Opera,Richard Strauss,Vocal

はじめに

フェリシティ・ロットは、いわずとしれたイギリスを代表するソプラノ歌手です。1947年生まれと wik iにはありますので、今年で63歳。私は昨年の10月に実演に触れています。曲はもちろんカプリッチョの最終場。録画失敗したのが悔やまれます。
“https://museum.projectmnh.com/2009/10/19214851.php":https://museum.projectmnh.com/2009/10/19214851.php
あのときも泣けて泣けて、涙が出てしようがないぐらい感動したんですが、(思い出しただけれうるんじゃいます)、ロットのカプリッチョが聴けるCDがないかと物色していました。プレートルが振った全曲盤があるのですが、高くて躊躇していたんですが、まずはネーメ・ヤルヴィが伴奏を振っている「四つの最後の歌」などとカップリングされたCDを購入しました。
そして、あまりのすばらしさに感動しております。
# Biem Schlafengehen
# September
# Fruhling
# Im Abendrot
# Wiegenlied
# Ruhe, Meine Seele!
# Freundliche Vision
# Waldseligkeit
# Morgen
# Das Rosenband
# Zueignung
# Des Ditchers Abendgang
# Intermezzo (月光の音楽)
# Closing Scene (カプリッチョ最終幕)#
ちょっと面白いんですが、一般的な「四つの最後の歌」と順番が違うんです。
ふつうは
# Fruhling
# September
# Biem Schlafengehen
# Im Abendro
なんです。なので、ちょっと新鮮な感じです。もっとも、順番はシュトラウスの死後に決められたものですので必然性は低いんですけれどね。

音響の素晴らしさ

このCD、やけに音がすばらしいのです。トラック12のDes Ditchers Abendgang以外は、すべてCaird Hallというところで録音されています。
“Caird Hall":http://www.cairdhall.co.uk/
このホール、かなりすばらしいリヴァーヴなんです。ルカ教会残響の深さは似ているのですが、ちょっと残響の音程は高めです。この絶妙な残響感が、ロットの高貴で品性のある声を十二分に引き立てています。
実は、最初聴いたとき、あまりに美しすぎて、ちょっと引いたんですよ。何というか、不自然さのようなものを感じたんです。
というのはこんな経験をしたからです。
昨年、某日本人有名歌手のCDを聴く機会がありました。そのCD、あまりにリヴァーヴがかかりすぎていて、どこで録音したのかと見てみると、ただの音楽スタジオでした。リヴァーヴをエフェクターでかけ過ぎていたんですね。私は大変失望したんですが、ロットのこのCDにも一瞬同じ危惧を抱いたのだと思うのです。しかし、聞き込むうちにそれは危惧から感嘆に変わりました。日本人歌手の場合、すでに絶頂期は過ぎていますので、完全になんらかの悪い要素を消すためにリヴァーヴをかけていたとしか思えなかったんです。しかしながら、このロットのCDはそうとは思えません。純粋に美しい。天から降ってくる歌声といっても過言ではないです。

Das

Rosenband
また別の機会にも書こうと思ったのですが、Das Rosenbandを聴いていたら、急に涙が止まらなくなりました。この曲、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターや、バーバラ・ボニーも録音しているのですがいずれもピアノ伴奏です。シュヴァルツコップ盤はセルが振ったオケ伴奏盤ですが、シュヴァルツコップは少し苦手意識があるので、あまり響いてこなかった。でも、ロットのDas Rosenbandは違いました。大きく分けて二つの旋律からなるんですけれど、シュトラウスらしい絶妙な転調の進行に心が締め付けられて、急になんだか母胎に回帰したかのような安堵感を覚えたのです。この曲、今度もう少し突っ込んで研究しようと思います。

「四つの最後の歌」の思い出

私が初めて「四つの最後の歌」を聞いた瞬間。それは映画「めぐりあう時間たち」でした。
“http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD33172/index.html":http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD33172/index.html
メリル・ストリープが、パーティーの準備をしているときにBGMで流れていたのがそれでした。この映画、実に多層的複雑さをもった秀逸な映画で、かなり重い内容なんですけれど、あの時の「四つの最後の歌」は雷撃でした。あらすじはあまり書きませんが、その後の不幸な結末を暗示しているように聞こえたんですよね。この曲を大音響で流しながら料理している姿の切迫感を忘れることができません。
というわけで、今日もシュトラウスでした。ああ、シュトラウスの歌曲全曲盤とかないかしら。あったら買いたいなあ。。

