
なんだか、マーラーのアダージェットを聞きたくなり、Apple Musicで検索をしてみました。そういえば、カラヤンが振るアダージェットはあまり聞いたことがないなと思い聞いたのですが、いやーほんとに素晴らしいなぁと思いました。ここまで耽美的な美学。
ちょうど午後も深まった頃、東京の空から雲は消え、琥珀色の太陽の光が満ち満ちていました。このような美しさの中に本質的なものがあるのではないかと思うでした。

それでは。少し早いですが、おやすみなさい。グーテナハトです。
人間には何といろいろな啓示が用意されているのだろう。地上では雲も語り、樹々も語る。大地は、人間に語りかける大きな書物なのだ。…… 辻邦生


なんだか、マーラーのアダージェットを聞きたくなり、Apple Musicで検索をしてみました。そういえば、カラヤンが振るアダージェットはあまり聞いたことがないなと思い聞いたのですが、いやーほんとに素晴らしいなぁと思いました。ここまで耽美的な美学。
ちょうど午後も深まった頃、東京の空から雲は消え、琥珀色の太陽の光が満ち満ちていました。このような美しさの中に本質的なものがあるのではないかと思うでした。

それでは。少し早いですが、おやすみなさい。グーテナハトです。

徒然な日々。朝は、バッハを聴いてましたが、帰宅はJUJUを聴きながら。
先日、都内某所で仕事関連の会食があり、ジャズセッションに参加したのですが、流石にJUJUは吹けませんでした。Foot prints が精一杯。およそ9ヶ月ぶりですし、色々失敗したけれど。。
しかし、この、ショーターの気だるい感じは、割とすぎで、一時期はショーターのアルバムを買い集め、よく聞いていたものです。
今週は、外出と会食が続き、新しいことをいろいろ学びました。明日からは11月で、この週末は、身体を休めて英気を養いたいところです。
それではグーテナハトです。

天気は割とよかった一日のようでした。秋晴れ? 太陽の高度は、2月と同じかな、と思います。今日は、普段お会いすることのない大変お世話になった方々にお会いした一日でした。文化的な活動は、、、外国の方とチャンバラ英語で少し会話した、というぐらいでしょうか。
それでは。おやすみなさい。グーテナハトです。

今日も横浜。ITやデジタルについた考えた一日でした。お世話になった方や、新たに知り合った方とお話できて、ありがたい一日。積極的にいろいろな方と話すのはとても大切です。技術的に面白い話しもいろいろ聞けました。世界はAIまっさかりで、どうなることやら。
明日も横浜。自宅からは、意外と交通の便はよくありがたい。
それでは。

今日は所用で横浜へ。みなとみらいへ来るのは、10年以上ぶりかもです。オフィスとマンションが同居して、海のそばというのはなかなかのものです。
私は、英語について、永遠の勉強を続けてますが、今日は英語も少しは聞いたり話したり。勉強中なので、実用的ではありませんけれど。
今日は、音楽も本も読んでない日。しかし、仕事関連で多くの情報をえましたので、整理して仕事場の方にシェアしておきました。昔と違い、GenAIでまとめられるので、昔よりも早く多くシェアできます。
それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。
今年は辻邦生の生誕100年ということで、日本各地で様々なイベントが比較されています。その中でも今回は松本で開かれている辻邦生展に行ってきました。
仕事を18時に終え、東京駅へ向かい、あずさ49号に乗車。松本には22時少し前に到着しました。あずさ49号は中央線内の安全確認の影響で5分程度の遅れ、東京駅から八王子近辺までは通勤列車の間を飲むように走っており、速度を上げることなく走り続けます。しかし、この区間を特急で乗車したことがなかったため、例えば四谷駅や中野駅を通過列車に乗ると言うのはなかなかない体験でした。


