Tsuji Kunio

楽興の時十二章 楽興の時十二章
辻 邦生 (1990/11)
音楽之友社

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辻邦生全集〈8〉 辻邦生全集〈8〉
辻 邦生 (2005/01)
新潮社

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マーラー:交響曲第3番 マーラー:交響曲第3番
アバド(クラウディオ)、ラーション(アンナ) 他 (2002/03/13)
ユニバーサルクラシック
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その作家の作品の中で、一番最初にであった作品ほど印象深いものはありません。

それはまるで、ある音楽作品を聴くのが初めてで、その演奏がきわめて印象深かったとき、音楽作品と演奏が深く結びつき、まるで音楽作品と演奏が切っても切り離せない不可分な関係にあるかのように思えるのと似ています。実は、その音楽作品の演奏は、さまざまな演奏者によって行われていて、その演奏の解釈はそれぞれにおいて違うはずで、もちろんどれがもっとも優れた演奏であるといったような命題は陳腐な命題となるのでしょうけれども、その音楽作品を聴いた私にとっては、初めて聴いたその演奏が最も優れた演奏に思えてならないのです。

作家の作品においても、最初に出会った作品において、八分がたその作家の評価を定めてしまいかねず、それがいい方向に向かえば、その作家との良い関係を築くことができるでしょうし、それが悪い方向に向かえば、その作家との関係を修復するのは難しくなることでしょう。そして、前者であったとすれば、それは恩寵とでも言うべき幸福な関係となるに違いないのです。

私が辻作品に出会ったのは、高校2年の年で、炎暑に見舞われた京都から下る東海道本線の座席について、今は休刊となってしまった「音楽芸術」誌を開いたときでした。「樂興の時 十二章」と題された連作短篇集の第11話「桃」がそれだったのです。マーラーの交響曲第3番をモティーフにしたその作品は、老外交官が死に際して己の人生を振りかえるにつけて覚える苦い悔恨と、幼い孫の無邪気さや看護婦の若い力による諦観が描かれていました。

タイトルの「桃」は春の若々しさを想起もさせ、また人間の根源的欲求をも感じさせるモティーフで、老外交官が中国奥地へ赴いたときに、霧中から突如あらわ得る桃畑のイメージが、精神の底深いところに常に存在する若々しさや生への根源的欲求を象徴しているのでした。

マーラーの交響曲第3番では清純な少年合唱が登場しますが、幼い孫たちのイメージと重なります。少年合唱は「ビム、バムBim Bam」という歌詞で始まります。鐘の音は、ミサを想起させますし、果ては葬送をも想起させるのです。短篇中にゴシック文字で挿入されるエピソードに登場する子供たちの姿は、交響曲第3番の少年合唱でもあり、あるいは老外交官を彼岸へと導く天使たちの行進なのかもしれません。

老外交官の苦い悔恨を読んで、自分はそうならぬよう人生を生きなければならぬ、と読んだ当時強く決心したものでした。しかし、現実はそうも上手くゆかないようです。今朝方の通勤電車の中でもう一度短篇を読み返してみたのですが、老外交官の覚えた悔恨に似た人生の苦みを噛みしめたのでした。

しかし、老外交官は、幼い孫たちや若い看護婦との邂逅によって救済され彼岸へと旅だったようにも読めるのです。辻作品はどれも一遍的な解釈を許しません。答えを与えることはしないのです。そこにあるのは現前とした事実の提示とあるべき理想の姿の示唆です。読み手は、事実の提示と理想の示唆の間で、まるで解決を求める不協和音の響きのような心地よい不安定感を感じつつ、その両者を止揚する努力を決意させられてしまうのです。僕が今朝方感じたのもやはり同じ止揚への決意でした。

しかし、なんということでしょう。これまで辻作品を幾度となく読んで何度もこの止揚への決意を感じたはずだったのに、現実世界の濁流に呑み込まれて、そこをただ泳ぐことに必死で、岸辺へと向かい濁流から身を上げる努力を怠っていたことに気づかされたのです。それが、先ほど述べた悔恨に似た苦みだったのです。 ですが、次の二つの引用をもって、辻邦生作品から「生きること」の大切さを再認識したいと思うのです。 そして、また止揚への努力へと自らを奮い立たせようと思うのです。

生きると言うことに後も前もない 今があるだけだった こうして黄金にきらめく海を泳いでいるように今がすべてであり いましかなく 今に抱かれるとき 今は豊かな母の胸に変わっていた

