読書の割合に気を遣う──カラヤンのモーツァルト

今年に入って、Kindleの読み上げを使って本を読んでいますが、家事をしているときもBluetoothイアホンを使うことで本を読む(?)機会が増やすことができたなあ、と思っています。人生もそろそろ後半にさしかかりつつありますので、あらためて読む本のことを考えないとなあ、と思っています。

随分前に買った「自分を変える読書術」という本のなかで、本を読む割合について書かれていたのを思いだし振り返ってみました。こちらでは、ビジネス書を40%、小説を30%、その他を30%。4:3:3の割合で読むべし、とのこと。ビジネス書は専門家が書いた経済、経営、マーケティングなどの本。小説はもちろん小説。その他とは、生物、軍事、歴史、哲学、エッセイなんだそうです。ビジネスパーソンも、ビジネス書だけでなく、小説を読み、生物や軍事などの教養を高めるべし、と言う感じです。ど

我が身に翻ると、これらのジャンルはすべて好きなんですが、なんとなく、ビジネス書っぽい本を読むことが多くなってしまっている感があります。小説は、時間をつくってなんとか読んでいる感じになっていて、歴史、軍事、生物、哲学はあまり読めておりません。反省しました。

実際に、昨年の読書記録を見返してみると、3:1:1の割合になっていました。あるいは4:1.3:1.3。ビジネス書が多いように思いますが、あまり自慢できるような本はあまり読めていない、という感じです。やれやれ。さすがに、神経を文字通りすり減らして、ぼろきれのようになって夜の通勤電車に乗ると、読める本も工夫しないと限られてしまいます。小説、歴史、軍事、生物、哲学をもっと増やそう、と思います。記録しないと、また偏りそうなので、手帳に記録をしているところです。あるいは、小説をもっと読まないと行けないのかも、と思ったり。などと思いながら、一日がすぎてしまいました。読んだのは(Kindle読み上げだったので、聴いたのは、ですが)、やはりビジネス書でした。

さて、今日はカラヤンのモーツァルトを聴きました。私の好きなハフナーが入っているもの。

先日もアバドのモーツァルトを効いたときにも思いましたが、ふるさとに帰ってきたような落ち着きを覚えました。このふるさとに帰ってきた感覚、というものが、自分にとって良いものなのか、どうなのか。音楽もずいぶんと聞いてきましたが、やはり偏っているのかなあ、などと。後半生を充実させるためにはどうしたいいのか。いや、充実なんていう言葉よりも、後半生はさらにアグレッシブにしていきたいとも思う今日この頃です。カラヤンも晩年にヘリコプターの免許をとりましたし。なんてね。本もたーんと読んで、懸案をなんとか克服しないと。

それにしても寒い毎日。1月20日の大寒を過ぎましたが、まだまだ寒いです。ウィキの大寒の項目によれば、実際には1月26日から2月4日あたりまでが寒いのだ、と書いてありました。まさにこの週末から。また身体を冷やさないように過ごさないと、と思います。どうかみなさまもお身体にはお気をつけて暖かくしてお過ごしください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

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影ということばから──星影のステラを聴く その2

昨日の「星影のステラ」の続きです。
あまりジャズ・スタンダードには詳しくなく、グローバー・ワシントン・ジュニアが、かっこいい「星影のステラ」Stella by Starlightを吹いていた記憶もありましたが、他の音源はないかな、と重い、AppleMusicで探すと、マイルス・デイヴィスの音源がずいぶんでてきます。そのなかから、The Complete Live At the Plugged Nickelという音源に入っているもの。

https://en.wikipedia.org/wiki/The_Complete_Live_at_the_Plugged_Nickel_1965

冒頭は静かに始まるんですが、フレージングが急にぞんざいな感じで崩れ初めて、ピアノのハービー・ハンコックがなんとかそこに合わせに行き、その後テンポが倍になって緊張感のあるテイクに。そのうち、あのMilestonesのフレーズがでてきたりして驚いたり、なんだか緊張感満載でした。どこかに飛んで行ってしまいそうなマイルスを、係留索でなんとかつなぎとめようとするリズム隊。影のようにフロントのマイルスを支えながらも、しっかりとバンドの行く先を照らしている感じです。バンドのコミュニケーションがわかったような気がします。

もちろんこれは私が感じたものでしかないので、実際はそうではないかもしれませんが。予定調和なジャズではなく、何が起きるかわからないジャズという感じで、ああ、ここまでできるのはさすが天才たちだなあ、と感嘆しました。

