京春祭を聞きに上野にいってきました。

ワーグナーシリーズは、一昨年のパルジファルから三回目だったはず。昨年は震災で流れてしまいました。本来ならネルソンスがローエングリンを振るはずでした。残念。

今年はアダム・フィッシャーがタンホイザーを振りました。オケはN響です。

いやあ、序曲でノックダウンされました。

フィッシャーの指揮は激しくキレのあるもの。序曲ではあまりの激しい動きでメガネを落とすほどの指揮で、身を震わせ、体をねじり、オケにムチをいれ続けます。タクトの先から稲妻が出るのが見えました。N響もあれだけ煽られれば燃え上がるしかないでしょう。

途中、あまりに熱中しすぎて、スコアめくるの忘れてたり。途中で必死にスコアめくってました。素敵な方。

で、あまりの素晴らしい序曲に拍手が鳴り止まなかった、ということもなく、序曲から切れ目なく、タクトをふり上げたフィッシャーでした。さすがに拍手がおきましたが、フィッシャーはタクトをおくことなく演奏開始となりました。

が、ですね。フィッシャーは一瞬
客席のほうへ振り返ると、にっこり笑ったのですね。

拍手ありがとう。でも始めちゃったんでごめんね、みたいな。

惚れましたわ。。

最後のカーテンコールも、人柄がでたなあ。

フィッシャーは、何と一番端に立ちましたからね。普通は指揮者は真ん中ですよ。

さすがに、これはまずい、とテノールの高橋さんが真ん中へどうぞ、というのですが、フィッシャーは、俺はここでいいからさ、という感じで取り合わなかったのですね。

惚れましたわ。。

素敵すぎるアダム・フィッシャー。
あれは実力と自信がないとできないことです。どちらかがかけていたらそれだけで指揮者としては職業的に破滅してしまう行為だと思います。

あの、身悶えするような指揮でヴェーネスベルクの動機をグルーヴさせたフィッシャーの指揮は一生わすれないだろうなあ、と思います。

その他のことも書かなければならないのですが、ちょっと待ってください。

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行って参りました。新国立劇場「オテロ」。

すごい!

すごすぎでしたよ。。

思えば、新国に通い始めて10年ぐらいになりますが、私の記憶にある上演のなかでトップクラスだと思います。

こんなに濃密に凝縮されたパワーとダイナミズムを持ったパフォーマンスで「開いた口がふさがらない」状態でした。

「開いた口がふさがらない」という用法は、ネガティブな表現なんですが、そうではなく、**本当にすごかった** ということ。

特に第二幕の最後のところ、オテロとイアーゴが歌うところでは、感心しっぱなしで、文字通り開いた口がふさがらなかったのでした。

正直言ってですね、私はヴェルディがどうも苦手です。ですが、ヴェルディもやっと私のほうに振り向いてくれたようです。

キャストの方々

  • 指揮:ジャン・レイサム=ケーニック
  • 演出:マリオ・マルトーネ
  • オテロ:ヴァルテル・フラッカーロ
  • デズデーモナ:マリア・ルイジア・ボルシ
  • イアーゴ:ミカエル・ババジャニアン
  • ロドヴィーコ:松位浩
  • カッシオ:小原啓楼
  • エミーリア:清水華澄
  • 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

オテロのフラッカーロ

新国でフラッカーロを聴くのは三度目です。「トゥーランドット」のカラフと、「トロヴァトーレ」のマンリーコです。

私の中では、フラッカーロの声のイメージは少し軽快な感じで、たぶんカラフとかロドルフォとか、ちょっと若い感じの男が似合うと思っていました。ドスの効いたオテロはどうだろう、と楽しみにしていたのですが、厚みのある声と素晴らしいオテロでした。

歌い方もすこし豪放な感じでした。あえて音程をずらしたりする巧さがあったと思います。そうすることで、荒々しいオテロの心情をうまく表現していたように思いました。

デズデーモナのマリア・ルイジア・ボルシ。

昨年5月に新国立劇場「コジ・ファン・トゥッテ」でフィオルディリージを歌っていた方です。キャスト変更で昨週末から練習に加わったそうで、先週から大変だったようなのですが。。

すごかった!