「樂興の時 十二章」/辻邦生/1991年/音楽之友社/200ページ

「オレンジを齧っていたね。あれが生きるってことかもしれない」 「オレンジを齧るのね。裸足でね」 「そうだ、オレンジを齧るんだ。裸足でね、そして何かに向かってゆくのさ」

「サラマンカの手帖から」/辻邦生/1975年/新潮文庫/282ページ

「桃」についてはまだまだ語りたいことがたくさんありますし、辻邦生作品について語りたいことはもっとたくさんあるのですが、今日はひとまずこのあたりで終わりにしておきましょう。

Classical

Symphonies 1-4 Symphonies 1-4
Schumann、Sawallisch 他 (2002/04/09)
EMI Classics

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ホルンの音に導かれて、瑪瑙細工のように厚みはあるけれどその奥から金色の光が差し込んでくるような、聴き手に寄り添うってくるやわらかい弦楽部の序奏部。金管部と弦楽部との対話が続き、弦楽部の高音域から低音域までの幅広い音帯の中で、自在に繰り広げられる和声の響きが、まるで整然と駆ける軽騎兵団ような軽やかさで主題を展開させて行きます。展開部のフーガの伸張も見事。ゴシック教会の天井の梁が均質かつ複雑に絡み合っている様子を思い出させます。ヴァイオリンとコントラバスのユニゾンの力強さについてもぜひ書き加えておきたいと思います。本当に見事な弦楽部の調和です。
サヴァリッシュの指揮は本当に安定しています。ドイツ的といってもそこにはさまざまな意味が含まれることになるのですが、そのなかでも「良心」と呼ばれるものがここに宿っていると言っても過言ではないと思います。そして、録音は1972年台。サヴァリッシュは1923年生まれですから、もう49歳なのに、この若々しさは何なのでしょう?第二楽章の駆動感は特に素晴らしいものがあります。第三楽章の後半部のデュナミークへの牽引力も卓然たるものがあります。第四楽章の祝祭感はハ長調という調性がもたらすものなのでしょうか?しばしば短調の和声をはさみながらも、その針路は常に高揚へと向かっています。金管の華やかなファンファーレとティンパニーの力強い四分音符がこの晴れ晴れしい交響曲の幕を閉じます。ここには内心にいくばくかの不安を抱えながらも希望と明るさを持ったシューマンがいます。私たちはその後のシューマンを知っているだけに、この晴れ晴れしい幕切れにも感傷的にならざるを得ません。
それにしてもドレスデンシュターツカペレの透き通るような弦楽部の音といったら!ああ、これがドレスデンの音なのだ、と思います。さすがはマイセン白磁器を生んだ土地柄です。録音はルカ教会です。クライバーがドレスデンシュターツカペレを振った「トリスタンとイゾルデ」の録音もやはりルカ教会。カール・ズスケのバッハ無伴奏ヴァイオリンソナタ・パルティータの録音もやはりルカ教会でした(この録音では、良く聴くと外の通りを走る車の音が聞こえるのです!)。昔もブログに書いたことがあると思うのですが、この教会のリヴァーヴ感はとても大好きです。比較的強めのリヴァーヴ感で、コーラスがかかったように音に厚みが増していくのを感じます。ルカ教会をGoogle Mapで探してみたのですが残念ながら見つけることができませんでした。かつてドレスデンを訪れたときもルカ教会を探したのですが見つかりませんでした。現存しないのでしょうか…?

Classical

シューマン:子供の情景 シューマン:子供の情景
オピッツ(ゲルハルト) (1991/11/21)
BMG JAPAN

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使い古された題材とは思いますが、「子供の情景」といえば、「トロイメライ」にその焦点を合わさざるを得ません。だからこそ「名曲300」にエントリされたのでしょう。「トロイメライ」も他の曲と同じように「白昼夢」とか「夢想」とでも素直に訳せばよいのに、「トロイメライ」とドイツ語読みで知られるようになったのが幸いして、たゆたいまどろむような語感が旋律とよくあっています。昼間部の和声が短調を響かせるあたりに、この「夢想」が、単なる「夢見心地」なのではないということを感じさせられます。
オピッツの演奏にはもう少し艶っぽさがあった方がいいかもしれませんが、ドイツ正当派ピアニストとしてはこの演奏があるべき姿なのでしょう。「大事件」の低音和声の堂々たる響きは感嘆に値します。

Classical

Schumann: Fantasie: Symphonische Et醇・en Schumann: Fantasie: Symphonische Et醇・en
(1996/12/05)
Deutsche Grammophon