松本には、おそらくは1998年頃に行ったことがあるはずです。当時の記憶はうっすらとあるぐらい。
駅前のホテル1泊。朝7時過ぎに朝食を取り、そのまま、歩いて松本城に向かいました。途中、女鳥羽川をながめ、四柱神社に参拝し松本城へ。
開館前の松本城は光り輝いていました。

辻邦生は、旧制高校時代を松本で過ごしました。短編集「ある生涯の7つの場所」に含まれる「夏の海の色」という短編に出てくる城下町のモデルの一つになったのでは、という話を聞いたことがあります。確かに、作品に登場する「鍛冶町」が松本市にはあったりします。この「夏の海の色」に描かれる城下町は、夏の日差しの中に静かに光り輝く城下町で、主人公が泊まる咲耶の家は葵馬場にあったとされています。帰宅後調べてみると、この葵馬場は、松本に実在しているようで、松本城近く、松本神社の東の方であったとされます。
開智学校へ向かうバスから、この松本神社をたまたま見まして、あ、ここは行かないと、と思い、急遽寄ったのですが、これは何かに呼ばれたかな、と思いました。以下が松本神社。私の印象は淡い朝日の中に静かに佇んでいた感じでした。

城下町の風情は、城の西側によくその雰囲気があったと思います。松本城に行くまでは、「夏の海の色」のことを忘れていたのですが、バスを待っているときにこの風景を見て、あ、ここだったのか、と思ったのでした。そうか、この雰囲気を辻邦生は短編のなかに封じ込めたのかもしれない、と思いました。