演技、抜群です。ボルシは、昨年の「コジ」の時は、女子学生的なノリの演出だったので、少し子供っぽさ、あどけなさが残る演技が光りましたが、今回は、大人の女性でした。

途中から練習に加わったというハンディを感じさせない堂堂たるデズデーモナでした。スタッフの方々のご苦労もあったのだと思いますが、十分すぎる素晴らしさ。

歌のほうも、豊かな声で、高音から中音にかけての滑らかさは素晴らしいかったです。

第三幕のオテロとの対決の場面、硬軟織り交ぜて、デズデーモナの芯の強さから、悲しみにうちひしがれる心を巧みに表現してました。オテロの指弾をはねのけるところのあの高音のすさまじさは、デズデーモナその人でした。

第四幕の柳の歌も泣けたなあ。凝縮された時間でした。

前半、若干のピッチの揺れが感じられたのですが、第四幕にもなると収束していて、余裕で歌っている感じ。

この方のミミとかトスカもすごいんだろうなあ、と思います。

イアーゴのババジャニアン。

ブラヴォーです。

性格俳優的演技で狡猾なイアーゴを見事に演じていました。もちろん歌も最高。豊かな声と強烈なパワーで、イアーゴのねじまがった執念を発露させていました。

第二幕最後のオテロとの二重唱は凄かったなあ。あのとき、ふいにオペラ全体を直観しているような感覚を持ちました。おそらくこれは至高体験の一つで、西田幾多郎の「純粋経験」のようなものだと思います。それほど、パフォーマンスに私が入り込むことが出来たと言うことだと思います。

それから、どうにもババジャニアンが途中から「トスカ」のスカルピアに見えてきて仕方がありませんでした。絶対スカルピアも巧いはず!

あとですね、イアーゴの企み通りに物事が進むと、頭を右側に傾けるんですね。意図してやっておられる演技なのか分かりませんが、この「傾き」の動作を何度かやっておられて、イアーゴの悪事を楽しんでいるかのような不気味な心持ちがよく洗われていたのです。

掛け値のない拍手を贈りたいです。

合唱のこと

今日もすごかった。先日の「さまよえるオランダ人」の時も、なんだかパワーが炸裂していましたが、今日も激しかった。第一幕の冒頭は、嵐の場面、オテロの帰還の場面、決闘の場面と合唱の見せ場が続きますが、パワーがすごい! 

オケと合唱が張り合ってグイグイ高みに登っていく感じです。なんでこうなっているんでしょうか。

私の感じ方がかわったからなのか。でも、合掌がすごいという意見は、他にもあるようですから多分そうなんだと思います。

指揮者のレイサム=ケーニックとオケのこと

指揮はレイサム=ケーニク。

今日はオケの仕上がりがいつもより良かったし、は気合いが入っていたと思います。音が違いました。

ビビッドでクリアでダイナミック。

いつもより「縦の線」がよく見えたと思います。金管群も調子よかったかなあ、と。指揮者によってずいぶん変わるのかなあ、などと。

これは、昨年の秋に「サロメ」を観たときにも思ったことです。

あとは、うねりがすごい。微妙な音量のコントロールが素晴らしかったのです。オケを派手に動かすような演奏ではなかったと思います。

ですが、私の考えでは、オペラにおけるオケは、その存在感を消すぐらいがいいのではないかなあ、と。

後から思うと、オケがきちんと土台を押さえているから、全体のパフォーマンスが素晴らしい、というぐらいがいいのではないかなあ、と。

そう言う意味でも、レイサム=ケーニクはすごかった。

妙にテンポを遅らせてタメを作るようなこともないし、テンポを速めるようなこともしない。ですが、絶妙なところを付いてくるんですね。

ただ、その棒はかなり激しいように思いました。阿修羅のような激しさが合った気がします。盛り上がると立ち上がってましたし。。

あとは、左手の指をクイクイっと動かして、もっとコントラバス頂戴、とか、フラッカーロにばっちり合図出したりとか、細かいところまで行き届いているように見えました。 

日本人キャストの方々

エミーリアを歌われた清水さんも凄かったなあ。最終場面のオテロとの緊迫したところ、十二分にフラッカーロと張り合ってました。カッシオの小原さんも丹念に歌っておられました。