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シューマン「幻想曲」をケンプの演奏で。1836年、シューマン26歳の時の作品です。若いのにこれほど複雑な和声を駆使するとは、と感嘆することしきりです。23歳で音楽の道を志したのですから、それから3年でこの高みへと昇ったのかと思うと、空恐ろしさを感じます。やはり歴史に名を残した音楽家といえば、それほどの天才でなければならないということなのでしょう。それでもまだ曲調には若い希望が見いだせる気がします。所々に木漏れ日のように垣間見える明るい和声がそれを物語っていると思うのです。
今年はシューマン没後150年です(1810年〜1856年)。46歳という年齢で逝ってしまい、なお晩年は病に苦しんだシューマンもまた、生き急いだ偉人の一人なのでしょう。若い頃は法学部に籍を置いていたのですが、音楽の道へと転身したというのですから、相当無理をしたのだと思います。無理をせずばそこまでゆけず、無理せずにそこまではゆけず。人間の一生とはなんとも歯がゆいものだと思います。

Classical

シューマン:チェロ協奏曲/ピア シューマン:チェロ協奏曲/ピア
カザルス(パブロ) (1995/02/22)
ソニーミュージックエンタテインメント

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憂鬱な蒼林を思いおこさせる悲痛なチェロの音色が胸の当たりに鋭い痛みを与えます。作品番号を見ると、ああやっぱり、晩年の作品でした。シューマンはこの曲を作曲した4年後に投身自殺を企図しています。晩年むけて精神状況が非常に悪くなっていき、精神病院に入院することになります。そういう背景もあってか、この曲は本当に聴くのがつらいですね。交響曲第1番「春」のあの若々しい朗々たる空気はどこへ行ってしまったというのでしょうか?
演奏は、カザルスとオーマンディ。カザルスのエネルギッシュな演奏のベクトルは悲劇的方向へと強く向かっているように思えてなりません。それは僕の認知的作用の及ぼすところなのかもしれません。あらゆる表象は主観的作用によって形成されるのでしょうから。しかし、それでもやはり、この曲の持つ水面下でうごめく強い感情の力には圧倒されざるを得ません。チェロとオーケストラの間に交わされる濃密な会話の中には、楽観的なそれを聴くことができるとは思えないのです。時宜を得て聴くべき曲なのかもしれません。しかし、悲劇が人間にもたらす力を信じるのと同じように、この曲(のように悲劇的と思われる曲)と向き合うことは、食事をし、仕事をし、眠りにつくという生活の中にあっても決して忘れてはならない事だと思えるのです。

Classical

シューマン:謝肉祭/クライスレ シューマン:謝肉祭/クライスレ
内田光子 (1994/10/26)
ユニバーサルクラシック

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CDプレーヤーのPLAYボタンを押して,待つこと刹那、突然スピーカからほとばしり出る情感的音粒。そして突如現れる転調が心地よい刺激を与えます。一転花畑のような優しい風景が柔らかいアルペジオとともに広がります。シューマンらしい剛質な和声に安心と懐かしさを感じます。泣きたくなるぐらい激しい郷愁を感じます。幼い頃繰り返し聞いた「交響的練習曲」の記憶がよみがえってきたのでしょう。内田光子のタッチは柔らかく、そして情熱的です。嫌みのない適度なアコギグが心をゆさぶります。

Classical

Beethoven: Die 5 Klavierkonzerte Beethoven: Die 5 Klavierkonzerte
Ludwig van Beethoven、 他 (1995/02/14)
Deutsche Grammophon

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ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番第2番を、ポリーニ&アバド&ベルリンフィルにて。
美しい旋律は伸びやかによく歌った演奏。ポリーニが弾きながら鼻歌を歌っているのが少し聞こえる。キース・ジャレットみたいです。僕は、ラテン系の演奏家がドイツ音楽を演奏するのが実は好きなのです。この組み合わせで聴いたブラームスのピアノ協奏曲もよかったです。
両曲とも交響曲第1番以前の作品番号がついた初期ベートーヴェンなのですが、その中に不協和音を聞き取ることができたのには、すこし驚きました。

Classical

クラシック音楽定番サイト「CLASSICA」さんの中に「300 Basic Works of Classical Music」というコーナーがあります。
前から気になっていたので、自分がどれぐらい聴いているのか数えてみました。聴いているからと言ってすべて暗記しているわけでもないし、すべて理解しているわけでもないですが、とりあえず聴いたことがある記憶があるものを数え上げてみると…。