Opera,Richard Strauss

いやあ、昨日もだめなわたくし。
通勤バスで「ばらの騎士」最終部三重唱を、ハイティンク盤 + クライバー@バイエルン + クライバー@ウィーンでなき濡れ。昼休み、急に「月光の音楽」が頭に浮かんだだけでうるうるしちゃって、シルマー&フレミング映像で激しく落涙。うーん、なんでこんなに感動するんだろう。訳がわかりません。
でも、昨日は、久々に仕事が楽しかった。若い人とテレビ会議で議論したんだけど、いろいろ意見したら(まあ放談とも言えますが)、最後に「勉強になりました。ありがとうございました」って言われた。ちょっと嬉しかった。いろいろあるけど、まあこういう良いこともあるんだなあ。
さて、「カプリッチョ」の最終部分で、リフレインされる以下の歌詞がとても気に入っています。もともとは、第三場近辺で伯爵と伯爵夫人が踊りながら歌う場面で出てくる歌詞なんですが、結構重要です。

*Heiter entscheiden – sorglos besitzen. Glück des Augenbliks – Weisheit des Lebens!*

NHKの放送では「明るく決心し、心配なく保つ。幸福の瞬間こそ人生の知恵」と訳されています。もちろん、字幕ですので限られた字数の中で表現するのはきわめて難しいです。私は、ちと以下のように意訳してみました。

なにごとも陽気に明るく、心配事なんて忘れて、生きていこう。ひと時ひと時の幸福を味わうことこそが、生きていく上で大切なんだから

まさに、この映像見ている瞬間の幸福とか、「ばらの騎士」を聴いて泣き濡れている瞬間があるからこそ頑張れるんだろうなあ。これ、辻邦生師の言う「戦闘的オプティミズム」と通じるところがある。自虐や自嘲に甘えちゃいかんのですよ。
リブレットでは、最終幕でこの台詞を歌った伯爵夫人が直後に Ach! Wie einfach! (なんて単純なことかしら!)と少しシニカルに歌うんです。これ、伯爵が女優のクレロンとひと時の恋を楽しんでいるのを皮肉っているんですよね。でも、単純なことほど難しいはず。その後、伯爵夫人は、フラマンとオリヴィエの間で逡巡を続けるわけですので。
しかし、このシルマー&フレミングの映像、すごいなあ。昨日触れた「メタ」構造の件ですが、一番最後でもう一回ひっくり返るんですよ。ここはあえて詳しくは書きません。見てみてください。すごく不思議な気分になります。それから、すごい歓声。最後は手拍子に変わって鳴り止まない。この映像、iPod に入れて本当に良かったです。
youtubeにフレミングのカプリッチョがあったので、載せます。私、今、泣いてます。


DVDからiPodへの画像の入れ方はこちらからの二つのリンクが参考になります。
“http://www.ideaxidea.com/archives/2008/07/handbrakedvd_catalist_freedvdi.html":http://www.ideaxidea.com/archives/2008/07/handbrakedvd_catalist_freedvdi.html
“http://www.tools4movies.com/":http://www.tools4movies.com/
えーっと、フリー版で十分大丈夫です。それから、私の環境だと、なぜか普通に終了できず、いつもタスクマネージャで強制終了させてます。。

Opera,Richard Strauss

映像は単純にオペラ公演を録画したものではありません。いろいろ趣向の凝らされた編集で、実に楽しいのです。録音舞台はおそらくはガルニエ宮ですかね? でもこの大きさはバスティーユかも? 

