Alban Berg,Opera

相変わらずベルクを聴く頻度を増やしています。日曜日から今日にかけては、メッツマッハーの「ヴォツェック」を聞いています。何度も聴かないと難しいです。

マリーの子守歌のところは、アバド盤よりテンポを落ちていて、耽美的で惑溺的で情感的。 アバド盤がどんなに冷静な演奏だったのかが分かります。 少々ハーモニーが乱れるところがあるけれど、そうそう気にはなりません。

しかしマーラーの影響が大きいですね。マーラー的すなわち悪魔の舞踏にも思えるレントラー。あるいは「ばらの騎士」のオックス・ワルツのフレーズさえも聞こえてくるような気もしますね。カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」のような男声合唱が入りますし。ベルクの音楽が過去や未来とどれだけつながっているのか、という感じです。

それにしても、マリー役のソプラノのアンゲラ・デノケAngela Denokeさんが強力。アバド盤のベーレンスさんに迫る勢い。サロメもレパートリーのようですが、意外にも「ばらの騎士」のマルシャリンも歌っておられる。1997年のザルツブルク音楽祭では、アバドの指揮でもヴォツェックのマリーを歌っていらっしゃるようです。

週末は穴を開けました。こんなに穴を開けたのは久しぶり。少々疲れているらしく、いつも書いている時間に睡眠を入れざるを得なかったりして、ついつい、というところ。今日から復活予定です。

Alban Berg,Classical

昨日書いた記事、公開してませんでした。せっかく書いたのに……。

仕事はかなりマズイ状態。明日も朝からシビアなミーティング。来月に稼働を控えたプロジェクトだというのに、メンバーの引き上げが発生。しかも、キーパーソンだったりするので痛いのですが。これはちょっと頭使って凌いでいかないとまずいなあ、という予感。まあ、うまくいくのでしょうけれど。

さて、先日タワレコで入手したシノポリがシュターツカペレ・ドレスデンを振ったベルクのCD。「抒情組曲からの三章」と、「ヴォツェク断章」、そして「ルル組曲」のカップリング。シノポリがどんなベルクを聴かせてくれるか、楽しみでしたが、私の大好きなアバド盤と比べると、意外にも遅いテンポでじっくりと料理しております。遅いテンポでの演奏は、複雑な曲になればなるほど、楽曲を拡大して見ることができるわけで、シノポリの演奏はまさにそれにあたっています。アバド盤を聞き慣れている身にとっては、ここはもう少し早くしてほしいなあ、と思うところもあるのですが、それはもう少し聞き込むことで解決していくことでしょう。

不思議なのは、ルル組曲の三曲目「Lied der Lulu」の歌詞。Alesanndra Marcが歌っているのですが、ブーレーズ盤、アバド盤、シェーファーのDVD盤と少々歌の旋律が違うのです。版の違いがある訳ではないと思うのですが。これは継続調査。

録音場所ですが、ルカ教会ではなく、シュターツオーパ・ドレスデンです。残響音はあまりないですね。ルカ教会だともうひと味違う録音になったでしょうね。

しかし、ドレスデン、恋しいなあ。シュターツオーパ・ドレスデンの写真を載せますね。また行きたいなあ、ドレスデン。

送信者 DRESDEN REISE 2006

Alban Berg

ベルクの「三つの管弦楽曲作品6」は1915年に作曲されます。ベルク30歳頃。初演は1923年に第一曲、第二曲が初演されます。指揮はウェーベルン。全曲演奏は1930年です。ベルク45歳の時です。マーラーの影響が聞き取れるのはもちろんですが、シェーンベルクの「五つの管弦楽曲」の影響も受けています。

聴いていますと、マーラー風のレントラーやマーチが聞こえてきますし、極めつけはマーラーの交響曲6番のようにハンマーが使われているということもあり、やはりベルクはマーラーの後継者の一人なのだなあ、ということが分かります。

曲は「1.前奏曲(56小節)」、「2.輪舞(121小節)」、「3.行進曲(174小節)」の三曲からなる無調的音楽。シェーンベルクに献呈されています。本来は1914年9月13日のシェーンベルクの誕生日に完成して献呈するつもりだったようですが、第二曲目が間に合いませんでした。

