つれづれな日

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先日、とある機会があり、全寮制の男子校(高校)の側を通りました。寮の前のグラウンドで、サッカーに興じる生徒たちと、それを寮生たちが2階から身を乗り出して眺めていて、声援を送っていました。一階にはその様子を眺める女性教師がいて、という感じ。なんだか、旧制高校みたい。といっても旧制高校をみたことはありませんけれど。

旧制高校の特別な空気のようなものは、辻邦生の小説(特に「風越峠にて」など)で、その雰囲気がよくわかります。そういう空気はきっともう無いと思っていましたが、意外にもあるのかも、などと。


見知らぬ町にて (新潮文庫)



辻 邦生
新潮社
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人間の芸術と自然の芸術、そして本の芸術──辻邦生生誕91年によせて


夏の海の色 ある生涯の七つの場所2 (中公文庫)



中央公論新社 (2013-06-24)
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一昨日の秋分の日に、NHKで放送されている「らららクラシック」の再放送を見ました。エリック・サティの回で、ジャズミュージシャンの菊地成孔さんが出てました。成孔さんは、実は大学時代のサークルにゆかりがあって、一度だけお会いする機会があってセッションしたことがあります。成孔さんのサックスが壊れたのだが、レコーディングに使わなければならず、当時私がとある方からお借りしていたカイルスベルスのテナーを使われる、ということで取りにいらした時でした。今はもう遠い方ですけれど。

番組の中で、サティは、モンマルトルで音楽を書いて、みたいな話のつながりで、成孔さんは「自然のなかでは落ち着かない。歌舞伎町のような街中でないとだめ」という趣旨のことをおっしゃっていました。逆に、自然の中でないとだめな方もいるわけで、番組では、「人間の芸術と自然の芸術のふた通りがある」という話になりました。

以前にも聴いたことのあるようなコンセプトだったりしますが、辻邦生はどうだったのだろう、と思ったり。たぶん両方だったのだろう、と。

辻文学は、自然描写も凄まじいですが、人間を見入る力も凄まじいです。

私にとって忘れられない自然描写は、おそらくは、「背教者ユリアヌス」の冒頭、霧の中から城さいが現れるシーンでしょう。それから、人間を見る目、という意味でいうと、「ある生涯の7つの場所」に出てくる女性たちが忘れられず、エマニュエル、朝代、咲耶と言った女性たちは、時代設定は古いですが、何か新しい時代を自由に生きる人間の姿を感じさせ(女性の姿ではなく、人間の姿、です)、忘れることはできないです。それから、雨の都会が好き、というフレーズを何度となく読んだ記憶があります。確か、「言葉の箱」だったかと記憶しています。


言葉の箱―小説を書くということ (中公文庫)



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ですが、もう1つ。辻邦生の場合、「本の芸術」、というのもあるな、と思いました。以前にも書いた気がしますが、菅野昭正さんが、週刊朝日百科で、辻文学を「本の小説、小説の本」と称していたはずです。
http://museum.projectmnh.com/2016/03/21225416.php

歴史小説とは、歴史という「本」からインスパイアされるものである以上、辻文学は「本の芸術」という側面もあるのではないか、ということだと理解しています。歴史だけではなく、多くの哲学書を読まれていて、それらを活かしたというのも、やはりまた「本の芸術」といえるのではないか、と思います。
こうして、辻文学は、「人の芸術」でもあり「自然の芸術」でもあり、「本の芸術」でもある、なんてことを勝手に思いついてしまったというわけです。

自分のことに翻ってみると、芸術家ではないにしても、個人的にはやはり自然が好きなんだろう、と思います。街の喧騒も嫌いでありませんが、静かな山奥でひっそりと過ごすことにも憧れます。育った場所や、親の記憶、自分の記憶などがそうした志向を形成しているのだと思いました。

あとは、やはり本も。昔読んだ子供向けの西欧小説の記憶も。「若草物語」「家なき子」「パール街の少年たち」「ゆうかんな船長」「ロビンソン・クルーソー」「海底二万海里」「十五少年漂流記」などの記憶は薄れることなく、あのような世界に立ち返りたいという欲求は抑えがたいものがあります。辻邦生の小説、特に西欧を舞台にした小説に共感するのも、こうした記憶があるからではないか、と考えています。

