Opera,Richard Strauss

いよいよ迫る新国「影のない女」

さて、本題。
今週末に迫ったリヒャルト・シュトラウス畢竟の大作、歌劇「影のない女」新国立劇場公演に向けて準備を進めています。今朝から聞いているのはショルティのDVD盤をiPodにいれたもの。この曲は、この一ヶ月間に数えられないほど聞き込んでいますが、第三幕が素敵だな、と思うようになりました。
なんだか、マーラーの皮肉を交えた牧歌的な音楽が聞こえてきたり、ベルクやマーラーのトーンクラスター的な和音が聞こえてきたり、ヴォツェックのフレーズがでてきたり、と、このオペラが受けた影響、逆に及ぼした影響の大きさを体感しました。あと、明らかに「ツァラトゥストラはかく語りき」とおぼしきフレーズも出てきます。
こういうの、ちゃんと譜面に起こして説明したいところですが。。
それから、バラクの妻が三幕冒頭で歌うアリア的なところ、私の今聞いているDVD盤ですと、エヴァ・マルトンでして、もうこのブリュンヒルデ歌いの全力疾走状態で、鬼気迫るものがあります。
その後のバラクと妻の二重唱のところ、泣けますねえ。3月ごろ、感情が不安定で、西田敏行になっていたのですが、最近は現実の厳しさのほうが激しくなって、泣く余裕がないんです。なので、今はまだ泣けない。週末に泣けるといいんだけど。
ここではバラクの旋律が一度提示され、その後もう一度歌われるバラクの旋律に、バラクの妻の旋律が対位法的に絡み合ってくる。このあたりのフレージングのすばらしさは、シュトラウスならでは、の神業とでもいえましょうか。
あと、一番大好きなのが、乳母が「カイコバート!」と叫んだあとに、女声合唱がエコー(こだま)を歌うんですよ。エフェクター的にいうとディレイをかけた感じで、
乳母「 %{font-size:16px;}カイコバート!% 」
女声合唱「 %{font-size:11px;}カイコバート!% 、 %{font-size:9px;}バート!% 、 %{font-size:7px;}バート!% 、 %{font-size:5px;}バート!% 」
という感じを再現している。こんな思いつき、シュトラウスが初めてじゃないと思うけれど、初めて聞いたときはのけぞりました。その後、荘重な音楽とともにカイコバートの伝令が現れるというかっこよさ。たまらんです。
ショルティの指揮も、いろいろ言われていますが、この録音に関して申し上げればまったく違和感ありません。ショルティというと力技でスピード感があって、というイメージなのですが、意外と重々しいんです。第一幕の冒頭のカイコバートの動機もかなりゆっくりと、低音域を強調してますので。
ショルティのCD盤のドミンゴのドイツ語が残念なだけ。歌はうまいのですが、子音の鮮烈感がたらないのですよね。。。ドミンゴにそれを求めるのが恐れ多いことではありますが。
それから、DVD盤のほうは、ライヴ収録盤なので疵が相当あるのは否めない。ウィーンフィルとはいえ、かなりアンサンブルにばらつきが感じられたりします。そこがちと残念
日曜日には泣けるように頑張ります。

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オペラトークで紹介されたライトモティーフを、こちらでもご紹介します。

ライトモティーフとは

日本語訳では、示導動機と訳されます。ワーグナーが本格的に使用を始めましたが、それ以前にウェーバーなども似たような試みをしていますのでワーグナーの発明というわけではありませんが、ワーグナーの積極的な使用によりその後の作曲家にも大きな影響を及ぼしました。リヒャルト・シュトラウスのオペラにおけるライトモティーフの重要性はもちろんのこと、私はプッチーニオペラにおいてもその影響が見て取れると思います。
ようは、旋律に、各種の意味を持たせたものです。それは登場人物を喋々するものであったり、概念を象徴するものであったりといろいろです。オペラという劇空間の中では、ライトモティーフは台詞を伴う場合もありますが、伴わない場合もあります。台詞を伴わない時の効果は絶大で、この場面で何が起きているのか、このフレーズに隠された真の意味は何なのか、といった重要な要素を示唆するものとなります。
ライトモティーフを覚えてからオペラを見に行くと、聞き覚えのあるライトモティーフがでてきたときに、ちょっと嬉しくなります。

カイコバートの動機

カイコバートは作品には登場人物として登場することはありませんが、このフレーズによって何度も何度もその存在を我々に明らかにします。きわめて重要なフレーズ。第一幕冒頭、最初のフレーズがこのカイコバートの動機であると言うことことからも、その重要性は明白です。

“!https://museum.projectmnh.com/images/SoundIcon.png!":https://museum.projectmnh.com/midi/strauss/%EF%BC%91%EF%BC%89%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E5%8B%95%E6%A9%9F.mid

皇后の動機

この動機も実に美しいもの。少し愁いに満ちながらも、気位の高さや品位何度を感じさせるフレーズです。

"
!https://museum.projectmnh.com/images/SoundIcon.png!":https://museum.projectmnh.com/midi/strauss/%EF%BC%92%EF%BC%89%E7%9A%87%E5%90%8E%E3%81%AE%E5%8B%95%E6%A9%9F.mid