このアルバムのメンバー、マイルス・デイヴィス、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズなので、あのV.S.O.Pクインテットのメンバーとトランペット以外は同じでした。

さて、寒い日々が続き、また体調崩し気味。胃腸炎的な。昨日今日でずいぶんよくなりました。どうも睡眠が足りておりません。今日は早く寝ようと思います。
みなさまもお気をつけてお過ごしください。おやすみなさい。グーテナハトです。

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影ということばから──「星影のステラ」を聴く

今朝、仕事場に向かう電車で、「影」という言葉に思い当たりました。古語辞典では、影とは、星や灯火の光を指します。普通、影というと暗いイメージですが、逆の意味で使われるという、なにか座りの悪さを感じます。もちろん、この知識は高校一年の古文の授業でならったはず。ですので、常識といえば常識ですが、日本語の不思議な感覚です。葦(あし)を葦(よし)と読ませたり、なにか物事を逆から説明したり捉えたりするような、そういう感じです。

次に思い出したのが「星影」という言葉で、前述のとおり、この文脈で影とは光のことなので、これは星の光、という意味です。星の影が、光とは、と少し不思議な感覚。

それで、「星影」という言葉から連想されたのが、「星影のステラ」。ジャズスタンダードのStella by Starlightという曲でした。この曲、昔から好きで、多分大学のころはサックスで吹けたんですが、最近はなぜか吹けなくなってしまいました。なにか不思議な捉えどころのない曲になってしまい、もちろん、私が下手になってしまった、ということなのか、まったくかみあわなくなってしまったのでした。この曲、はまると結構気持ちがよいのですが。

それで思い出したのがこちらの動画。平原まことさんが吹く「星影のステラ」Stella by Starlightの映像。

 

平原さんの使っておられるマウスピースはJAKEというマウスピースなはずで、私も同じものをつかっており、なんだか音がとてもよく似ていて、勝手に親近感を感じています。で、この映像は本当に素敵な演奏で時を忘れます。

で、他も聞いてみようと思ったのが、マイルス・デイヴィスが吹く「星影のステラ」Stella by Starlightでした。

今日はここまで。また次回です。

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世界は分断しているのか──アバドのモーツァルトを聴きながら

今日は、「分断を示唆する本」と、「分断がないことを示唆する本」、両方に触れてしまいました。まあすべてをフラットに考えた方が良いのでしょう。ニュースにはさまざまな分断が取りあげられますが、どれも誇張されたものなのかも知れない、そう思います。

分断というのは、例えば、西欧と東洋、隣国と日本、先進国と発展途上国などなど。

確かに、仕事においても、単純に、分断のパースペクティブを取り込むと仕事が進むことがままあります。それが正しいのか誤っているのかは別として。そうしないと、仕事が進まないのも事実で、必要悪と割り切るしかないのですが。

そんなことを思いながら、帰宅の電車で、聴いたのがこちら。アバドの振るモーツァルト。

私は、モーツァルトの交響曲でいうと35番が一番好きなのです。あの冒頭の跳躍がすばらしく感じます。アバドのモーツァルトを聴くと、慣れ親しんだアバドの指揮と、同じくかつてから親しんだ35番の音型に、なにか家に帰ってきたような落ち着きを感じました。違和感を感じることなく、落ち着いた気持ちになれるという意味において。

ところが、冒頭に書いた「分断を示唆する本」のことを思い出したのです。何故、西欧の音楽に慣れ親しみ、家に帰ったような落ち着きを感じるのか。私にしてみれば、普通に思うことですが、西欧への勝手な私淑である、という思いをふと感じたわけです。

おそらくは、欧州に行ったところで、なにかつまはじきにされるだけなんだろう、という思い。これは実際に欧州に行ってみて分かることです。こうした異文化との葛藤を、分断と理解すると、その分断が固定化してしまうのでは、と思うのです。

おそらくは西欧は一枚岩ではありません。日本も一枚岩ではないように。あらゆる分断における、彼岸と此岸は盤石ではありません。両岸をフラットに冷静にみるまなざしが必要であり、あるいはフラットに冷静に見ることは難しい、ということを認識しながら、努力すること。これがあらゆる「分断」において必要なことなのだろう、と考えました。

相変わらず冬場の体調不良が仕事場を席巻しています。インフルエンザ、胃腸炎。どうかみなさまもお気をつけてお過ごしください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