私はバスティーユオペラには行ったことがあるけれど、ガルニエ宮のほうは、入口近くの売店でオペラグラスを買っただけで、中には入っていない。ああ、2002年にパリに行ったとき、無理してでも「チェネレントラ」を見ておくんだった。ガルニエ宮は「失われた時を求めて」にも登場しますし。あー、パリ行きてー。プルースト読まないと。。。
で、この演出、すごくて、オペラにメタ・オペラがかぶるんですよ。この作品の意味的白眉は、伯爵が、「俺たちのオペラ談義自体をオペラにしちまおうぜ」という最終部にあるんです。それはオリジナルのリブレットにある内容です。
昔、哲学科に入学したとき、新入生合宿みたいなものがあって、6人ぐらいのグループに別れて、それぞれ寸劇をやらないといけない、という決まりになっていました。僕たちのグループについて頂いたのは、ギリシャ哲学を専門にしておられた凄くやり手の教授と、3年生の先輩のお二人でした。それで、どんな寸劇をやるか、アーダコーダとうなっていたんですが、教授がこうおっしゃったんですよ。
「そうだ、この寸劇を考えている場面自体を劇にしちゃおう!」
って。
先輩は「すごい! メタをかけるんですね!」っておっしゃった。メタ、って形而上学というか方法論というか、一個上というか、まあそんな感じ。メタフィジークは形而上学ですので。それで、僕らは、「どんな寸劇をやろうか」とみんなでアイディアを出し合って、最後に助教授が「そうだ、このプロセスを劇にしよう!」という台詞で終わる劇を作り終えたのでした。あんまり受けなかったけど……。
「カプリッチョ」での伯爵のアイディアは、あの教授のアイディアと一緒。これって、ギリシア悲劇的なのかしら。シュトラウスはギリシャ悲劇に造詣が深くて、どうやらそれはギムナジウムの頃からのことだったそうですし、「ナクソス島のアリアドネ」とか、「ダフネ」、「ダナエの愛」なんていうギリシア神話に基づいたオペラを書いていたりしますし。もちろん、この「カプリッチョ」にもギリシア神話のエピソードがちりばめられています。
で、話を戻すと、普通の演出だと、そのまま最終部に突入するんですが、この演出だと、プロンプターのトープ氏(モグラという意味です)がプロンプターボックスから現れるところから、なんだか様子がおかしくなる。あれ、僕たちの観ているオペラって、オペラの中のオペラなの? みたいな。これって「ナクソス島のアリアドネ」とも似ている。
それで、月光の音楽から最終部に至るまでは、伯爵夫人と執事だけが、舞台に登場する。もちろん伯爵夫人はフレミング。でもですね、その舞台を伯爵夫人フレミングがバルコニー席から見ているんですよ。フ伯爵、フラマンもオリヴィエもラ・ローシュも、バルコニー席からオペラグラスで舞台上の伯爵夫人マドレーヌを見ている格好なんです。合成映像なんですよ。


これで、月光の音楽以降が、オペラ内オペラとしてハンドリングされるという仕掛けです。
以下の写真がその場面。舞台上には伯爵夫人を演じるフレミング。そして、右上のバルコニーにいるのも伯爵夫人のフレミング。秀逸だ。

これを初めて見たとき、本当にやられた! と思いました。ロバート・カーセンの演出は素晴らしい。

Opera,Richard Strauss

さて、今朝の通勤電車は、シルマー&フレミングの「カプリッチョ」の映像をば。うーむ、また泣いてしまった。で、何でこんなに感動するのか、いろいろ考えてみました。
その秘密はのひとつとしては、おそらくはこの激しい転調にあるのではないか、と。「月光の音楽」の後半部分のところ、弦楽器のフレーズが(おそらく)短三度でどんどん転調上昇していくんですが、ある瞬間でその転調が止まり、そこで、もどかしさを覚え、最後に一挙に開放されたように、さらに和声解決するんです。この開放感に絶えられない。こらえていたものが一気に開放されて、涙腺が緩むという寸法、でしょうか。ちょっと考えないと。ほかにも謎や仕掛けがたくさん隠されているはずなんだが。いい加減ユーロがあがらんうちにスコア買わないと。
昼休みはベーム盤「カプリッチョ」で、ヤノヴィッツの伯爵夫人を楽しみました。この録音も本当にすごいよなあ。先日も書きましたが、ミュンヘンのゾフィーエンザールというところでの録音でして、ハイティンクの「リング」録音と同じ場所です。オケはバイエルン放送管弦楽団。これもハイティンクの「リング」と同じ。ヤノヴィッツ、あまりに清らかで罪のない声で、天使様です。
ではちょっとフレミングDVDの映像をすこしばかり。詳しくは後日。


この方、どなたかわかりますか?