カラヤン盤とアバド盤を聴いていますが、構築美や力強さを見せるのはカラヤンであるのに対して、アバド盤は繊細美麗ながら聴くものの不安をかき立てるような情緒性にあふれています。好みとしてはアバド盤かなあ。カラヤン盤は、弦楽器が本当にきれい。カラヤン=ベルリンフィルの音だなあ、と思います。

楽譜が読めるといろいろと楽しそうですが、ベルクの譜面はあまり見かけないですし、アマゾンにもなさそう。あるところにはあるのですが、高くて手が出ない。没後73年ですので著作権はきれていると思うのですが(日本ですと50年、EUやアメリカは70年)。そろそろ安く出してほしいですね。

アバド盤はAnvil Films Studioでの録音。以前にも書きましたがこのスタジオの音は結構よいですね。リヴァーヴ感が少々長めでほどよく、しかも丸く柔らかい。アバドの演奏に言いしれぬ不安さを感じる要因はこのリヴァーヴ感にある、と言っても良いと思います。カラヤン盤の録音場所はベルリン・フィルハーモニーです。こちらは聞き慣れた音です。

それにしても、仕事帰りの電車の中で聴くベルクは最高! どうしてこんなに心が落ち着くんでしょうかね。まあ今日は金曜日ですので、解放感もありますけれど。

仕事あ相変わらずテンパッていて、参っています。最近は朝早く会社に行くことにしています。午前中の方が捗りますので。そのかわり、夕方になると急に効率が落ちますねえ。最近はトラブル続きですので、今週末は近所の神社にお参りしようと思っています。っつうか、気合い入れて頭使って仕事しようと思います。

Alban Berg

最近ちまたで話題のGoogle Chrome。Googleがとうとうウェブ・ブラウザを出したというわけです。すこしは時間が自由になるこの週末に私もインストールしてみました。

めちゃめちゃ速い!

ページの描画はInternet Expressより、Firefoxより速くて、ほとんど世界が違うという感じ。 ただ、ネットで読んでみると、まだまだベータ版ですので、トラブったりしているらしいし、いろいろと言いたいことはある。なんでGoogle Toolbarがないんでしょう、とか、Firefoxのようなアドインはないのか、とか。せめて、Google ブックマークを使えるようにしてほしいなあ、など。

ですがこの速さにまさる難点は思い当たらない。特にJava Scriptの処理速度が速くなったので、ブログの管理画面ではきびきびと動いてくれます。しばらくはFirefoxと一緒に使って、徐々に機能が上がっていくのを楽しむことにいたします。

そんなことを思いながら聴いていたのが、アシュケナージがベルリン交響楽団を振ったベルクのシリーズ。「七つの初期の歌」のオケ伴奏版、「ルル組曲」弦楽合奏版、「アルテンベルク歌曲集」、「三つの管弦楽曲」、と盛りだくさんでして、特に「七つの初期の歌」のオケ伴奏版は珍しいのでは? アシュケナージの指揮は濃厚で妖しさを持っています。ベルクはやっぱりいいですね。

  • 作曲==アルバン・ベルク
  • 指揮者==ヴラディーミル・アシュケナージ
  • 管弦楽==ベルリン・ドイツ交響楽団
  • ソプラノ==ブリジット(ブリギッテ?)・バリーズ(バレイズ?)

Alban Berg,Opera

さて、今日はキャスト表を載せます。

この中で気に入っているのが、まずはシェーファーさん。ライヴということもありまれに少々ピッチが気になることもあるけれど、それを超えてあまりある美しさ。映像でみるともっといいのですけれど。それから、アルヴァのデイヴィッド・キューブラー氏。この方は、ティーレマンの「アラベラ」DVDでマッテオを演じておられた方で、張りのある声がいい感じ。映像でも切迫した感じをよく出していらっしゃったと思います。画家/黒人役のステファン・ドラクリッヒは、神経質で世間知らずでルルに振り回される画家の役をうまく歌っておられます。