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本を読む工夫──Romain Collin “Press Enter”

ともかく、最近は本を読む時間を捻出するために、いろいろと工夫しています。

第一の工夫は、紙の本を読むときにストップウォッチをつかってみよう、というもの。紙の本は電車のなかか、風呂につかって読むことにしていますが、なんだかいつも30分読むと疲れを感じていました。そこで、ストップウォッチでいったいどの程度の時間なら読むことができるのか、計ってみよう、と思ったわけです。ストップウォッチで計ると、逆に30分以上本を読まないと、という風に思うようになり、紙の本を読むのがずいぶんはかどるようになりました。

第二の工夫は、Kindleの読み上げ機能を使うというもの。iOSのKindleですと、少しクセはありますが、大抵の本を読み上げてくれます。画面はKindleのままにして、二本指で画面を上からスワイプすると、読み上げを開始します。画面をそのままにしておくと、ページめくりも勝手にやってくれます。これだと、オーディオブックを買わなくとも、耳で聞きながら読書ができましてすごく便利ですね。歩きながら、洗濯しながら、掃除しながら、という感じで、本を読み進められるというもの。便利です。

やり方はこちらをご参考にしてください。

http://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1701/21/news018.html

というわけで、どんどん本が読めるといいのですが。

 

今日は、こちら。

フランス生まれのジャズピアニスト、Romain Collinの2015年のアルバム。バークレー出身。ジョー・ロバーノやウェイン・ショーターハービー・ハンコックなどとテイクしたりしているようです。このアルバム、ピアノのソロアルバムの様相が強いのですが、ケンドリック・スコットが参加していたりもしています。Apple Musicのプレイリストでこのアルバムに含まれるRound about midnightの、静かなアレンジにこころを惹かれたからでした。夜中に独りで聞くのがいい感じです。ということで、夜中に独りで聞いているところです。

さて、インフルエンザが流行っているらしく、休まれている方の話を聞くようになりました。私は、今年はタイミングがわるくインフルエンザワクチンを受けていません。有効性はよくわかりませんが、ここ何年もインフルエンザにかかったことはありませんので、効いていたのでしょう。今年はどうでしょうか? ともかく免疫力のために早く寝ないといけないのですが、夜更かし癖がついてしまい、やれやれ、という感じです。

それではみなさま、おやすみなさい。

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あの素晴らしい期待感をもう一度──Windowsを使う機会を増やしておもったこと

今年に入ってから、Windowsを使う機会が増えました。きっかけは、お正月に、WIndowsマシンに入っているファイルを取り出そうと思い、数年ぶりにデスクトップマシンを立ち上げたのがきっかけです。デスクトップマシンのなかには、懐かしいファイルがいくらか入っていたり、なくしたと思っていたPDFが見つかったりと、なかなか刺激的だったのでした。一番驚いたのは思いのほか使いやすいということ。仕事場はもちろんWindowsなので、仕事場と同じ感覚でPCを使えるのもいいなあ、とおもったのでした。

この機会に、かつてのように、ディスプレイを3枚つないで、写真のような環境にしてみました。3面ディスプレイは快適ではあります。ただ、無駄に画面が広く、なんだか注意散漫になるような感じも。もう少し試してみたいと思います。

さて、Windows10が出始めたとき、その使い心地はなにかつまらないものに思ったのを今でも覚えています。なんだか、かわりばえのしないプロダクトだなあ、と感じたのを漠然と覚えています。

昔、Windowsが出始めたころ、Windows3.1やWindows95が出たときのわくわく感のようなものは全くありませんでした。それよりもなによりも、Macのほうが全然使いやすいですし、デザインも優れていますので、わくわく感というとMacに勝るものはない、とおもっていました。

ですが、今年に入ってWindowsをつかってみると、なんだか新鮮さを覚えたのでした。2015年だったか、最初に触ったWindows10は、3年のうちに何度かのFuture Updateでずいぶん変わっていました。なるほど、なんだか面白い世界だな、と(ただ、そのうちいくつか(ダークモードや日没後に色温度を調整する機能)はMacの影響だな、ということも感じました)。

