Opera,Richard Strauss


いつぞやの新国の写真。休憩中のベランダ。新国の屋内は禁煙なので、喫煙者はベランダに出てたばこを吸っておられます。私はたばこは吸いませんが、外の空気に当たりたいので休憩中はいつもベランダに出てカシオの本社やらオペラシティの高層建築を眺めたり、ガラス張りのホワイエの中の人々を観察したりして過ごしています。
さて、「影のない女」のオペラトークの三回目です。
オペラトークの模様は新国立劇場のページにもアップされてます。
http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/20001048.html
今回のオペラトークのご報告ですが、田辺先生がおっしゃったことに、私の主観がかなり混ざっていますので、そのあたりはご容赦ください。

時代的意味

このオペラが書かれたのは1911年から1916年にかけてです。時代は第一次世界大戦にさしかかったところ。オーストリア皇帝といえば、もちろんあの謹厳実直なフランツ・ヨーゼフ一世で、皇后はバイエルンお受け出身の美貌のエリザベート。ご存じの通りエリザベートとフランツ・ヨーゼフ一世の結婚生活はあまりうまくいっていませんでした。そうした故事がこのオペラにおける皇帝と皇后の関係にも投影されていると言えましょうか。

アクチュアリティ

このオペラはエゴイズムとヒューマニズムのせめぎ合いとも捉えられましょう。「影」を奪い取ろうとする乳母の利己性と、奪い取ることについて良心の呵責を覚える皇后の心情。この対比はまさに人間の欲望と理性のせめぎ合いとして捉えることができましょう。
皇帝と皇后はメルヒェンの世界でいわば引きこもり状態で暮らしている。だが、「影」を奪うために、どろどろとした人間社会の中に降りてゆく。これはいわば人間の社会参加に他なりません。
ホフマンスタールは、ご存じの通り早熟の天才です。
“http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB":http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB
代表作は「チャンドス卿の手紙」です。いつぞやこのブログで書いたことありますね。
"
https://museum.projectmnh.com/2007/11/29171254.php":https://museum.projectmnh.com/2007/11/29171254.php
彼自身、オタク的とも言える早熟の天才知識人でしたので、社会との関わりについていっそうの意識を持っていたのかもしれません。
「チャンドス卿の手紙」では、文学表現の限界性が述べられているのですが、そうしたホフマンスタールがオペラ台本を手がけるということについては、これまでも奇異なイメージを抱いていました。当時のオペラは、今で言えば映画のようなもので、貴族や大衆に向けられたものでしたので、純粋文学からオペラ台本を手がけるという方向転換は、ホフマンスタールのの立場の変化は大きいものだと思いました。
明日は音楽面について。ああ、ライトモティーフ打ち込まないと。頑張ります。

Opera,Richard Strauss


月影もあらわになるほどに青空に映える三日月。影は常に寄り添うもの。
「影のない女」オペラトークの2回目です。終わるまでにはちょっと時間がかかりそうですね。初日は5月20日だそうですので、新国の舞台裏は今は大変なことになっていると思います。大丈夫でしょうか、みなさま。楽しみにしております&応援しております。

影とは何か?

「影のない女」の影とは何か? 詳しくは述べられませんでしたが、「影」とは、人間の生殖能力のことを指していると解釈されます。皇后は霊界出身であるがゆえに、真の人間ではないため、「影」を持たない。だから、真の人間になるべく、バラクの妻の「影=生殖能力」を奪うのである、という、実に陰惨な物語でもあります。
皇后は、影を得て子供を得たいのだが、皇帝は妻にはお構いなく、狩りに興じて家を留守にしている。一方バラクの妻は現実の生活につかれきってバラクに愛想を尽かしていて、子供なんて欲しくない。
二組の夫婦は、それぞれ子供を得ることができないという状態に置かれた不安定なもの。そこにこのオペラのひとつのモティーフがあるわけです。

