Japanese Literature

今 朝は激しい雨に見舞われました。昔は山の頂であっただろうところに住んでおりまして、十数メートルぐらいの坂道をおりた谷あいに最寄り駅がある感じ。もち ろん、住宅街化されてますので、昔日の面影はわずかに残った一隅の雑木林のみではあるのですが。 それで、今朝のような大雨になると、道路に水があふれ、激流となって谷あいに流れ込みます。すると、谷あいはもう水浸しになるんですね。

駅 に行くまでに、川の中を歩き、池を越えて、という感じ。足首まで完全に水に浸ってしまい、革靴なのにもう子供の長靴のように、歩けばチャポチャポと音がな る始末。 当然靴下は水に浸ってますので、靴下を脱いで素足で革靴を履く。足元「だけ」が石田純一状態。これで一日仕事ですよ……。取引先とミーティングがあるとい うのに恥ずかしい限り。

そういうわけで、通勤電車も大雨で遅れてしまい、30分遅れで会社に到着。でも定時の30分まえなのでらくらくでし たが。 幸い、通勤電車では座席に座れたので、電車が遅れた分だけ、ゆっくり本を読めました。

今日は塩野七生さんの「愛の年代記」を読みながらいよいよ「ローマ人の物語2 ハンニバル戦記」に突入しました。

ここにいたるまでに、実は、さかもと未明さんの「マンガ ローマ帝国の歴史」三冊を読んでいます。最近なぜかローマづいています。そういうわけで、音楽もロー マ帝国に関係あるものになってしまいまして、シュトラウスの「サロメ」とか、レスピーギ「ローマの祭」などをついつい聞いてしまう感じ。

「マンガ ローマ帝国の歴史」は、ローマ帝国の通史かと思いきや、カエサルからネロ帝までの限られた時代を描いているものでして、カエサル、オクタヴィアヌスと いった名君の偉業をえがきつつも、当時の爛熟した社会風情を奔放に描いている感じ。帝政ローマ以降の内憂外患の端緒となる時代の雰囲気がよく描かれていました。

楽しめましたが、帝政ローマ以降よりも、共和制ローマ時代のほうがなんだか興味深く思っていて、ちょっと肩透かしを食らった感じです。もっとも漫画でロー マのすべてを描けるわけはなく、ローマ帝国の絶頂期でもあるカエサル、オクタヴィアヌス界隈を描くことに注力したのは正解だと思います。ただ、このマンガを最初に読むと、ローマ帝国についてはネガティブなイメージを持ってしまう可能性もありますので、注意が必要ですね。

ともかく、共和制ローマのメルクマールであるポエニ戦役を描いた塩野七生さんの「ハンニバル戦記」がとても楽しみですね。今週はこの本が読み終われば万々歳です。

音楽も聴きますが、本もむさぼるように読みましょう、ということで、がんばります。

 

Japanese Literature

久々の天気に恵まれた木曜日。後二日でウィークデーは終わります。週末は週末でやらねばならないことがありまして、いまから予定を見直しています。

さて、先日から読んでいるこの本。読了しました。

題名からして面白くて、優雅という言葉と冷酷という言葉のコントラストが効果的です。

内容もやはり面白いのですが、はたと気づいたのは、塩野七生さんが女性であるということ。つまり、チェーザレにたいする共感が、偉大なるタレント(才能)をもつ男性への普遍的な感情に昇華しているのではないかということ。

身近な例で大変申し訳ないのですが、たとえば「のだめ」における千秋真一とか、あさのあつこさんの「バッテリー」におけるピッチャーの原田君とか、その他少女マンガなどで見られるような(といっても僕は少ししか読んだことありませんが)、女性の描く男性像は、ほとんど神業に近い技量を持った天才であることが多いです。

チェーザレ・ボルジアの場合もそうです。武芸に優れ、卓越した政治能力があり、部下を魅了する十二分なカリスマ性に恵まれている。父親がローマ法王であることを十二分に利用できる「血統」を持っている。などなど。 「解説」にも書かれていたことなのですが、加えて、ほとんど恋愛感情的にちかい共感が文章から沸き立ってくるのを感じました。

物語は、チェーザレの父親であるアレッサンドロ六世の即位から物語は始まり、一時は枢機卿の衣をまとうのですが、弟を「殺して」まで(文章では示唆されるだけです)、教会軍の司令官の地位をつかむ。フランス王との駆け引きを繰り広げながら、北部イタリアのロマーニャ地方の法王領内の僭主たちを次々と追い落とし勢力を広げてゆく。その手腕たるややはり神業的で、読んでいて溜飲が下がる思いすら感じます。気分いいですね。