Macは、Appleによって構築された完成された世界で、仕事をしている感覚でした。それはそれで快適な世界です。Retinaディスプレイは美しく、iCloudでリンクしたMacとiPhoneやiPadがシームレスに、スケジュールや連絡先、タスクなどが連携する世界は、かつては夢に思えた世界です。また、リリースされているソフトウェアも実に質が高いです。Omnifocus、Scrivener、Ulyssesなど、美しく操作性の素晴らしいソフトウェアがMacで使えるというのは大きなアドバンテージです。

しかし、それはなにかAppleの管理下にあるもので、映画「マトリックスの世界」のように、管理された世界のなかで生きているような息苦しさを微かに感じていたのも事実です。なにか「1984」的とまではいかないまでも、管理され監視されているような感覚です。もちろん、Applenに限らず、プラットフォームを手にした企業であれば、収益のためにはもちろん「管理」をするのはいうまでもないわけですが。

ひるがえって、Windowsはどうか、というと、やはりそこもMicrosoftによって形作られた世界で、快適とはいえないまでも、Microsoftに厳格に管理された一つの世界なのでしょう。

しかし、WindowsにMacにはない自由を感じるのも事実です。マシンは自分でくみ上げることもできますし、Googleのサービスを使うのか、Microsoftのサービスを使うか、選ぶこともできます(もちろん、Macにおいても、GoogleやMicrosoftのサービスを使うことは可能ですが、Apple謹製のサービスを使うことを前提としている以上、その選択肢がベストチョイスになるのは事実)。

この点に関しては様々な意見があるのは事実で、これは個人的な現時点での感想に過ぎませんので、特にどちがら優れているとかそういう議論をするつもりは全くありません。また、すべては「波」ですので、個人的な関心がWindowsに向いているということにしか過ぎないわけで、また来月になると「やはりMacだよね」となるにちがいないのです。

以下のURLにあるように、Appleの業績が低下しているとか、昨今、イノベーティブなプロダクトがあまり出てこない、とか、そういう背景がこうした個人的な感想に結びついているのだ、とも思っています。これもよく言われていることですが、ジョブズがいなくなったAppleからイノベーティブが失われているのではないか、という論調。たしかに、Apple Watchなどのプロダクトが生まれて、わくわくしたものですが、さて、それ以降はなにがおこるか、想像できません。中国での売り上げ減少に言及したティム・クックのコメントを見ると、確かにイノベーションに関する言及ななく、ただ、「店頭で電話の下取りをしやすくしたり、割賦販売を行なったり、お使いの電話から新しい電話へのデータの移行をお手伝いしたりすること」とのみが、マクロ経済の条件が変わったとしても、実行するAppleのイニシアティブ、と語られているのが残念、という論調を読むと、そういう感想になってしまいます。もちろん、そう簡単にイニシアティブに関する企業秘密を語ることもできないのでしょうけれど。

ティム・クックからAppleの投資家への手紙https://www.apple.com/jp/newsroom/2019/01/letter-from-tim-cook-to-apple-investors/

どうしたアップル? 売上高の伸び悩みに関するティム・クックCEOの説明https://www.gizmodo.jp/2019/01/apple-shock-ceo.html

一つ心配なのは、やはりAppleもMicrosoftも大きくなりすぎた、ということなんだろうな、とも思います。大きい企業に身を置くと、これも実にたくさんのところで語られるような、大きい企業ならではの問題を感じます。こうした組織でイノベーションを起こすのは極めて難しいのでしょう。たくさんの人間がいると、派閥ができ、部門間で構想し、人間の嫉み妬みに横溢しているのでは、と想像してしまいます。規則に従うことが善となると、規則に反しないことが仕事となり、枠を変えた発想は抑圧されるでしょう。

職場がよどむ手続き優先上司 規則順守は「バカの壁」
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO38859350S8A211C1000000?channel=DF200920184399&n_cid=DSPRM1489

ともかく、Appleなのか、Microsoftなのか、あるいはGoogleなのかFacebookなのか、Nvidiaなのか、いやここまで挙げた企業はすでに成熟してしまいましたので、もっと別の企業なのかわかりませんが、あの90年代初頭のような、これからなにが起こるのかわからないという感覚を覚えるようなものを、また見せてくれる企業が現れないかなあ、いや、現れるはず、あるいは私が知らないだけ、あるいはあの分野?あの会社?、と期待を持つ今日この頃です。

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大水青の思い出

連休一日目。今日の東京地方は初雪を観測したようです。私もお昼前に、雪が舞い落ちるのを眺めました。はらりはらいと紙片のような雪が舞っていましたが、積もるべくもなく、アスファルトの上で蒸発していきました。

