Giacomo Puccini,Richard Strauss

先日、オペラの話をする機会があり、まあ、残らされた日々をかつて愛したオペラを聴きながら過ごすのも悪くはないな、と思い、意識してオペラばかり聞くようにしました。

振り返ると、わたしは、シュトラウスとプッチーニを愛していたなあ、と思い、この二週間は、以下のアルバムを粛々と。

  • シュトラウス カプリッチョ ベーム
  • シュトラウス ダナエの愛
  • シュトラウス ナクソス島のアリアドネ シノポリ
  • シュトラウス エレクトラ ショルティ
  • シュトラウス サロメ ショルティ
  • プッチーニ トゥーランドット カラヤン
  • プッチーニ ボエーム カラヤン
  • プッチーニ マノン・レスコー シノポリ

Apple Music前は、5千円もするCDを買わないと聴けなかった音源が、サブスクで聴ける時代なので、オペラの敷居も低くなったなあ、と思います。

わたしも、図書館でCDを借りて、ITunes に取り込みながら勉強したものでした。

ということで、今朝はダナエの愛を聞いて、演奏機会のないオペラの初演はどうだったのかな、などと思いをめぐらせていたところでした。

それでは。

Tsuji Kunio

今日は辻邦生の誕生日で、98年目に当たります。生誕100年も間近に迫っています。今思うこととしては、辻邦生が1950年代にヨーロッパに出かけ、フランスだけではなく、ドイツ、イタリア、ギリシアを回ってから70年が経ち、当然時代が変わるということもあるのですが、辻邦生のヨーロッパと今のヨーロッパがパラレルなのではないか、と思うようになったと言うことです。

時間は、直列ではなく、並列なのではないか、という思いです。

5年ほど前に、辻邦生の文章にボーイング727を読んだときに、時代の断絶を感じましたが、それ以降、断絶ではなく並列化だったのかな、と思います。時間は自分を中心に球形を描いているのかも知れず、単に、遠い時間と近い時間があるだけではないか、と。

それは、時間の関連だけではなく、文学的記述も同じだと思います。イマージュという言葉を辻邦生は使いますが、イマージュにも近さと遠さがあって、それも、時間の近さと遠さと同じなのではないか、と思います。

書く者の責務は、世界の真善美に寄与することだとすれば、芸術の一端である文学が、美を語ることは、やはり球形の世界の中に、美を措定することになります。

その美は、必ずしも現実のように、認識主体の近傍にはなかったとしても、現実の美と、近さと遠さという量的差違があるだけであれば、文学の美も、球形の世界を高める力になり得る、と思います。

そのひとつひとつは、ちいさくても、それが集まれば、いつしか、それはパルテノン神殿のような力を持つのかも知れない、そんなことを思います。

世界は、複雑で多様で紆余曲折を辿りながらも、美へと向かっていると思いたいものです。

それでは。

Moon

今月2回目の満月ということで。
Facebookに月の写真を載せていたら、仕事場の人に「月の写真ばかりで大丈夫ですか?」と心配されているのですが、いや、それにしても巨大な衛星が29日おきに公転しているわけで、その面白さと言ったら、という感じなので、しばらくは月の写真を続けてみようと思います。

月だけの写真だとあまり面白みがないのでは、と思うのですが、たとえbな、薄い雲がかかっていたりすると、その雲の厚味や模様で、月もまた様々な表情を見せますので、毎月写真を撮ってみるのも面白いと思います。

ということで、また。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

今晩、仕事場から出た時に感じた風は、明らかに秋のそれでした。

まだ暖かさはあるものの、そこには何か秋の涼やかで軽やかな空気が含まれていました。それは何か寂しさを感じるものでした。私はどうしても夏が好きなので、今日も昼休みに日差しを浴びに散歩に出かけるぐらいで、日差しにジリジリと灼かれるのは、何か奔放で、自由で、胸のわきたつものです。

ですが、加速度的に日没の時間が早まる中で、(すでに18時前半が日没という。。)、秋の気配がひたりと迫っているのでした。

そんな名残惜しい夏らしい一枚。2週間ほど前に栃木方面の積乱雲をとらえたもの。

教科書通りの積乱雲で、ワクワクしました。

そういえば、先日、雷で近所の電車が止まりました。発表時間は17時17分でした。稲妻だから、17だったのかな、などと思ったり。ダジャレのような話ですが、一種のシンクロニシティかも。

というわけで今日はここまで。皆様お気をつけてお休みください。

Miscellaneous

8月の満月投稿を忘れていました。

8月は2回満月があります。1回目は8月2日の午前3時だそうで、この写真は8月1日の帰宅時に撮ったもの。

薄雲の向こうに輝いていていつもとは違う風情だったのでした。

次の満月は、8/31です。

それでは。

Art,European Art

先日、夏の暑い最中ではありましたが、国立西洋美術館に行ってきました。

 

記録を見ると4年ぶり。もちろん企画展ではなく、常設展に行ってきました。おそらくは2000年代初めに行って以来だと思うので、初めて訪れてから20年以上経過しているんだと思います。常設展の値段は500円でしたが、昔はもう少し安かったような記憶もあったり、昔はなかった柵のようなものがあったりと、そんな記憶もありながら、むしろ、新しい絵も増えていて、本当にありがたいことだな、と思います。日本にいながらにしてこの質のコレクションを五百円で見られるというのは実に奇跡的なことで、ひとえに国立西洋美術館のコレクションの母体となった松方コレクションの松方幸次郎さんのおかげであると思います。