今日、9月24日は辻邦生の誕生日です。1925年生まれということですので、91年目ということになります。

それではみなさま、良い1日を。

金沢に思いを馳せる


金沢・酒宴 (講談社文芸文庫)



吉田 健一
講談社
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昨日少し触れましたが、今、吉田健一の「金沢」を読んでいます。

きっかけは、辻邦生のエッセイに登場したから。吉田健一と辻邦生の交流がかかれているのですが、辻邦生が吉田健一論を書きたいと思ったが、そこまで至っていない、という趣旨のことが書いてあり、読んで見ることにしました。辻邦生以外の日本文学については不勉強なわたくしは、名前は存じていましたが、作品を読むのは初めてでした。

で、読み始めると、この息の長い文章のリズムが、本当に素敵で、長い文章のリズム感、あるいは波のようなうねりに身体が乗ると、とても心地が良いのです。ある意味辻邦生の文体にも似ている、と強く思いました。

これを手にとってみて、あ、ゴルトベルク変奏曲を、聞かないとと思ったのも、静謐さを感じたから、ということもあるでしょうし、音楽的なリズムのようなものを感じたというのもあるのかも。

秋雨ということで、雨が続いていますが、こういう雨の風情を感じる余裕がもう少しあれば、と残念です。

それでは。

ゴルトベルク変奏曲つれづれ

シモーネ・ディナステインのこと

いや、これはほんとうにいいですね。シモーネ・ディナステインのゴルトベルク変奏曲。


バッハ:ゴルトベルク変奏曲



ディナースタイン(シモーヌ)
ユニバーサル ミュージック クラシック (2007-10-24)
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2007年にこのゴルトベルク変奏曲をリリースしてブレイクしたようです。

この曲を何故聞いたのか?

ブラームスの交響曲第2番を聴きながら、吉田健一の「金沢」を読んでいたんですが、どうも雰囲気が違うなあ、とおもい、ゴルトベルク変奏曲がぴったりと思ったのです。で、AppleMusicで検索するとグールドとディナースタインのアルバムが登場。聴いたことのなかったディナースタインを選んだら、これはすごい、と。

まずはタッチが柔らかく、端正です。グールドもよいなあ、と思っていた頃もありましたが、このアルバムを聴くと、まるで軒先から滴る水滴のような音で、しばらく聴き入ってしまいました。

 

アンソニー・ニューマンのこと

それにしても、これまであまりゴルトベルク変奏曲をきくこともありませんでした。記憶にあるのは、グールドと、アンソニー・ニューマンぐらい。

アンソニー・ニューマンのゴールドベルク変奏曲は構築美に横溢する演奏です。

私が持っているのは1987年に録音されたバージョンで、小学生の頃両親が買ってきてくれたものと記憶しています。

Goldberg Variations



Goldberg Variations

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Bach Anthony Newman
Newport Classics (1993-09-29)




このCDのライナーは黒田恭一さんが書いておられるのですが、黒田さんらしい素敵な愛情に満ちたライナーで、幼いながらにすごいなあ、と思いました。アンソニー・ニューマンが若い頃に録音した演奏と見違えるような演奏になっていたのを「お帰りなさい、アンソニー・ニューマンさん、すっかり大人になられて、はじめはあなたとわからないほどでした」というコメントを書いているのですね。ただ、当時の私には演奏の違いを聞き分ける耳はあるわけはなく、そのコメントは全く理解できませんでしたけれど。

ちなみに、若い頃に録音されたゴルトベルク変奏曲はこちら。こちらは未聴です。このライーナーのデザインについても黒田さんは書いておられました。曰く、「今ならこのようなデザインは選ばないだろう」と。


J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲(期間生産限定盤)



アンソニー・ニューマン
SMJ (2016-09-21)
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Youtubeに上がっていたのはピアノ版で、こちらも素敵でした。

おわりに

秋の夜長に、こうして文章を書けるのは、ありがたいことです。今日新聞を読んでいたら、やはり毎日かくことが大切、みたいなことを読みました。このブログも毎日書いていたこともありました。昨年も9月22日から半年ほど、ほぼ毎日書いていたみたいです。また頑張ってみようか、と思います。

ではみなさま、お休みなさい。グーテナハトです。

つれづれ

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いろいろ仕事の山が続いていて、といっても個人的なものなので、そんなに大きなものではないのですが、そうはいっても、大変なことは大変なので、差し当りの無事を神頼み。