バラク夫妻

よく知られているように、シュトラウスには暴露趣味があります。以下の三つは有名でしょう[1]。
* 英雄の生涯:シュトラウス自身を英雄になぞらえたもの
* 家庭交響曲:シュトラウス一家を描いた実に奇天烈で美しき交響曲
* インテルメッツォ:シュトラウス夫妻の間に起こった愉快な勘違い夫婦喧嘩をオペラに仕立て上げた。
で、バラク夫妻もやっぱりシュトラウス夫妻のメタファーになっているそうです。バラクは実直な男として描かれていますが、バラクの妻は、癇癪もちで、夫に愛想を尽かしているような女性なんです。
シュトラウスの妻であるパウリーネは歌手でしたが、結婚してからは、癇癪もちでヒステリックな悪妻だったようです。とはいえ、分かれるようなことはなかったんで、本当は互いに愛し合っていたんでしょうけれど。
これは、私がどこかで聴いた話なのですが、自宅への来客に、シュトラウスはこういったんだそうです。
「君、帰る時間を遅くして、もう少し我が家にいてくれないか。君が帰ったとたん、カミさんは、僕に『早く仕事(作曲)しなさい!』と癇癪を起こすだろうからね」
確かこんな内容。パウリーネがいてくれたおかげで、僕らはシュトラウスの音楽に恵まれているという面もありそうです。

世界観

このオペラには三つの世界があります。その間を行ったりきたりするわけです。
# 霊界:カイコバート、乳母、伝令が属する世界。妖精の世界。皇后は霊界出身である。
# メルヒェン世界[2]:皇帝と皇后が属する世界。
# 人間界:バラク夫妻の属する世界
霊界を、ホフマンスタールは神秘的なユートピア世界、神話的世界と捉えていました。「リング」のヴァルハラのようなイメージでしょうか。
fn1. 「エジプトのヘレナ」でもやはりシュトラウス夫妻をモティーフにしたと思われる夫妻が登場するそうですが、不覚にも「エジプトのヘレナ」が数年前に上演したとき、落としていますので、大変残念。
fn2. オペラトークでは「メルヒェン」という言葉は使われませんでした。

Opera,Richard Strauss

なんだか、久々のつれづれでご勘弁を。オペラトークの後半は、ちょっとお待ちください。いろいろ面白かったんですが。

これ、なんだか分かります?
カプリッチョの譜面なんです。この部分、右下のところに台詞が書かれていますが、ここは、伯爵とクレロンがソネットの詩を朗読し合うところです。
シュトラウスの譜面は本当に難しいです。本当はちゃんと譜面に起こして書きたいところですが、ちょっとだけさわりを。
なのであえて題名には「その1」と書いてあります。「その2」以降でもう少し考えていく予定です。
先だって書いた以下の記事にYoutubeの映像を埋め込んであります。フレミングが歌っているもの。泣けます。
“https://museum.projectmnh.com/2010/03/20071815.php":https://museum.projectmnh.com/2010/03/20071815.php
最終幕で伯爵夫人マドレーヌが歌うソネットの部分ですが、譜面では四分の三拍子で書かれております。
で、この部分、聞いているだけじゃ、三拍子には聞こえないんです。
普通の拍節じゃないんですよね。四拍子でも三拍子でもない。おそらく、途中で何度も拍子を変えているんだろうなあ、と思って、譜面をみたら、単純に四分の三拍子だったというわけ。
でもですね、一つのソネットの歌詞が五小節に当てはまっている。なので、聴いている側とすると、五拍子的なフレージングに聞こえるというわけです。
もちろん、歌詞の内容と、三拍子という拍節は全くリンクしていません。なので、歌詞の意味と拍節の同期を取ろうとすると、拍子が変わっているように思えるんですね。
すごいですね、シュトラウス。半端なく難しい。
やっぱ、譜面みながら聴くと、いろいろと発見があって面白いです。著作権が切れた譜面はIMSLPというサイトでpdfで見ることができます。
“IMSLP":http://imslp.org/
「ばらの騎士」とか「サロメ」は、ダウンロードできるんですが、カプリッチョは日本からだとダウンロードできない。まあ、ブラウザの設定を変えたりプロキシを使えば何とかなるんでしょうけれど。
さて、わたくし事ですが、7年半にわたってお世話になったThinkpad X30の液晶バックライトがとうとう光らなくなりました。外部ディスプレイにつないで、USBキーボードつないで使ってますけれど。
長い間お疲れさんでした。
第二の人生はウェブサーバーかしら、と思っています。