明日は、ドレスデン奇想変奏の第二回の予定です。

Dresden2006,Opera,Richard Strauss

昨日も今日も実に良い天気です。近所の早咲きの桜は、もう満開に近い状態です。あと二週間で4月ですね。近所の学校は今日が卒業式でして、スーツやら袴を着込んだ学生達が街に溢れています。

今日からはしばらく「カプリッチョ」とドレスデンのことを書いていこうと思います。というのも、昨日のフレミングのアルバムの「カプリッチョ」に触発されて、NHK-BSで録画したフレミングの「カプリッチョ」映像をiPodに取り込んだから。今日一日で書き終わる予定でしたが、あまりにもむくむくといろんなものがわき上がってきて止めどがないのです。このオペラ、凄く思い出深いのですよ。

っていうか、来週は新国で「神々のたそがれ」なんで、そっちも考えないといけないんですけど。まあ、とりあえず続けましょう。

「カプリッチョ」を初めて聴いたのは、2006年だったと思います。それまで知らなかったのはお恥ずかしい限り。サヴァリッシュ盤をタワレコ新宿店で買いました。伯爵夫人マドレーヌはシュヴァルツコップ。若き日のフィッシャー=ディースカウやニコライ・ゲッダ、ハンス・ホッター、クリスタ・ルートヴィヒも参加しているEMIの歴史的名演です。ただし、モノラル録音ですけれど。

この曲、最初はよく分からなかった。今なら大泣きしてしまう「月光の音楽」だって、まだよく理解できず、ただただホルンの美しい旋律に心が反応しただけ。

それで、ネットで「シュトラウス&カプリッチョ」と検索してみると、旅行会社のウェブページにたどり着きました。なんでも、ドレスデンでの上演を見るツアーがあるとのこと。なんとまあ。それで、突然ドレスデンに行こうと思い立ちました。

奥さんはたまっていたマイルで行くことにしていたのですが、僕の仕事とあいているフライトの日程が合わなかった。それで、一日早く奥さんだけドレスデン入りしたんですね。

僕は翌日のルフトハンザでミュンヘン経由でドレスデンに向かいました。隣に座った方は僕より少し若い男性で、ドイツ語が堪能な方。コットブスに行くんだ、とおっしゃっていました。ミュンヘンまではエアバスA340にて。長さ的にはA340-300型と思われます。


ミュンヘンでの待ち時間は2時間ほど。で、空港のバーで(医者に禁止されてたけれど)ビール飲んで本を読んでいたんですが、なかなか時間にならない。

いつ見ても18時10分。ちなみにボーディングは18時55分。まだまだ時間あるや、と思っていたんですが、ふと気付いたら、時計が止まっていたんです。。。祖父の形見のロードマーヴェルだったんですが、ねじを巻き忘れていたんですね.

慌てて、Palmの時計を見ると18時55分。危なかった。それで、真っ暗なエプロンに降りて、ドレスデンと書かれたバスに乗せられオープンエプロンへ。4発のイギリス製コミュータージェットのBAe146アヴロRJに乗り込みました。

機体は、ミュンヘンからほとんど変針せずにドレスデンへ一直線へ飛んだのだと思います。おそらくはチェコ領空を通過したはず。シェンゲン条約というか、EU加盟国だからなのか。ジェットルートを調べてみると、やっぱりチェコ領内をかすっているみたい。

(なんで、こんな画像、僕が持ってるんですかねえ。秘密です)

まあ国内線とはいえ国境は関係ないんだなあ、と思った次第。

で、ドレスデンに到着。

なんだか、ドレスデン旅行記になってきました。それはそれでいいか。

それではまた明日。

カプリッチョについては、こちらも。
“https://museum.projectmnh.com/2009/10/19214851.php":https://museum.projectmnh.com/2009/10/19214851.php

