Miscellaneous

今週は数日間年次休暇で、金曜日に出社して仕事納めという感じです。なんだか仕事納めという言葉自体古めかしさを感じます。なんだか昔の職場の感覚がなくなってきていますので、平成の多くを会社で過ごした人間には違和感もあり、まあ年を重ねて、記憶の価値や時間の感覚が変わっていくなかにあっては不可避な気分なんだろうなと思いますし、こうした感覚の変化を自覚したうえで違う世代の人々と強調していかなければいけないな、という思いが日に日に強くなります。

休暇は、ただただ日頃できていない家の仕事を必死にこなしている感じはします。その中には、もちろん体力回復も含まれていて、このところの疲労で、インフルエンザ、ついで気管支炎に近い風邪が続いていましたが、ようやく体調も戻ってきたようです。

で、今日聞いているのは、基礎からいろいろ聞いてみようと、「若いうちに聴きたいクラシック100曲」を。音楽学者の広瀬大介さんの手によるもの。ありがたく拝聴中。

https://togetter.com/li/1480224

https://music.apple.com/jp/playlist/%E8%8B%A5%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%A1%E3%81%AB%E8%81%B4%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%84%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF100%E6%9B%B2-by-dhirose/pl.u-ygAlSygjZA

若い時にがいつなのか、というのはありますが、大学生向けのプレイリストなので、20歳前後までなんでしょうけれど、自分はどれぐらい聞けていたかなあ、なんてことは思います。器楽曲はほとんど聞かず、オーケストラ曲ばかり聞いていたなあ、と。その後オペラに開眼して、オペラをずいぶん聞きこんで勉強した思い出があります。このブログにもその記録が延々と。。

このブログも2006年ぐらいに始まっちゃっているんで、もう20年近く維持していて、Crazyにも思えてきますが、まあこういうのも悪くはないでしょう。

ということで、今は、ギューンター・ヴァントの未完成交響曲を聞いています。意外とドラマチックで驚きました。いつまでたっても未完成なのは、文章も人生も同じかもしれないです。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

はじめに

なかなか小説に向き合う時間が取れない中ではありますが、先だってお会いした方が、毎日5分は続くようの小説を読んでおられると言うお話を聞いて、私も毎日5分は小説を読もうと決心しました。

電車の中で、5分タイマーをかけて、あえて文庫本を読むことにしたのですが、ストレスの解消にもつながり、なかなか良い習慣だと思います。

若き日と文学と

最近、読んでいるのが、辻邦生と北模様の対談、「若き日と文学」。

二人が中年になってから若き日を思い出して、語り合うもの。

二人の目を通して、我々の既に通り過ぎた時間を思い出すかのようでもあり、大変興味深いものです。歳をとることは、若い時とは違う時間間隔に立ち向かうということと思います。

それがもしかすると、中年の危機とユングが呼ぶもの原因の一つではないかとも思います。

個人的には、最近人生の先が見えてしまったような感覚、その虚しさのような感覚を感じていましたが、辻もやはり同じ思いを持っていたようで、それはやはり人間にとって普遍的な感覚だと思います。

補足

なお、この文章、音声入力で書いてみました。なんだかなれない感覚。

時代はどんどん進み、めまいがするようですが、そんな時代だからこそ自分なりにできることがあるのでは、というのがその理由。

ただ、音声入力は、キーボードで書くよりも、何か軽薄な感じがしますが、それはおそらく過去の小説家や作家がワープロで書くと軽薄な気がすると言うふうに思ったのと同じでしょうか。

それからWordpressのが提供するAIアシスタントも使っていますが、傍らに編集者がいてくれるようで、こういう機能を使うのがスタンダードなんだと思います。

それではおやすみなさい。グーテナハトです。

Opera

今日の月は、満月に向けて実に美しい月でした。朧月というのでしょうか。

日経を読んでいると以下のような記事が。

伝統の音楽祭、革新に挑む:日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO75563250V21C23A0EAC000/