最後に

今日のカーテンコールも凄かったです。合唱へむけられた拍手も先日の「さまよえるオランダ人」の時のようでしたし、ババジャニアン、ボルシ、フラッカーロへの拍手と怒号のようなブラヴォーが凄かったです。

ああいうとき、空間を共有できる劇場は素晴らしいなあ、と思います。

フラッカーロにはもしかしてブーイング出てましたかね? 気のせいだと思いますし、私は絶対にブラヴォーのほうに与します。

本当に日本のカンパニーがこうしたパフォーマンスをビルトアップできるというのは素晴らしいことだと思います。

今回もたくさんパワーを貰いました。ありがとうございます。

いろいろ逆風も吹いているなかですが、今後も新国に期待していきます。

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いっこうに春が来ませんが、いったいどうなっているのでしょうか? 普通の年ならもう桜が咲き始めているというのに。

というわけで、私もいっこうに筆が進みません。3月20日に府中で日フィルの演奏会に行ってきましたので、そちらのご報告を。

曲目はオールロシア。今年のラ・フォル・ジュルネと同じです。

  • だったん人の踊り
  • ラフマニノフ ピアノ協奏曲第二番
  • チャイコフスキー 交響曲第五番

*指揮;大友直人
*ピアノ:横山幸雄

@府中の森芸術劇場

大友さんのこと

大友さん、昔、NHK-FMで番組を持っておられたころ、声だけはよく聴いていましたが、実演を聴くのは初めてでした。すらりとした長身で、あまりに素敵で上品な笑顔で、驚きました。あれは、作っているのではない。生まれながらに持っている笑顔ですね。すばらしい。

大友さんは指揮棒を使っていませんでした。ゲルギエフもブーレーズも使っていませんのであまり珍しくはないと思います。資料によれば、指揮棒がないほうが発音の表情をつけることが出来る、と言うことのようですが、私にとってはクリックがわかりにくならないか、と心配な感じでした。たとえば、裏拍がつくなど少し複雑な拍節となる部分の入りで、アンサンブルが浮遊し、一瞬混乱したように聞こえました。私の認識がついて行かなかっただけかもしれませんが。。

ピアノ協奏曲

ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番は、横山幸雄氏のピアノでした。横山氏は、昨年の5月に、ショパンの全曲演奏(ただし、ショパン生前に発表済みだった作品に限る)を一日でやられたそうです。今年もやられるそうで、朝の8時から夜の11時まで15時間弾きまくるそうです。それから、レストランをプロデュースされたりしているとか。

演奏のほうですが、男らしく力強い演奏なのですが、あるいは男らしく豪放でもあり、ラフマニノフの音符を力でねじ伏せるようなところがあり、そこでなにか微細な狂いが生じてしまう、そういう演奏でした。

いわゆるチャイ5

チャイコフスキーの5番は、本当に楽しかったです。大友さんの指揮は、かなり冷静な部類に入ると思います。広上さんのように粘ることもなく、コバケンさんのように沸騰することもなく。それでいて高関健さんのような硬さもなく、冷静さを兼ね備えた演奏だと思いました。ですが、もちろん全体でいえば、大きなうねりを感じる演奏だったと思います。チャイコフスキーの5番の素晴らしさを十全に堪能できたと思います。

チャイコフスキーの5番は本当に良い曲ですね。全楽章共通して、一貫した旋律群が登場して、統一感のある音楽ですね。ホルンも素敵ですし。最後のコーダで盛り上がらないわけはなく、府中なのにブラボーがかかりました。私の中では、この曲は映画音楽のようにドラマティックです。

