本を読むとは。

昨日以下のようなことをツイートをしました。

齢を重ねてもっとも残念に思うのは、本を心底ゆっくり読む時間を「感じられない」ことだなあと。きっと時間はある。細切れ時間が。けれども、幼い頃の底なしの読者の時間のようなものは全く「感じられない」です。

なんだったんですかね。図書館に入り浸って、日が暮れるまで本を読んだり、あまりに本が面白いがゆえに、徹夜してしまったり、という経験はもう帰ってはこないのでしょうかね。

今となると、情報収集かお勉強の頭で本を効率的に読もうとしてしまいます。時間がないので、効率的に読まないと、と思ってしまうわけです。

昨日、図書館で書棚から本を取り出して、ぱらぱら読んでいた時、何かに追われている感覚に苛まれていました

月並みな話ですが、深刻ですね。

哲学の教授が「もう、小説は読めない」と言っていたのと思い出すしますが、それは、小説の情報量と哲学者の情報量を比べていたから、なのか、あるいは、効率的に研究を進めるための話なのか。そこはよくわからないですね。

まあ、そう分かっているからできることもあるはずなのですが。あるいは放棄するべきなのか。ただ、本を読むことぐらいは許してほしいです。あるいは、そういうん社会があえて作られているのでは、ということなのでしょうかね…。

といいつつ、今日は身体を休めるために早く寝ることにします。お休みなさい。

本当につれづれな日々


今日も近所の城跡まで自転車で行って参拝。本丸跡に神社は鎮座しています。この城、戦国末期に攻め立てられて落城したそうですが、遺構がかなり残っていて、戦国期の地方の城がどういうものだったか想像するにでは材料に事欠くことはありません。 


城跡からは、武蔵野の風景が。往時にはここから敵の軍勢が迫り来る様子が見えたかもしれず、そう思うと、武者震いのようなものや、腹をくくる覚悟のようなものが理解できる気がします。仕事でトラブルの対応をしている時の気分と似ているのかもしれません。

近辺には、大きな農家がたくさん。司馬遼太郎の「この国のかたち」では、東国武士とは開拓農民だったとありました。その後、地侍や豪族だった彼らは豊臣政権の刀狩りで武士となり土地を手放すか、農民となり土地を守るかの選択を迫られました。きっとこの近辺の農家もやはり東国武士の末裔で、土地を守っていたに違いない、と思うのでした。

今日の午後久々に時間が取れたので、フーコーを読んで、その後図書館へ。ですが、焦るように読むばかり。

みなさまはどのような週末でしたでしょうか。

それではおやすみなさい。

モーツァルトのソナチネ

うーん、なんだか音楽に驚きがないあな、なんて。そもそも、音楽に驚きを求めてはいけないのかもしれませんが、たとえば、初めて《トゥーランドット》の冒頭の金管の炸裂を聞いてのけぞった、というような驚きは、なかなか難しくなりますね。

そうすると、なにか違う方向へと進んでしまうわけで、今はなんだか、枯淡の境地をめがけているような気がしてなりません。今日も、tuneinを聞いていて流れてきたモーツァルトのソナチネつまりピアンソナタ16番が聞こえてきて、ソナタ形式の良さみたいなものを感じて、うーむ、と唸ってしまったりしまいました。演奏者は誰なのか。

で、AppleMusicでグールドのこの曲を聴いたら、繰り返しを全くはしょって別の曲になってしまっているという驚き。。ほとんどハードロックのような演奏です。

リヒテルを聞いてみると、なんと慈愛に満ちた演奏なのか、という感じ。こちらの方が好みかも。


モーツァルト:ピアノ&ソナタ第4番&第8番&第15番



リヒテル(スヴャトスラフ)
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この曲の展開部で短調になるあたりの感じが昔から好きでした。

まあ、確かに心が洗われたり、驚きがあったりはしますが、あの《トゥーランドット》のように身を灼かれるようなものとは違います。いろいろと考えや気分が変わるときなのかもしれないなあ、と思います。

さて、最近、昼食後にどっと疲れがでるようになり、何か病気? とおもったのですが、いろいろ調べてみると炭水化物がいまいちなのでは、みたいな情報があり、朝食、昼食に炭水化物を抜いて見ました。結果として、思い疲れのようなものは無くなりましてやっぱりね、という感じなんですが、代わりに足が動かなくなるという状況でした。短期的なエネルギーが足らないのでしょう。いろいろと試してみないと。。

ではみなさまも良い週末をお過ごしください。おやすみなさい。

 

辻邦生「風雅集」を読みながら


風雅集


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辻 邦生
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先日よんだ辻邦生の「風雅集」。

