あの素晴らしい期待感をもう一度──Windowsを使う機会を増やしておもったこと

2019-01-22

今年に入ってから、Windowsを使う機会が増えました。きっかけは、お正月に、WIndowsマシンに入っているファイルを取り出そうと思い、数年ぶりにデスクトップマシンを立ち上げたのがきっかけです。デスクトップマシンのなかには、懐かしいファイルがいくらか入っていたり、なくしたと思っていたPDFが見つかったりと、なかなか刺激的だったのでした。一番驚いたのは思いのほか使いやすいということ。仕事場はもちろんWindowsなので、仕事場と同じ感覚でPCを使えるのもいいなあ、とおもったのでした。

この機会に、かつてのように、ディスプレイを3枚つないで、写真のような環境にしてみました。3面ディスプレイは快適ではあります。ただ、無駄に画面が広く、なんだか注意散漫になるような感じも。もう少し試してみたいと思います。

さて、Windows10が出始めたとき、その使い心地はなにかつまらないものに思ったのを今でも覚えています。なんだか、かわりばえのしないプロダクトだなあ、と感じたのを漠然と覚えています。

昔、Windowsが出始めたころ、Windows3.1やWindows95が出たときのわくわく感のようなものは全くありませんでした。それよりもなによりも、Macのほうが全然使いやすいですし、デザインも優れていますので、わくわく感というとMacに勝るものはない、とおもっていました。

ですが、今年に入ってWindowsをつかってみると、なんだか新鮮さを覚えたのでした。2015年だったか、最初に触ったWindows10は、3年のうちに何度かのFuture Updateでずいぶん変わっていました。なるほど、なんだか面白い世界だな、と(ただ、そのうちいくつか(ダークモードや日没後に色温度を調整する機能)はMacの影響だな、ということも感じました)。

Macは、Appleによって構築された完成された世界で、仕事をしている感覚でした。それはそれで快適な世界です。Retinaディスプレイは美しく、iCloudでリンクしたMacとiPhoneやiPadがシームレスに、スケジュールや連絡先、タスクなどが連携する世界は、かつては夢に思えた世界です。また、リリースされているソフトウェアも実に質が高いです。Omnifocus、Scrivener、Ulyssesなど、美しく操作性の素晴らしいソフトウェアがMacで使えるというのは大きなアドバンテージです。

しかし、それはなにかAppleの管理下にあるもので、映画「マトリックスの世界」のように、管理された世界のなかで生きているような息苦しさを微かに感じていたのも事実です。なにか「1984」的とまではいかないまでも、管理され監視されているような感覚です。もちろん、Applenに限らず、プラットフォームを手にした企業であれば、収益のためにはもちろん「管理」をするのはいうまでもないわけですが。

ひるがえって、Windowsはどうか、というと、やはりそこもMicrosoftによって形作られた世界で、快適とはいえないまでも、Microsoftに厳格に管理された一つの世界なのでしょう。

しかし、WindowsにMacにはない自由を感じるのも事実です。マシンは自分でくみ上げることもできますし、Googleのサービスを使うのか、Microsoftのサービスを使うか、選ぶこともできます(もちろん、Macにおいても、GoogleやMicrosoftのサービスを使うことは可能ですが、Apple謹製のサービスを使うことを前提としている以上、その選択肢がベストチョイスになるのは事実)。

この点に関しては様々な意見があるのは事実で、これは個人的な現時点での感想に過ぎませんので、特にどちがら優れているとかそういう議論をするつもりは全くありません。また、すべては「波」ですので、個人的な関心がWindowsに向いているということにしか過ぎないわけで、また来月になると「やはりMacだよね」となるにちがいないのです。

以下のURLにあるように、Appleの業績が低下しているとか、昨今、イノベーティブなプロダクトがあまり出てこない、とか、そういう背景がこうした個人的な感想に結びついているのだ、とも思っています。これもよく言われていることですが、ジョブズがいなくなったAppleからイノベーティブが失われているのではないか、という論調。たしかに、Apple Watchなどのプロダクトが生まれて、わくわくしたものですが、さて、それ以降はなにがおこるか、想像できません。中国での売り上げ減少に言及したティム・クックのコメントを見ると、確かにイノベーションに関する言及ななく、ただ、「店頭で電話の下取りをしやすくしたり、割賦販売を行なったり、お使いの電話から新しい電話へのデータの移行をお手伝いしたりすること」とのみが、マクロ経済の条件が変わったとしても、実行するAppleのイニシアティブ、と語られているのが残念、という論調を読むと、そういう感想になってしまいます。もちろん、そう簡単にイニシアティブに関する企業秘密を語ることもできないのでしょうけれど。

ティム・クックからAppleの投資家への手紙https://www.apple.com/jp/newsroom/2019/01/letter-from-tim-cook-to-apple-investors/

どうしたアップル? 売上高の伸び悩みに関するティム・クックCEOの説明https://www.gizmodo.jp/2019/01/apple-shock-ceo.html

一つ心配なのは、やはりAppleもMicrosoftも大きくなりすぎた、ということなんだろうな、とも思います。大きい企業に身を置くと、これも実にたくさんのところで語られるような、大きい企業ならではの問題を感じます。こうした組織でイノベーションを起こすのは極めて難しいのでしょう。たくさんの人間がいると、派閥ができ、部門間で構想し、人間の嫉み妬みに横溢しているのでは、と想像してしまいます。規則に従うことが善となると、規則に反しないことが仕事となり、枠を変えた発想は抑圧されるでしょう。

職場がよどむ手続き優先上司 規則順守は「バカの壁」
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO38859350S8A211C1000000?channel=DF200920184399&n_cid=DSPRM1489

ともかく、Appleなのか、Microsoftなのか、あるいはGoogleなのかFacebookなのか、Nvidiaなのか、いやここまで挙げた企業はすでに成熟してしまいましたので、もっと別の企業なのかわかりませんが、あの90年代初頭のような、これからなにが起こるのかわからないという感覚を覚えるようなものを、また見せてくれる企業が現れないかなあ、いや、現れるはず、あるいは私が知らないだけ、あるいはあの分野?あの会社?、と期待を持つ今日この頃です。