最後に

今回も、お世話になった方のおかげで、愉しむことができました。ありがとうございます。

今回も落涙しました。年をとるとどんどん涙腺がゆるみますねえ。

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追伸。

先日の「さまよえるオランダ人」を観たり、オテロの話を聞いて、やはり、新国に通い続けたいと思い、また今年もコミットしよう、と本日決心したのでした。

というわけで、ホリデーAに申請をしてみました。今年は冒険しました。前のほうの席にしてみました。ちゃんと取れれば音はいいと思いますが、字幕が見えるかが心配。。

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先ほど新国立劇場からメールが来ました。

デズデーモナ役で出演を予定していたマリーナ・ポプラフスカヤは、健康上の理由のため出演できなくなりました。
代わって、マリア・ルイジア・ボルシが 出演いたします

http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/20001926.html

ポプラフスカヤは、先日届いた「ジ・アトレ」にインタビユーが載っていたりと、楽しみにしていたのですが、残念ながらキャンセルです。

代わりにいらっしゃるのがマリア・ルイジア・ボルシ。あの楽しかった昨年の「コジ」でフィオルディリージを歌っていたのがマリア・ルイジア・ボルジ。安定した歌唱だったと思います。

これから、アンサンブルに合流されるマリア・ルイジア・ボルシさんや劇場スタッフの方々は、大変だと思います。どうかがんばってください。応援しています。

私も、最近オテロに目覚めてますので、今回のパフォーマンスに期待大です。今日もデル・モナコで予習中です。

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昨夜18時頃会社に呼び出され、3時過ぎまで対応して、帰宅したのが4時半頃。とりあえず就寝して9時半に起床でした。来客がありましたが、私はダウン気味で、失礼してしまった感じで申し訳ありません。

というわけで、今日はカラヤンのフランス音楽です。

ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」は、昨年日フィル定期で二回も聴いてしまい、やっと曲への理解が深まった気がします。

冒頭のフルートソロが格好良すぎる。録音は1965年ですので、カールハインツ・ツェラーです。ライナーにも記載ありました。

こちらのサイトにベルリンフィルフルート奏者年代記がありますね。

http://blogs.yahoo.co.jp/yosid/42745598.html

たゆたう浮遊感は不協和音に支えられているわけですが、音楽は不協和音じゃなきゃイヤです。もう協和世界には戻れません。

ジャズの和声は、印象派の響きを再現するためのシステムである、というテーゼを思い出します。

ジャズにおいて「テンション・コード」とよばれているものも、ジャズ・ミュージシャンが、ドビュッシーやラヴェルといった作曲の作品から自由に気に入った響きを取り出して、コード・ネーム化していったものである、というふうに考えることも可能なのである。

山下邦彦「チック・コリアの音楽─ポスト・ビバップの真実とジャズの可能性を求めて」音楽之友社、1995

この言葉で、ずいぶん視野が開けた気がしたものです。なぜ、ワーグナー以降が好きなのか、という観点においてです。

関連エントリー 私が「牧神」に開眼したコンサート

会社帰りに夢があった。──日本フィル定期演奏会

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Wagner

行って参りました。新国立劇場の「さまよえるオランダ人」。

久々のワーグナーオペラでした。不協和音に痺れました。

ジェニファー・ウィルソン

ゼンダのジェニファー・ウィルソンは歌唱力は抜群でした。。ピッチの狂いなく、高音域もパワーを保持しながら難なくきちんとヒットしていくさまは本当に見事でした。完全に今日のナンバーワンでしょう。

男声合唱の素晴らしさ

次の男声合唱が素晴らしかった。PAが補完していた可能性もあるが、水夫達のワイルドな心持ちが十分に届いて来るものだった。カーテンコールでは、合唱団員にいつもにもまして盛んな拍手が贈られたし、珍しくブラボーもかかった。私は10年ほど新国立劇場に通っているが、合唱にブラボーがかかったのは初めてでした。

オランダ人のエフゲニー・ニキティン

オランダ人のエフゲニー・ニキティン。性質は抜群です。。オランダ人のミステリアスさをよく表現していました。ただ、前半特にピッチが不安定であったのが気にりました。不安を覚えながら聴いていましたが、後半はそうした問題もだいぶ解決してきました。ウィルソンとの二重唱におけるバトルは壮絶でした。