まあ、この歳にもなると、自分のやっていることは、別に自分がやっているわけではない、という気分になってきてまして、うまくいくのもうまくいかないのも単なる巡り合わせに過ぎない、という感じになってきました。なので、怒られても褒められても、なんだか他人事のような感じです。なので、さしあたりは、自分ではない何かに思いを託すということなのだと思います。特に日本は災害が多いので、最終的には神頼みになってしまうのかなあ、なんてことを思います。

で、今日はこちら。


ブラームス:交響曲第2番


ブラームス:交響曲第2番
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ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
EMIミュージック・ジャパン (1997-05-21)
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相変わらず聞いているブラームスの交響曲第2番。今回はサバリッシュがロンドンフィルを振ったものです。正統的で高潔なブラームス。すこし癒されました。

先日イタリアで地震がありましたが、ドイツやフランスあたりでは地震はあまり少ないと聞いたことがあります。文化と自然環境は関係しているのかなあ、なんてことを思いました。

それではみなさま、よい連休を。

ジュリーニのブラ2。あるいは、遠くへ来たものだ、の件。


ブラームス:交響曲第2番


ブラームス:交響曲第2番

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ジュリーニ(カルロ・マリア)
ユニバーサル ミュージック (2014-02-26)
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今日はジュリーニのブラ2。録音は1991年で、ウィーンフィルとの演奏。ジュリーニらしい重みとともに、軽やかさを兼ね備えた、絶妙な演奏です。ロスフィルとの演奏もあるようです。そちらも聴いてみたいです。

私の中では、ジュリーニといえば、ブル8でして、あの第一楽章の圧倒的な高揚感が懐かしいです。あれがきっかけで、ブル8を何枚も買い込んで聴き比べたものです。

そういう意味で言うと、ジュリーニのブラ2もブルに聴こえてもいいはずで、確かに第一楽章の展開部のあたりは、確かに対位法的構築美がブルっぽい感が横溢しています。第二楽章もやはりどこかブルックナーような空気で、深い森の中に沈んでいく感覚。

まあ、それにしても、本当に本当に遠くまで来てしまったものです、なんてことを考えながら、聴いてしまいました。

珍しくもありませんが、気がつくと40年以上も生きているわけで、本当に遠いところまで来てしまいました。それも思いもよらぬところへ。そしてなお、違うところへ向かおうとしているのではないか、ということ。

それはしかし、よいこともあれば悪いこともあり、適応という言葉で語られることもあれば迎合という言葉で語られることもあり、捉えたり受け止めたりするのは難しいものです。

しかし、咀嚼や理解や諦観のような気分でもあり、昔のようななにか定めることなくとも良くなった気もします。

こうやって人は齢を重ね重ねるのか、と思いつつ、はて、今度はどこへ連れて行かれるのか、または、どういうふうに旅が終わるのか、と想像しながら過ごしていました。

ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

チェリのブラ2はブルのよう


Celibidache: Sacred Music & Opera


Celibidache: Sacred Music & Opera

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Sergei Celibidache
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夏も終わり、秋めく毎日。残暑はありますが、空の表情も本当に変わりました。セミに変わって虫の声が聞こえる日々です。すこし寂しさを感じます。

変なタイトルですが、なんか面白いので、あえてこのタイトルにしてみました。つまり、チェリビダッケがミュンヘン・フィルを振ったプラームスの交響曲第2番は、まるでブルックナーのような響きがする、ということです。

第二楽章なんて、ほとんどブルックナーの何かの交響曲の緩徐楽章のように聞こえます。9番とか7番とか。ゆっくりとオケを歌わせるので、そんな感じに聞こえます。

もちろん、ミュンヘンフィルとガスタイクで録音したブルックナーの交響曲のサウンドが記憶にありますので、そういう印象をうけてもおかしくないのですが、それでもやはり、ほかの指揮者のブラームスとは印象が違います。弦のうねりはもちろん、金管の咆哮が、ブルックナーの交響曲に出てくるワーグナーチューバに聞こえてくるのです。