後半部はその輝かしい生き方が暗転するわけですね。そのあたりの転落の筆致もすばらしい。「運命の女神に嫌われた」とチェーザレに語らせるわけですが、前半の「つき」を後半ではまったく失ってしまっている。それを、ユリウス・カエサルがルビコン川を渡ったときのような決断力が、大事なときになかったのだ、という言葉で残念がる塩野さんの文章には寂しささえ感じます。もちろん、チェーザレ自身その時点でマラリヤに侵されていたわけで、正常な判断ができなかったということもあるのですが。だからこそ運命に見放されたということなのでしょうけれど。

終幕部、チェーザレが死に至る場面の淡々とした筆致も見事ですね。雄弁でありながらもあっさりとした語り方でチェーザレの人生の終わりを描いていて、あっけなささえも感じる。どんなに偉大なペルソナも絶対に死には打ち勝てない。死んだら負けなのだ、という思い。惜別の思い。 そんなことを思いながら、一気に読み終えてしまいました。

余談ですが、マキアヴェッリの「君主論」はチェーザレに大きく拠っているのですが、そうした「古典」をほとんど読んでいないことに悔恨の念を覚えました。二次文献、三次文献だけじゃだめですね。一次文献を読まないと……。

今日聞いた曲はフランクのオルガン曲。本の色調によくマッチしています。詳しくは後日。

Japanese Literature

東京地方、昨日からようやく天気が回復したのですが、今日はもう夏かと思う日差しにくらくらしました。関東地方ではGW後半の3日~5日はあまり天気に恵まれませんでしたが、昨日からようやく天気が良くなってきました。初夏といった風情でしょうか。仕事は今日から始まりましたが、明後日はもう金曜日ですから、またお休みが来るなあ、という感じです。まだGWは終わっていない、と思って、あと二日乗り切りましょう。闘いは今日から再開です。

さて、今日の行き帰りでは、塩野七生さんの「神の代理人」を14年ぶりに再読です。ピオ二世、アレンサンドロ六世、ジュリオ二世、レオーネ十世の教皇としての「事業」が描かれているのですが、老獪で権謀術数を巡らす教皇達の政治力といったらすさまじく、聖俗を超越した教皇達の強さに目を見張ります。特にジュリオ二世の意志力といったら。年老いてもなお旺盛な意志の力でイタリア問題に奔走する姿には本当に感服。ドイツ、フランス、スペイン、ヴェネツィアを向こうに外交戦、や実戦を交えるあたり、本当にすごい。たとえそれが高邁な理想に向けてのものだとしても、あるいは単なる権力欲や野心であったとしても、この気力には敬意を表しなければなりませんね。

仕事に闘う気力がわいてきました。そういう意味でもいい本です。偉大なペルソナに感服できるのも読書だからこそ。音楽も好きですが、やっぱり本も好きなんですね。

Japanese Literature

月が変わって五月。若葉が眼に染み渡る季節です。いつもの散歩コースにある竹林では筍がニョキニョキと。雨後の筍ではないですが、上へ上へと伸びてゆく生命力にはほとほと感服します。

仕事はなかなか大変なことに。ですが、何とかなるんですけれどね。

今日も少し早く帰ってきてしまいました。相変わらずワーグナーを。神々の黄昏の最終部を、カラヤン、ショルティ、レヴァインで聞き比べています。やはりカラヤン盤がしっくり来ますが、レヴァイン盤も棄てがたい。うーむ。

塩野七生さんのローマ人の物語シリーズの第一巻「ローマは一日にして成らず」をば読了。これは二回詠む価値があるなあ、と思います。史実だけではなくフィクションも含まれているのだ、という向きもあるようですが、ここまでの構築美を見せられてしまうとそんなことはどうでも良くて、説得力のあるつよいリアリズム的文体に引き込まれていってしまいます。ローマ建国神話からイタリア半島統一へと向かうローマの歴史が俯瞰することが出来る。ローマの興隆の原因を政体、宗教、開放性という三つの要因であると因数分解していく手際の良さといったら、感服する次第。物語としても良く楽しめました。ローマ人、凄いですねえ。打たれても打たれても立上がる誇り高き男達、いや女達も。

 

ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上)  新潮文庫
ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) 新潮文庫
  • 発売元: 新潮社
  • 価格: ¥ 420
  • 発売日: 2002/05
  • 売上ランキング: 2003
  • おすすめ度 4.5
ローマ人の物語 (2) ― ローマは一日にして成らず(下)  新潮文庫
ローマ人の物語 (2) ― ローマは一日にして成らず(下) 新潮文庫
  • 発売元: 新潮社
  • 価格: ¥ 460
  • 発売日: 2002/05
  • 売上ランキング: 3116
  • おすすめ度 4.5

Japanese Literature,Tsuji Kunio

Tsuji

辻邦生師の文庫版「サラマンカの手帖から」を読んでいます。おそらく手元にある新潮文庫版は絶版です。私も10年ほど前に状態のあまり良くないものを古書店で探し出したのですが、それがまたとても良い作品ばかり収められているのです。

  1. ある告別
  2. 旅の終り
  3. 献身
  4. 洪水の終り
  5. サラマンカの手帖から

この中で一番好きな作品は、もちろん「サラマンカの手帖から」でして、何度となく読み返して、新たな発見に驚くわけですが、今回は「ある告別」の方に取り組んでいます。この作品を以下の七つの部分に分解しながら考えてみました。

1 パリからブリンディジ港まで(51ページ)

エジプト人と出会いと死の領域についての考察

2 ギリシアの青い海(57ページ)

コルフ島のこと、若い女の子達との出会い、若さを見るときに感じる甘い苦痛、憧れ、羨望、生が滅びへと進んでいくもの

3 現代ギリシアと、パルテノン体験(63ページ)

4 デルフォイ、円形劇場での朗読、二人のギリシア人娘との出会い(66ページ)

ギリシアの美少女達の映像、生に憧れることが、流転や没落をとどめる力である。

5 デルフォイからミケーナイへ(72ページ)

光の被膜、アガメムノン、甘美な眠り

6 アテネへもどり、リュカベットスから早暁のパルテノンを望む(73ページ)

7 アクロポリスの日没(75ページ)

若者達が日没のアクロポリスに佇む。彼らもまた若さの役を終えていく。見事な充実を持って、そのときを過すこと。若さから決意を持って離れること。そのことで、若さを永遠の警鐘として造形できる。ギリシアこそが、人間の歴史の若さを表わしていて、ギリシアだけがこの<<若さ>>を完璧な形で刻みつけている。

考えたこと

辻邦生師のパルテノン体験は、三つの文学的啓示のうち第一の啓示であるわけですが、「ある告別」のテーマこそ、このパルテノン体験に基づくものです。パルテノン体験は、「パリの手記(パリ留学時代の日記を再構成した作品)」に始まり、評論、エッセイ、講演などで繰り返し語られていきますが、時代が下るに連れて熱を帯び、繰り返される毎に純化され抽象化して語られていきます。「ある告別」におけるパルテノン体験は、その原初的なものであると考えられます。

パルテノン体験は、芸術が世界を支えている、美が世界を支えている、という直観を喚起するものでしたが、「ある告別」におけるパルテノン体験は、ギリシアが人間の歴史の「若さ」を完璧な形で歴史に刻みつけたものであるのだ、と言う直観につながっていきます。そして、「若さ」を刻みつけ、そこから雄々しく離れていくことが直観され、以下の引用部分へとつながっていきます。

おそらく大切なことは、もっとも見事な充実をもって、その<<時>>を通り過ぎることだ。<<若さ>>から決定的に、しかも決意を持って、離れることだ。(中略)<<若さ>>から決定的にはなれることができた人だけが、はじめて<<若さ>>を永遠の形象として──すべての人々がそこに来り、そこをすぎてゆく<<若さ>>のイデアとして──造形することが出来るにちがいない。

<<ただ一回の生>>であることに目覚めた人だけが、<<生>>について何かを語る権利を持つ。<<生>>がたとえどのように悲惨なものであろうとも、いや、かえってそのゆえに、<<生>>を<<生>>にふさわしいものにすべく、彼らは、努めることができるにちがいない。

若さの形象(=あるいはそれは美の形象とも捉えることが出来ると思いますが)の永遠さを直覚し、コミットすることによって、一回性の<<生>>への眼差しを獲得し、悲惨なる<<生>>をも充実したものにするべく努められるようになる、ということなのでしょうす。