ルルでは随所でアルト・サクソフォーンが活躍しますね。いい音です。つやと丸みの同居した輝く石のような音。ああいう音を目指せばよかったなあ、と少々思ったり。

「ルル」で思い出したのは、あの物議を醸した新国立劇場の「ルル」の顛末。確か2005年の2月だったと思います。三幕上演する予定だったのですが、演奏家のレヴェルの問題で第三幕の上演を見送り、キャストを入れ替えたのです。私は、ちょうど会社関係の結婚式が急に入ってしまいいけなかったのですが、代わりに見に行った家人によれば、第三幕の代わりに、おそらく「ルル組曲」からの抜粋を演奏したのだそうです。2003年には確か二期会でもルルを演奏したはず。こちらは三幕まで演ったのそうですが、旅行に行った関係で見に行けませんでした。「ルル」は是非にも実演に接してみたいオペラです。

  • 作曲==アルバン・ベルク
  • 指揮者==アンドルー・デイヴィス
  • 管弦楽==ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
  • ルル==ソプラノ==クリスティーネ・シェーファー
  • ゲシュヴィッツ伯爵令嬢==メゾ・ソプラノ==キャサリン・ハリーズ
  • シェーン博士/切り裂きジャック==バリトン==ヴォルフガング・シェーネ
  • 衣装係、馬丁、学生==バス==パトリシア・バードン
  • 支配人、銀行員、医事顧問、教授==バス==ジョナサン・ヴェイラ
  • 画家、黒人==テノール==ステファン・ドラクリッヒ
  • シゴルヒ==バス==ノーマン・ベイリー
  • アルヴァ==バリトン==デイヴィッド・ケネス・キューブラー
  • 猛獣使い、力業士==バス==ドナルド・マクスウェル(→マックスウェル)
  • 王子、下男、侯爵==テノール==ニール・ジェンキンズ

今日もようやくと更新。仕事のトラブルがなかなか収まりません。それどころか、新たなトラブルが発生。顧客側で政治的な動きがうまくいかず、表沙汰になった形。今日は上司と一緒に取締役に事象説明。まあ、取締役といっても数年前までは私の上司だった方ですので、話しやすいのですけれど。明日も無事に過ごせますように、という感じです。

しかしこの一ヶ月はトラブル続き。しかも同時多発テロ状態。いろいろなところでトラブルが吹き出している。しかもそれはすべて私のユニットで起こっている問題。ユニットリーダーはへろへろになっていますが、うまく裁けば、ユニットリーダーは男を上げることになるでしょうし、評価も高まることでしょう。

Alban Berg,Opera

私が初めてベルグ作品に接したのはおそらくは1997年から1998年にかけての頃でした。以前にも書いたことがあるかもしれませんが、NHK-BSで、1996年のグラインドボーン音楽祭で演じられたルルが放映されたのをみたのです。これは強烈でした。グレアム・ヴィックの抽象的にも具象的にもとることのできる円形の舞台上で演じられる、先鋭的で叙情的で凄惨なルル劇の世界を、食い入るように見たのを覚えています。シェーファーさんは、澄んだ美しい声で、魔性的女性をすばらしく演じています。

その後、2004年にこの演奏がDVDにて発売されまして、早速購入しました。最近の私的なベルクブームに乗った形で再聴していますが、音だけを聴いてもすごくいい。ライヴの疵はなくもないですが、シェーファーさんの声がすばらしくて、高音域まで豊かな声です。これで、ルルのアリア歌われてしまえば、もう何も言うことなくため息が出るばかり。

ルルについてもいろいろ考えたいのですが、今日は時間切れ。

ここのところ、トラブル続きでいろいろと大変。仕事にトラブルはつきものです。原因が自分になくともトラブル対応をするのも組織が故。組織には助けてもらうこともありますので、ギブアンドテイクだとは思います。

Alban Berg

最近ベルクに執心しているのはどうしてなのかは分かりません。決して易しい音楽だなどとは口が裂けても言うつもりはなくて、難しくて仕方がないです。無調感、12音音楽的な響きが調性の持つ安心感を取り去って、聴きながら浮遊するような感覚。決してフリーキーなジャズなどとは違います。どのように計算されているのか興味深くて、今度譜面を買ったり、文献を読んだりしよう、と思っています。

