ところが、ちょっとした練習をしていたところ、急にオクターヴのコントロールが出来なくなりました。あれあれ、と思って、接続ケーブルを抜いたり差したりしたら、ますますおかしなことに。音がまともに出なくなってしまいました。ネットでの情報では、コントローラと音源をつなぐケーブルが断線することが多いとのこと。どうやら、僕のEWIもご多分にも漏れず断線したのではないか、と考えています。代わりのケーブルを買わないといけないのですが、15750円もするらしい。とりあえず、明日楽器屋に電話してみます。
EWIが壊れた……。
ところが、ちょっとした練習をしていたところ、急にオクターヴのコントロールが出来なくなりました。あれあれ、と思って、接続ケーブルを抜いたり差したりしたら、ますますおかしなことに。音がまともに出なくなってしまいました。ネットでの情報では、コントローラと音源をつなぐケーブルが断線することが多いとのこと。どうやら、僕のEWIもご多分にも漏れず断線したのではないか、と考えています。代わりのケーブルを買わないといけないのですが、15750円もするらしい。とりあえず、明日楽器屋に電話してみます。
マッコイ・タイナー「インフィニティ」
Infinity McCoy Tyner Trio (1995/08/29) Impulse! |
夕方から雨が降り始めた。会社からの帰り道、いつものバスがやってこない。五分ほどバス停に立ちつくしていたのだが、ようやくバスが坂道を登ってくる。傘を畳んで水を払ってからバスに乗り込む。この分だといつもの電車に乗ることは能うまい。疲れているというのに、ベンチのない駅で雨に打たれながら電車を待つというのか。疲れは人をしてとかく悲観的な領域へと誘い込むものなのだが、今日も油断をすると、悲観領域に足をすくわれるところだったのだ。
だが、心を強く持とう、と思って、昔からよく聴いた曲をiPodのホイールを回して探してみる。
あった、マッコイの1995年のアルバム、インフィニティ。フロントにマイケル・ブレッカーを迎えたマッコイのアルバムだった。まだ学生だった頃、CDウォークマンにこのCDを入れて学校に通ったものだった。「インプレッションズ」は、コルトレーンのモードの曲だが、雄々しいマイケル・ブレッカーのテナーの咆吼と、それに続くメカニカルなインプロヴァイズに卒倒したものだ。
そして、今日もやはり卒倒しそうになる。このインプロヴァイズの冒頭部分だけコピーして吹いたことがあるけれど、さすがに全部コピーは出来なかったなあ。それもまた自分の限界と言うことなのだろうか、などとすこししんみりしてしまうのは、いつ聴いても同じなのだ。こうして悲観領域に片足が入るか入らないか、といった状態で10分あまりの演奏を目をつぶって聴きづけた。雨脚の強まる中、電車がホームに進入してきて、やっと座席に着いた頃には、何とか気持を元に戻すことが出来たというわけだった。ありがとうマイケル・ブレッカー。
しかし、そんな元気だったマイケル・ブレッカーも、今は帰らぬ人となってしまったというわけだ。苛烈
でもあり残酷でもある時間と運命。残されたものは、これからもずっと時間と運命と闘わなければならないと言うことなのだ。
アイラ・レヴィン「死の接吻」
死の接吻 アイラ・レヴィン (2000) 早川書房 |
またよみました。アイラ・レヴィンの「死の接吻」。前回読んだ「ローズマリーの赤ちゃん」は衝撃的な幕切れを何度も読み返しましたが、今回もまたミステリの醍醐味を堪能させてくれました。
また文字の色変えましょうね。
最初に驚いたのが、ドロシィの章では、男の名前が明かされていなかったこと。そのことに気づいたのが、第二部エレンになってから。エレンがドロシィ殺しの犯人=ドロシィの彼氏を見つけようとするときに、容疑者二人が名前と共に浮かび上がってくるのだが、そのときになって、僕は彼氏の名前が明かされていないことに気づいたのですよ。文章の中では「彼」という三人称で語られているだけだったのです。そこでまず激烈なパンチを受けました。
次のパンチは、エレンの彼氏のバッドが、ドロシィ殺しの犯人=ドロシィの彼氏であったということ。それも強烈な登場の仕方。パウエルが、自分の部屋でドロシィの彼氏の住所を突き止めようとしたそのとき、アノニムな男として登場して、パウエルを射殺、それからエレンの前に姿を見せる。エレンは自分の彼氏が来たので安心する。っていうか、読んでる方から見たら、エレンの彼氏が、ドロシィの彼氏と同一人物だったなんて思わないから、一杯どころか何杯も食わされた気分でメタメタ。
マリオンへのバッドの近づき方とかは、種明かしされているので、これ以降はそうそう驚くことはなかったけれど、バッドの最後は印象的。指輪物語のゴクリ(ゴラム)の死に方に似ているなあ、なんて。
それから、ゴードン・ガントはどうしてあそこまでして真実を知りたかったんだろうか、と考えてみるのも面白いかもしれません。単なる第三者だというのに。まあ、彼が居なければマリオンもバッドの餌食になっていたのでプロットしてはひねりがないのかな、というところでしょうか。少し考えてみなければなりませんね。
というわけで、この本もお薦めです。
「ジ・アトレ」の表紙にジャコミーニさんの勇姿
新国立劇場/プッチーニ「西部の娘」
観てきました、西部の娘。今回も幸いにも行けて良かったです。
(写真はオペラシティ、中庭の池)
演出について
- 舞台上には段ボールの直方体が積み重なっていて、倉庫の中といった趣。それが幕が進むにつれて徐々に壊れていきます。ホモキ氏の解説では、最後は荒野に帰するという設定なのだそうです。
- 舞台上には、世界各国の衣装をまとった男達が登場します。ユダヤ人、アラブ人、黒人、東洋人……。演出のホモキ氏の意図通り。アメリカ西部に集まる男達を移民ととらえて、それを現代に移すとこうした多国籍の男達が職を得るため、生きるために、移民となってアメリカ(ないしは欧州でもいいと思うのですが)に集まっているという設定なのです。
- ミニーは、オレンジ色のつなぎの作業服を着て登場。スーパーマーケットの従業員といった感じでしょうか?