これも、「日本的なもの」の一環であらためて手に取ったということだと思います。

冒頭の東歌を廻る旅行のエッセイはなかなかのものでした。万葉の昔の古風な歌なのですが、辻邦生がそこから描き出す描写は、万葉の人間の息遣いや情念が横溢していて、なにか唸ってしまいました。なんとなしに読める歌が、今も昔も変わらない人間の愛欲のようなものに溢れているわけですから。

それで思い出したのが「風越峠にて」という辻邦生の中編小説です。これもやはり万葉集を題材にしながら、戦中の暗い時代に息づいた恋愛模様を描くものでした。この「風越峠にて」でもやはり、短歌の解釈が本当に生き生きとしていて、そこまで膨らませることができるのか、というぐらい見事で魅力的な解釈を書いていたように思います。


見知らぬ町にて (新潮文庫)



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(新潮文庫だと、この「見知らぬ町にて」に所収されています)

さて、にしても、なんだか刺激のない毎日が刻々と過ぎている感じ。それはそれで意味があることなのですが、こうやって人間は牙を抜かれていくのか、という思いもあります。

ではみなさまおやすみなさい。

 

 

 

つれづれ

Photo最近、日本的なものへの関心が増えています。

まあ、良いのか悪いのかはわかりませんが、日本文化にどっぷりとはまって生きているわけで、どんなに足掻こうとも、最終的には神社にお参りをしてしまうわけですから。

いや、日本的というよりも、近所の郷土史などを、調べたり、先日も書いた司馬遼太郎「この国のかたち」を読んだり、ということによるのかもしれません。

なぜか。最近、家族とサイクリングということで、近所をいろいろ走り回っているのですが、古い日本の風情があちらこちらに残っていて、なんだか新鮮な気分だったりします。初夏の白い日差しに灼かれたアスファルトとか、草原に吹きすさぶ甘い風とか、咲き誇るシロツメクサなどを見ると、なにか幸福な気分になるわけです。理由はわからないのですが、おそらくは、原体験のようなものを幼い頃にしていて、それを追体験しているからなのではないかと思います。そしてなお、これもまたおそらくはなのですが、幼い頃ほど幸福な時はない、ということも言えるわけで、原体験の追想は、あるいは人を幸福にするものではないか、ということも言えるのだと思います。だから、幼い子には、ぜひたくさんんのよい経験をさせてあげて、齢を重ねたあとでも、こうやって追体験をすることで幸福を感じてもらえるようにするのが大人の義務なのではないか、とも思います。

先日から、エルガーを聞き続け、その後ヴォーン=ウィリアムズへと駒を進めました。でも、やはり音楽は実演も必要なんだなあ、ということを常々思っています。幼い頃の夢は、NHK交響楽団の定期会員になることでしたが、その夢はまだかないません(かわりに新国立劇場の年間券を買っています)。

こちらはシノポリのエルガー。1番も2番もいい曲です。2番は別の演奏(ディビスだったか。。)を聴いたことがありますが、シノポリ盤ののびやかなところがいいなあ、と思いました。


Symphonies Nos. 1 & 2 / Pomp & Circumstances



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なにか、この初夏の風情に、イギリス音楽が似合うような気がしてなりません。日本の音楽だとという音楽が似合うのでしょうか。もっとも、こうした風景自体が、原日本的な風景ではない、という考えもありますけれど。

ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

 

この国のかたち


この国のかたち〈1〉 (文春文庫)



司馬 遼太郎
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数ヶ月前に、NHKスペシャルで「この国のかたち」というシリーズが放送されました。いろいろと興味深く、特に、東国武士団は、開拓農民だったという史観には随分納得したり驚いたりしたものです。

それで、改めて本を買って読み始めたという次第です。日本の歴史は学生時代に一通りは抑えてはいるのですが、「日本人とは?」とか「この国とは?」という問いを立ててみたことはありませんでしたので、興味深いですね。
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さて、今日、家族でサイクリングをしていました。河川敷の運動場横を自転車で通ったのですが、中学生か高校生かの野球チームとすれ違いました。目が会うと、彼らは、体の向きを変えて、帽子を取って私らに「今日は!」と挨拶するわけです。それが、何か「この国のかたち」に出てきた薩摩の郷中のような質実剛健な清々しさを感じました。

ですが、本当にそうなのかな、とも。きっとチームのメンバーや顧問がいる前なので、決められた作法を守っているだけに過ぎず、役割を果たしているに過ぎないのではないか、とも。

