Giacomo Puccini,NNTT:新国立劇場,Opera

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はじめに

もう昨日のことになりました。
新国立劇場「蝶々夫人」。
このプロダクションを見るのは、2005年、2007年、2009年と二年おきで、今回が四回目です。すこしばかり、同じものを見過ぎているのかもしれません。逆に、だからこそいろいろ思うところがあるのかも。

秀逸な演出!

しかしながら、いつもながら驚くのは、最後の蝶々夫人自害の場面です。あそこで、セットがスーッと奥へ引っ込むのですね。蝶々夫人が死ぬ間際、気が遠くなり意識を失うのが視覚的に表現されているのです。照明も最高明度にあがります。そうか、ここをもっとも重要視しているんだな、というところ。
h3. 指揮者のイヴ・アベル
今回の公演では、イヴ・アベルの指揮が良かったと思います。この最後の場面でも相でしたが、金管、特にトランペットの輝きがいつもにも増して感じられました。
鋭利な刃物のようにグサリグサリと刺されるような鋭い響きで、その都度、どきりとしたのですが、最後の場面は、なんだか本当に自分の胸に刃が突き刺さったかと思うぐらいで、衝撃的でした。
全体のサウンドの印象は鮮烈さ、と言うところだと考えます。素晴らしかった。

歌唱陣

蝶々夫人を歌ったグリャコヴァ。声めちゃいい! ただ、少し歌が不安定なのが少し。。。
シャープレスの甲斐 栄次郎さん、すごく良かったです! 日本人離れした深いバリトンは、もっとも役柄にはまっていました。安定しているし。ウィーンで張っていることだけでも凄いというのに。
私の記憶では、2003年にウィーンで甲斐さんがシュレミールを歌っていたはず(当時の資料、探したが出てこない…)。幸いなことに、私はウィーンで実演を聴いています。信じられない話。マイバブルな時。

過去の公演の思い出

四回の公演で言うと、やはり2007年が忘れられません。若杉さんがタクトをとられた公演でしたが、あのときは、プッチーニのオーケストレーションが体に染み渡る感覚で、対旋律が現れるたびに感動して涙が止まらなかったのを覚えています。operaを観て感涙する快感はあのときの公演ではじめて覚えたものです。ジャコミーニのピンカートンも素晴らしかったなあ。
* “2009年の記事":https://museum.projectmnh.com/2009/01/19231915.php
* “2007年の感想その1":https://museum.projectmnh.com/2007/03/31205000.php
* “2007年の感想その2":https://museum.projectmnh.com/2007/04/01232825.php
* “2005年の感想":http://ms.projectmnh.com/2005/07/12232552.html
これで、私の2010年/2011年シーズンは終わりました。
次は、ウェブラジオで夏の音楽祭をウォッチしないと!

Giacomo Puccini,NNTT:新国立劇場,Opera

本日、新国からメールが届きました。新国立劇場の「コジ」関連のイベント紹介でした。
コジは5月29日が初日で6月11日までです。
コジの次の公演は「蝶々夫人」で、6月6日から6月18日までです。蝶々夫人も直ぐそこに迫っている。。。
ということで、本日の通勤リゾートでは「蝶々夫人」の第一幕を堪能したんですが、これがすごかった。聴いたのはシノポリ盤でしたが、シノポリってすごいんですねえ。
ゆらゆらとテンポが揺れるんですが、それがものすごく的確で、聴いているだけでグイグイと引っ張られ、心を揺さぶられます。もう興奮しっぱなしでした。フレーニも強烈な存在感ですし、カレーラスの牽引力もすごい。第一幕だけでもうおなかが一杯です。私は第一幕最終部に向けて、ピンカートンと蝶々夫人がやりとりするところが大好きです。あのBimba Bimbaと始まると、ぞくっとくるたち。あそこだけは二回聞き直して、ますます良い気分です。
(あの歌い出しはパヴァロッティが絶妙ですね)
録音は若干荒っぽいですが、中低音が充実していて、迫力があります。残響も中低音にピークがある感じです。こういうサウンドも大好き。
*  ミレッラ・フレーニ
*  ホセ・カレーラス
*  テレサ・ベルガンサ
*  ホアン・ポンス、他
*  フィルハーモニア管弦楽団
*  アンブロジアン・オペラ・コーラス
*  ジュゼッペ・シノーポリ(指揮)
やっぱり、3年前も感動していたようで、以下のようなことを書いております。
“https://museum.projectmnh.com/2008/07/28230018.php":https://museum.projectmnh.com/2008/07/28230018.php