From For Blog

あ〜、だめだ。ベーシックレベルを全然聴けていないことがわかります。モーツァルト、ベートーヴェンは致命的だな、と…。それからコープランドとか、グレツキとかアイヴスとか取りこぼしている…。これから毎日1曲ずつ聴いていこう。半年で制覇!楽しみです。
まあ、聴くとはどういうことなんだ、聴いて理解するとはどういうことなんだ、聴いて語るとはどういうことなんだ、という悩みは常につきまとうのですが…。このあたりは、引き続き考えていこう。
でも、プッチーニ、R・シュトラウス、ブルックナー、チャイコフスキーは制覇。シュトラウス制覇は大きいし、うれしいな〜。

From DRESDEN REISE…

これまでの音楽的遍歴はまた次の回に書きますが、とりあえず今日はベートーヴェンのピアノ協奏曲を聴きます。

Miscellaneous

http://www.nhk.or.jp/goshogi/shogi/
NHK教育テレビ「新日曜美術館」をが終わると「将棋講座」が始まります。ふつうでしたら、すぐにテレビを消してしまうところなのですが、今日に限ってはそのままつけていたのですが、なんと「将棋講座」の司会はあの錦織健氏ではありませんか!どうやら将棋が趣味なのだそうです。さすがです。それにしても司会もなかなか上手いです。

Tsuji Kunio

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辻邦生著作目録

2005年1月23日現在

  • 辻邦生全集についてはこちらをご覧ください。
  • 「愛・生きる喜び(海竜社)」の巻末の作品目録から抜粋し、私が所有する著作を適宜加えたものです。
  • 文庫は一部を除いて含まれていません。
  • 若干漏れているものはあるかと思いますが、ほぼ全てだと思います。今後も引き続き精査・リファインを進めていきます。
  • 書名に順次アマゾンへのリンクを貼っていきます。
  • エクセルで作成したものを、tableに変換しています。変換にはfrontpageを使用したため、htmlベースで少々汚くなっています。今後折りをみて改善します。無駄な要素を省くなど、改善しました。(2004/5/20)
sq 著作 出版社 ジャンル 関係記事 備考
1 廻廊にて 1963 新潮社 小説
2 夏の砦 1966 河出書房新社 小説 20040410
cover
現在は文春文庫で読むことができる
3 小説への序章 1968 評論 河出書房新社
4 安土往還記 1968 筑摩書房 小説 cover