こういうところを考えるのが大事なんだろうな、と思いました。

とはいえ、何かいい気分にさせてくれるひとときでした。それが本当であろうと、作られたものであろうと、事実が大切だなあ、とも思います。

さしあたり、昨今考えていることはこんなことなのかもしれません。揺れ動く世界の中で、どうあるべきなのか、ということを考える義務がある、ということなんだと思います。

それではみなさま、おやすみなさい。

つれづれ

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最近、いろいろありまして、なかなか以前のように書けなくなってきている感じかも。

  1. 休日に時間が取れなくなり、オペラやコンサートに行けなくなってしまった。サックスはもとより、オーボエも吹けず。

  2. 以前にも書いたかもしれませんが、3月初旬に休みなく20日ぐらい働いたのですが、その後遺症に悩まされています。ここで、ブログの連続更新が途切れました。

  3. 最近の文学的関心領域が歴史文学になっているのですが、そうするとなにか書きづらくなった。

などでしょうか。まあ、3番目の理由が最も大きい気がします。

人生総決算みたいな安易なことは意味がないので、少しずつ粘り強く変えていかないと、物事はうまく進みませんね。

そんな中で、何ができるのかしら、と。ただただデューティを守り続け、身体をメンテナンスすることなんだろうなあ、と。

でも、今日もトラブルで夜中に帰宅中。

さて、今日はこちら。


Essential Herbie Hancock


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ハービーのオムニバスなんですが、そもそも私はオムニバスがあまり好きではありません。アルバム制作の意図が見えにくいので、というのが理由。あとは、選曲者の主観に縛られるような気がして。
でも、Apple Musicで聴けるButterflyはこのアルバムだけです。ハービーのけだるいかっこよさを満喫しました。

ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Space Xのファルコン9が、ふたたび軟着陸に成功

 

Space Xのファルコン9が、ふたたび軟着陸に成功だそうです。

なんだかなあ。ほんとうにアメリカはすごいなあ、と。初号機が打ち上げられたのが2010年。すでに24機打ち上げているそうです。1年に4機のハイペースですか。あっという間です。

やはり、どんなに国の齢が重なっているとはいえ、アメリカはまだまだ若い国なんだなあ、と思います。こればかりは本当に羨ましいですね。

若さというのはいろいろありますが、新しいものを受容できる柔軟性とか、未来に向けて拡大発展できる可能性といった意味があるとおもいますが。まだまだそうした性質を失わないでいられるのは羨ましいですね。

ただ、それが何とトレードオフでなりたっているのか、ということは、いつも考えておかないといけないです。

それにしても、音楽を聴く余裕なんてまったくない毎日。じょじょに干あがる湖。

それではみなさま、おやすみなさい。

 

つれづれ

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近所の神社。昨日の写真ですが、今日も昨日と同じくいい天気でした。近所を回るのが最近の日課ですが、なかなか風情ある風景がいくつもありました。まだ江戸期や明治期の風情が感じられます。これも時間や季節によって表情を変えるのだと思います。

今日は、こちらを少しずつ。でもまだモーツァルトを聴いていたい感じかも。

String Quartets
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明日は仕事場へ。朝早いです。
それではみなさまおやすみなさい。

オリジナルと解釈

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今日は本当に初夏の風情です。太陽高度、日の出日の入りは8月と同じですので、空気感はまさに夏と同じです。今日、二時間ほど自転車に乗りましたが、腕が真っ赤に日焼けしてしまいました。


岩波講座 文学〈1〉テクストとは何か



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先日から少しずつ読んでいる岩波講座文学。第1巻の冒頭部分からして本当に興味深く、気づきがたくさんあります。

藤原定家が土佐日記や源氏物語の写本を作る際の出来事が語られているのいですが、いわゆるオリジナルと思われる紀貫之のテキストを、写本を作る過程で定家が何かしらの付け加えをしていたようです。本文の改変、あるいは漢字をあてる、などが見られるようです。

また、源氏物語の写本を作るにあたって、定家は日記に、その底本が何かしらの改変がなされているということを指摘している、という内容でした。

その後、そもそも物語というものは、口伝の中で徐々に変質していくということも物語の性質なのではないか、とされています。

物語テクストは容易に読者の声の介入を許容しただろう。それは今日から見れば改作ないしは改ざんという行為だが、しかし改作や改ざんの前提となる本文という認識が、そもそも物語テクストには希薄だったはずなのだ。

兵藤裕己 (2003). 「はじめに」 小森 陽一,富山 太佳夫,沼野 充義,兵藤 裕己,松浦 寿輝 岩波講座 文学1 テクストとは何か 岩波書店 7ページ

私は、オリジナルと解釈、という文脈が、実に興味深いものだと思います。音楽における楽譜の変遷とか、オペラ演出とか。明日以降さらに続けようと思います。

明日も良い天気のようです。皆様、良い休日を。

おやすみなさい。