テンポが激しく操作されていて、実に楽しい。ここでこのテンポ? みたいな驚きの連続。でもそれでいてしっくり来るテンポ。僕のデフォルト盤であるカラヤン盤がそんなにテンポを動かさないので、そう思うのかもしれませんが。個人的にはテンポを動かす演奏が好きですので、いたく気に入りました。
シノポリのプッチーニといえば、「マノン・レスコー」を聞いたことがありますが、こんなにテンポ動かしていたかなあ、と思ったり。
ちなみに、ピンカートンを歌うホセ・カレーラスがすばらしすぎる。パヴァロッティのようなあらぶれたところもなく、ドミンゴのような甘さもないけれど、なんだか直情的で真摯に歌う感じですね。不品行なピンカートンには少し似合わないかも(そういう意味ではパヴァロッティはピンカートンにぴったりですが……)。でも好きなんですね、こういう声。ここまで一生懸命歌われるとこちらも心が動きます。ピンカートンのカレーラスは当たりです。

新国立劇場の蝶々夫人特設ページはこちら。
“http://www.atre.jp/11butterfly/":http://www.atre.jp/11butterfly/
新国立劇場の「コジ」関連のリンクはこちら。
“カバー歌手による演奏会形式の「コジ・ファン・トゥッテ」":http://www.nntt.jac.go.jp/opera/20000470_opera.html
“演出のダミアーノ・ミキエレットが出演するオペラトーク":http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/20001363.html

Giacomo Puccini

そろりと、部屋の片付けをしようと言うことで、数あるCDのなかから、今ひとつなものを売ろうかなあ、と選別をしていたのですが、何年も前にかった少し怪しげな海賊版とおぼしきCDを売ろうか売るまいか、すこし悩んでいました。

それが、このショルティ指揮のトゥーランドットで、録音は1956年5月19日にケルンにて録音されたもの。そしてこれ、歌詞がドイツ語です。まあ、昔はオペラは上演する国の言語で演奏されるのが常でしたので、そうそう珍しい話ではありませんが。カラフがPadre! Mio padre! と歌うところはVater mein Vaterになっていて、「誰も寝てはならぬ」はKeiner schlafeになっている。すごく面白い。

で、このCD、買った当時は相当録音が悪い! という印象で、死蔵していたのです。今回、このCDを手放すかどうか少し悩んだので、念のためもう一度聴いてみました。

そしたら、めちゃ、面白いんですね、これが。録音は決してよくはありません。でも、若きショルティの爆発的なパワー炸裂で、サウンドも分厚くて、カミさんといっしょに「凄いね!」 と感心していました。

買った当時は、たしかショルティの破壊力をして、トゥーランドットがどう料理されるのか、興味があって買ったんですが、数年越しでようやく堪能できたという感じです。ショルティは一般的な評判は悪いのですが、私にしてみると、マーラーやブラームスを教えてくれた師匠だったりするので、そう無下にもできないのです。

  • 指揮:ゲオルグ・ショルティ
  • トゥーランドット:クリステル・ゴルツ
  • カラフ:ハンス・ホップフ
  • リュウ:テレサ・シュティッヒ=ランダール
  • ケルン放送交響楽団
  • ケルン放送合唱団
  • フンボルトギムナジウムケルン少年合唱団

 