ABQ(アルバン・ベルク弦楽四重奏団)の古い録音を聴いています。新しいほうはEMIですね。TELDECの古い録音のほうが、むしろ柔らか味を帯びていて、新しい録音の尖鋭さが幾分和らいでいるように思えます。仕方がないのですが、少々SN比が高い。時代ものですから、過度に問題視するつもりはまったくありません。それよりも、ABQの音の変わり方のほうが気になりました。演奏もやはりEMIでの新録音のほうが緊張感にあふれているようにも思えます。しかしTELDECの古い録音には、滋味と申しましょうか、なにか優しさすら感じます。どちらが好みか? あえて申せばEMIの新しい録音でしょうか。激しさや凄味はEMIの録音に軍配が上がりそうです。

画像はTELDECではないですが、ジャケット写真が手持ちのTELDECのジャケット写真と同じなので、おそらくは音源は同じだと思われます。

今日も(締め切りすぎましたが)、なんとか更新。明日はルルについて書くか、日曜日に入手した「ばらの騎士」のことを書こうか、という感じです。

 

Alban Berg,Classical

無理だと分かっているのに立ち向かわなければならないときがあります。いまの仕事もそんな感じ。トラブル対応は気が重いですが、そういうことを気取られぬように自己統制をして仕事をするのもサラリーマンとしては重要なこと。いやいや、サラリーマンではないほうが、むしろ自己統制をきちんと取れなければならないのかもしれません。使う言葉の一つ一つが、毒牙にもなりうりますね。他人だけではなく自分をも傷つけることがありますので気をつけなければなりません。

さて、今朝は少々早起きをしたのですが、聴いている音楽といえば、しつこいほどベルクの抒情組曲。これが楽しいんですよ。おそらく、譜面を見ながら考えて聴くともっと刺激的だと思うのですけれど。だんだん覚えてきました。弦楽四重奏による楽曲なのですが、ルルっぽいフレーズが出てくるのがわかってきたりと、なかなかおもしろいです。しかし、まだ「理解できている」ともいえないです。もっと聞き込まなければなりませんね。

これがベンヤミンの「複製芸術」の楽しみ方だと思うのですが、いかがですか? 少々我田引水なきらいはありますが。 オペラやコンサートで音楽を受容するのは、まさにその場限りのもの。われわれは、「その場限り」、すなわち「一回性」に価値を見て(ベンヤミンはそれをアウラという)いるわけです。ところが、19世紀末になってテクノロジの発達により新たな芸術表現が可能になりました。それが「映画」であり「録音音楽」なのであります。何度でもリピートが可能ですので、同じ芸術素材を何度も何度も受容することができます。こうして、「一回性」は失われるけれども、それ以上に「リピート」によって、理解できる可能性は大きく広がるわけですね。

私は、当初は「一回性の価値」すなわち「アウラ」を過度に評価をしていたように思います。「アウラ」が失われた「複製芸術」は、新たな芸術形式ではあるが、一回性という輝く価値の喪失ほど残念な損失はないのである、といった具合に考えていたのです。 その後、某大学の哲学科紀要を読んで、そうではなく「複製(リピート)」自体が芸術の理解を広げ深めていくものなのである、という考えを読んで、ああそういうことなのか、という理解をしたのを覚えています。 ベンヤミンの文脈の捉え方が間違えていたらごめんなさい。確かこういう議論だったと思うのですが。久々に本を読み返してみようかな、と思います。

哲学の話も面白いのですが、もう大分と歳を取りましたので、一気に読むことはできないですね。毎日少しずつ読んでいくことができるかなあ、というところ。それも一度じゃ分かりませんので何回もよむ。これもやはり複製芸術的考えですね。

そういえば、戦争期に総理大臣を務めた米内光正海軍大将は、本は必ず三度読むことにしていたそうです。さもありなむ。私も辻先生の本は主要なものいくつかは三度ばかり読んでいる気がします。読むたびに新しい発見があります。これも「複製」の効果でしょうか。

複製を何度も受容すれば量的変化が質的変化へと変貌すると信じてがんばりましょう。

Alban Berg

やばいですね。忙しすぎて、バランスをとるのが難しいです。昨日のヤノヴィッツさんの記事もかなりギリギリな状態で書いていたので、若干不満あり。リベンジしないと。

なぜこうも忙しいのかというと、まあ先日も書きましたが、トラブルに見舞われているためでして、今日も木曜日までに作る資料ができていないことがわかりましたので、すぐさま作らないと。

こんなときに、アバドのベルク「ルル組曲」を聴いてみると、これがまた素晴らしい!