Opera,Richard Strauss

わたしは、もうだめっすよ。
今週は「ばらの騎士」聴いて泣きっぱなし。何でこんなことになっちゃったんでしょう。西田敏行化計画は完全に成功しています。
奥さん曰く、「疲れてるんじゃない」。
まあ、この数ヶ月、仕事でいろいろあったし、決算&人事異動を控えて、これからが佳境なのでもいろいろありそうだし。
ともかく、昨日引用した自分のこの記事読みながら、フレミング&ボニー&グラハムの三重唱聴いていたら、あのときのことを思い出して、滂沱。
今朝も、今も。
いかんいかん。
というわけで、写真また載せちゃいます。これは、新国の2010/2011シーズンの案内パンフの表紙です。ここにもニールント様とツィトコーワ様の麗しきお姿が(宣伝しているわけではありませんけれど)。

さて、フレミングの「シュトラウス・ヒロイン」というアルバムには、「ばらの騎士」、「アラベラ」、「カプリッチョ」のそれぞれの主役ソプラノの聴かせどころが収録されています。
1. 「ばらの騎士」第一幕最終部分。
2. 「ばらの騎士」第三幕最終部分
3. 「アラベラ」最終部分
4. 「カプリッチョ」「月光の音楽」以降「ソネット」含め最終部まで
「ばらの騎士」では、フレミングは当然マルシャリンを歌いますが、オクタヴィアンはスーザン・グラハム、ゾフィーはなんとバーバラ・ボニー。指揮はエッシェンバッハで、オケはウィーンフィル、録音場所はウィーン楽友協会大ホールにて1998年収録。いやー、すばらしい。
エッシェンバッハのタクトはかなりたっぷりと歌わせる感じで、比較的遅いテンポ。しかし、こういう歌手名義のアルバムだと、テンポ取りなんかのイニシアティブは誰がとるんだろう? エッシェンバッハなのかフレミングなのか。
フレミングの声は、すごく柔らかく優しさに溢れていて、母性愛を感じます。フェリシティ・ロットがある種貴族的上品さを持っているのに比べて、もうすこし僕らの目線まで降りてきてくれている感じです(ロットがお高くとまっている、ということを言いたいわけでは絶対にないのです。ロットも大好きですよ。でないと映像観ても泣かないですよ)。
フレミングは、ワーグナー歌い的ではないですし、シュトラウスオペラにあっても、エレクトラやサロメは似合わないです。プッチーニオペラでも似合う役があるだろうか?? アマゾンをザッピングしてみても、やっぱり、ヴァーグナーは録音していないみたい。Wikiには、ムゼッタを歌ったことがあると書いてあるけれど、ムゼッタ的じゃないよなあ。もっと大人な女性の役が似合います。
それにしても、このアルバムは僕にとっては本当に理想的です。「ばらの騎士」と「カプリッチョ」を一挙に楽しめるのですから。
ばらの騎士のあらすじも書きたいなあ。。

Opera,Richard Strauss


ばらの騎士。最近、私がずっと泣いているオペラ。
これまで聞いた実演をまとめてみると…。ちょっとお恥ずかしいのですが。
1. 2003年7月20日:二期会 @東京文化会館
2. 2007年6月9日:新国立劇場@オペラパレス
3. 2007年7月2日:チューリヒ歌劇場@オーチャードホール
4. 2007年11月23日:ドレスデン国立歌劇場@NHKホール
5. 2009年1月25日:ペーター・シュナイダー&東京フィル@オーチャードホール(ばらの騎士組曲)
6. 2010年1月3日:ニューイヤーオペラコンサート@NHKホール(最終部三重唱のみ)
7. 2010年1月10日:尾高忠明&N響@NHKホール(ばらの騎士組曲)
「ばらの騎士組曲」や最終幕三重唱のみも含んでますが、どれも私にとっては重要なのであえて。
一番感激したのは、2007年6月9日の新国立劇場公演です。あれを超える体験をこれからできるかどうかわからない。ないかもしれない。ポイントは4点。
1. ペーター・シュナイダーの絶妙なタクト
2. カミッラ・ニールントの歌唱、演技、容姿
3. エレナ・ツィトコーワの深く濃い声と、ボーイッシュで精悍なオクタヴィアンの演技
4. ジョナサン・ミラーのフェルメールのようなオランダ絵画的淡い色調にまとめられた舞台と演出。
トップの写真は、マルシャリンのカミラ・ニールントと、オクタヴィアンのエレナ・ツィトコーワ。お二人ともすばらしかった。
当時の記事を読み直してみると、
https://museum.projectmnh.com/2007/06/09221553.php
相当感動してます。いま思い出しただけで涙が流れてきた。BGMはフレミングですけど。フレミングについてはまた明日。