Opera,Richard Strauss

連休あけて、すぐに土日に突入ですが、土曜日は会社で仕事するより忙しい感じ。午前は都心に出かけて所要を済ませ、地元にとって返してジムに行って、イギリス人としゃべって、帰宅して、夕食を作るというパターン。まあ充実しているんで苦ではないですけれど。

オペラトーク

新国立劇場5月の演目は、リヒャルト・シュトラウスの歌劇「影のないの女」です。というわけで、ジムはお休みして行って参りました。
今日のオペラトークでは、一橋大学院教授の田辺秀樹さんのレクチャーと、カバー歌手の方々による聴き所の紹介がありました。これまでのオペラトークですと、指揮者と演出家の方がお話しされるのですが、今回はそういった趣向はなくて残念でした。演出のエーリッヒ・ヴェヒター氏とドニ・クリエフ氏の話も聞きたかったなあ。でも、いろいろもやもやとしていたものがクリアになって、個人的には有意義なレクチャーでした。

総論

まずは、このオペラの位置づけについて。シュトラウスは全部で15曲のオペラを書いておりますが、そのうち「影のない女」は7曲目に位置するオペラです。シュトラウスのオペラ最高傑作と言われていて、シュトラウス自身も相当気合いを入れて書いたとのこと。故若杉弘さんは、シュトラウスオペラのなかでこの曲が一番好きだったとか。だから、なおさら、「影のない女」を今シーズンの演目に入れたのだと思います。本来なら若杉さんがタクトをとるはずだったわけですが、残念ながらお亡くなりになってしまったという感じ。
ともかく、このオペラは非常に難しい。理由は、やはり天才ホフマンスタールが、彼のあらゆる文学知識を総動員してリブレットを作ったというところにあるでしょうし、文学的才能に恵まれていたシュトラウスも、シュトラウス自身、ホフマンスタールが書いたリブレットを大変鷹評価し、その難解さを咀嚼して、音楽的技術的にも彼のもてる力を最大限に投入して作られたオペラであるから、ということにありましょう。

ストーリーの要約

田辺先生のストーリーの要約には少し驚きました。それは以下のようなもの。
*二組の不幸な夫婦が試練を通じて真の幸福に達する*
なるほど、最大限に要約するとそうなりますね。
二組の不幸な夫婦とは
# 皇帝と皇后
# 染物師バラクとその妻
となります。
なるほど。簡潔にまとめるとこうなりますか。確かにそうですね。
皇帝は、利己的な男で、皇后の愛なんかより自分の大好きな狩猟に明け暮れるような世間ずれした男です。バラクの妻は、現世に疲れ切っていて、夫のバラクにも愛想を尽かしているような女。二組ともうまくいっていないのです、。