ベルクの音楽は、調性と無調の間をゆらゆらといったりきたりしながら進みますので、いい意味で期待を裏切られ続け、その意外性に心がどうにかなりそうになる。それは時に酩酊へ、時に憂鬱へと誘うものです。繰り返し聞くうちに旋律、響きが徐々に自分の中で肉化していく。心地よいというわけでは決してありませんが、さりとて、居心地の悪さを感じることもない。暮色が濃くなる夕方、日が沈み、空が変色していくのを眺めながら夜を待つときの気分に似ています。夜もまた酩酊と憂鬱の狭間で揺らめくものですから。

このアバド盤の録音がいいのですよ。少し波長の長いリヴァーヴが聴いていて、まるで底の見えない蒼い海の深淵を覗き込んでいるような気分になります。ライナーに小さくAnvil Films Studioと書いてあります。ググってみても出てこない。しかし、いい響きです。 

  • 作曲==アルバン・ベルク
  • 指揮者==クラウディオ・アバド[←アッバード]
  • 管弦楽==ロンドン交響楽団
  • ソプラノ==マーガレット・プライス

Alban Berg

昨日の続きです。抒情組曲をさらに繰り返し聞いています。

アルバン・ベルクは、シェーンベルク、ウェーベルンと並ぶ新ウィーン学派三巨頭の一人ですね。若い頃にはマーラーやシュトラウスに傾倒しましたが、作風は無調から十二音技法、そして十二音技法と調性音楽の融合へと進んだ作曲家で、オペラで言うと「ヴォツェック」や「ルル」を作曲した方。ブーレーズは「ヴォツェックはオペラそのものの総括であり、おそらくヴォツェックをもって、このジャンルの歴史が最終的に幕を閉じたのである」と語っています。

個人的には、かつてBSで放送されたグラインドボーン音楽祭で演奏された「ルル」に衝撃を受けたのがベルクを聴き始めた始まりです。あの映像はDVD化されていますが、「ルル」についてはまた今度。

ベルクはなくなる10年前から、ハンナ・フックス・ロベッティンという夫ある女性と激しい恋に落ちていたのですが、この抒情組曲はハンナへの愛情が表現されているのだそうです。譜面上にアルバン・ベルクのA・B音とハンナフックスののH・F音が表されているのだそうです。人間の愛憎の問題は何時の時代にもあるもの。興味は尽きませんね。

抒情組曲自体は弦楽四重奏のための作品で6つの楽章を持っています。弦楽合奏版もありますが、第二、第三、第四楽章のみが編曲されているだけです。

実は、私はこの曲を聴いて、素晴らしいと思うのですが、それを言語化する道が見つからずに困っているという状態です。先日も「クラヲタへの100の質問」のなかでも少し書きましたが、一体「音楽が分る」というのがどういう状態のことを指すべきなのかといことを考えずにはいられません。

おそらくはレヴェルがあって、音大の楽理科を出たような方の「分る」と、一般愛好家の方が「分る」というのでは量的な差異があると言うことなのだと思うのですが、それが倫理の問題に発展していって、楽理科の方の「分る」があるべき「分る」であって、私のような駆け出しの音楽愛好家が「分る」というのは許されないのではないか、という怖れがでてくるのです。 まあ、考え過ぎなのかも知れません。

駆け出し音楽愛好家は、そのレヴェルで全力を尽くして、あわよくばレヴェルをあげていけるように日々努力を惜しまず、というところが落ち着く結論なのだとは思います。譜面読んだり本を読んだりして日々謙虚に勉強をします。