- ディック・ジョンソンは赤いチェックのシャツにジーンズ、モスグリーンのザックを持って登場。いかにもアメリカ人らしい格好です。
- ランスは、保安官なのですが、黒い制服にブーツといた出で立ちで、現在の警察の制服を着ています。
- ホモキ氏の解釈。ディック・ジョンソンは個人主義的(いい意味でだと思いますが)な人間で、自分の運命を切り開いていこうとしている。父親から盗賊団を受け継いでいることをあまり良く思っていなくて、本当はもっと違う人生を送りたいと思っているのです。ミニーとできれば所帯を持って堅気に生きていきたいと思っているわけです。でも、盗賊団の首領としてのレッテルを貼られ、盗みはいいものの、殺人犯にまで仕立て上げられていく……。現実世界も同じですよね。皆が皆レッテルを貼りあって、真実を見ることを忘れてしまう。
- 最後には、ディックとミニーは男達に見送られながら去っていくわけです。ディックもミニーも、新しい生活へと一歩を踏み出していきます。ところが残された男達の生活は変わらない。男達は炭坑夫ですから厳しい生活を送っている。だが、そこから抜け出すこともできないし、抜け出すことを考えることすら出来ない。辛い毎日が待っている。ただ経済的な理由のため、生活のため……。
- そう考えると、まるで会社を去る人、残る人、と構造がにているんじゃないか、と思ってしまいました。毎年春になると会社を去って新しい道へと進んでいく人々がいます。つい先だっての3月末もそうでした。
- でもその先は? マノン・レスコーのようにならなければよいのに、と少し心配してみたりして……。そんな心配するから、まだ会社に残っているのか、僕は……、という感じでしょうかね……。
演奏について
- 冒頭の短いプロローグから強烈な迫力。これはもうたまりません。さすがシルマー氏です。キビキビとしたスタイリッシュな音を作り出していて、フォルティシモのパワーが強力。東京フィルハーモニー交響楽団もがんばっていたと思います。
- それにしても、ランス役のルチオ・ガッロ氏は好演でした。スカルピア的悪役ぶりを遺憾なく発揮していました。
- もっとも印象的だったのは、第二幕のミニーとディック・ジョンソンの愛の二重唱、ミニーとランスの対決の場面、勝負に勝ったミニーの勝どきをあげるところ、でしょうか。
- ミニーとランスのポーカー対決、コントラバスがリズムを刻む中で、二人が台詞を言い合うのですが、すごい緊迫感。双眼鏡でずっと観ていたのですが、迫真の演技でした。
- ミニーの勝どきの場面もすごかった。オケのパワーが遺憾なく発揮されていました。すごかったです。
- プッチーニは本当に流麗な旋律を創るものです。すばらしい。
- しかも、このオペラは当時の最先端の音楽を研究して作ったと言うこともあって、ボエームなんかと比べると、格段に和声が複雑になっているのを感じます。
というわけで、愉しんだ3時間でした。やはりオペラはいいですね。プッチーニ様、シルマーさん、キャストの皆さん本当にありがとうございます。
※ 少々体調が悪かったのが悔やまれます。オペラを観るためには結構体力がいります。次回は6月の「ばらの騎士」なのですが、体調を万全にして行きたいと思います。
西部の娘 徒然
いよいよ明後日に迫った西部の娘。この二週間ほど聞き込んでいたので、だんだんと見えてきた感じがします。
- このオペラは蝶々夫人の次のオペラ。三部作やトゥーランドットよりは前。それでも響きは新しいですよ。プッチーニはシェーンベルグの研究をしながらこのオペラを書いたのだそうです。
- プッチーニ的美麗な旋律はこのオペラでももちろん健在。それに加えて、新世界的力強さを兼ね備えたオペラです。
- このオペラの初演は1910年ニューヨークにて。大成功を収めたのだそうです。しかし、三大プッチーニオペラの後塵を拝しています。とある本には、西部劇映画を知っている我々にとっては、西部劇オペラが目新しくなくなったから、とか、三大オペラにくらべて、印象的な独唱、二重唱が少ないのが、その原因なのではないか、とのこと。