ストーリーをちょっと。

というわけで、ちょっとストーリーにおつきあいを。以下のリンク先の人物相関表も見ながら読んでいただくと良いかもしれません。
“https://museum.projectmnh.com/2010/05/02104406.php":https://museum.projectmnh.com/2010/05/02104406.php
皇后は霊界の出身。霊界の王カイコバートの娘で、いろいろな動物に姿を変えることができたのですが、牝鹿に化けていたときに皇帝に射止められてしまい、皇帝と結ばれることになります。
皇后は霊界の出身であり、「影」を持っていません。「影」とは、要は子供を作る能力を象徴しているわけです。皇帝と皇后が結ばれてから1年経って「影」を手に入れてないとなると、皇帝は石になってしまうという呪いがかけられていますので、皇帝を愛する[1]皇后は、影を手に入れなければならない。そういうわけで、皇后に使える乳母の手引きで人間界に降りていき、バラクの妻から「影」=子供を産む能力を手に入れようとします。(第一幕)
これはすなわち、バラクの妻が子供をもうける、という幸福を、皇后が取り上げると言うことに他なりません。乳母は冷徹なメフィストフェレス的な存在でして、バラクの妻を色仕掛けやら装飾品やらで釣って、「影」を奪おうとするわけです。皇帝は皇帝で、皇后と乳母が人間界に出かけているのを良くは思っておりません。[2]バラクの妻は、乳母の策略にはまって影を失いかけてしまうのですが、バラクは怒り、妻を殺そうとします。その瞬間、バラクとその妻は大地に飲み込まれてしまいます。(第二幕)
そこで、互いへの愛情の重要さを再認識して、歌う二重唱が実にすばらしいところ。皇后の方は、石化した皇帝の姿を見せつけられ、湧き黄金の水を飲めば、バラクの妻の「影」を手に入れることができ、皇帝の石化も溶けるのだ、と告げられる。しかしそれは、バラク夫妻の幸福(=子供ができる)を奪うことに他ならない。そこで、皇后の良心は以下の決断を下します。
「私は、それを望みません! (Ich will nicht!)」ここが、このオペラの最高点の一つ。
すると、石化した皇帝は元に戻り、皇后は影を得ることとなる。バラクの妻も影を奪われることなくバラクとの愛を確かめ合い、二組の夫婦は幸福な結末に達し、めでたしめでたし、ということで幕となります。
(第三幕)
本日はここまで。明日に続きます。
fn1. なぜ、皇后が皇帝を愛しているのかが不明。
fn2. ここの皇帝の歌は、第一幕の歌唱とともに実にすばらしいです。

Opera,Richard Strauss

プロット研究中

今朝になって、影のない女のプロットをまとめに入ったのですが、これが非常に込み入っていて、なかなかまとめられない。私の持っている唯一の日本版であるシノポリ盤のライナーノーツの細かい字を読みながら要約したんですが、まだみなさまの前に発表できる段階にはありません。本当は今日のうちに片付けるつもりだったんですけれどね。

それで、そうこうしているうちにカイルベルトが振った盤を全部聴いてしまいました。

「影のない女」再発見

 
 最近は「影のない女」については、いろいろと発見があって非常に興味深いです。このオペラの主な登場人物は以下の通りです。 
*  皇帝
*  皇后
*  染物師バラク
*  バラクの妻
*  伝令
  皇帝は当然ヘルデン・テノールですが、皇后もバラクの妻もホッホドラマティッッシャー・ソプラノでして、まあブリュンヒルデやトゥーランドット姫と被る声質が求められているわけです。
ショルティのDVD盤ですと、バラクの妻はエヴァ・マルトンなのですが、彼女は、METでドミンゴと歌った「トゥーランドッット」ではトゥーランドッット姫を演じていたし、ハイティンク盤リングではブリュンヒルデを歌っていました。
バラクの妻のプロット上の重要度は理解していたつもりでしたが、第三幕の最初のところで、バラクと一緒に歌うあたりの歌唱の内容からみて、これはもうブリュンヒルデ級が求められているんだなあ、ということが理解できました。
 
 おなじく、伝令は、プロット上には一切登場しない霊界の王カイコバートのメッセージを届ける役に過ぎないんですが、カイルベルト盤ですと、ハンス・ホッターが歌っている。ショルティ盤DVDだとブリン・ターフェルが歌っています。
 バラク役の重要度は言うまでもありません。あの第三幕前半のこの世を超絶した甘く悲しみを湛えた美しいところがありますから。カイルベルト盤ではフィッシャー=ディースカウが歌っていて、これがまた素晴らしい。
 

