辻邦生「ある告別」

Tsuji

辻邦生師の文庫版「サラマンカの手帖から」を読んでいます。おそらく手元にある新潮文庫版は絶版です。私も10年ほど前に状態のあまり良くないものを古書店で探し出したのですが、それがまたとても良い作品ばかり収められているのです。

  1. ある告別
  2. 旅の終り
  3. 献身
  4. 洪水の終り
  5. サラマンカの手帖から

この中で一番好きな作品は、もちろん「サラマンカの手帖から」でして、何度となく読み返して、新たな発見に驚くわけですが、今回は「ある告別」の方に取り組んでいます。この作品を以下の七つの部分に分解しながら考えてみました。

1 パリからブリンディジ港まで(51ページ)

エジプト人と出会いと死の領域についての考察

2 ギリシアの青い海(57ページ)

コルフ島のこと、若い女の子達との出会い、若さを見るときに感じる甘い苦痛、憧れ、羨望、生が滅びへと進んでいくもの

3 現代ギリシアと、パルテノン体験(63ページ)

4 デルフォイ、円形劇場での朗読、二人のギリシア人娘との出会い(66ページ)

ギリシアの美少女達の映像、生に憧れることが、流転や没落をとどめる力である。

5 デルフォイからミケーナイへ(72ページ)

光の被膜、アガメムノン、甘美な眠り

6 アテネへもどり、リュカベットスから早暁のパルテノンを望む(73ページ)

7 アクロポリスの日没(75ページ)

若者達が日没のアクロポリスに佇む。彼らもまた若さの役を終えていく。見事な充実を持って、そのときを過すこと。若さから決意を持って離れること。そのことで、若さを永遠の警鐘として造形できる。ギリシアこそが、人間の歴史の若さを表わしていて、ギリシアだけがこの<<若さ>>を完璧な形で刻みつけている。

考えたこと

辻邦生師のパルテノン体験は、三つの文学的啓示のうち第一の啓示であるわけですが、「ある告別」のテーマこそ、このパルテノン体験に基づくものです。パルテノン体験は、「パリの手記(パリ留学時代の日記を再構成した作品)」に始まり、評論、エッセイ、講演などで繰り返し語られていきますが、時代が下るに連れて熱を帯び、繰り返される毎に純化され抽象化して語られていきます。「ある告別」におけるパルテノン体験は、その原初的なものであると考えられます。

パルテノン体験は、芸術が世界を支えている、美が世界を支えている、という直観を喚起するものでしたが、「ある告別」におけるパルテノン体験は、ギリシアが人間の歴史の「若さ」を完璧な形で歴史に刻みつけたものであるのだ、と言う直観につながっていきます。そして、「若さ」を刻みつけ、そこから雄々しく離れていくことが直観され、以下の引用部分へとつながっていきます。

おそらく大切なことは、もっとも見事な充実をもって、その<<時>>を通り過ぎることだ。<<若さ>>から決定的に、しかも決意を持って、離れることだ。(中略)<<若さ>>から決定的にはなれることができた人だけが、はじめて<<若さ>>を永遠の形象として──すべての人々がそこに来り、そこをすぎてゆく<<若さ>>のイデアとして──造形することが出来るにちがいない。

<<ただ一回の生>>であることに目覚めた人だけが、<<生>>について何かを語る権利を持つ。<<生>>がたとえどのように悲惨なものであろうとも、いや、かえってそのゆえに、<<生>>を<<生>>にふさわしいものにすべく、彼らは、努めることができるにちがいない。

若さの形象(=あるいはそれは美の形象とも捉えることが出来ると思いますが)の永遠さを直覚し、コミットすることによって、一回性の<<生>>への眼差しを獲得し、悲惨なる<<生>>をも充実したものにするべく努められるようになる、ということなのでしょうす。

「若さ」が「美」と重なり、「美」があるからこそ「悲惨な生」を生き継ぐことが出来るのだと言うこと、すなわち、嵯峨野明月記的文脈における「世の背理」を哄笑するという境地が述べられているわけです。

「美」が何を指し示すのかを考えるのは面白くて、個人的には、「美」全般が含まれるように思うのですが、エッセイや講演録には「芸術が世を支えている」という具合に、「芸術」という言葉で限定されることが多いようです。そうしたことを考えていたときに、この「ある告別」においては、「美」が「若さ」と重ね合わされているという発見をしたわけで、実に面白いな、と感じています。

さらに言うなら、若さを失い、死へと進んでいく必然的な滅びの感覚こそが、たとえば「春の戴冠」でフィレンツェの未来がひたひた閉じていくような感覚で、それは辻邦生師がトーマス・マンから受けた影響なのだ、とも考えるのでした。

「ある告別」は講談社文芸文庫にも収められていますね。今ならこちらのほうが入手しやすそうです。辻邦生全集ですと第二巻に収められています。