幸い、この連休は家で過ごすことができます。少し部屋を片付けていたら、古い中央公論1999年10月号が出てきました。整理しようかな、と思って、しかし、中央公論を買うとは、なにか理由があるはず、と思って目次をもう一度見ると、辻佐保子さんが、辻先生が亡くなられたあとに書かれたエッセイ「大水青と銀霊草と栗鼠と…」が掲載されたものでした。もちろん、このエッセイは「辻邦生のために」に納められていますので、整理してもよいのでしょうけれど、なにか、運命のようなものも感じますので、もう一度書棚に戻しました。

このエッセイのなかに、大水青や銀霊草についての思い出が書かれています。この大水青、私の記憶では1999年、辻先生が亡くなった年に、夜の風呂場で目撃したのです。たしか亡くなる前のことだったように思います。黒々とした闇に面した窓ガラスに、青白く輝く大水青が光るようにとまっていました。かなり大きいですし、蛾ですのですこし気味悪く思ってもおかしくないのですが、なにか神々しさのようなものも感じた記憶があります。この「神々しさを感じた」という記憶は辻佐保子さんのエッセイに触発された作られた記憶かもしれませんが、確かに大水青を目撃したのは確かなことです。

今日、ふとした表紙にこの中央公論を開いたのも何かの導きでしょうか。今年は没後20年という節目のとしてでもあります。本当に早いものです。

5年前にも同じことを書いていました。2014年の没後15年の折りでした。

辻邦生没後15年によせて その4 大水青

今年もまた、辻文学を読みながらたくさんのことを考えていこう、とあらためて決心しました。

今日は南岸低気圧が通過するようです。どうかみなさま、お風邪など召されぬようお気をつけください。

おやすみなさい。グーテナハトです。

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つれづれ

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今日の東京地方は本当に寒い一日。朝、通りを歩くだけで本当に体の表層からじわりじわりと絶対零度が浸透してくる気配すら感じました。うまくいかないことが多いのですが、それでも、なんとか、なんとか、一日をやり過ごしました。朝から晩まで会議とその準備に忙殺され、ようやくと、終わった感じ。何をやっているんだか。

今日もApple Musicのプレイリストで新しい音楽を見つけようとしました。先日のジェイコブ・コリアーほどの衝撃はなかなかないものですが、それでも気になる音楽がいくつか。そういう楽しみはあります。明日もいい音楽を見つけたいなあ、と思います。

ともかく、先に進まないと。なんとかつくりださないと、という感じになってます。そのために今日は何ができたのだろう? そういう自問自答も。まあ、少しずつ前には進んでいるはずです。

本当につれづれなエントリー。どうぞみなさまも風邪などめされませぬようご自愛ください。おやすみなさい。グーテナハトです。

 

 

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フライトの思い出によせて──ふたたび「グッド・フライト、グッド・ナイト」

先日紹介した「グッド・フライト、グッドナイト」。なんだか忘れられません。砂漠のなか、ツンドラの中、森の中に光る闇について言及している文章がありました。

私も、かつてドイツへ一人で向かったことがありました。一人で向かうドイツはやはり不安で、あまりの緊張に熱を出していたように思います。そんな中、シベリアのツンドラの中に光るものが見えたのを不思議な気分で眺めたのを覚えています。

それは、なにかこの広漠としたシベリアに、だれかが灯をともしているのだ、という感覚で、世界の広大さを思い知りました。最近はなかなか海外へ行くこともなくなりました。国内旅行さえままなりません。

この本を読んでいて、かつてのフライトの思い出がよみがえりました。

こちらの写真は、ドイツから日本に帰る時にとった写真です。1999年11月20日にとったもの。このような朝焼けをかつて地上では見たことはありませんでした。

パイロットはこうした自然現象を日常の中でみているそうです。地上にはない夕焼け、朝焼けはもちろん、オーロラ、セントエルモの火、空気に邪魔されずに見る星々の洪水。本当に素晴らしい職業の一つだと思います。

それからこちらもシベリア上空と思います。地平線がなにか丸みを帯びていうようにも見えます。確かに地球が球体であることを予感させる風景。こうした日頃感じないパースペクティブを持てるのもパイロットの特権なんだな、と思います。

