Dmitrii Dmitrievich Shostakovich

ふらっと、聴いてしまったのが運の尽き。

ショスタコーヴィチの交響曲第10番は底なし沼のようで、足を取られたら最後、ずぶずぶと深みにはまって行ってしまった。

暗く古い森。湿った空気を嗅ぎながら、進んでいくと、最後は、歓喜なのかパロディなのか、華々しい歓呼に迎えられる。何を信じればいいのか分からない。

そんな曲だな、と思う。

幼い頃は、ただ「カッコいい」というイメージだったが、齢を重ねると、裏側が見えてくるもの。カッコいいものには騙されてはいけない。

演奏は、ベルリンフィルをカラヤンが振ったもの。私のデフォルト盤はロジェストヴェンスキーなので、カラヤン盤はすこしスマートに聞こえる、と言う印象。これもやはりカラヤンというのは……という先入観によるものかもしれないけれど。

明日で、今週も終わるけれど、まだまだ戦いは続く。この戦い、どうもショスタコーヴィチ的な戦い、と思う。詳しくは書けないけれど……。

それではおやすみなさい。グーテナハトです。

Dmitrii Dmitrievich Shostakovich

チック・コリアを聴いていたら、なぜかショスタコが聴きたくなりました。

暗く静かな世界を見たくなったのかも。

で、交響曲第七番《レニングラード》。ロジェストヴェンスキーの指揮で。


暗鬱、戦闘、悲しみ、勝利の予感?

描かれていることは、レニングラード攻防戦という陰惨な出来事だというのに、なぜ聞くのだろう、と思いました。本当に戦争は嫌なものです。

ロジェストヴェンスキーの指揮、昔から結構好きでした。とくに交響曲第10番を聴いたときの衝撃は忘れられません。まだソ連があった頃に聴いたはずで、NHK-FMのエアチェックテープを何度も何度も聞いた記憶があります。躍動感、炸裂感…。

やはりこの音源も素晴らしい。何というか、ソ連がアメリカと張り合っていたころのソ連の推進力のようなものを感じたり。オケの名前はソヴィエト国立文化省交響楽団。そして懐かしのメロディアレーベル。時代を感じさせます。

さて、それにしても、今週は本当大変でした。一体何回会議をやったんだろう? 4日間で19回でした……。

それではみなさま、よい週末を!

おやすみなさい。グーテナハトです。

Ludwig van Beethoven

今日は、仕事場の都内にちらばる四つの拠点を朝からまわった一日。結構カロリー消費したらしく、かなり消耗しました。体重も一日で1キロ弱は減っているような……。

さて、聞く音楽が良く分からないときは、Apple Musicのプレイリストを聴きます。Apple Musicが勝手に選んでくれるナンバーで、ジャズからクラシックまでさまざま。日頃聴いている音楽の傾向から生成されるようです。

その中に入っていたのがバーンスタインが振るベートーヴェンのミセ・ソレムニス。つまり荘厳ミサ曲でしたバーンスタインらしいたゆたうテンポで聴くミサ・ソレムニスは実に甘美でした。ときにオペラ的なクライマックスもあり、モーツァルト《魔笛》のような和音が出てきたりと、実に楽しめました。

音楽の幅を広げるのは、こういう偶然ともいえるような出会いであることが多いです。本来なら、能動的に曲を選んで聴きたいところですが、今回のようにあえて受け身で音楽を聞いていると、思いもかけないいい出会いがあります。きっと若い頃は、思わぬ出会いばかりで音楽をたくさん聞いていたんでしょうが、歳を重ねると、こういう出会いが貴重に思えます。善し悪しかなあ、と。

今日はこのあたりで。それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Johannes Brahms

以前、ブラームス2番を聴き続けていた時期がありました。

あれ以来、ブラ2が指揮者を考える基準、リファレンス音源のようになっています。

カラヤン、アバド、ショルティ、チェリビダッケ、ヴァント、ラトル、バレンボイムなど聴いてきましたが、また新たな音源を聴いています。

アンドリアス・ネルソンス。1978年生まれ。ラトビア出身。ボストン交響楽団の音楽監督になっています。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターにも就任中。

私は、かつてベルリンフィルのデジタルコンサートホールで、アンドリアス・ネルソンスが降るリヒャルト・シュトラウスを観たことがります。あれは、たしか「ばらの騎士組曲」だったか? その姿を見て、カルロス・クライバーを連想したのでした。音楽と一体になった喜びを身体中から発散していました。湧き上がるような動きと、はち切れんばかりの笑顔。音楽をする幸福感が素晴らしく、心の底から素晴らしいなあ、と思ったのを覚えています。

そのアンドリアス・ネルソンスのブラームスは、実に端正でした。テンポは中庸かあるいは少し遅めでもあります。ずいぶんのびやかに歌うところは歌い上げています。ねっとりとした感興も感じます。録音が良いというのもあるのでしょうけれど、アンサンブルが実にクリアです。モーツァルトを聴いているようにも思います。例えば、第一楽章の中間部のフーガ、実に美しく、ジュピター交響曲のようでもあります。