カイルベルト盤

 
この盤、1963年11月21日のバイエルン州立歌劇場でのライブ録音。少々古い年代ですが、音質的にもこなれていますし、なにより歌手が良いですし、値段もお手頃なので予習にはもってこいでしょう。みんなパワフルな歌唱です。ですが、この盤、Brilliantでして、いまいまネットで探せないです。
 
 というか、この甘くりりしいバラクを歌うディースカウとか、第三幕で乳母を突き落とす伝令の激しさを歌うハンス・ホッターのすばらしさは筆舌に尽くしがたいパワー。ハンス・ホッターって、やっぱり凄いんだなあ。ショルティ盤のリングを思い出しました。
 
 出演者の方々は以下の方々です。
* Chorus==ドレスデン国立歌劇場合唱団
* Composer==リヒャルト・シュトラウス
* Conductor==ヨセフ・カイルベルト
* Orchestra==ドレスデン国立〔歌劇場〕管弦楽団
* 皇帝==Tenor==ジェス・トーマス
* 皇后==Soprano==イングリート[←イングリッド]・ビョーナー[←ビョーネル]
* 乳母==Mezzo-Soprano== マルタ・メードル
* バラク==Bariton==ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
* バラクの妻==Soprano==インゲ・ボルク(←ボルイ)
* 伝令 ==Bariton==ハンス・ホッター
明日で連休も終わりですが、疲れはとれませぬ。明日はヨガに行く予定です。

Opera,Richard Strauss

さしあたりわかったことですが、「影のない女」は人生三回目に見るオペラではありませんでした。作曲家リヒャルト・シュトラウスも、台本作家のホフマンスタールも、この作品が難解きわまることをすでに承知していて、ホフマンスタールは自ら筆を執って解説文を書いたほどなのですから。
といって、8年前の自分を慰めましょう。
というわけで、残り一ヶ月を切っていますので、早速勉強して参りましょう。本日は人物相関図です。

これまた難しい。表現をどうすべきか。
私なりに、あらすじを書くしかなさそう。

European Literature,Opera,Richard Strauss

5月の新国立劇場は「影のない女」です。

苦い思い出

何度も書いたように、このオペラには苦い思い出があります。
生涯第3回目のオペラがこの「影のない女」でして、予習を十分にできないままパリに飛んで、翌日の夜にバスティーユに出かけたのはいいのですが、激務と時差ぼけでもうろうとした状態のまま数時間が過ぎ去ってしまったのでした。指揮者はあのウルフ・シルマーだったというのに!!
鷲のライトモティーフだけが、なんだか頭の中に先入観のようにこびりついたり、今聴けば、あんなに感動的な皇帝のアリアに心を動かすことができなかっただなんて。皇帝が歌っているのをなにか別世界のテレビのように感じていました。本当に残念。

予習の始まり

確かに、このストーリーを、今、私自身がきちんと咀嚼できているか、というとそんなことは全くないです。故若杉弘さんが、このオペラを理解するには、まずはホフマンスタール自身がノベライズした小説版を読んだ方がよい、と進めておられたのを思い出して、先だってくだんの本を古書店で入手しました。
というわけで今日から重厚で品のある邦訳版を読み始めた次第。ちょっと本が読めない状態だっただけに、久々の散文は本当に気持ちいいです。

ショルティ盤

で、もちろん音楽は「影のない女」です。今日はショルティ盤を選択してみました。それで大変重要なことに気づいたのです。それは、プラシド。ドミンゴがドイツオペラを歌う時に覚える言い得ない違和感の原因。私は、それはどうやらドイツ語の鋭利な子音をドミンゴが柔らかく解きほぐしているからではないか、と思ったわけです。ドイツ語は読み書きもできないし、話すこともできませんが、昔は語学学校に通っていましたので、愛着だけはあります。ドイツ好きですから。
ショルティ盤は、アマゾンでは取り扱っていないようです。私もたまたま入手できたのでラッキーでした。DVD盤もありますがこちらはCDとはキャストが違います。

これからのこのブログの行く先は?