バイロイト音楽祭も3Dメガネをかけて感激するようになったようで、また、チケットの売れ残りも出るようになったとか。デジタル配信も手がけるとか。

バイロイトが苦痛だ、といった作家がいたと記憶していますが、そういう時代なんでしょう。

新たな演出は古くからのファンの離反に繋がり、さりとて、演出が旧態依然だと新たなファンは作れない。

解のない苦悩に思えます。

オペラは一回性の芸術ですが、そうした一回債性のアウラの危機なのかもしれません。多様化した価値観や経験は、一つのものを共有することを妨げるのだとすると、オペラのように2000人を同時に満たすという機構自体に難しさがあるのかも。

しかし、それでもなお、一回性、その場限りの、閃光のような美の価値はあり続けて欲しいものです。

ピラミッドや万里の長城を作るほどに人間を酷使することはなくなりましたが、逆にいうと、バラバラにほどけていく人間というものもあるのかもしれないです。

わたしも、どちらかというと、自由、独立、独自、みたいな価値観に憧れますが、それでも根底には何か誰かとつながるものを感じることがあります。

オペラという機構は、あまりに複雑で大規模であるが故に、多様化した個々人を繋ぐ機構としての機能を失いつつあるのかも、と思います。

でも、やはり、オペラは楽しい。

先月からオペラ中心に聞いていますが、音楽生活としてはとても楽しいと思います。

なんてことを思いながら帰宅中です。

それでは、おやすみなさい。グーテナハトです。

Giacomo Puccini,Richard Strauss

先日、オペラの話をする機会があり、まあ、残らされた日々をかつて愛したオペラを聴きながら過ごすのも悪くはないな、と思い、意識してオペラばかり聞くようにしました。

振り返ると、わたしは、シュトラウスとプッチーニを愛していたなあ、と思い、この二週間は、以下のアルバムを粛々と。

  • シュトラウス カプリッチョ ベーム
  • シュトラウス ダナエの愛
  • シュトラウス ナクソス島のアリアドネ シノポリ
  • シュトラウス エレクトラ ショルティ
  • シュトラウス サロメ ショルティ
  • プッチーニ トゥーランドット カラヤン
  • プッチーニ ボエーム カラヤン
  • プッチーニ マノン・レスコー シノポリ

Apple Music前は、5千円もするCDを買わないと聴けなかった音源が、サブスクで聴ける時代なので、オペラの敷居も低くなったなあ、と思います。

わたしも、図書館でCDを借りて、ITunes に取り込みながら勉強したものでした。

ということで、今朝はダナエの愛を聞いて、演奏機会のないオペラの初演はどうだったのかな、などと思いをめぐらせていたところでした。

それでは。

Tsuji Kunio

今日は辻邦生の誕生日で、98年目に当たります。生誕100年も間近に迫っています。今思うこととしては、辻邦生が1950年代にヨーロッパに出かけ、フランスだけではなく、ドイツ、イタリア、ギリシアを回ってから70年が経ち、当然時代が変わるということもあるのですが、辻邦生のヨーロッパと今のヨーロッパがパラレルなのではないか、と思うようになったと言うことです。

時間は、直列ではなく、並列なのではないか、という思いです。

5年ほど前に、辻邦生の文章にボーイング727を読んだときに、時代の断絶を感じましたが、それ以降、断絶ではなく並列化だったのかな、と思います。時間は自分を中心に球形を描いているのかも知れず、単に、遠い時間と近い時間があるだけではないか、と。

それは、時間の関連だけではなく、文学的記述も同じだと思います。イマージュという言葉を辻邦生は使いますが、イマージュにも近さと遠さがあって、それも、時間の近さと遠さと同じなのではないか、と思います。

書く者の責務は、世界の真善美に寄与することだとすれば、芸術の一端である文学が、美を語ることは、やはり球形の世界の中に、美を措定することになります。

その美は、必ずしも現実のように、認識主体の近傍にはなかったとしても、現実の美と、近さと遠さという量的差違があるだけであれば、文学の美も、球形の世界を高める力になり得る、と思います。

