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小江戸として知られる川越に、今日の午後少しばかり出かけてきました。
お昼前に家を出て13時頃に到着。
鰻をたべようと、有名店に行きましたが、とてもとても込んでいました。しかし待つ甲斐あって、出てきた鰻を大変美味しくいただきました。絶妙な香ばしさ、甘みのあるタレ、そして柔らかい鰻です。13時過ぎに見せに行きましたが、長蛇の列でした。我々の前に20組ぐらい並んでいましたが、30分ぐらいでなんとか席へ。席へ着いてもやはりなかなか時間がかかりまして、最後に食べ終わったのは15時前ぐらいでした。でも時間をかけて食べられたので、ゆったりとくつろげました。
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その後、喜多院へ。徳川家康の信任が厚かった天海が住職を務めた喜多院は、その後も江戸幕府の庇護を受けました。喜多院が火災で焼けたのをうけて、徳川家光は、江戸城の建物を喜多院に移築しました。その建物が残っており、家光誕生の間であるとか、春日局化粧の間などが残っています。
久々に旧い建物からみる日本庭園に癒やされました。子供の頃に、両親によく京都の寺院に連れて行かれましたので、そうした記憶が積み重なっているんでしょう。鄙びた木造建築の香りや、かすかに感じるお香の香りなどを感じると、ホッとします。しばらくボーっとして英気を養いました。また行かなければ。
ちなみに、左側の枝垂れ桜は徳川家光のお手植え二代目の枝垂れ桜だそうです。
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そして、喜多院で見かけた猫。泰然としていました。
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それではまた明日。グーテナハト。

Japanese Literature,Tsuji Kunio

辻先生が戦時中に疎開をしていたのが、湯河原の吉浜です。
先日も少し触れましたが、10年ほど前、小田原近辺の事業所に勤めていたことがあります。その職場でご一緒した先輩が湯河原の吉浜に住んでいました。その先輩のお父上のご葬儀に参列したことがあります。葬儀の会場のお寺ですが、私はあのお寺は、「夏の海の色」に出てくる宿舎ではないか、と、思っています。
小田原で会社の飲み会があったあと、その先輩を家に送り届けるために(飲酒していない)別の先輩が運転する車で、夜中に小田原から湯河原まで車で走りました。夜の相模湾は黒々とうねっていて、その黒光りするうねりに真っ白な満月の光が反射したのをみたのです。あまりの神々しさ、あるいはあまりの崇高さに声が出なかったのを覚えています。その風景がどうしても「夏の海の色」の世界にみえるのです。

そうした夜、寝床から這い出して窓から外を覗くと、月が暗い海上に上っていて、波が銀色に輝き、本堂の裏手の松林の影が、黒く月光のなかに浮び上がるのが見えた。

これが辻先生が「夏の海の色」で書かれた文章です。おそらくは同じ風景を見ておられたのではないか、と勝手に想像しています。
あらすじはこちらをどうぞ。もう少し詳しく考察が書いてあります。満月が海に反射するということは、南側が海だということだから、太平洋側に違いない、といったところです。
<夏の海の色:■赤い場所からの挿話 IX>「夏の海の色」
私が吉浜に行ったことがあるということで、なにか奇縁だな、などと思ってしまう我田引水ぶりに苦笑しております。。
今日のノンアルコールな一日でした。体重はもっとも太っていたころから比べると6キロ近く減りました。うれしいのですが、あまりの減りぶりにすこし不安でもあります。。
それではグーテナハトです。