現在は新潮文庫で読むことができる。
5 異国から 1968 晶文社 小説
6 城・夜 1969 河出書房新社 小説
7 若き日と文学と 北杜夫・辻邦生対談 1970 中央公論社 対談集
8 北の岬 1970 筑摩書房 小説
9 天草の雅歌 1971 新潮社 小説
10 嵯峨野明月記 1971 新潮社 小説
11 ユリアと魔法の都 1971 筑摩書房 小説
12 背教者ユリアヌス 1972 中央公論社 小説
13 辻邦生作品(全6巻) 1972 河出書房新社 全集
14 パリの手記(全5巻) 1973 河出書房新社 日記
15 ポセイドン仮面祭(戯曲) 1973 新潮社 戯曲 20040525
16 海辺の墓地から 1974 新潮社 随筆集
17 北の森から 1974 新潮社 随筆集
18 モンマルトル日記 1974 集英社 日記
19 灰色の石に坐りて 辻邦生対談集 1974 中央公論社 対談集
20 詩への旅 詩からの旅  1974 筑摩書房 随筆集
21 霧の聖マリ 1975 中央公論社 小説
22 パリの手記(全1巻) 1975 河出書房新社 日記
23 眞畫の海への旅 1975 集英社 小説
24 秋の朝 光のなかで 1976 筑摩書房 小説
25 霧の廃墟から 1976 新潮社 随筆
26 夏の海の色 1977 中央公論社 小説
27 春の戴冠(上・下) 1977 新潮社 小説
28 時の終りへの旅 1977 筑摩書房 随筆集
29 時の扉 1977 毎日新聞社 小説
30 フランスわが旅(編集) 1977 中央公論社 (編集)
31 辻邦生全短篇 1978 中央公論社 小説
32 雷鳴の聞える午後 1979 中央公論社 小説
33 季節の宴から 1979 新潮社
34 地図を夢見る(編集) 1979 新潮社 (編集)
35 雪崩のくる日 1980 中央公論社 小説
36 橄欖の小枝 1980 中央公論社 美術論集
37 森有正−感覚のめざすもの 1980 筑摩書房
38 風塵の街から 1981 新潮社
39 十二の肖像画による十二の物語 1981 文藝春秋 小説
40 樹の声 海の声(上・中・下) 1982 朝日新聞社 小説
41 夏の光 満ちて 1982 中央公論社 日記
42 雨季の終り 1982 中央公論社 小説
43 トーマス・マン 1983 岩波書店 評論
44 冬の霧 立ちて 1983 中央公論社 日記
45 もうひとつの夜へ 1983 集英社
46 時の果実 1984 朝日新聞社 随筆集
47 国境の白い山 1984 中央公論社 小説
48 十二の風景画への十二の旅 1984 文藝春秋 小説
49 天使たちが街をゆく(戯曲) 1985 中央公論社 小説 20040205
50 春の風 駆けて 1986 中央公論社
51 世紀末の美と夢(全6巻・編集・小説) 1986 集英社 (編集)
52 雲の宴(上・下) 1987 朝日新聞社 小説
53 椎の木のほとり 1988 中央公論社 小説
54 夜ひらく 1988 集英社 小説 cover
55 詩と永遠 1988 岩波書店 講演集
56 私の映画手帖 1988 文藝春秋 映画評論
57 神々の愛でし海 1988 中央公論社 小説
58 美しい夏の行方 1989 中央公論社
59 フーシェ革命暦(?・?) 1989 文藝春秋 小説
60 銀杏散りやまず 1989 新潮社 小説
61 THE SIGNORE 1989 講談社インターナショナル (英訳) cover 安土往還記の英訳
62 睡蓮の午後 1990 福武書店 小説
63 地中海幻想の旅から 1990 第三文明社 随筆集
64 スペインのかげり 1990 阿部出版
65 永遠の書架にたちて 1990 新潮社 随筆集
66 シャルトル幻想 1990 阿部出版
67 樂興の時 十二章  1990 音楽之友社 小説
68 遠い園生 1990 阿部出版
69 コクトー/アラゴン 美をめぐる対話(翻訳) 1991 筑摩書房 翻訳 cover
70 時刻の中の肖像 1991 新潮社 随筆集
71 my Mozart 1991 小学館 cover
72 遥かなる旅への追想 1992 新潮社 随筆集
73 江戸切絵図貼交屏風 1992 文藝春秋 小説
74 黄昏の古都物語 1992 有学書林 小説
75 天使の鼓笛隊 1992 筑摩書房 小説
76 辻邦生歴史小説集成(全12巻) 1992 岩波書店 全集
77 ある生涯の七つの場所(文庫・全7巻) 1992 中央公論社 小説
78 私の二都物語 1993 中央公論社 随筆 cover
79 美しい人生の階段 1993 文藝春秋 映画評論
80 美神との饗宴の森で 1993 新潮社 随筆集
81 黄金の時刻の滴り 1993 講談社 小説
82 言葉が輝くとき 1994 文藝春秋 講演集
83 生きて愛するために 1994 メタローグ 随筆集 cover
84 鼎談 戦後50年を問う(辻邦生・堤清二・安江良介) 1994 信濃毎日新聞社 対談
85 人間が幸福であること 1995 海竜社 アンソロジー
86 西行花伝 1995 新潮社 小説 cover
87 春の戴冠 1996 新潮社 小説 cover
88 愛、生きる喜び 1996 海竜社 アンソロジー cover
89 光の大地 1996 毎日新聞社 小説 cover
90 花のレクイエム 1996 新潮社 随筆 cover
91 幸福までの長い距離 1997 文藝春秋 映画評論 cover
92 外国文学の愉しみ 1998 第三文明社 随筆集
93 風雅集 1998 世界文化社 随筆集 cover
94 手紙、栞を添えて 1998 朝日新聞社 往復書簡 cover
95 のちの思いに 1999 日本経済新聞社 小説 cover
96 辻邦生が見た20世紀末 2000 信濃毎日新聞社 随筆集 cover
97 薔薇の沈黙 2000 筑摩書房 評論 cover
98 言葉の箱 小説を書くということ 2000 メタローグ 講演録 cover
99 微光の道 2001 新潮社 随筆集 cover
100 海峡の霧 2001 新潮社 随筆集 cover
101 情緒論の試み 2002 岩波書店 評論 cover
番外 辻邦生のために(辻佐保子著) 2002 新潮社 随筆 cover