Giacomo Puccini

離脱したが、明日も仕事である。そして、明後日は日帰りで博多である。次の日は「アラベラ」。大丈夫なのか?
無性に、ピン・ポン・パンの三人の歌が聴きたくなりました。この三人、アルトゥム皇帝に使える大臣たちです。そう、「トゥーランドット」に登場する名脇役たち。
二幕の前半、三人が歌い重なるのですが、まあ、これはサイドストーリなので、あらすじからみて、そんなに重要ではないわけですが、私は、この三人の歌が大好きだったりします。夢見心地に、早く故郷に戻って、悠々自適な生活を送りたいぜ、ってかんじで、夢物語を紡ぎ続けるんですが、その音楽がすごく心地よい。まあ、これって、結局、自らの願望だったりするのかしら、みたいな。
プッチーニは、こういうサイドストーリーも当然手は抜きませんなあ。夢見心地で、帰宅しました。
でも、明日もがんばらねば!

Giacomo Puccini,Opera

さて、今朝は「マノン・レスコー」をテバルディとデル・モナコのバージョンで聞いたんですが、デ・グリューを歌うモナコが格好良すぎて、なんだか、勇敢なるデ・グリューになっていました。ドミンゴのように甘さを加えると、まだ青い未熟な青年的な微妙な甘え具合が出るんですけれど、オテロやカラフを歌わせたトランペットの声で、デ・グリューというのはちょっとモナコにしてみれば役が足りないのかもしれません。このマッチョな男らしい歌には、凱旋帰還するオテロの姿思い浮かんでしまう。なーんて、えらそうなことを言ってますが、「マノン・レスコー」は本当に素敵なオペラ。
テバルディもすごくいいですよ。伸びがあってピッチの微妙な傷も気にならない。特に高音域の伸びは絶品です。ああ、これをお昼休みに聞ける幸せ。 iPodラヴ。
あ、もうひとつちょっと由々しき思い出。私が「マノン・レスコー」をはじめてみたのは実はBS2で10年以上前に放送されたグラインドボーン音楽祭の映像でした。たしか、なぜかジョン・エリオット・ガーディナーが指揮をしていたはず。
しかしながら、この音源だけは理解することができなかったです。やはり、VHSビデオで録画したものだったので、音質も画質もきわめて悪い状態で音楽の美しさを掬い取ることができませんでした。
あとは、これは今だから言える想像ですが、古楽派のガーディナーがプッチーニを振るという違和感のなせる事象なのではなかった、とも。演出はグラハム・ヴィックで、彼の演出である同じくグラインドボーンの「ルル」がすばらしかっただけに、ちょっと残念な思いもしました。
あのときに、環境が整っていれば、今はもっとオペラを聞けていたはず。私はこの「マノン・レスコー」の映像をみて、オペラを一度あきらめたんですから。代わりにブラームスの室内楽の世界やブルックナーの敬虔で激しい交響曲群を惑溺するようになったんです。
やはり、出会いというものは重要です。早くても遅くても巧くいかない。まあ、そういう糸の通し違いが人生を面白くしているんですけれどね。なるべくならそういうことがないように生きていこうとするのも正しいあり方ですけれど。
でも、仕事に関してだけは、糸の通し違いは決して起こしちゃいけません。それが最近見てきたいろいろな出来事から導いた結論です。