(そういえば、チェリビダッケのブラ2は、ブルックナーのように聞こえたのを思い出しました)

長くなりました。短くてもいいから数多く、というのがモットー。あまり書いていると、本を読む時間がなくなりますので、気をつけないと。

それではみなさま、おやすみなさい。良い週末を。グーテナハトです。

Ralph Vaughan Williams

Photo

夏が終わり、寂しさにくれる日々です。いつから夏が好きになったのだろう? 先だって、そんな思いを書きました。生きるということは盛夏にある、ということなのかも、と。もちろん、歳を重ねればまた変わることでしょう。

今日は、ヴォーン・ウィリアムズを聞いています。交響曲第3番「田園」夏の終わりに相応しい音楽のような気がしてなりません。

夏の夕暮れ、田園に落ちるバター色の夕陽。暑さにうだりながらも、そよぐ風の中に涼しさを感じるころ。夏を惜しむ蝉の声が聞こえる。収穫を終え、籠に積まれた夏野菜を積み込んで、ふと空を見上げると、淡い空に微かに三日月が見える。息を吸い込むと、湿り気を帯びた土の匂いがする。いつもの匂いなのに、なぜか愛おしく思う。そうか、この匂いは来年までお預けだからか。暮れゆく空は一層淡いモーヴ色に染まつた。峰々の向こうに姿を隠そうとする輝く太陽に手を合わせた。陽光が畝を照らし、木々は陽光で燃えるように輝いていた。

季節の変わり目で、気温はジェットコースターのように変わる季節です。皆様もお身体にお気をつけて。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Richard Wagner,Tsuji Kunio

大阪を離れて25年になりました。もちろん、生まれたときから大阪に住んでいたわけではないのです。さまざまな街に暮らしましたが、中学から高校までの多感な時期を過ごしたと言うこともあり、少し思い出のある街でもあります。住んでいたのは高槻市でした。先日の大阪北地震の震源地です。いまでは連絡をとる知り合いもいなくなってしまいましたが、母が当時のご近所さんに電話をしたらしく、幸い私の住んでいた地域には大きな被害はなかったとのことで、ホッとしているところです。

25年前に離れたのは東京の大学に進学したからですが、実家もやはり大阪を離れましたので、大阪に行くところはもはやありません。長い間訪れることもなかったのですが、昨年末からなんどか出張で大阪を訪れる機会を得ています。新幹線から眺める北摂の山々の稜線はどこか記憶の片隅に残っていて、懐かしさを感じるのですが、新幹線のまどから眺める街の風景のなかに、青いビニールシートを屋根に書けた家がいくつか見られて、地震の被害が確かにあったことがわかりました。それも、高槻付近の限られた地域だけでしたので、本当に揺れが大きかった地域が限定されていたのだなあ、ということを実感しました。

その大阪へ向かう新幹線の中で聴いたのがペーター・シュナイダーがバイロイトで振った《トリスタンとイゾルデ》。DVDも発売されているようです。

私は、ペーター・シュナイダーが降ったオペラを何度か観ています。いまから思えば信じられないことですが、ドレスデンでシュトラウスの《カプリッチョ》を観ました。たしか2006年のことです。その翌年、2007年には初台の新国立劇場で《ばらの騎士》を聴き、同じく新国立劇場で2013年に《ローエングリン》を聴いています。とくに印象的だったのは、2007年の《ばらの騎士》で、あまりに感動しすぎて、最初から最後まで泣きっぱなしでした。オペラ中ずーっと泣いてました。幕間で涙を拭きながら、息をついたのを覚えています。素晴らしすぎたのです。もう11年も前のことになりますが、あれほどの音楽体験はそれ以前もそれ以降もあまりないのでは、と思います。

それで、今日聴いた《トリスタンとイゾルデ》でもなにか決定的な経験をしてしまったようなのです。新幹線の中で、ただ音楽を聴きながら、一体、私はこの先何を望むのか、という少し大仰なことを考えていたのですが、どうやら、そのとき、《トリスタンとイゾルデ》の前奏曲の高揚が始まっていて、殴られたような衝撃を受けたのです。この美しさはなんだろう、と。ですが、その次に訪れたのは激しい悲しみと落胆でした。《トリスタンとイゾルデ》から150年が経ち、《トリスタンとイゾルデ》というあまりに美しい芸術作品が世界に現れたというのに、人間は何も変わっていないのではないか、という悲しみと落胆。しばらく呆けたように口を開けて放心してしまいました。

ちょうど、昨日、辻邦生の「西行花伝」を読んでいました。

出家をする佐藤義清(西行)が、鳥羽院に別れを告げるシーンでした。義清(西行)は、鳥羽院が虚空に経っているというイメージから空虚な浮世を歌で支えると言いました。これは、美が世界を支えるという辻邦生のテーゼによるものです。こうした、なにか美が世界=浮世を支えるという考えが頭の中に入っていたので、《トリスタンとイゾルデ》の美しさと世界の関係を過度に感じいってしまったのでしょう。

それにしても、忘れられない体験でした。二時間半も一人で過ごすという経験がなければ、こうした思いにとらわれることもなかったはずです。出張とはいえ、旅は、人を変える力があります。