それから、オペラ歴ももうそろそろ8年になりますが、初めてオペラを聴く方に役に立つコンテンツを作ってみようかなあ、と思案中。それから、新国立劇場の公演をまとめるような仕組みも作りたい。やりたいことはたくさん。でも、きっと僕は全部やるんですよ。間違いなく。そう思うようになりました。
今日はつれづれ風。

Opera,Richard Strauss

第三世代iPodに戻って二日目。なんだか勝手が違うなあ。

で、聴いているのは、ウェルザー=メスト&シュテンメ@チューリヒ歌劇場の「ばらの騎士」DVDをAACに落としたもの。2007年の「ばら戦争」のときに実演に接しています

2007年9月のチューリヒ歌劇場の感想はこちら。

https://museum.projectmnh.com/2007/09/02214520.php

でも、チューリヒのキャスティングもかなり豪華だったのですよ。演出は奇抜すぎましたが、ウォーナーのリングのような徹底さはなかった。というか、シュトラウスやプッチーニのオペラの読み替えは、ワーグナーのオペラのそれにくらべて、結構難しいですよね。

ニーナ・シュテンメは、マルシャリンも歌えますが、イゾルデもサロメも歌ってるんです。

「4つの最後の歌」のほうは、深みがあって大変良いです。一緒に「サロメ」の最終部も入っていますが、これは凄いですよ。妖しいサロメの退廃的な空気を見事に歌い出しています。

R.シュトラウス:4つの最後の歌
シュテンメ(ニーナ) シーゲル(ゲルハルト) ホワイト(ジェレミー) グロドニカイテ(リオラ)
EMIミュージック・ジャパン (2007-08-08)
売り上げランキング: 301794
おすすめ度の平均: 5.0

5 新たなシュトラウス・ヒロイン誕生ですね

ドミンゴと録った「トリスタンとイゾルデ」。シュテンメ的にはすばらしいのですが、さすがにドミンゴは齢には勝てない。ですのでアルバム全体としては賛否両論あるかも。

ワーグナー:トリスタンとイゾルデ(全曲)(DVD付)
ドミンゴ(プラシド) シュテンメ(ニーナ) 藤村実穂子 パーベ(ルネ) ベーア(オラフ) コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団
EMIミュージック・ジャパン (2005-10-26)
売り上げランキング: 498524

そういう意味ではシュテンメはかなりレパートリーが広いです。

シュテンメは強いソプラノ。ホッホドラマティッシャー・ソプラノといえましょう。だから、イゾルデも歌えるし、ブリュンヒルデも歌えるはず。フレミングのような温かみはないのですが、冷たく鈍く光る鋭利さがありますね。ルルもいけそうだし、クンドリもいけるでしょう。特にルル、歌うと凄いんじゃないかな。

公式ホームページはこちら

レパートリーを見ると、「ヴォツェック」のマリーは歌っているけれど、ルルはまだみたい。今後に期待。で、予想通りやっぱりブリュンヒルデは歌ってますね。

逆に言うと、マルシャリンとか、「カプリッチョ」の伯爵夫人のような、温かみをもつ役には違う意味が加わりますね。これもオペラの面白さ。演出の読みかえは当然ですが、歌手の声質で、オペラが読み替えられるという感じ。面白いです。だから、テオリン様のマルシャリンはちょっと想像がつかないのと感じは似ている。

それから、美しいお方であることは間違いありません。チューリヒの演出ではちょっと神経質なマルシャリンを演じておられましたが、「ばらの騎士」だというのに何か妖艶さのようなものを感じた覚えがあります。