Giacomo Puccini,NNTT:新国立劇場,Opera

なんだかiPodの調子がおかしい。いやな予感。。。HDD160GB積んでいること自体に無理があるのかもしれません。SSDはまだ高いので仕方がないんですけれど。
今朝は、マノン・レスコーを。
いま、追っかけで「男と女はトメラレナイ」を見ています。リアルのほうは、人形浄瑠璃を取り上げています。うーむ、オペラだけが対象ではなかったのか。。。残念。
で、「男と女はトメラレナイ」での「マノン・レスコー」の回は、マノンは「魔性の女」である、という観点から、トークが繰り広げられていて、実に面白い。
デ・グリューと愛を誓いながらも、やっぱり金持ちじゃないとイヤ、というわんばかりに、金持ちの老人ジェロンテの屋敷に転がり込み贅沢三昧。けれども、デ・グリューが現れると、やっぱり心変わり。やっぱり年寄りじゃいやなの、みたいな。デ・グリューも人がよすぎる。「魔性の女」マノンに完全にイカレテしまっている。姦通罪で有罪になったマノンを追っかけて、辺境の地、ルイジアナまでいってしまうんですから。
しかし、「魔性の女」、いますよねえ。被害者を何人か知っていますが。。。「男と女はトメラレナイ」では、鴻上尚史さんがゲストだったのですが、一度「魔性の女」に引っかかってしまい、あまりの辛さに、仕事を入れまくって、しのいだそうです。なるほど。仕事入れればいいのか。
今日の魔性の女、マノンを歌うのはマリア・カラスです。古いモノラル録音ですが、音質はかなりいいです。指揮はセラフィン。デ・グリューはジュゼッペ・ディ・ステファノ。この方は激烈な人生を送っておられる。
“http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%BC%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%8E":http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%BC%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%8E
マリア・カラスの声は、私には硬質に思えます。むしろ、ちょっと硬すぎるのかもしれない、と思うぐらい。ピッチも微妙な部分があるかもしれない。でも存在感はすごい。きっと、実演だとものすごいことになるんでしょうけれど。私のデフォルト盤は、シノポリ&ドミンゴ&フレーニ盤です。フレーニの柔らかみを帯びた声のほうが好みかもしれない。今は、ですが。
「マノン・レスコー」は、新国立劇場でも次シーズンで上演が予定されています。
私は、一度だけ実演に触れています。2003年にミュンヘンでアンドレアス・ホモキの演出で見ました。
これは、2004年にミュンヘン行ったときの写真。ちと威張って立ってみました。まだリーマン・ショックを知らない時代。

ミュンヘンの「マノン・レスコー」の読み替えは凄烈でした。もちろん、会場はバイエルン・シュターツ・オーパーなんですが、幕が開くと、舞台も、同じシュターツオーパーで、客席に座るわれわれの頭上にぶら下がる巨大なシャンデリアがそのまま舞台上にも現れたんですから。合唱は正装したオペラ観客に扮していて、みんなプログラムなんかを持っているんですよ。警官役は歌劇場の守衛の制服を着ているんです。マノンが捕らえられるシーン、あそこは、マノンが覚せい剤を持っていたという設定になっていて、警官役がマノンのハンドバッグを取り上げると、中から白い粉が舞台にばら撒かれるという仕掛け。リアリティが刺激的過ぎる。
これが、くだんのシャンデリア

当日は、全四幕を連続して2時間休みなしで演奏。指揮は誰だったんだろう。当時のリブレットにはファビオ・ルイジの名前が書かれているのですが、絶対に違う。もっと年配の職人気質的指揮者だった記憶が。ちょっと探してみないと。。
ともかく、演奏者も、客席も、私も、強烈な集中力のなかで舞台は進行していって、あっと今の2時間。あれほど集中したオペラはそうそうありません。私は舞台に向かって一番左端の一番前という席で、目の前がオケピットでした。インテルメッツォの恍惚感が忘れられません。昨日のことのようだ。
ホモキ氏って、1960年生まれなんですね。若いのにすごい。ホモキ氏は、新国立劇場でも「フィガロの結婚」、「西部の娘」を演出しています。「フィガロ」のほうも斬新な読み替えでエキサイティングしたおぼえがあります。これも2003年のこと。「西部の娘」は2007年でした。ダンボールを巧く使った演出で、現代アメリカに読み替えていました。
来シーズン、「フィガロの結婚」が再演されますので、こちらでアンドレアス・ホモキ氏のアグレッシブな演出を楽しめます。私も観るのは二度目になりそうですが、楽しみですね。同演出異歌手に巡り会えるのも新国立劇場がしっかりしてくれているからこそ、ですから。