オケが......。

オケについては書くのはなかなか難しいなあ。。あえて書かないことにいたします。ホルンって難しいのでしょうね。

まとめ

久々の本格ドイツオペラでした。12月の「こうもり」以来。「こうもり」はオペレッタかもしれませんが。
しかし、今日も二階席の音響に物足りなさを感じてしまいました。日フィルで最前列の音響のすごさを体感して以来です。今日もボリュームを上げたくなる欲求が何度も。きっともっとすごいサウンドなんだろうなあ、と思います。一度で良いからS席前方ブロックで観てみたいです。

おまけ

帰宅しようとしたら会社に呼び出され、7時間ほど勤務。帰宅したら4時半。夜の都心のタクシーは刺激的。今日のタクシー運転手は記憶力がある方だったなあ。これまでの核実験総数は2085回。日本の原発は54基、フランスの原発は56基。などなど。営業マインドもあったし、経営のセンスもありました。

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Richard Strauss

シュトラウスの家庭交響曲をカラヤンにて。

シュトラウスの洒脱さにはひれ伏すのみ。。酸いも甘いも知っているが故の余裕なんだろうなあ。

この曲は確か2009年にN響で聞いて以来理解が深まったと思う。指揮はプレヴィン。年老いてもなお若さを持つプレヴィン翁の指揮だった。

この曲を聞いているとシュトラウス一家の様子が手に取るように見えてきたのには驚いた。パウリーネ夫人の癇癪とか、しまいには泣き出してシュトラウスが必死になだめていたり。息子のフランツが走り回ったり。しまいにはピロートークまで始まってしまうというところ。きっとあそこはラヴシーンだと思うところもある。ばらの騎士でベットシーンを作曲したシュトラウスなら可能なんだが、自分の家を赤裸々に描き過ぎな気もする。

しかし、若い頃の私には家庭交響曲はさっぱりわからなかった。当時はブルックナーばかり聞いていたので、おおよそ、このようなエスプリはわからなかったということもる。

だが、それだけではない。もっとも効果的だったのはインテルメッツォを聞いたからだとおもっている。このオペラもやはりシュトラウス一家のゴタゴタを描いたもの。ここで、私は筋書きと音楽の相関関係を学んだらしい。旋律に台詞が絡み合うときに、旋律の持つ意味性を感じ取っていたらしい。

私は、まだ幼き頃は、この旋律に意味を見出すということが許せなかった。ヴィヴァルディの四季なんていうのはもってのほかだった。理由はよくわからない。別にハンスリックを読んだわけでもないし、赤いハリネズミ亭に通ったわけでもない。

やはりオペラを聞き始めたのかわ大きかったのだと思う。

つまりはワーグナーのライトモティーフを理解し始めたということなのだろう。音楽は筋書き以上に饒舌なのだ。オペラの台詞を越えた音楽表現がに思い当たるのは、CDラックから宝物を掘り出したときと同じだ。大事なものは眼前にあるものなのだ。

あとは、私も齢をかさねたのだろう。世の儚さや背理性を理解したその先には笑いや皮肉、洒脱さや鷹揚さがある。そうした気分にフィットするのがシュトラウスの音楽なのだ、と考えている。

そんな世疲れてアンニュイなあなたにはこの曲がお勧め。

マゼールの家庭交響曲はとにかく大きい。雄大な家庭交響曲。だが、中盤部のねっとりとした語らいの場面の官能度も高い。録音面でも優れている。洒脱なんだが、肝心なときには真面目な顔をして見せる悪い男の姿が目に浮かぶ。

耽美的なあなたにはカラヤンがお勧め。中低音のリバーヴ感が強すぎるとか、SN比が高いなど録音はまりよくない。最終部の盛り上がりは相当なもの。カラヤン円熟期の素晴らしい遺産。

サヴァリッシュ盤も最近入手した。職人の築く手堅い住まいである。それは質素なそれではない。装飾の美しい日当たりの良い屋敷のそれだ。若き日のサヴァリッシュの面影を感じる。音響も悪くない。

上岡敏之もあるが、これはまたの機会に。

これまでの家庭交響曲関連の記事。

ケンペ/シュトラウス 家庭交響曲
マゼールをそんなにいじめないで~シュトラウス「家庭交響曲」
帝王カラヤンの家庭は?
プレヴィン、シュトラウス その2

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はじめに

2月18日(土)、松村禎三の「沈黙」を新国立劇場でみてきました。

重いオペラでしたが、個人的にはとても興味深いもので、あっという間の三時間でした。

ストーリー

言うまでもなく「沈黙」は、遠藤周作の名著です。

禁教下の17世紀に、マカオから潜入した宣教師ロドリゴが、弾圧されるキリシタン信徒を前に、信仰を捨てるか否かを迫られるという、本当に重い内容です。拷問され処刑されている信徒の姿を見て、いくら祈っても助けとならない神の真意とは何か? 信じてもなお苦痛に苛まれる。本当に救われるのか?