あーヨーロッパで放浪してオペラ見まくりたい。果たせぬ夢。

今日は午後は都心へ外出。移動時間2時間あるので、いろいろ読んだり聴いたりできそう。仕事ながら楽しみ。

Opera,Richard Strauss,Vocal

はじめに

フェリシティ・ロットは、いわずとしれたイギリスを代表するソプラノ歌手です。1947年生まれと wik iにはありますので、今年で63歳。私は昨年の10月に実演に触れています。曲はもちろんカプリッチョの最終場。録画失敗したのが悔やまれます。
“https://museum.projectmnh.com/2009/10/19214851.php":https://museum.projectmnh.com/2009/10/19214851.php
あのときも泣けて泣けて、涙が出てしようがないぐらい感動したんですが、(思い出しただけれうるんじゃいます)、ロットのカプリッチョが聴けるCDがないかと物色していました。プレートルが振った全曲盤があるのですが、高くて躊躇していたんですが、まずはネーメ・ヤルヴィが伴奏を振っている「四つの最後の歌」などとカップリングされたCDを購入しました。
そして、あまりのすばらしさに感動しております。
# Biem Schlafengehen
# September
# Fruhling
# Im Abendrot
# Wiegenlied
# Ruhe, Meine Seele!
# Freundliche Vision
# Waldseligkeit
# Morgen
# Das Rosenband
# Zueignung
# Des Ditchers Abendgang
# Intermezzo (月光の音楽)
# Closing Scene (カプリッチョ最終幕)#
ちょっと面白いんですが、一般的な「四つの最後の歌」と順番が違うんです。
ふつうは
# Fruhling
# September
# Biem Schlafengehen
# Im Abendro
なんです。なので、ちょっと新鮮な感じです。もっとも、順番はシュトラウスの死後に決められたものですので必然性は低いんですけれどね。

音響の素晴らしさ

このCD、やけに音がすばらしいのです。トラック12のDes Ditchers Abendgang以外は、すべてCaird Hallというところで録音されています。
“Caird Hall":http://www.cairdhall.co.uk/
このホール、かなりすばらしいリヴァーヴなんです。ルカ教会残響の深さは似ているのですが、ちょっと残響の音程は高めです。この絶妙な残響感が、ロットの高貴で品性のある声を十二分に引き立てています。
実は、最初聴いたとき、あまりに美しすぎて、ちょっと引いたんですよ。何というか、不自然さのようなものを感じたんです。
というのはこんな経験をしたからです。
昨年、某日本人有名歌手のCDを聴く機会がありました。そのCD、あまりにリヴァーヴがかかりすぎていて、どこで録音したのかと見てみると、ただの音楽スタジオでした。リヴァーヴをエフェクターでかけ過ぎていたんですね。私は大変失望したんですが、ロットのこのCDにも一瞬同じ危惧を抱いたのだと思うのです。しかし、聞き込むうちにそれは危惧から感嘆に変わりました。日本人歌手の場合、すでに絶頂期は過ぎていますので、完全になんらかの悪い要素を消すためにリヴァーヴをかけていたとしか思えなかったんです。しかしながら、このロットのCDはそうとは思えません。純粋に美しい。天から降ってくる歌声といっても過言ではないです。

Das

Rosenband
また別の機会にも書こうと思ったのですが、Das Rosenbandを聴いていたら、急に涙が止まらなくなりました。この曲、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターや、バーバラ・ボニーも録音しているのですがいずれもピアノ伴奏です。シュヴァルツコップ盤はセルが振ったオケ伴奏盤ですが、シュヴァルツコップは少し苦手意識があるので、あまり響いてこなかった。でも、ロットのDas Rosenbandは違いました。大きく分けて二つの旋律からなるんですけれど、シュトラウスらしい絶妙な転調の進行に心が締め付けられて、急になんだか母胎に回帰したかのような安堵感を覚えたのです。この曲、今度もう少し突っ込んで研究しようと思います。