そんなことを思いながら何度も何度も聞いてしまいました。

仕事の山は、高かったのですが、なんとか超えた気がします。ですが油断は禁物。次の山が迫ります。
どの山に登るのか、という問題もあるかも。

それではみなさま、よい1日を。

恍惚としたブラームス──バーンスタインのブル2

先日からのブラームス交響曲第2番ばかりきくプロジェクト。先日以降、カラヤンとバーンスタインを聴きました。

特に感銘を受けたのがバーンスタイン。


ブラームス:交響曲第2番、大学祝典序曲



バーンスタイン(レナード)
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これも先日書いたバーンスタインの田園の件と同じく、これも恍惚としたブラームス。緩徐楽章の恍惚とした美しさに酩酊してしまいます。この曲はブラームスの田園交響曲と呼ばれていますので、そういう共通性を、感じても不思議ではありません。深い悲しみとそれを咀嚼する静かな諦念のような境地。この曲を聴きながら、遠くに見える山を眺めていたい気分。まあ、若いときだと違うように聞こえるのかもしれません。

録音はウイーンフィルとのもの。もちろんAppleMusic にて。録音はおそらく1982年。

次回はチェリのブラ2を書こうと思います。
今日は朝から晩まで頭を使いました。明日も明後日も盛りだくさん…。

それではみなさまおやすみなさい。グーテナハトです。

ブラ2な日々

半年に一度の仕事の山が来ています。それも険しい山が。1年前、半年前、そして今回と三回目で、少しずつ改善はしますが、問題はその都度違いますので、その場のインプロバイズで乗り切る感じ。

この二週間、ブラ2ばかりいろいろな指揮者を聴き比べています。

ラトル、ヤンソンス、ミュンシュ、バレンボイム、ハイティンク。指揮者やオケの個性がわかり、本当に勉強になります。これは全てAppleMusicのおかげです。これだけ聞くのに、昔なら5千円はかかっていたのでしょうが、今は月額1000円弱で聴けます。

あとは、他の有名な指揮者とか聞かないと。

ざっと書くと、ラトルは解釈が独特で聴いていて驚いたり唸ったりします。ベルリンフィルも巧いです。渋みのある重い赤ワインのようなサウンド。

ヤンソンス盤はオーソドックスですが、意外とかろやかな印象。

ミュンシュ盤は録音が古く少し難しさを感じます。

バレンボイム盤は、堂々とした正統派で、個人的には少し苦手な指揮者だなあ、と思っていたのですが、印象が変わりました。さすがだなあ、と。

シカゴ響の機能性も素晴らしく、最終部分の金管はしびれます。ハイティンク盤は、正統的でありながら、緻密で実直で緊密で、職人的な仕事と、芸術的的な仕事をあわせ持った素晴らしい演奏。

今のところ、一番の好みはハイティンク盤かなあ。


Symphonies 1-4 / Double Concerto


Symphonies 1-4 / Double Concerto
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London Symphony Orchestra
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先日も少し書きましたが、ブラ2は若い頃はあまり聴きませんでしたが、今聴くと本当にいい曲。ロマン派的な明るさポジティブさがあって、すさんだ日々に差し込む太陽の光のような力があります。

もうしばらくブラ2な日々が続きそうです。

それでは。

品格の新しさ。ラトルのブラームス。


Brahms - The Symphonies


Brahms – The Symphonies

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EMI Classics (2009-07-07)
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ダブルスピークではありません。本当に立派、という言葉がふさわしい演奏で、勉強になります。

ラトルがベルリンフィルを振っているブラームスの交響曲全集をAppleMusic で聞いてます。

本当に現代的でありかつ重みのあるブラームスだなあ、と勉強しながら聞いています。気をてらうような仕掛けはあまりないのですが、ラトルを聴くと耳にすることのある、かなり目立った感じの音量コントロールが品のあるダイナミズムを作り出しているように思います。また、微妙な間合いで盛り上がりを作ったりするのも本当にカッコいいなあ、と思います。

ベルリン・フィルも引き締まったサウンドで、最高峰のオケとはこういうものか、とあらためて感動します。決して華やかさはないのですが、品格と重みを備えた美しさだなあ、と思います。

私は特に交響曲第2番がいいなあ、と思いました。この曲、ブラームスの4つの交響曲のなかでも、あまり共感できなかった曲でしたが、なにか夢のような風情が、現実の諸々との鮮烈なコントラストを描きだしていている気がして、心が和みました。

2009年発売です。少し古いアルバムですが、AppleMusic で聴けるようになり、本当にありがたいです。
いよいよ夏も終わりに近付いています。暑いなかにも秋の風情があり、なにか秋に向かうにあたっての安堵と寂しさのようなものを感じます。四季があるというのは、日本に生まれた者にとって大切なことだと思います。

それでは。