拷問のシーンや、火責め水責めの処刑の描写が激しく、水責めのシーンが津波を思い出させ、悲しみとともになんだか目を背けたくなるような気持ちになりました。

沈黙は大学受験のころに読みましたが、あのころの記憶が蘇えりました。

私には、「沈黙」と同じ文庫本に所収されていた「死海のほとり」のほうが印象的だったのですが、今回は、感慨をもう一度呼び覚ましてくれた気がします。

「死海のほとり」では、映画「ベン・ハー」では、あんなに人々を癒していたキリストが、無力な存在として描かれてた驚きがありましたが、今回もあらためて、信仰と現実の狭間の深淵をのぞき込んだ気がします。

音楽面

今回は予習音源が手に入らず、音楽をきちんと受け止められるか、不安でしたが、第一幕冒頭の火刑のシーンの強烈な不協和音に揺り動かされ、涙とまらず、というところでした。

サウンドとしては、ベルクに似ていましたので、全く違和感を感じることもなく音楽二敗って行けたように思います。あるいは、ツィンマーマンの「軍人たち」を思い出したり。

ですが、私には「ヴォツェック」に似ている用に思えてなりませんでした。例えばオケがユニゾンでなるところが、ヴォツェックがマリーを殺したあとに鳴り響くロ音のユニゾンにきこえたりしました。

独奏ヴァイオリンが効果的に使われていて、ロドリゴの心の迷いを、あらわしていたとおもいます。それからトランペットも効果的で、神の垂範を表していたり、教会の意見を表していたりしていたおもいます。

最も感動的だったのはオハルを歌った石橋栄美さんでした。なんというか、言葉にでない感慨です。一緒に生きて死のうとまで誓い合った夫のモキチが水責めで死ぬのを目の当たりにしたオハルは、食事をとることが出来ずに衰弱死します。

その前に「オハルは、今日の穴掘りに耐えられなかった」という歌詞がありましたので、集落の信徒全員が強制労働にかり出されいたのか、あるいは、彼ら自身の墓穴を掘るよう強いられていたのか、そういう背景を想像しました。

オハルは、モキチの幻影を観ながら息絶えるわけで、あそこは、一つのクライマックスでした。オハルの見せ場は、死の場面の前の、モキチの水責めにうろたえる場面にもありましたが、狂乱の場だとありました。いわゆるベルカントの狂乱の場ですか。。それにしては深刻すぎるなあ、と思います。

その場面で、石橋さんは、伸びのある、そして高い音に張りのある声で、儚く哀れなオハルを素晴らしく表現していたと思いました。

あの場面は、穿った見方をすると、お涙頂戴的な下世話な感じになりがちなんですが(私は今年に入って、そうした舞台を観て辟易した経験があります。このウェブログには書いていませんが)、そうならないギリギリの線で、巧く表現しておられたと思いました。出色の素晴らしさでした。

日本語のリズム

今回は当然ながら日本語のオペラです。今回の歌手の方々に、発音の面で大きな違和感を感じませんでした。

偉そうなことを申しますが、ドイツ語のオペラを観ると、日本人の歌手の方のアーティキュレーションに違和感を感じることがあります。そこで、音を弱めてはいけないはずなのに、どうして? みたいなもどかしさです。

欧州語を母語にしておられる方々にとっては当たり前なんでしょうけれど、おそらくは日本人には難しいことなのだと思います。もちろんきちんと歌える方もたくさんいます。あくまで確率論なんですが。