今回初めて見たのはこちら。ブーグロー作品。病的な美しさでありながらもそこには無邪気な美への欲求が感じられます。ブーグローは毀誉褒貶らしいですが、わたしは嫌いではなく、むしろここまで正当な美はそれはそれで高い価値だと思います。このポーズは古代彫刻のポーズなんだそうで、そうすると、あれ、庭にあったロダンの考える人の不自然な腕と脚の組み合わせは?などと想起してしまったりもしました。この辺り、絵に込められた文脈を読み取れるかがまたこれが一つの楽しみなんでしょうけれど、その楽しみを追求する間も無く歳を重ねた感があります。まあこれから頑張ろうかな、と。

 

2枚目は、これもわたしにとっては定番な絵であるクロード・ジュレの「踊るサテュロスとニンフ」。これは、20年前?から来るたびに10分ほど立ち止まって眺め続ける絵です。毎回毎回絵の中に新たな発見をしているような気分になる絵です。今回も、後方に山羊(あるいは鹿?)が何匹もいたり、別のニンフらしき姿を見つけたりと大変興味深いひとときでした。それにしても後方の原野の向こう側にうっすらとした桜色に染まる街並みが実に美しく、私はあの街の広場に佇み、この淡いバター色の太陽の光を浴びていきたい、と心の底から思ったのでした。

その後、いつも混んでいて、絶対に入れる気のしないレストラン「すいれん」に入りまして、中庭の風情を楽しみながらカレーをいただきました。私的にはレアな体験でした。。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

辻邦生のご命日である7月29日になりました。毎年書いているこの記事は何回目になったのか。2013年だけなぜか書いていませんが、ずいぶんと書いたものです。

URLを抜き出すと、以下のようになります。

辻邦生のご命日「園生忌」 | Museum::Shushi
辻邦生の御命日 | Museum::Shushi
園生忌によせて | Museum::Shushi
今日は園生忌です──辻邦生「廻廊にて」朗読会 | Museum::Shushi
今年も巡ってきた辻邦生のご命日園生忌、そして学習院大学資料館「背教者ユリアヌス展」へ。 | Museum::Shushi
今日は辻邦生のご命日「園生忌」です。 | Museum::Shushi
今日は辻邦生のご命日「園生忌」でした。 | Museum::Shushi
7月29日は辻邦生のご命日 | Museum::Shushi
辻邦生没後15年によせて その10 本日ご命日でした。 | Museum::Shushi
辻邦生の命日 | Museum::Shushi
辻邦生さんの12回目の命日 | Museum::Shushi
今日は辻邦生氏の命日です。 | Museum::Shushi

中軽井沢のスーパーツルヤの前で倒れられたというお話を聞いたことがあります。
ちなみに、軽井沢のスーパーツルヤは、現在もありますが、当時とは場所が違うのではないか、というのが、2020年に軽井沢に行ったときにタクシーの運転手から聞いた話です。
今日の東京のような暑い日だったのではないか、と想像します。

今週は、辻邦生さんを偲んで、以下を読みました。実は、最高傑作なのではないか?と思ったりもします。後期辻邦生の技術の結晶だとおもいます。小説のあり方と、人生のあり方がギュッと詰まっていて、忙しいさなかに時を忘れて読みました。しかし、この本を今読むことの是非のような物も感じたり。真実は現実生活にとってあまりに甘美です。

暑い日が続きますがどうか皆様ご自愛ください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

7月3日が満月ですが、東京地方は雷雨。しかし、昨日撮った写真を。

18時半ごろから写真を撮り始めましたが、まだ日は落ちておらず、街並みがバラ色にもえるなか、まっしろな月が昇り始めるのは圧巻でした。人間なんてちっぽけなもんだな、とおもいながら写真を撮りました。

みなさまにもよい日々が訪れますように。

 

 

 

 

Gustav Mahler

Apple Music のレコメンドに表示されたハイティンクのマーラー。

Mahler 7 Haitink
Mahler 3 Haitink

最晩年の録音ですが、素晴らしいのです。先日、7番を聞き、今また3番を聞いていますが、なんというか、ただ、深く美しい藍色であったとしても、例えば藍染のような、実物に触れないとわからない淡く輝く織り目の輝きのようなものまでが現れていると思います。

デジタルではない、その場その場のフラクタルな輝き。じっと聞き続けてそんなことを思いました。

AIに関する情報が喧しい今日この頃ですが、だからこそ動かぬものへの憧憬が高まるばかりです。

それでは。

Miscellaneous

最近、満月ブログ的な様相を呈していますが、満月の前日である昨夜近所の高台から月の出を待っていると、面白い写真が撮れました。

夕日に燃え上がる都庁の右肩に月が昇り始めている感じ。人間がその視覚を拡張したのは望遠鏡の発明によるもので、天体観測によるパースペクティブの変容もそうですし、芸術表現もまた変化を遂げたのではないかと思います。

技術は世界を変えますが、またそこには変わらないオーダーもあります。知識・技術による進化とDNAによる進化の速度の違いもありますが、その速度の違いはどこまで許容できるのか、などと考えてしまいます。

それでは今日はこの辺りで。