Giacomo Puccini,Opera

昨日のトスカ、まだ忘れられません。演出も実に秀逸でした。

昨日も少し書きましたが、第一幕最後のテ・デウムのところの豪華さは比類のないもののように見えました。

それから第二幕の最後。あそこがすごかったです。

トスカがスカルピアの胸にナイフを突き立てる。

「これがトスカの接吻よ!!」。

スカルピアは驚愕し呻きうろたえ、そのまま床に身を横たえ息を失う。

トスカはスカルピアの胸にもう一度ナイフを突き刺そうとするがいったん逡巡する。われに返ると、書類机にいってスカルピアに書かせた通行許可書を探す。書類が何枚も舞い散らばるのだが、通行許可書はない。

トスカはスカルピアの右手に通行許可証が握られているのに気づき、もぎ取ろうとするのだが、スカルピアの握り締められた右手がなかなか開かない。

ここ、秀逸すぎる!

通行許可証を手に入れると、机上の燭台の吹き消そうとするのだが、なかなか消えずに手で払ったりするのだが、一本だけ消えないまま残される。

トスカは書類机から火の灯った燭台2本を持ってきて倒れたスカルピアの両肩のあたり、床の上に置く。

トスカが部屋を出ようとするのだが、2本の燭台からの光を浴びて、背面にトスカの影が揺らめいている……。

あの2幕最後の一連の舞台、あまりの緊張感でした。唾を飲み込むのを忘れるぐらい食い入るように見てしまいました。

こういう一連のアクションが、プッチーニの織りなす、不安を一杯孕んだ音楽とともに演じられると、化学反応が起こったように爆発的な効果を生み出すようです。いつもはiPodで音楽だけ聴いて感動していますが、やはり実演やDVDで視覚でも観ないとダメですね。

「カプリッチョ」では、オペラにおいて言葉が先か、音楽が先か、という問題提起があります。あの場では二択のようにも思いますが、実はもう一つ演出が先か、と言うのもあります。登場人物的に言うと、

  • フラマン=作曲家=音楽
  • オリヴィエ=詩人=言葉(=台本)
  • ラ・ロッシュ=舞台監督=演出

という感じです。もしかしたら、1940年台、シュトラウスがカプリッチョを作曲した時点では、演出面の重要性は余り高くなくて、戦後バイロイトに始まった新バイロイト様式以降、演出の重要性が増してきたとも言えますので、現代オペラでいうと、ラ・ロッシュの役割が高まっているのでしょうね。

オペラは総合芸術と言われますが、昨日はよりいっそうその意味が分かってきた一日でした。

Giacomo Puccini,Opera

新国立劇場の「トスカ」行って参りました。最近、だいぶんと追い込まれているのですが、なんとか、という感じ。しかし、ここまで凄いとは思いもよりませんでしたよ。

ちょっと箇条書き風で。

トスカ役のイアーノ・タマーはグルジア出身の実力ソプラノ。憂愁を帯びた深い色のソプラノ。パワーと迫力も兼ね備えている。場数を踏んだ方だけが見せることの出来る揺るぎない自信を感じました。パワフルといっても、ワーグナー歌いとはちょっと違うのでしょうか。それは甘みとかふくよかさがあるから。でもこの方は、ブリュンヒルデ的ソプラノのはまり役といわれるトゥーランドットもちゃんと歌えると思います。アムネリスなんかがはまり役かしら。遠目に見た雰囲気がカラスに似ていて少し驚きました。

カヴァラドッシ役のカルロ・ヴェントレはウルグアイ生まれのイタリア人。ドミンゴを彷彿とさせる歌い回しに冷たい情熱を帯びた力強さ。この方のロングトーンには感動しました。ビブラートが実に綺麗。第一幕から飛ばしていて、冒頭部ではピッチに少し苦労していたけれど、暖まるにつれて安定感を取り戻していました。