「四つの最後の歌」の思い出

私が初めて「四つの最後の歌」を聞いた瞬間。それは映画「めぐりあう時間たち」でした。
“http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD33172/index.html":http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD33172/index.html
メリル・ストリープが、パーティーの準備をしているときにBGMで流れていたのがそれでした。この映画、実に多層的複雑さをもった秀逸な映画で、かなり重い内容なんですけれど、あの時の「四つの最後の歌」は雷撃でした。あらすじはあまり書きませんが、その後の不幸な結末を暗示しているように聞こえたんですよね。この曲を大音響で流しながら料理している姿の切迫感を忘れることができません。
というわけで、今日もシュトラウスでした。ああ、シュトラウスの歌曲全曲盤とかないかしら。あったら買いたいなあ。。

Opera,Richard Strauss

いやあ、昨日もだめなわたくし。
通勤バスで「ばらの騎士」最終部三重唱を、ハイティンク盤 + クライバー@バイエルン + クライバー@ウィーンでなき濡れ。昼休み、急に「月光の音楽」が頭に浮かんだだけでうるうるしちゃって、シルマー&フレミング映像で激しく落涙。うーん、なんでこんなに感動するんだろう。訳がわかりません。
でも、昨日は、久々に仕事が楽しかった。若い人とテレビ会議で議論したんだけど、いろいろ意見したら(まあ放談とも言えますが)、最後に「勉強になりました。ありがとうございました」って言われた。ちょっと嬉しかった。いろいろあるけど、まあこういう良いこともあるんだなあ。
さて、「カプリッチョ」の最終部分で、リフレインされる以下の歌詞がとても気に入っています。もともとは、第三場近辺で伯爵と伯爵夫人が踊りながら歌う場面で出てくる歌詞なんですが、結構重要です。

*Heiter entscheiden – sorglos besitzen. Glück des Augenbliks – Weisheit des Lebens!*

NHKの放送では「明るく決心し、心配なく保つ。幸福の瞬間こそ人生の知恵」と訳されています。もちろん、字幕ですので限られた字数の中で表現するのはきわめて難しいです。私は、ちと以下のように意訳してみました。

なにごとも陽気に明るく、心配事なんて忘れて、生きていこう。ひと時ひと時の幸福を味わうことこそが、生きていく上で大切なんだから

まさに、この映像見ている瞬間の幸福とか、「ばらの騎士」を聴いて泣き濡れている瞬間があるからこそ頑張れるんだろうなあ。これ、辻邦生師の言う「戦闘的オプティミズム」と通じるところがある。自虐や自嘲に甘えちゃいかんのですよ。
リブレットでは、最終幕でこの台詞を歌った伯爵夫人が直後に Ach! Wie einfach! (なんて単純なことかしら!)と少しシニカルに歌うんです。これ、伯爵が女優のクレロンとひと時の恋を楽しんでいるのを皮肉っているんですよね。でも、単純なことほど難しいはず。その後、伯爵夫人は、フラマンとオリヴィエの間で逡巡を続けるわけですので。
しかし、このシルマー&フレミングの映像、すごいなあ。昨日触れた「メタ」構造の件ですが、一番最後でもう一回ひっくり返るんですよ。ここはあえて詳しくは書きません。見てみてください。すごく不思議な気分になります。それから、すごい歓声。最後は手拍子に変わって鳴り止まない。この映像、iPod に入れて本当に良かったです。
youtubeにフレミングのカプリッチョがあったので、載せます。私、今、泣いてます。


DVDからiPodへの画像の入れ方はこちらからの二つのリンクが参考になります。
“http://www.ideaxidea.com/archives/2008/07/handbrakedvd_catalist_freedvdi.html":http://www.ideaxidea.com/archives/2008/07/handbrakedvd_catalist_freedvdi.html
“http://www.tools4movies.com/":http://www.tools4movies.com/
えーっと、フリー版で十分大丈夫です。それから、私の環境だと、なぜか普通に終了できず、いつもタスクマネージャで強制終了させてます。。