ところが、今回のパフォーマンスでは全くそうした違和感は感じませんでした。日本語のアーティキュレーションは日本語の使い手である日本人が最もよく分かっているということなのでしょう。これは、日本のポップスを聴いていても思うことです。

日本語とはいえ、面白いことに字幕がありましたが、あれは助かりました。長崎方言やキリシタン言葉は聞いただけでは分かりませんので、理解の助けになりました。

思うこと、しばし

しかし、我々は毎日踏み絵を踏んでいる気がします。そきういう観点でいうと、キチジローは我々の中に普通にいる存在なのでしょう。組織のなかにあっては、自らの本意とは違う行動を取るのは当たり前ですし、そこに正しさはありません。正しいことととるべき行動は常に乖離しています。

では、簡単に踏み絵を踏んで、役人に密告してしまうキチジローは、本当に自らに正直に生きていない弱い人間なのでしょうか?

私は、おや、と思う場面を見いだしました。

キチジローは、裏切り者の烙印を押されて、村の人間に相手にされなくなり、子供達にもさげすまれる存在になります。キチジローは、もう自分にはどこにも行くところがない、と嘆きます。もし、キチジローが信仰を守れば、そんなことはなかったのに。

そうなのです。キチジローにとっては、信仰というのもしかしたら周りの人間に認められるための手段でしかなかったのではないか、と思われるのです。

さらに考えを進めると、どうやら村の人間達は、信仰を通してしか人を認めることが出来ないのではないか、という考えに至ってしまいます。自分たちと異なる価値観を排除しようという観念。いわゆる日本的なムラ志向ではないか、と。

がゆえに、フェレイラは「日本は沼だ」言ったのではないか、と。個人個人が神と向き合っているのではない。村の皆が信じるが故に、我も我も、と信じているという共同体的錯誤ではないのか。そこには個人の考えはないのではないか、と。

フェレイラは、キリストの神が大日如来にすり替わる、と言いましたが、それでしかなかったのではないか、という残念な気持ちを抑えられません。

終わりに

今回も、素晴らしく考えさせられる舞台でした。オペラが現実へ働きかける力を十二分に持っていると言うことを改めて認識しました。

グレアム・グリーンが「二十世紀最大のキリスト教文学」と称えたそうです。

科学万能の現代にあっては、神の在不在という問題にとどまらず、すべてが原子核の集合分離に帰着してしまう世界の中で、いかに価値を見いだすか、という問題点にまで視界を開かせる「沈黙」の世界は、偉大なものでした。

まだまだ現代的価値を持っている作品です。遠藤周作、また読み始めようかなあ、と思います。

いろいろと興味深く、また懐かしくもあるパフォーマンスでした。

付録

「沈黙」は、2013年にアメリカで映画化されるそうです。

http://www.imdb.com/title/tt0490215/

今回の、新国立劇場のパンフレットには、私が大学時代に習った先生が文章を書かれていました。まあ、このテーマですと、私の大学が出てくるのは必然なんですが。

その先生の「キリスト教と文学」という講義を一年間とったのですが、生意気な私は辻邦生の「背教者ユリアヌス」を題材にして、超越的存在の神と、現世をつなぐ難しさをレポートにまとめた記憶があります。

それはそれで先生にとっても興味深かったらしく、わりといい点を貰ったんですが、先生には、キリストの受肉こそが、その解決の可能性だ、と示唆されたのを思い出しました。

当時は、受肉が普遍性を持つのか、理解できませんでしたが、若いがゆえの蒙昧なのでしょう。もうすこし考えてみてもいいかもしれません。

でも、すごく優しくて人間味の溢れる先生でした。今も元気で教鞭を執っておられて、大学にしかるべきポストを持っておられるのを知ってすごくうれしかったです。

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ヴェルディに開眼したかもしれない。

私にとって、苦手な分野だったヴェルディのオペラ。ですが、ようやく理解できるようになってきたのかもしれないです。

そう思えたのは、このCDを聴いたから。デル・モナコがオテロを歌った、カラヤン盤です。

4月に新国立劇場でオテロがあるので、予習しないとなあ、と、CD入れて、聴いたとたんに、たまげました。

こんなに格好良かったでしたっけ? みたいな。

私は、ヴェルディのあまりに素直なフレージングに戸惑うことが多かったのです。調性を外すことなく、なんだか純朴なフレーズに終始しているような。

ところが、今回は、それよりもサウンドのすばらしさに筆舌を尽くしがたい感動を覚えました。

理由は?