スカルピア役のジョン・ルンドグレンはスウェーデンの方。僕のスカルピアのイメージは痩身で冷酷なイメージ。でも、この方のスカルピアは恰幅がよくてギラギラとした欲望をいくつも侍らしたような人間味のあるスカルピアでした。声質には幾分か甘みがある感じ。ピッチは終始良好だったと思います。

いずれにせよ、三人とも終始安定していらして不安感を感じることもありませんでした。この三人の強力な牽引力が大きな感興を読んだことは間違いありません。この方々が東京にいらしたことが凄いことなのだ、と思いました。

特筆すべきは、音楽を引っ張った指揮のシャスラン。額の形がグスタフ・マーラーにそっくりなのですが、作り出す音楽は迫力とパワーに満ち満ち溢れています。「トスカ」のスコアに含まれるうま味を十全に引き出すシェフ的職人芸だと思いました。シノポリが振る「トスカ」も相当凄いと思いましたが、実演でのシャスランの指揮はこれを上回る圧力でして、僕はもう最後まで圧倒され続けました。幸せな体験を今日もさせてもらいました。

今日初めて気づいたのですが、新国の「オペラパレス」の音は結構デッドですね。シノポリの「トスカ」のリヴァーヴ感が気持ちよかったのですが、今日の演奏の音は実にストレートに感じられました。昔からリヴァーヴ大好きな人間ですので、ちと物足りないかも。シノポリの「トスカ」は、ロンドンのAll Saint’ Churchです。教会のリヴァーヴは本当に素敵。

2003年に観たときは、左側のバルコニー席だったのですが、このときは舞台の右端しか見えない感じでした。カヴァラドッシが描いているマグダラのマリアも見えずじまい。第一幕の最後のテ・デウムの場面も全く見えませんでした。今日は二階の正面でしたので(しかも最前列! S席ではないですけれど)、舞台の様子がよく見えました。これは本当にお金のかかった舞台だと思いました。 当時のブログ。しかし生意気な記事で、赤面です。

http://shuk.s6.coreserver.jp/MS/2003/11/09232044.html

テ・デウムの場面、キリスト教の祭式をゴージャスに再現していて、これはもうただただ凄かったです。舞台装置もローマの建築をイメージしていてなんだか郷愁を覚えました。またローマに行ってみたいのですが、いつになることか……。

しかしこのパフォーマンスを日本で観ることが出来るのは本当に幸福なことかも知れません。この幸福が将来も約束されたものではないがゆえに、なんともいとおしい経験となりました。

Giacomo Puccini,Opera

今月の新国は「トスカ」、ということで、予習中です。「トスカ」は、ほかのプッチーニオペラのなかでも実はあまり好みではないなあ、などと不遜なことを思っておりましたが、先日から意見が変わりました。シノポリ盤の「トスカ」はすごすぎる。このオケの歌わせ方は、私が2003年ごろからお世話になっているシノポリ盤「マノン・レスコー」と同じく、甘く切なく流麗で豊かな音作りで、大感激です。

実は、トスカは某有名指揮者と某有名テノールの演奏を聴いていただけだったのですが、ここまで違うとは本当に思いませんでした。不明に恥じ入るばかり。 ともかく、シノポリのオケの歌わせ方はうまいです。緩急のつけ方が絶妙。全体的にはテンポは抑え目なのですが、心情にグサリと刺さってくるような感じがしてなりません。っつうか、あの有名なアリアもこんなに感動的だったっけ? みたいな再発見な状態です。

カラヴァドッシはドミンゴで、トスカはフレーニです。私の知っているドミンゴはもっと甘みを感じていたはずですが、この録音では甘みは感じられず、あれ、これは本当にドミンゴだろうか、と疑ってしまいました。 フレーニは、私のオペラ体験の最初期に、カラヤンの「ラ・ボエーム」でミミを歌っていましたが、この方は私のデフォルト・ソプラノですよ。この方が私にとってオペラの路を開いてくださった方のひとりなのです。もう一人はドミンゴでけれど。

