こちら、先日食べたドイツ鍋。某チェーンレストランにて。チェーンですが秀逸で、15年以上楽しませてもらってます。
アイスバイン最高。
昨今時間取れず、難儀しています。とにかく、音楽は聴いていますが、なんともかんとも。
では。
人間には何といろいろな啓示が用意されているのだろう。地上では雲も語り、樹々も語る。大地は、人間に語りかける大きな書物なのだ。…… 辻邦生
こちら、先日食べたドイツ鍋。某チェーンレストランにて。チェーンですが秀逸で、15年以上楽しませてもらってます。
アイスバイン最高。
では。
いーぐるに行ってきました。大学時代の先輩後輩たちとともに。
“http://www.jazz-eagle.com/":http://www.jazz-eagle.com/
四谷にあるジャズ喫茶で学生時代によく行ってました。
昔良く聴いていたアート・ペッパーがかかっていて懐かしく、意外といまでもいいかも、と純粋に感動しました。ハービー、ラリー・コリエルなんかも。
ジャズもクラシックももっと体系的に戦略的に聴かないと行けないと改めて思いました。音楽を聴くことにについて初心にもどって謙虚にやり直さないと行けないです。
日は変わってますが、グーテナハト。
今年は夏が短かった気がします。暑いのは8月だけだつたような。9月になると、こんなに涼しいです。喉元過ぎれば熱さ忘れる、ですかね。おかげで東電料金も今月は少なくなる見込み。
パルジファル集中的に聴いてます。この曲、私の中では解釈難解さ最高峰。
ワーグナーは、キリスト教を利用して自らの思想を具現化したとも言われます。確かイエスという言葉は歌詞には登場しません。共に苦しむと言う思想は、仏教的ともされます。
楽曲的にも、それまでと一線を画しています。私には、ワーグナーでマーラーが聞こえるのは《パルジファル》ぐらいに思えるのです。
性的モチーフも聖的モチーフの混合は、あまりに複雑で、ときほぐのにめまいがしそう。人間の本質はこういうものなんだろうと思います。
今日はティーレマン盤。やはりアンフォルタスの独白が好きな場面です。最も人間が人間らしいから。そして、そこに共感するパルジファルの絶叫も。
今日はこれでグーテナハト。
WiMAXが好調です。
地下鉄、地下街でもかなりの確率で使えます。やっとiPhoneのエミューレートができてきた感覚。
無制限で使えるという開放感はたまりません。
今日はここまで。最近みじかくてすいません。
今日はヨッフムの《マイスタージンガー》を聞きましたよ。ヴァルターがドミンゴ。ザックスはフィッシャー=ディースカウ。いい感じ。詳細はまた。
ではグーテナハト。
市井のしあわせ、って、かつての私の組織の本部にあった彫刻の題名でした。いかにも迎合的?
家飲み禁止からはや一ヶ月を経過しました。どうも飲まないと眠れない体質なのかも。睡眠時間が少なくなり、通勤電車で座れても眠れません。時間は増えましたが、質は低下しているのか。
で、今日は焼肉飲み会でした。焼肉は9ヶ月ぶりかも。すいません。
先日から読んでいる「ビバ・リベルタ」と言う本。
クルト・ワイルの三文オペラを議論している場面からの引用。
「道徳は貧乏人が楽しむことのできない贅沢にすぎない」
「食べ物が第一だ。道徳はそれに続く。」
いやあ、面白いです。本当に。あまりにリアル。時代や場所を超えた真理かも。
ブレヒトなので、当然なんですが。
七月に新国立劇場で「三文オペラ」上演があります。
見終わったら、また世の中が違って見えるようになるのだろうなあ。
ビバ・リベルタ という本を読んでいます。オペラと政治の関わりについて論じた時間を忘れる本です。
ネットでは厳しい評価はあるようですが、そこまでひどいとは思えません。確かにどこかで聞いたことのあるような内容もありますが、むしろ復習・総まとめとしてはよくまとまっていると思います。
モーツァルトやベートーヴェンのオペラがフランス革命近辺に作られたということもあって、そこに階級闘争の要素が多く含まれるということを再認識しました。これも、解説書やパンフレットに書いてあることかもしれません。今、日本で思う以上の当時の空気感が理解できたと思っています。
以下の解釈は、当たり前とはいえ興味深さ満載。ベートーヴェンの「フィデリオ」の項で以下のような記載をみつました。
彼らは(フロレスタンとレオノーレ)、気は優しいが屈従的な看守長ロッコに代表される順応主義的権力加担的状況の中で孤立している。彼(ロッコ)は、気は進まないが、それでも従順な抑圧の執行者である。あらゆる体制が依存している順応的な補助的下役、とくに残忍で不当な連中のタイプである。
87ページ
これ、私ら中間なんとかと同じだなあ。そこまでひどくはないにしても。昔の軍曹ってこんなかんじだったんだろうな、などと。
ただ違うのは、階級の壁が容易でないにしても乗り越えられるかそうでないか、それが18世紀と現代の違い、と、思いたいところ。
「フィガロの結婚」を会社で翻案したら面白いという妄想。。セクハラ部長アルマヴィーヴァが、フィガロと社内恋愛中のらOLスザンナに言い寄る話、みたいな。そんなプロダクションは誰かが考えずみてあると思いますが。
5月のプレミアムシアター情報です。
コンセルトヘボウのガラコンサート、カルロス・クライバーのドキュメンタリーが2つですが、先月書いた時には4月29日だった気がしましたが、5月13日に放送に変わっているようです。それから、今月バーデンバーデンで演奏されたベルリン・フィルの「魔笛」が放送されますね。
今日は在宅。明日は戦場。頑張ります。
公開が遅れたのは、パンデミックな日々のため。毎日刺激に溢れていて、なんだかドラマを見ているような毎日。なーんちゃって。
タンホイザーですが、この物語も単なる勧善懲悪を、超えているとなあ、と。
ヴェーヌスベルクが悪で、教会が善という二元論が通常想定されるものだと思います。
ですので、カトリシズムに偏重しているという向きもあるようですが、よく考えると教皇は神の真意を見抜けなかったわけです。
タンホイザーを教皇は許さなかったのですが、神は奇跡を起こし、タンホイザーを赦しましたから。
権威に、エリーザベトの愛が勝ったのですかね。
エリーザベトの自己犠牲と教会の権威が、イエス・キリストの受難とユダヤ王やパリサイジンといった権威の対立関係に対応しているというの読み過ぎでなければ、これは教会批判になるのですね。
無責任妄想ですが面白いです。
そうそう。何かを思いついたとしても、私より前に六億人がすでに思いついているのである、という名言を読みました。これももちろんその類。その先に進まないとなあ、と思う今日この頃。微速前進しているんですがね。