辻邦生も見たかもしれない柳の老木があり、ついつい、触ってみたりしました。

今回は秋でしたが、ぜひ夏の盛りの松本を訪れてみたいな、と思います。おそらくは、さらに輝く松本の街並みを見ることができるのではないか、と思います。
続きます。今日はここまで。おやすみなさい。グーテナハトです。
中公文庫で今年の春に発売されていた「小説を書くということ」
これまで、単行本に未収録だった文章も所収されているということでKindle版を買い、ついでに、軽井沢高原文庫で文庫本にも手を出してしまいました。
そのなかでも、「小説家としての生き方」が割と興味深く、何度か電車のなかで読んでいた感じです。こちらは、「詩と永遠」に収められていた文章なので、かつて読んだはずですが、あらためて勉強になりました。
こう考えてきますと、力強い小説(それは面白い小説とも、昂揚感を与える小説とも攫搏力のある小説とも時代の鏡である小説ともいえるわけですが)を書くためには、小説家の側に全体を鳥瞰(直覚)する視点と、確信できる価値の根拠が必要ですし、また小説形式については「情緒=観念」の伝達という、事実的情報伝達を超えたレヴェルの確認が絶対的な条件になるでしょう。
力強い小説には、
が必要であると。
しかし、これはなにか、小説に限らず、仕事で力のある企画を作るのにも共通する要素でもあります。全体感のなかで、価値を見出すこと。しかし、そこには、定量的な効果を超えるビジョンがなければ、通る企画も通りません。ナラティブ、ストーリーが企画には大切だ、と言われることもあります。
しかし、ここまで書いておきながらなんですが、小説のそれと、企画のそれは、違うこともあるのです。私は、それは、量感であると思います。チャラチャラした企画資料に、全体を俯瞰したビジョンと物語を組み込むことはできても、それは単なる企画であり、完成品ではありません。そこに、中身がなければ、単なる小手先なわけです。小説は、おそらくは、そこにかけられた時間と文字というものがあります。そこにはロジックだけではなく、あるいはあらすじだけではない量感があります。それが、真の情感を生み出すわけです。
過度な効率化、あるいは本屋に溢れる仕事術、ロジカルシンキングの類は、確かに、そこにある種の解決感を生みます。数多の経営者がそうした企画な飛びついたわけですが、そこに残されたのは、空漠とした社会であった、となります。
小説家は、そこにかけられた時間、まるで、降り積もる時間のなかで、文字を穿ち、たとえ100匹の羊を数えることがあっても、100匹それぞれの羊を書き分けることになるのでしょう。AI時代のこれからは、あるいはこうした文字を穿ち量感を持つ小説が再発見されるかもしれません。
ちょっと長く書いてしまいました。すみません。それではおやすみなさい。
今週に入り、初心に戻るか、と思い、ヴァーグナー。「トリスタンとイゾルデ」を2枚聴いた。ペーター・シュナイダー、ウェルザー=メスト、そして今は3枚目のバーンスタイン。いずれも好みの演奏で嬉しい限り。
バーンスタインは、もっと遅い演奏と思ったけれど、確かに、冒頭のテンポは緩いが、曲が進むと割とメリハリが効いている。巧いんだなあ、と。
前後するが、ペーター・シュナイダーは、バイロイトのライブで、当時ネットラジオで聴いたものだ。数年後、この演奏を聴いて、なんだか150年間経っても戦争が終わらないことが嘆かわしくなったのを思い出した。確か大阪出張の新幹線の中のことだ。
賛否はともかく芸術はそれ自体真善美と信じることにしているが、まあ、音楽聴いてそんなことを思うのも趣のあることなんだろうし、いくばくかは世界がよくなることに寄与しているのだろう。
もちろん、第二次大戦中の政治利用はカッコに入れて継続考察なのだが。
さらに、夕方からは、Richard Wagner のTristan und Isoldeを、カルロス・クライバーの録音で聴く。
ドレスデン国立歌劇場の名盤。東ドイツ時代なので、国立でよい。州立ではないのだ。録音はルカ教会だったはず。素晴らしいリバーブ。録音は最高。そういえば、荻窪にあったベリオ(だったかな?)というスタジオのリバーブ感は素晴らしかった。
トリスタンはルネ・コロなはず。数多のヘルデンテノールの代表格の方。
指揮の方は、やばいぐらいグルーブしている。芸術は死と隣り合わせ、という感じ。彼岸と繋がらないとこういうのは出てこない気がする。
さて、最近、また、書かないとな、と思うようになりまして、ブログ、Facebookなど、いろいろと。先日は、辻邦生展を見に軽井沢に行きましたので、その辺りも、レポートしてみようかな、と思います。
それでは、おやすみなさい。グーテナハトです。
二週間前だったと思いますが、ゴンチチがDJをされている「世界の快適音楽セレクション」で、1999年11月20日放送のリバイバルオンエアがありました。そうか、辻先生が亡くなった年の録音のリバイバルだったのですね。
そのなかで、Michael FranksのBarefoot on the beachという曲が取り上げられたのですが、いやー、本当に素晴らしいフュージョンサウンドで、Apple Musicで、繰り返し聞く日々。さらに、Michale Franksのアルバムも、70年代あたりから色々聴くと本当に面白いのです。
https://music.apple.com/jp/album/barefoot-on-the-beach/258588770?i=258588809&l=en-US
70年代は、デイビット・サンボーンやマイケル・ブレッカーとコラボレーションしていたこともあり、素晴らしいサックスプレイが聴けるわけです。さすが、サンボーン、ブレッカー、という感じ。
もう二週間も聞き続けているので、そろそろ次のテーマに移った方がいいのかもしれませんが、差し当たり、こちらでも記録。同じアーティストを70年代、80年代、90年代と聞いてみると、時代ごとのサウンドがわかり、なかなか面白いです。何度か触れたかもしれませんが、私は自分が若い頃に聞いたサウンドに親近感を持つことが多いのですが、確かにそうかもね、という感じです。
今日はこの辺りで。おやすみなさい。グーテナハトです。