これで、実演がいっそう楽しみになりました。

さて、このところ、以前より帰りが遅くてちとへこたれてまして、歳食ったなあ、ってかんじ。もっと体が丈夫だといいのですが。毎週ヨガに通っていますが、肩やら肩胛骨が痛くて痛くて。これって○十肩かなあ。。。

Giacomo Puccini,Opera,WebRadio

今日から仕事始めです。 また日常が戻ってきました。平日は以前にまして時間を取るのが難しいので、寸暇を惜しんで目的に向けて進んでいきたいものです。

1月3日に、7ヶ月ぶりにアルトサックスを吹いたのですが、さんざんでした。調子に乗ってしょっぱなにフラジオ音域で吹きまくっていたら、アンブシェア(口の形とでもいうのでしょうか)が保てなくなって、ロングトーンがふけなくなりました。フラジオ音域なんて夢のまた夢な状態。1オクターブ下で吹くことにしました。無念。それでも無理ならEWI(ウィンド・シンセ)投入か? って、ここに書いたらバレルやないか……orz。ともかく、あと二日練習出来るかどうか、というところ。これはピンチです。良く見る夢があるのですが、それはオペラの舞台に立っていて、これからドイツ語を歌わないといけないのに、困ってしまう、という悪夢なのです。それと同じ感覚。ともかく全力を尽くしましょう。

今日は、メトロポリタン歌劇場にて1月3日マチネで演奏された「ボエーム」を聴いております。

ミミのマイヤ・コバレフスカヤMaija Kovalevska さんは、1979年ラトヴィア生まれとのこと。低い音の声質が変わってしまって少し残念ですが、柔らかい感じの声です。ヘッドフォンで聴いているときは、ちょっとビブラートがかかりすぎで、音がつぶれているような感じだったのですが、自宅でスピーカから聴いてみると印象が全く違います。むしろ感動させ覚えてしまう。すばらしい「私はミミ」です。よくつやが出ていますし、ビブラートも自然な感じで聞こえてくるのが不思議です。 さらに、ゼンハイザーのHD600という少々高いヘッドフォンで聴いてみてもやはり高音域がよく伸びて聞こえてきます。ちょっとこれはショック。たしかにいつも使っているBOSEのクワイエットコンフォート2は低音域が強調されている感じがありましたので。

ロドルフォのラモン・ヴァルガスRamón Vargasさんは、輝く音というよりいぶした深い倍音を持った声。高音域が得意というタイプではないです。むしろ高い音が少し苦しそうに聞こえてしまっているように思えました。こちらも自宅で聞き直してみると、印象は少し変わりましたが、苦しそうなのはやはり苦しそう。体調の問題などありますし、ライヴ音源なので許容範囲かもしれません。

ムゼッタのスザンナ・フィリップスSusanna Phillips さんは、第二幕のワルツで、婀娜っぽさだしながらうまく歌っておられます。マルチェッロのマリウス・キーチェンMariusz Kwiecienさんが素敵です。つややかで黒光りする声。落ち着きを払った威厳のある声。フンディングとかヴォータンを聴いてみたいですね。実際にはドン・ジョヴァンニを歌ったりしておられるようですので、ちょっと方向性はちがうでしょうか。

指揮のフレデリック・シャスランFrédéric Chaslinさん は伸縮自在なテンポでうまく旋律を歌わせようとしています。有名な聴かせどころではかなり減速して歌手にのびのびと歌わせていますね。とおもったら、幕入りでは煌めくように駆けるところもあって驚かされます。

再生装置の重要性に気づかされてしまったボエームでした。うーん、痛い。いまからオーディオに投資するのも難しいですし、音楽と言えばiPodで外出中にしか聴けませんし。困りましたね。