「若さ」が「美」と重なり、「美」があるからこそ「悲惨な生」を生き継ぐことが出来るのだと言うこと、すなわち、嵯峨野明月記的文脈における「世の背理」を哄笑するという境地が述べられているわけです。

「美」が何を指し示すのかを考えるのは面白くて、個人的には、「美」全般が含まれるように思うのですが、エッセイや講演録には「芸術が世を支えている」という具合に、「芸術」という言葉で限定されることが多いようです。そうしたことを考えていたときに、この「ある告別」においては、「美」が「若さ」と重ね合わされているという発見をしたわけで、実に面白いな、と感じています。

さらに言うなら、若さを失い、死へと進んでいく必然的な滅びの感覚こそが、たとえば「春の戴冠」でフィレンツェの未来がひたひた閉じていくような感覚で、それは辻邦生師がトーマス・マンから受けた影響なのだ、とも考えるのでした。

「ある告別」は講談社文芸文庫にも収められていますね。今ならこちらのほうが入手しやすそうです。辻邦生全集ですと第二巻に収められています。

Japanese Literature

岡本かの子全集〈2〉
  • 発売元: 筑摩書房
  • 発売日: 1994/02
  • 売上ランキング: 997025

フランスの海辺の保養地での日本人小田島と、スペインの国際スパイ、イベットの物語。西欧人のしたたかさ、老獪さとが、辻邦生文学とは違う観点で描かれていて面白い。

フランスは、恋愛の国と言う先入観が強いけれど、やはりここで描かれるのも、フランス人における恋愛感情の重要度と、そこに内在する打算的な部分とでもいえる現実主義、リアリズムなのである。そこに異質な人間としての日本人小田島が場に投げ込まれることで、波紋が広がる。小田島の目線を通して、そうしたフランス人の恋愛感情(あえてイデアリズムに分類しよう)と現実主義(リアリズム)のせめぎあいが客観的に描かれるている。

イベットは、 「欧州人というものは理解なしには何事にも肩を入れて呉れない性質の人種よ」「ドーヴィル物語」『岡本かの子全集第2巻」、ちくま文庫、35ページと小田島に語る。小田島は東洋人であるがゆえにそうした性質を持たず、理解なしに自分を受け容れてくれるので、好きになったのだ、と告白するのだった。

イベットに惚れた(かのように振舞う)ドーヴィルの市長は、イベットを連れてカジノに出かけるような男。ほかにもたくさんの男がイベットの虜になっている。イベットはスペインのスパイで、カジノの売り上げを探ることで、フランスの国家財政の状況を推量したところで、スペインへ強制送還となる。これ以上イベットに国家の大事を嗅ぎまわられてはかなわない、と言う判断なのだった。さしもにイベットと遊興にふけっていると思った男たちは、イベットの役割を理解した上で、 遊んでいると言うのだから、恐れ入る。

ドーヴィルの風情は、プルーストにおけるバルベックと似ている。この小説で描かれる爛熟した遊興族は、戦間期のフランスにもまだ残っていたことを物語っている。欧州にとって最後の古きよき時代。だが時代はめぐるのだ。それを知っているわれわれは、そこに寂寥感や無常観をも感じるのである。

Japanese Literature,Tsuji Kunio

雲の宴〈上〉
  • 発売元: 朝日新聞社
  • レーベル: 朝日新聞社
  • スタジオ: 朝日新聞社
  • メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1990/01
  • 売上ランキング: 565691

「この世は絶望に満ちているからこそ、芸術の意味が、はっきり見えてくるんです」

辻邦生『雲の宴(上)』朝日文庫、1990年、236頁

今週は、辻邦生師の「雲の宴」を読んでます。「雲の宴」は、朝日新聞に連載された新聞小説です。辻邦生師の新聞小説と言えば、「雲の宴」に加えて、「時の扉」、「光の大地」があります。そのいずれにも言えることだと思うのですが、一般の人々を読者に想定しているのかとても平易な文章で構成されていて、他の辻邦生師の小説群とは呼んだ心地が少し違います。

この「雲の宴」のテーマは、文明が忘れかけている「生きること」の意味だと思うのですが、もちろん一言で集約することなど出来はしません。物語のおもしろさもあれば、舞台の飛躍も素晴らしい。東京はいいとして、パリから、ウィーン、ブカレスト、コンスタンチノープルへと進んでいくのには驚きました。読むのは二度目だというのにすっかり忘れていて面食らってしまったほどです。もっとも10年ぶりぐらいの再読ですので仕方がないと言えば仕方がないのですが。