Opera,Richard Strauss

このところ食事しながら音楽番組を見る感じになっています。昨夜見たのは、クライバーの振るあの「ばらの騎士」です。ウィーンで振ったほうですね。もうおなじみ。何度取り上げたことか。
* 指揮=カルロス・クライバー
* 管弦楽=ウィーン国立歌劇場管弦楽団
* マルシャリン=フェリシティ・ロット
* オクタヴィアン=アンネ・ゾフィー・フォン・オッター
* ゾフィー=バーバラ・ボニー
* オックス=クルト・モル
ばらの騎士で私が好きな場面を上げてみると
# 第一幕:序奏部からオクタヴィアンが朗々と歌い上げる場面まで
# 第一幕:マルシャリンが嘆きを見せる最後の場面
# 第二幕:ばらの献呈
# 第二幕:献呈後からオックス登場までの、オクタヴィアンとゾフィーのダイアローグ
# 第二幕:オックスのワルツ
# 第三幕:最終幕の三重唱以降
いまのところはこんな感じでしょうか。もちろん、ここ以外もすばらしいんですがね。
ともかく、「ばらの騎士」は、僕にとっては、何度も観たり聴いたりした大切なオペラです。
今回演奏をつまみ食いして見聞きして発見したこと。なんども思っていることですけれど。
カルロス・クライバーの指揮姿って、すごく格好が良い。もちろんオケを牽引する力は並大抵のものではない。この、豪華絢爛であまりに難易度の高い楽曲を手中に収め、美的価値が極限まで高める力は真の芸術家だなあ、と。洒脱で名状しがたい酩酊感をともなう国宝級の演奏です。
それから、バーバラ・ボニーのすばらしさといったら! 私は何人かゾフィーを聴きましたが、この方ほどのゾフィーはそうそういらっしゃらないのではないでしょうか。そうですね、清らかな若々しい声は、高音域まで豊かな倍音を含んでいて、ばらの献呈の場面の最高音域にあっても音の勢いが減衰することなく高いレベルで持続しています。
それでは、感動的な場面をいくつか。
まずはばらの献呈の場面。シュトラウスの数ある美的極地のひとつに数えても良いでしょう。オッターもボニーもすごい集中力と緊張感で、本当にすばらしい。

続いて、最後の三重唱。ロット、オッター、ボニーの歌唱と演技には脱帽。ここで私は泣いたわけです。

それで、昼休みに「ばらの献呈」からオックス登場と、最終幕の三重唱以降までをiPodで観ていたんですよ。で、また、涙出てしまった。会社なのに、お恥ずかしい。職場みたいなある種戦場にあって、なんだか、現実と夢の境を超えて、その落差におののいたのかもしれない。
というわけで、また西田敏行状態。2009年末の紅白でも絢香の歌を聴いて泣いてましたよね。奥さんは、西田敏行が泣きキャラだということ知らなくて、感動していたらしいのですが、あとで西田の泣きキャラ具合を聴いてすこし興ざめだったみたいです。最近、男、特に中年男が泣くのがはやってます?? 徳光和夫も、「ボエーム」を観て泣いてたしなあ。

Opera,Richard Strauss

今朝も朝から大忙しです。なんだか最近4時ごろに目が覚めちゃう。寝るのは23時前なんですけれどね。もう少し眠らないと体に悪いとわかっているんですが、なんだか起きちゃう。悪夢を見るわけでもないのですが。いや、悪夢ではない現実的な夢だからこそ悪夢より悪夢的で、きっとそこから逃避しようとして起きているに違いない。最近、そう思うようになりました。