デル・モナコの超人的なトランペットヴォイスも当然のごとくすばらしい。実演だと卒倒するぐらい何だろうなあ。

カラヤンの音作りもいいです。冒頭からみなぎる緊迫感です。カラヤンらしくテンポをあまり動かさずに、ダイナミクスを鋭く作っていくあたりはさすがです。

ですが、一番大きな理由は、私の音楽聴取環境が変わったからなのだろうなあ、と考えています。

私のオーディオ、ONKYOのコンポなんですが、これまで10年間は死蔵して全く使っていませんでした。聴くのはもっぱらiPodで通勤時間だけという感じ。

ですが、今年の夏に引っ越したのを機にオークションでスピーカーを仕入れて、オーディオで聴くようになって、新たな発見が続いています。

冒頭の爆発的な音響などは、ヘッドフォンで聴くのと比べると、当然ですがオーディオで聴かないと本当の意味がわかりませんでした。金管の煌めきとか、バスドラムの地響きなどは格別です。歌手の声も、奥行きがあるように聞こえます。

もっとも、オーディオに対する評価は、きわめて主観的ですので、私の感想はあくまで、特殊なものだとは思いますけれど。

当たり前のことですが

オテロに開眼したのも、オーディオで聴くようになって、カラヤン盤オテロのポテンシャルを私がようやく認識できたからだとおもいます。

あとは、夏はどうするかなあ。私の部屋にはまだ冷房がないのですよ。。この音量で窓あけて聴けないなあ。

音楽は奥深い。どれ一つとして手を抜けないです。もちろん時間と経済問題の損益分岐点を探るわけで、絶対的な解はないのですが、ベストを尽くさなければならない、と思います。

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Tsuji

この世のことは、すべてが、道理に背き、何一つとして、納得ゆく正しい道すじのものはないのだ。お前さんはそれを不正として憤怒し、憎悪し、呪詛した。だが、この世が背理であると気づいたとき、そのとき生まれるのは憎悪ではなく、笑いなのだ。(中略)この世の背理に気づいたものは、その背理を受け容れるのだ。そしてそのうえで、それを笑うのだ。(中略)それは哄笑なのだ。高らかな笑いなのだ。生命が真に自分を自覚したときの笑いなのだ。

辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、413頁
いつぞや、この一節を読んで、私は生まれ変わりましたが、今日、それに関連する辻邦生の言葉を見つけました。
私が戯曲を書く場合、つねに喜劇になってしまうのは、世智辛い世の中に、なんとか一晩でもいいから毒のない朗らかな笑いを笑って貰いたいと考えるからだ。喜劇の本道はシラーの言うように「人間の背理を笑う高みに立つ」ことだし......(略)

辻邦生『<笑い>について』「時刻の中の肖像」新潮社、1991、201頁

二つの引用には、少し位相がずれる面があるように思えますが、どうやらこの「背理を笑い飛ばす」という芸術と現実の関係性についての考察には、シラーが源流にあるのかもしれない、と気づいたのでした。

このところ、この「世界は背理である」というテーゼの中にだけ生きている気がします。そして、毎日のように笑っています。これはいつもの皮肉ではありません。本当に笑いながら仕事をしているのです。

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本日、シーズン券のお誘いが届きまして、2012/2013シーズンの予定がわかりました。

  1. ピーター・グライムズ(新制作)
  2. トスカ
  3. セビリアの理髪師
  4. タンホイザー
  5. 愛の妙薬
  6. アイーダー
  7. 魔笛
  8. ナブッコ(新制作)
  9. コジ・ファン・トゥッテ
  10. 夜叉ヶ池

うーん、ドイツものはタンホイザーだけか。。モーツァルトはのぞきますが。

それから、今のシーズンは新制作が4つありましたが、今回は2つ。相当財政が厳しいのでしょう。

取り急ぎです。

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2012 年 5 月 21 日
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5月21日 更新率
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