私にも、またいつかフライトを楽しめる日が来るはずで、そのときを心待ちにしながら、いろいろと想像の旅を楽しもうと思います。

それではみなさま、おやすみなさい。

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天才がまた一人。無知を深く恥じる。──ジェイコブ・コリアー「Djesse vol.1」

最近、新しい音楽に出会いたいなあ、と思い、Apple Musicで提供されているさまざまなプレイリストを聴いています。ざーっと聴いて、これは、と思う曲を見つける喜びは、なにか、大都会の雑踏なかですれ違う人の中に一人はいるであろう、話も合い、気もあう友人候補を見つけるのに似ています。

必ず、満員電車にのる1000人の中に、一人はそういう人がいるはずですが、絶対に会うこともありませんし、言葉を交わすこともなく、自分の手持ちのカードを見せることもなく、過ぎ去っていくわけです。私の懐にしまわれたカードは、おそらくは51枚を超えるはずで、隣にいつも座る白髪のサラリーマンは、おそらくは100枚以上のカードを持っているはず。

そんなことを思いながら、多くの音楽を聴いていました。

今日は、昼休みに近所の書店に行きました。最近は、新書本を眺めるのが好きなのです。集英社新書で、三島由紀夫と永井荷風に関する新刊が出ているなあ、とおもったその時に、耳に入ってきたのが、何か、ポリリズムのようなリズムと、アカペラのグルーヴ。それは聴いたことのないもの。

なにか普通の音楽とは思えませんでした。このミュージシャンがスナーキ・パピーと共演していたことを知って、あ、そういえば、スナーキ・パピーのようでもある、ということは、あとから思ったことです。

プレイリストは「ジャズでチルアウト」というもの。ですので、一応はジャズミュージシャンが演奏していることになっていますが、ジャズを当然逸脱しています。いや、ジャズというのは逸脱する歴史ですので、この逸脱は妥当であるのですが。

とっさに、ミュージシャンを確認枝葉としたところ、手が滑ってしまい、別の曲を再生してしまったのです。iPhoneのミュージックアプリは、アルバム単位、プレイリスト単位では、履歴は見られるのですが、アルバムやプレイリストの中でどの曲を聴いたのかはわかりません(私はしらないのです)。あわてて、プレイリストの曲を一曲一曲確認するのですが、なかなか見つかりません。

時が過ぎること十数分、やっとみつけたのがこちら。ジェイコブ・コリアーの「Djeese」からAll Night Long。

アフリカ的リズムから始まりますが、リズムは何度も何度もその色彩を変えます。まるで、色彩の海を高速航海しているような気分。通底するテーマはあるのですが、その色彩は、幾重にも幾重にも花開き、万華鏡のようにその世界を自己増殖させていきます。ボーカルはどうやらコリアー本人。多重録音で世に出た方なので、どこまでコリアー本人の演奏かは分かりませんが、どうもベースは本人ではないか、と。実に巧い。

こちらにその記事が。

https://www.cdjournal.com/main/news/jacob-collier/81280

いやあ、すばらしいです。

アルバム全体も帰宅しながら聴きましたが、クラシック音楽的な要素も含みつつ、なにかプログレロックのような物語性を感じる曲ばかり。しばらくは何度聴いても飽きないぐらい濃密な世界に満ちあふれています。天才というのはこういうものなんだ、と改めて思います。天才には天才の苦悩があるとは思いますが、ここまで自在に音楽を操れるというのは本当にすごいですし、きっと楽しくもあるんだろうなあ、と思いました。2011年からYoutubeで有名になり、2016年にクインシー・ジョーンズに見いだされデビュー。2017年にグラミー賞。やれやれ、無知を深く恥じます。

リンク先にすごい写真がありました。

http://mikiki.tokyo.jp/articles/-/10280

ハービー・ハンコック、クインシー・ジョーンズ、チック・コリアと、このジェイコブ・コリアーが並んで写っている写真。おそらくは、彼らに並び立つミュージシャンになっていくんだろうなあ、と考えざるを得ません。

今日は、実質的な仕事始めと言うことで、朝から極めてブルー。ディープ・ブルーな一日でしたが、この音楽を聴いたことと、一昨日紹介した「グッド・フライト、グッド・ナイト」をずいぶんと読んだと言うことで、夜になって気分が良くなりました。まあ、明日になるとまた深い深いマリアナ海溝ほどのブルーな気分に苛まれることいなるんですが。

と言うわけで、みなさまも寒い日々をどうかご自愛ください。おやすみなさい。グーテナハトです。

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