さて、年末に注文していたホルスト・シュタインが振るシュトラウスの「カプリッチョ」をiPodに入れましたので、大好きな最終場面をまずは聞いてみましょう。伯爵夫人マドレーヌはアンナ・トモワ=シントウ。カラヤンに多く起用された大歌手でして、私もカラヤン盤「ばらの騎士」や、カラヤン盤「4つの最後の歌」でお世話になりました。

この方の声の特徴としては丸みを帯びた豊かな声なのですが、少々ビブラートが強い感じです。昨年イレーネ・テオリンのビブラートに共鳴して以来、ビブラートへのアレルギーは徐々に薄れていきました。今回聞いたところでは、以前よりもあまり違和感を感じずにすみました。

むしろ、シントウの歌い方は、実に感情的です。ルネ・フレミングの伯爵夫人はすこし気取った、気高い感じでしたし、ヤノヴィッツの伯爵夫人は清らかな感じでしたが、ここでのトモワ=シントウの伯爵夫人は実に情感たっぷりに歌っている。まだ、詩をとるか(つまりオリヴィエ)、音楽をとるか(フラマン)、本当に決め迷っているというふうに聴いて取れます。

そして、最後のソネット。今日もまた泣いちゃおう。なんでこんな曲を書いたんだろう。昨日友人の日記にもコメントしましたが、もう、ほとんど西田敏行的な泣き上戸になってしまっている。っつうか、実演で涙が流せなかったら、元取れてない、と思っちゃうぐらい。

昔から、コンサートの最初で弦楽器がなるたびに背筋がゾクゾクしていたんですが、まだ泣くにはいたらなかった。最初に大泣きしたのは、新国立劇場の2003年の「ラ・ボエームで、有名な「私はミミ」の前にあるロドルフォのアリアのところ。あそこ、本当に泣きました。あれが、初めて。アルフレード・ポルティーヤのテノールでした。

今回のシントウの伯爵夫人もうっとり。伯爵夫人マドレーヌが、詩人オリヴィエからの求婚を受け入れるのか、作曲家フラマンからの求婚を受け入れるのか、本当に迷っていて、どうしようかどうしようか、という切迫感を感じさせます。かなり感情のこもった熱唱です。