1925年9月24日が、私の敬愛し尊敬する辻邦生の誕生日で、今日がその100年という日に当たります。亡くなったのは、1999年ですので、四半世紀を超えてしまうのですが、なんとも言えない世界の断絶を感じます。
1925年から考えると、第二次世界大戦を超え、占領から冷戦へと進み、高度経済成長とバブル崩壊、ソ連東欧も崩壊し、ITバブル、リーマンショック、テロとの戦い、中国の勃興、中東危機を超えて、ウクライナやトランプと続く100年です。
私も、半世紀を生きていますが、目眩がするほど遠くへ来てしまったという感覚があります。時間はもはや距離へと転化してしまい、クロニクルという段組のなかに格納されているように思います。人生100年と言われ、無邪気に想像すると、この先も長いのかも、とまた新たな目眩を覚えます。
辻文学は、物語構造を総体で捉え、それを分解して記述するようは思います。全体が把捉された物語総体が、少しずつ顕になるというのは、物語総体から美的な迸りが徐々にその形を詳細化していくさまは、おそらくは天地創造のそれと類似するのでしょう。イザナギイザナミの矛の迸りが日本を産んだように、物語総体を原稿用紙に写しとる営為がおそらくは小説を書くということでしょうか。しかし、その物語総体自体、その自己実現のなかで、それ自体変異することもあり、それは、神意の歪みのようなものでもありましょうから、原稿用紙に書く作家とは、おそらくは、そうした変異を歓びとして、日々の創作に向かうのだと思います。
辻邦生もその歴史小説の創作の営為のなかに、歴史書を読み、いっとき忘れる、ということがあると書いていたと思います。忘れるということで、知識が潜在意識へと遷移し、なにか、間主観的な記憶や情報と交感することで、物語が湧き立つ、といった趣旨だったと思います。ミューズのような存在がいて、発想を与えるというエピソードは多く語られていますので、そうした、主観、あるいは顕在意識を超えた何かが創作に多く関わるのは疑いはないのですが、こうしたミューズには、捧げ物も必要で、それが、知識であったり、毎日書くと言った人間の関わりが、そうした捧げものに当たるのでしょう。
若いころは、結局は人が考えだすのが小説だと思いましたが、そうでもないのか、ということは、辻邦生の書く小説論で頭でわかりましたが、その後の人生の積み重ねのなかで、実際のものとして体感できたのは、この数年のことのように思います。私は小説を書くことはありませんが、高校時代に、国語表現の課題で書いた小説のようなものは、何か、無邪気に、何の執着もなく、数十分で書いたように思います。ビギナーズ・ラックのようなもので、まあ、ビギナーズ・ラック自体が、執着のないところに発生するのと同じく物語を紡ぐということは、やはり、執着をこえ、知識や努力といったミューズへの日々の捧げものにより、彼岸からもたらされる美的なな迸り、といったものなのでしょう。
最近は仕事ばかりで、辻邦生を読むことも能わず、あるいは、小説を手に取るのも難しい時期なのですが、この数ヶ月、なにか辻邦生に誘われるようなことが何度かあったように勝手に感じることが多いように思います。辻邦生の御命日に金魚が亡くなったのもその一つの表徴だったと思います。最近は、新たな短篇集も出版されました。一読者として喜ばしいと思います。
このAI時代に、ミューズへの捧げものとか、流行らないのかもしれませんが、結局、AIに取ってかわることのないものは、人間が、彼岸と交感し、創り出したものではないか、と思います。私も、仕事で、AIが進歩した世界を想定しないといけないのですが、そこがディストピア思えることもあります。そんな世界について、堀江貴文さんは以前聞いた講演で、芸能や娯楽が価値を持つ世界が来る、といっていました。小説や音楽などの芸術もやはり、これまで以上に価値を得るのか、次の100年ではないか、などと思います。
ともかく、こうして、本を読み、考え事ができるのも、1989年に辻邦生を、初めて手にとったからです。その時からも、36年が経ちました。干支としては、3周したということになります。やはり、これも一つの節目かもしれません。
久々に長々と書いてしまいました。今年が節目ということもあり、辻邦生さんの100年目という今日から、また新たな気持ちで生きていこうかな、と思いました。100年という、特別な日にこうして書くことができることに感謝して。
それではおやすみなさい。グーテナハトです。