今、東京へ戻る新幹線。豊橋へとむかっているところです。明日は仕事を休むことになっています。来週に備えます。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

J.S.Bach,Miscellaneous

大阪で地震がありました。

私も昔大阪に住んだことがあり、お世話になった地名も出てきました。知り合いがSNSに無事を投稿しているのをみてホッとしたりいたしました。

いつもはテレビを見るのはなるべく避けていますが、今日ばかりはニュースの録画を見ました。心が本当に痛みました。

昨日も書きましたが、日本は地震や火山の国です。これはもう致し方がないので、やれることはやりながらも、さらには祈るということなのかも、と思いました。

今日はこちら。こういうときはバッハを聴きたくなります。

ラファウ・ブレハッチ。2005年にショパンコンクールで優勝したポーランドのピアニスト。発売は2017年2月です。

おそらくは30歳ぐらいの録音でしょう。この若さでこの心安まるサウンドは何だろう、と思いました。

どうかみなさまもおやすみになれますように。

おやすみなさい。

Gustav Mahler


アップルミュージックで、アバドのマーラー全集があるのに気がつきました。この全集は、もちろんCDで持っているものですが、なかなかCDで聴く機会はありません。家にいる時間がほとんどありません。なのでアップルミュージックで全曲通して聞いてみようと思ったのです。

マーラーの交響曲は、もう四半世紀以上聴き続けているわけですが、何か初めて聴いたときのことを思い出したりしてなかなかスリリングな体験でした。

今、やっと第6番まで聴き終わったところです。やはり、第5番が1番心に染みます。

この後がもいいんだよなぁ。7番も素敵ですし、8番は、若い頃は一番好きな曲でした。

マーラーを聞くと、いつも思いますが、本当に多面的で様々な葛藤やコンプレックスを持ちながらその複雑な心情を芸術に昇華したと言うことなんだろうなぁと思うです。ボヘミアの田舎に生まれユダヤ人でありながらウィーン社交界に登りつめると言う事は並大抵のことではないと思うのです。

今で言うと、ベンチャーの起業家みたいなものなのかなあ。

いろいろ立て直し中。まずは掃除から、みたいな感じになってます。明日も掃除日よりかも。

みなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Richard Wagner

ハイティンクのワルキューレ、今日も聴いてます。まあ、CD4枚組なので、時間がかかります。

ちなみに、わたしは通勤時間のみ音楽が聴けますので、iPhoneX にBOSEのQuiet Comfort35をBluetoothで接続し、iCloudミュージックライブラリにアップロードした音源で聴いています。

どうやら、Apple Musicには、ハイティンクのリングはないようで、アップロードした音源が使われているのでは、と推測しています。

ですので、音響的に、結構条件が悪いのでは、と思うのです。

ですが、それでも、音がしていいなあ、と感じる時があります。音の良し悪しは、主観的なものである場合もありますので、私が、良いと感じた瞬間があった、というぐらいです。

なんでかなあ、と思った時に、思い当たったのは、録音場所です。この深く豊かなリバーヴ感。自然で豊かな倍音を含んだ瑞々しい残響の感覚。録音場所は、ミュンヘンレジデンスのヘラクレスザール。

バイエルン放送管弦楽団の本拠地。録音もここでやっていることが多いはず。

http://www.muenchen.de/veranstaltungen/orte/139991.html

ウェブサイトによれば、クラシック以外でも使われている模様。

ミュンヘンは、数ヶ月ぐらい滞在してみたい街です。毎日ピナコテークに行って、毎日オペラかオケを聴く、というのが夢です。

夢は叶うかも。

さて、明日から、祝日ですね。皆さま、どうか良いお休みを。

おやすみなさいませ。グーテナハトです。

Richard Wagner

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このブログ、どうやら、2007年ごろから書いてたようで、さまざま書き散らしております。

カテゴリごとの件数がわかるのですが、今日時点で、ワーグナーが一位で161エントリーで、シュトラウスが二位で156件となっています。このエントリで一つ増える見込み。

意外とワーグナーが多いのは、2009年、2010年に新国立劇場で上演されたリングを聴いた頃に、ワーグナーにハマったからです。リングの謎解きは、当時の私にとっては本当に刺激的でした。

リングに貴族の没落と資本家の興隆のメタファを見出したことや、あるいはニーベルング族と「ユダヤ人」の連関性に自ら思い当たってしまったときの名状しがたい苦味のことなども、昨日のことのように思い出されます。

あるいは、幼い頃、登ることのできない高峰に見えたリングを通しで観た達成感もあったなあ、と思います。

そんなこともありながら、やはり、あらためて、音楽的にも素晴らしいなあ、と思いながら、ワルキューレ。今日は第二幕。音楽は身体に染み込んでいるので、懐かしいなあ、と思います。

しかし、前の新国立劇場のリングは8年前なんですね。新制作のリングは観に行けていないのですが、また違う解釈の愉しみがあるはず。もうしばらくして、リングに行けるようになるのが楽しみです。それまで頑張ります。