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Richard Strauss
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新国立劇場/プッチーニ「トゥーランドット」スター
先日、新国立劇場のトゥーランドットに行ってきました。すこし遅れましたがご報告を。
先だって紹介したように、演出のヘニング・ブロックハウスの舞台が楽しみでしたが、予想以上のすばらしさでした。舞台上にあふれかえる色彩の渦に目が回る思いでしたし、舞台上で繰り広げられる登場人物の様々な所作がもたらす情報量の汪溢に圧倒されました。音楽が始まる前にパントマイム劇が繰り広げられます。それは1920年代のイタリアの小さな街をイメージしていて、広場にはカフェがあって、人々が行き交います。カラフ役のフラッカーロさんと、トゥーランドット役のイレーネ・テオリンさんが現れます。広場には道化が現れ、劇の始まりを告げる。中国のマスクをフラッカーロさんに渡して、テオリンさんにはトゥーランドットの冠を渡す。道化が狂言回しなのですね。ここで音楽が始まり、一気にトゥーランドット劇の世界に引き込まれます。舞台上の人々もいつの間にか中国風の格好に変わっている。あふれる色彩に息をのみながら、ぐいぐいと劇の中に浸っていきました。
アントネッロ・アッレマンディの指揮は刺激的でした。頻繁にギアチェンジを繰り返し、劇的効果を最大限に引き出していました。すこしやり過ぎのかな、と思うところもありましたが、あれぐらいやらないと舞台の華々しさとのバランスがとれないのかな、と思いました。
トゥーランドットのイレーネ・テオリンさんは、二幕での最初の登場のときは、調子が今ひとつだったのですが、第三幕に至るまでにぐんぐん調子を上げていって、最終部では迫力あるトゥーランドットを表現されていました。オケの大音響にも負けない力強さ。すばらしかったです。カラフのヴァルテル・フラッカーロさんの声は少し鋭角で張りのある声。リュウ役の浜田理恵さんもすばらしい。豊かな中音域が魅力的で、個人的には大喝采でした。
もっとも印象的だったのは、実は道化役として出演されていたジーン・メニングさんでした。歌手の方ではなく、本職の道化役です。クラウンというのですね。道化は、舞台上で進行するオペラ・セリエとしてのトゥーランドット劇に滑稽な所作とともに加わるのですが、劇が、リュウの死の場面と言った深刻な場面にさしかかると、滑稽な動きで笑いをとっていた道化ですら、深刻でまじめな顔つきをして劇を見守るのです。道化は、劇中にあって劇を内部から客観的に見やる存在となっていて、舞台を見つめる我々と、トゥーランドット劇の間に介在しているわけです。劇中にあって劇の外にある道化は、トゥーランドット劇を現実として見ていますので、我々が道化を通してトゥーランドット劇を見ると、トゥーランドット劇の実在性が強調されてくるわけです。
最後の場面、その道化が帽子を振り上げて我々に別れを告げるのですよ。その瞬間なぜか涙があふれてきました。これでトゥーランドット劇という祝祭的な空間が閉ざされてしまい、我々は再び現実社会へと戻らなければならない。あのとき感じたのは惜別の感だったと思います。
そうしてもどった現実社会は、仕事の方が少々トラブル気味でして、少し問題あり。少々いっぱいいっぱいでして、なかなかブログがかけませんでした。週末になってやっとかけた次第。ああ、一週間も穴を開けてしまいましたね。最近ではなかったことでした。なるべく毎日書くようにしたいのですが、ちょっと厳しかったです。またこれからがんばります。
関連する記事:2件
- モナコ、テバルディ、ボルクのトゥーランドット(2008年10月09日 03時46分)
- 新国立劇場のオペラトークでトゥーランドットの謎は深まる(2008年09月15日 23時58分)
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