そのひとつひとつは、ちいさくても、それが集まれば、いつしか、それはパルテノン神殿のような力を持つのかも知れない、そんなことを思います。

世界は、複雑で多様で紆余曲折を辿りながらも、美へと向かっていると思いたいものです。

それでは。

Moon

今月2回目の満月ということで。
Facebookに月の写真を載せていたら、仕事場の人に「月の写真ばかりで大丈夫ですか?」と心配されているのですが、いや、それにしても巨大な衛星が29日おきに公転しているわけで、その面白さと言ったら、という感じなので、しばらくは月の写真を続けてみようと思います。

月だけの写真だとあまり面白みがないのでは、と思うのですが、たとえbな、薄い雲がかかっていたりすると、その雲の厚味や模様で、月もまた様々な表情を見せますので、毎月写真を撮ってみるのも面白いと思います。

ということで、また。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

今晩、仕事場から出た時に感じた風は、明らかに秋のそれでした。

まだ暖かさはあるものの、そこには何か秋の涼やかで軽やかな空気が含まれていました。それは何か寂しさを感じるものでした。私はどうしても夏が好きなので、今日も昼休みに日差しを浴びに散歩に出かけるぐらいで、日差しにジリジリと灼かれるのは、何か奔放で、自由で、胸のわきたつものです。

ですが、加速度的に日没の時間が早まる中で、(すでに18時前半が日没という。。)、秋の気配がひたりと迫っているのでした。

そんな名残惜しい夏らしい一枚。2週間ほど前に栃木方面の積乱雲をとらえたもの。

教科書通りの積乱雲で、ワクワクしました。

そういえば、先日、雷で近所の電車が止まりました。発表時間は17時17分でした。稲妻だから、17だったのかな、などと思ったり。ダジャレのような話ですが、一種のシンクロニシティかも。

というわけで今日はここまで。皆様お気をつけてお休みください。

Miscellaneous

8月の満月投稿を忘れていました。

8月は2回満月があります。1回目は8月2日の午前3時だそうで、この写真は8月1日の帰宅時に撮ったもの。

薄雲の向こうに輝いていていつもとは違う風情だったのでした。

次の満月は、8/31です。

それでは。

Art,European Art

先日、夏の暑い最中ではありましたが、国立西洋美術館に行ってきました。

 

記録を見ると4年ぶり。もちろん企画展ではなく、常設展に行ってきました。おそらくは2000年代初めに行って以来だと思うので、初めて訪れてから20年以上経過しているんだと思います。常設展の値段は500円でしたが、昔はもう少し安かったような記憶もあったり、昔はなかった柵のようなものがあったりと、そんな記憶もありながら、むしろ、新しい絵も増えていて、本当にありがたいことだな、と思います。日本にいながらにしてこの質のコレクションを五百円で見られるというのは実に奇跡的なことで、ひとえに国立西洋美術館のコレクションの母体となった松方コレクションの松方幸次郎さんのおかげであると思います。

今回初めて見たのはこちら。ブーグロー作品。病的な美しさでありながらもそこには無邪気な美への欲求が感じられます。ブーグローは毀誉褒貶らしいですが、わたしは嫌いではなく、むしろここまで正当な美はそれはそれで高い価値だと思います。このポーズは古代彫刻のポーズなんだそうで、そうすると、あれ、庭にあったロダンの考える人の不自然な腕と脚の組み合わせは?などと想起してしまったりもしました。この辺り、絵に込められた文脈を読み取れるかがまたこれが一つの楽しみなんでしょうけれど、その楽しみを追求する間も無く歳を重ねた感があります。まあこれから頑張ろうかな、と。

 

2枚目は、これもわたしにとっては定番な絵であるクロード・ジュレの「踊るサテュロスとニンフ」。これは、20年前?から来るたびに10分ほど立ち止まって眺め続ける絵です。毎回毎回絵の中に新たな発見をしているような気分になる絵です。今回も、後方に山羊(あるいは鹿?)が何匹もいたり、別のニンフらしき姿を見つけたりと大変興味深いひとときでした。それにしても後方の原野の向こう側にうっすらとした桜色に染まる街並みが実に美しく、私はあの街の広場に佇み、この淡いバター色の太陽の光を浴びていきたい、と心の底から思ったのでした。

その後、いつも混んでいて、絶対に入れる気のしないレストラン「すいれん」に入りまして、中庭の風情を楽しみながらカレーをいただきました。私的にはレアな体験でした。。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。