- たしかに、流麗で印象的な独唱、二重唱があることにはまだ気づいていません。でも、それって、ある時急に気づいたりするものです。もっと聞き込んだり、実際に劇場で観たりすると印象が変わってくるかもしれません。
- さて、シルマーさんとホモキさんはどんな手さばきで料理してくれるのでしょうか? 楽しみです。
楽器の練習場所
楽器、というか、サクソフォーンですが、家で練習できる代物ではありません。音が大きすぎて、近所迷惑も甚だしいのです。
そこで練習場所をいろいろと考えることになります。
大学時代は、大学の音楽室で吹いていましたが、卒業後はどうしたかというと…
- 個人練習はEWIで、リハでしかサックスを吹かない → 相当腕落ちました。
- 山に入って吹く → 季候が良いと良いのですが、夏になると蚊が寄ってくるのでNGです。ちなみに、サックスの音は蚊をおびき寄せるらしい(坂田明氏が実験したという噂を聞いた)。
- カラオケボックスで吹く → これはやられている方が多いみたいですが、やったことありません。近くにカラオケボックスがないので、というのが理由です。
- スタジオを個人で借りる → これは、数年前によくやっていました。一時間700円、隣の駅のスタジオで練習しました。ですが、疲労のため、ダウンしました。
- 家で吹いちゃう → 冬布団をかぶって、押し入れの中に入り、吹いています。多分近所にはきこえていないと思います。ただ、息苦しくなるのが難点。
それで、最近は余り吹いていなかったのですが、練習しなくてはならない自体に。おろおろしている僕に家人が「駅前の公民館借りてみたら?」
そこで調べてみると、17時30分から21時まで、400円で借りられるらしい。休日の午前中だと3時間で300円。安い! 早速、二日ほど予約してみました。あるいて10分ぐらいのところなので、便利もいいですし。そう言うわけで練習しようっと。
楽器を吹く
後輩の結婚式二次会パーティーで演奏することになりそうですが、少々自信がなくて困っています。この二年間楽器吹いていませんでしたし……。
いい機会をもらったなあ、ということで、練習しているのですが、昔の吹き方に戻しても仕方がないので、すこし前向きに練習していこうと思っています。月末には、近所の市民施設の音楽練習室を借りて、思いっきり吹いてみる予定です。二次会では40分ぐらい吹くとのことで、アンブシェアを40分間持続できるかどうかが鍵ですね。がんばります、はい。
デュメイ、 ピリス/フランク ヴァイオリンソナタ
フランク/ヴァイオリン・ソナタイ長調 デュメイ(オーギュスタン) ピリス(マリア・ジョアン) (1995/07/26) ユニバーサルクラシック |
久々に「勝手に〜」に参加したいと思います。
いまから8年ほどまえ、室内楽ばかり聴いている時代がありました。ブラームスの室内楽を中心にいろいろ聴いていたのですが、ブラームスのピアノトリオの素晴らしい演奏を見つけたのです。それがデュメイとピリスの演奏でした。透き通りつつ柔らかいデュメイのヴァイオリンと、ピリスの叙情的で静かな情感のこもったピアノにほだされてしまったのでした。
二人の演奏のCDを何枚かかったのですが、その内の一つがこのフランクのヴァイオリンソナタのCDでした。僕が聴いたなかではフランクが一番印象的だなあ、と思います。
いやあ、美しすぎますよ、これは。
印象画派の淡い光のタッチを音楽にするとこんな風にきこえるのではないか、と思います。 太陽の光が並木の隙間から差し込んでいるのを眺めている感じ。柔らかい微風が頬を撫でていく。暖かい土や草の匂いが立ちこめている中、草原に寝ころんでいて、太陽の穏やかな光を浴びている、とか、そういう気分。きっと生演奏で聴くと、涙が止まらないんだろうなあ、と思います。
当時、フランスものに多少のめりこんでいた時代で、年甲斐もなく「失われた時を求めて」を読み始めたり、オルセーの屋根裏でうちふるえたりしたなあ。
この曲はプルーストの「失われた時を求めて」に出てくるヴァントゥイエのソナタのモデルにもなったとのこと。「失われた時を求めて」にでてくるバルベック界隈の美しい海岸や林の風景が思い浮かんできます。
そんなことを思いながら聴いています。またプルースト再開しようかな、と思いました。