新国立劇場「コジ・ファン・トゥッテ」その2

コジ・ファン・トゥッテ。女はみんなそうしたもの。いや、本当にそうですよ、まったく。
というわけで、昨日に引き続き。コジ・ファン・トゥッテ。
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さて、今日は、男性陣と音楽を。昨日は悪乗りしてすいません。

男声の方々

フェルランドを歌ったパオロ・ファナーレも、グリエルモを歌ったドミニク・ケーニンガーも、イケメンなふたりでした。一幕が終わった途端に私の後ろの方から、「メチャカッコイー」という黄色い歓声が湧き上がりましたね。
パオロ・ファナーレは、甘い声。ともかく軽やかに甘い。特に、第一幕17番のアリア Un’ aura amorosa、素晴らしかったですよ。あれがカンタービレなんですね。
ドミニク・ケーニンガーも背の高いイケメンで、安定した歌声を聞かせてくれました。どちらかといえば、ファナーレより声は私の好みでした。
そうそう、第二幕の冒頭の水浴びのシーンですが、前回2011年は、アドリアン・エラートとグレゴリー・ウォーレンが、水に浸かりきってたんですが、今回はそこまでやらなかったです。でもあの場面は笑うしかないです。「オテロ」も「ヴォツェック」も水を使った好演出でしたが、「コジ」もその仲間ですね。
ドン・アルフォンソを歌ったのはマウリツィオ・ムラーロでした。2006年12月のセヴィリアの理髪師のドン・バジリオで聴いたことがありましたが、今回も当然健在ですよ。ヨーロッパのバス・バリトンの方は、本当につややかで倍音を多く含んだ声を聞かせてくれるんですが、ムラーロもそうした方々の一人。2011年のコジでドン・アルフォンソを歌っていたローマン・トレーケルが叡智的で冷たいドン・アルフォンソだったのですが、ムラーロのドン・アルフォンソは温かみがありました。それは声質の違いにもよるのではないかと思います。

音楽のこと

指揮のイヴ・アベルが作り出す音楽は、全体がひとつのまとまりとしてあらわれてくるように思えるものでした。急激にテンポを変えるといった意表をつくようなことをせず、だからこそ舞台上の物語を邪魔しないものでした。
私はこれと逆の経験を、10年ほど前のウィーンで観た小澤征爾の「フィガロの結婚」で感じたことがありました。小澤先生のことを書くのは不遜かもしれませんが、ケルビーニを歌っていたアンジェリカ・キルヒシュラーガーと全くテンポが合わず、モーツァルトの軽快な世界が重苦しさを帯びてしまったように思えたのです(これを書くのは相当勇気がいります)。
同じ経験は、数年前の新国「フィガロの結婚」でも……。
ですが、イヴ・アベルはそんなことはありませんでした。音楽に違和感を感じない、というのは、それだけ舞台演出とマッチした演奏なのだと思うのです。オペラ巧者の指揮者、例えばペーター・シュナイダーの指揮にはそうした職人技のような力を感じますが、それと同じものだったと思います。
もしかしたら、オペラにおけるオケの演奏は空気のようなものでなければならないのかもしれない、などと思います。気配を感じさせず、時に張り詰め、時に柔らかくなり、その場の「空気」Atomosphereを作るのがいい仕事なんですね。
明日は、演出のことを書く予定。

終わりに

ちなみに、昨日の夕食。落合シェフの豚肉のバルサミコソース。美味。久方ぶりの外食でした。この御店はメニューを限定することでコストをリーズナブルにしています。さすが!
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では、また明日。