小説の冒頭で、1980年のフランス大統領選挙でミッテランが勝利した場面が出てきます。「春の光 駆けて」では辻邦生師が実際に遭遇したミッテラン勝利の様子が描かれています。つい先だって読んだばかりでしたので、すこし運命性を感じましたね。

箴言のように随所にちりばめられた言葉に胸を打たれながら呼んでいるのですが、冒頭で引用した部分などは、辻邦生師の芸術への信頼のようなものが語られていて印象的に思います。これと同じことは「嵯峨野明月記」でも言われていますね。辻邦生師自信が、芸術と現実の狭間で苦しんでおられたということを、辻先生の奥様である佐保子さんの講演会で聴いたようにに記憶していますが、ある意味では戦闘的と行って良いほど芸術に打ちこむことで、厳しくて「背理」とでもいえる現実と向き合うのだ、という強い意志の現われだと思っています。

世界はこの20年間でずいぶんと変わりましたが、良い方向に変わって面もあれば、悪化してしまったこともあります。しかし、言えることは、現実は冷厳として我々の前に立ちはだかっていることにはかわりはないのだ、と言うことです。そうした意味に於いても、今「雲の宴」を読むことはアクチュアルなことなのだ、だからこそこんなにものめりこむことが出来るのだ、と言うことなのです。

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都おどり殺人事件
都おどり殺人事件
  • 発売元: 徳間書店
  • レーベル: 徳間書店
  • スタジオ: 徳間書店
  • メーカー: 徳間書店
  • 価格: ¥ 580
  • 発売日: 2004/01
  • 売上ランキング: 351044

訳あって手に取ることになったこの本、勢いよく半分読んでしまいました。

山村美紗さんの小説を読むのは(お恥ずかしながら)初めてなのですが、文章は上品に落ち着いています。主人公は沢木という画家と、舞妓の小菊なんですが、祇園花街の風情がよく伝わってきます。季節によって髪飾りを変えるとか、取引事は真夜中にやってわざと日にちを曖昧にするとか。なるほどなるほど、と言う感じです。トリックは少し奇をてらっているような気もしますが、なかなかよく考えられていて、大きな不自然さは感じないです。早速続きを読むことに致しましょう。

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拷問蔵―公事宿事件書留帳〈3〉 拷問蔵―公事宿事件書留帳〈3〉
澤田 ふじ子 (2001/02)
幻冬舎

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公事宿事件書留帳シリーズ第3巻「拷問蔵」です。
NHKのドラマ「はんなり菊太郎」は先週終ってしまいましたが、本は5巻までありますからね。まだまだ楽しめそうです。澤田ふじ子さん、文章も巧いですし、構成も巧みです。主人公の田村菊太郎さん、相変わらずスーパーヒーロー的立居振舞で、読者の心を鷲掴みです。前にも書いたと思いますが、女性だからこそ書ける理想の男性、だと思います。時代考証や、時折あらわれる蘊蓄もばっちり。興味をそそられるものばかり。隙がありません。

Japanese Literature

会社帰りに途中駅のカフェで読みかけの本を読みました。とても面白い本。ストーリー展開が妙で、ページをめくる速度がついつい速くなってしまいます。

それで、読み終わりました。分厚い上下巻本でしたので、読み応えも十分。 よくぞここまでの長編を完成させたなあ、という大きな感歎。

しかし、なぜかその後襲ってくる虚無感。なんなんだ、これは! と言う感じ。

確かにストーリー運びは巧いし、史実を紹介しながら展開していくので、興味をひかずにはおられない。描いているテーマも大きいもの。理想を求めて変革しようとする若者達の辛苦に満ちた試みとその挫折が描かれています。 しかし、何かが物足りない。

そう自問自答しながら、雨に吹きさらされて帰ってきました。

辻邦生さんの文学も、理想と現実の隔絶や、それを乗り越えようとする意志、そして乗り越えられない現実を突きつけると言う感じで、構造としては似ているのですが……。

やはり、辻文学にくらべると、描写にムラがありました。また、現実と明らかに乖離している部分、誤っている部分が分かってしまうのでした。

これだけの長さのものを完成させるのは並大抵ではないです。しかし、それを一分の隙もなく完成させるのはもっと難しい。そう言う意味では、辻文学はより完成に近づいているなあ、とあらためて思うのでした。