辻先生が亡くなった年、私は小田原近辺に住んでいました。
郊外の丘陵地に建てられた住宅でした。
あれは、辻先生が亡くなってからだったか、そのまえだったか。
1999年のあの年の夏に、大きな白い蛾が風呂場の窓にとまっているのをみかけました。蛾ですので気味が悪いと思ってもおかしくありませんが、不思議とそういう感覚はなく、なにか畏怖のようなものを感じたのを覚えているのです。
その後、辻佐保子さんが中央公論1999年10月号に書かれた追悼文を読みました。
そこにあの大きな白い蛾が登場していたのです。
オオミズアオ(大水青)という蛾のことです。偶然ではありますが、なにか不思議な縁のようなものを感じたのを記憶しています。
この追悼文、今読んでも、佐保子さんの深い悲しみに溢れていて、普通には読むことができません。
春の戴冠1 (中公文庫)
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今日読んだ「春の戴冠」で、サンドロが語る言葉がぴったり過ぎて、畏れを覚えるほどです。
「ぼくらはいつか死んで、二度とこの地上の明るい光を仰ぐことができなくなるのにね。」
ですが、そこで終わらないのが辻文学です。そのあとサンドロはこう語ります。
「<美>とは<悦ばしさ>を経て<不死>へと通じているんだ」
「<美>とは、フェデリゴ、永遠の虚無からぼくらを救いだす砦のようなものじゃないだろうか」
「春の戴冠」の冒頭で語られていることですので、その後の様々な変遷はありますが、これらの言葉はある種の「救い」をもたらすものです。
それではグーテナハトです。