シュタインの指揮もたっぷりとための入った豪華なもの。完全に掌握して放さず、それでいて失速しない、という、私がいつも書いている指揮者への賛辞が当てはまります。

来年のMETでは、「カプリッチョ」があるようです。伯爵夫人はフレミング。2011年4月ですが。これは絶対に落としてはなりません。

Opera,Richard Strauss

3月5日金曜日の夜のNHK「芸術劇場」、ごらんになりましたか? 新国立劇場の11月公演「ヴォツェック」が放映されていましたね。番組冒頭で、所々に舞台の様子や音楽が紹介されて、それだけでもう、ゾクゾク来てしまう。いやあ、あれはマジで凄いパフォーマンスでしたからね。一生忘れません。
でもですね、あのおどろおどろしい舞台衣装と、無調の奇々怪々な旋律は、土曜日の夕食のお供にはあわないから、やめてくれ、と奥さんに却下されてしまった。これは違う機会に見ましょう。
関連ページは以下の通り。ちょっと読んでみてください。
“https://museum.projectmnh.com/2010/01/24202937.php":https://museum.projectmnh.com/2010/01/24202937.php
さて、そう言うわけで、昨夜の夕食には、シュトラウスの「インテルメッツォ」を見ていました。先日も紹介しましたが、1983年のグラインドボーンのライヴ収録でして、フェリシティ・ロット主演です。というか、去年の10月にNHKホールで見たとおり上品な方のですが、意外にも少し戯けた、ユーモアのある表情や演技を見せてくれて、ロットの新しい一面をみた気分です。私にとってロットは、「ばらの騎士」のマルシャリンでなければならなかったのですから。
インテルメッツォの筋書きは非常に簡明なものです。作曲家であるロベルト・シュトルヒ(イニシャルはすなわち、R.Sであり、リヒャルト・シュトラウスを意味しています)と夫人の、とある勘違いによる諍いを取り上げたもの。まあある種痴話げんか的な様相も持つものなのですが、そういう日常的で卑近なストーリーにこれほどまでに華麗で重厚な音楽をつけるシュトラウスの才能はいろいろな意味で凄いです。これは「家庭交響曲」とか「英雄の生涯」にも言えることですけれどね。
旦那のシュトルヒは、仕事で家を外すのですが、当然夫人は家政を取り仕切ったりするのだが、まあ、退屈な生活に飽き飽きしている。自分がどんなに悲惨な境遇にあるか、と泣いているんですが、突然電話が。友人にそり滑りに誘われるんですね。すると、夫人はすぐに泣き止んでご機嫌になってそり滑りに出かける。そこで偶然であったのがルンマー男爵という若い男。夫人の知己の貴族の息子とあって、警戒心をすっかり外れてしまい、ルンマーとまあ舞踏会に出たりして遊び回るんですね。ところが、ルンマーは遊びたい盛りでお金に困っている。ですので、シュトルヒ夫人に1000マルクの支援をお願いする。結局金目当てなんだ、というところ。
ところが、そこに思いも掛けない手紙が舞い込んでくる。それはミッツェ・マイヤーという女性からロベルト・シュトルヒ宛のラヴレター。シュトルヒ夫人は怒り心頭に達し、離婚まで考える。ところが、真相は、シュトルヒの音楽家仲間が、シュトルヒの名前を勝手に使って女を口説いていたというわけ。シュトルヒが浮気をしていた訳じゃなかったわけですね。シュトルヒ夫人は公証人のところに行って、離婚の手続きまでしようとするんですが、この公証人は実は密かにシュトルヒ夫人のことを見張っていというわけ。
ロベルト・シュトルヒが帰宅して、夫人とまあ仲直り。それにもまして、ロベルトは夫人がルンマーとよろしくやっていて、なおも1000マルクの援助をさせられそうになったことをちゃんと知っていて、逆にとっちめてしまう。
まあ、最後は、お互いの愛情を確認し合ってめでたしめでたし。
実は私は2004年の夏に実演に触れているんですよ。指揮は故若杉弘さんで、夫人は釜洞さん。新国の中劇場でした。実に楽しい演奏会でした。シュトラウスの濃厚な音楽とユーモアある喜劇を見るという本当の贅沢でした。良い思い出です。実は釜洞さんと私は高校が同じです。彼女の方がずっと先輩ですけれど。あのときのパンフレットにはリブレットの邦訳が載せられていて、日本語盤が発売されていない現在の状況においては、大変貴重なものなのですが、今朝探しても見あたらない。ちゃんと探さないと。
初演は1924年にドレスデンにて。主役のシュトルヒ夫人はロッテ・レーマンが歌いました。どこで読んだのか思い出せないのですが、確かこんなエピソードが。初演が終わって、シュトラウスと、シュトラウスの奥さんのパウリーネ夫人、それからレーマンがエレベータだかで一緒になったときに、レーマンがパウリーネ夫人に「これはご主人からの素晴らしい贈り物ですね」とはなしかけたのですが、パウリーネ夫人は無言だったとか。恐ろしい。でも、シュトラウスはきっと内心笑っていたはずです(笑)。
先日も書きましたが、このDVDは歌詞が英語です。所々でドイツ語が混ざるんですが。さすがに聴いているだけでは意味が分からないので(お恥ずかしい)、英語の字幕出しながら見ています。それでも難しいです(お恥ずかしい)。でも、英語版も思ったより良い感じ。
でも、サヴァリッシュ盤のルチア・ポップの歌唱が時々頭をよぎりました。あそこでのポップの歌は、ほとんどアクロバット的ともいえる正確で、ピッチが良すぎて怖いぐらい。第一幕最終部の手紙を読んで怒るあたりは、相当な緊張感で、あそこだけでもこのCDを聴けば、買って良かったと思います。ポップの声は鋭角な感じですので、こういうキツイ感じの役柄によくあいますね。
そうそう、先日、METの「ボエーム」を録音して聴いていました。とある方のピッチが意外にも少々フラット気味で少々興ざめな感じでした。ちょっとびっくり。人気のある方なんですけれどね。