石化の動機

皇帝は、皇后が三日以内に影を手に入れないと石になってしまいます。伝令が、乳母に、「皇帝は石になるぞ!」と告げるときに相当低い音まで下がってこの不気味なフレーズを歌います。

“!https://museum.projectmnh.com/images/SoundIcon.png!":https://museum.projectmnh.com/midi/strauss/3-Stein.mid
今日で今週の仕事はおしまいですが、週末は週末でいろいろやることがありますので、気が抜けません。

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いつぞやの新国の写真。休憩中のベランダ。新国の屋内は禁煙なので、喫煙者はベランダに出てたばこを吸っておられます。私はたばこは吸いませんが、外の空気に当たりたいので休憩中はいつもベランダに出てカシオの本社やらオペラシティの高層建築を眺めたり、ガラス張りのホワイエの中の人々を観察したりして過ごしています。
さて、「影のない女」のオペラトークの三回目です。
オペラトークの模様は新国立劇場のページにもアップされてます。
http://www.nntt.jac.go.jp/release/updata/20001048.html
今回のオペラトークのご報告ですが、田辺先生がおっしゃったことに、私の主観がかなり混ざっていますので、そのあたりはご容赦ください。

時代的意味

このオペラが書かれたのは1911年から1916年にかけてです。時代は第一次世界大戦にさしかかったところ。オーストリア皇帝といえば、もちろんあの謹厳実直なフランツ・ヨーゼフ一世で、皇后はバイエルンお受け出身の美貌のエリザベート。ご存じの通りエリザベートとフランツ・ヨーゼフ一世の結婚生活はあまりうまくいっていませんでした。そうした故事がこのオペラにおける皇帝と皇后の関係にも投影されていると言えましょうか。

アクチュアリティ

このオペラはエゴイズムとヒューマニズムのせめぎ合いとも捉えられましょう。「影」を奪い取ろうとする乳母の利己性と、奪い取ることについて良心の呵責を覚える皇后の心情。この対比はまさに人間の欲望と理性のせめぎ合いとして捉えることができましょう。
皇帝と皇后はメルヒェンの世界でいわば引きこもり状態で暮らしている。だが、「影」を奪うために、どろどろとした人間社会の中に降りてゆく。これはいわば人間の社会参加に他なりません。
ホフマンスタールは、ご存じの通り早熟の天才です。
“http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB":http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB
代表作は「チャンドス卿の手紙」です。いつぞやこのブログで書いたことありますね。
"
https://museum.projectmnh.com/2007/11/29171254.php":https://museum.projectmnh.com/2007/11/29171254.php
彼自身、オタク的とも言える早熟の天才知識人でしたので、社会との関わりについていっそうの意識を持っていたのかもしれません。
「チャンドス卿の手紙」では、文学表現の限界性が述べられているのですが、そうしたホフマンスタールがオペラ台本を手がけるということについては、これまでも奇異なイメージを抱いていました。当時のオペラは、今で言えば映画のようなもので、貴族や大衆に向けられたものでしたので、純粋文学からオペラ台本を手がけるという方向転換は、ホフマンスタールのの立場の変化は大きいものだと思いました。
明日は音楽面について。ああ、ライトモティーフ打ち込まないと。頑張ります。

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月影もあらわになるほどに青空に映える三日月。影は常に寄り添うもの。
「影のない女」オペラトークの2回目です。終わるまでにはちょっと時間がかかりそうですね。初日は5月20日だそうですので、新国の舞台裏は今は大変なことになっていると思います。大丈夫でしょうか、みなさま。楽しみにしております&応援しております。

影とは何か?

「影のない女」の影とは何か? 詳しくは述べられませんでしたが、「影」とは、人間の生殖能力のことを指していると解釈されます。皇后は霊界出身であるがゆえに、真の人間ではないため、「影」を持たない。だから、真の人間になるべく、バラクの妻の「影=生殖能力」を奪うのである、という、実に陰惨な物語でもあります。
皇后は、影を得て子供を得たいのだが、皇帝は妻にはお構いなく、狩りに興じて家を留守にしている。一方バラクの妻は現実の生活につかれきってバラクに愛想を尽かしていて、子供なんて欲しくない。
二組の夫婦は、それぞれ子供を得ることができないという状態に置かれた不安定なもの。そこにこのオペラのひとつのモティーフがあるわけです。

バラク夫妻

よく知られているように、シュトラウスには暴露趣味があります。以下の三つは有名でしょう[1]。
* 英雄の生涯:シュトラウス自身を英雄になぞらえたもの
* 家庭交響曲:シュトラウス一家を描いた実に奇天烈で美しき交響曲
* インテルメッツォ:シュトラウス夫妻の間に起こった愉快な勘違い夫婦喧嘩をオペラに仕立て上げた。
で、バラク夫妻もやっぱりシュトラウス夫妻のメタファーになっているそうです。バラクは実直な男として描かれていますが、バラクの妻は、癇癪もちで、夫に愛想を尽かしているような女性なんです。
シュトラウスの妻であるパウリーネは歌手でしたが、結婚してからは、癇癪もちでヒステリックな悪妻だったようです。とはいえ、分かれるようなことはなかったんで、本当は互いに愛し合っていたんでしょうけれど。
これは、私がどこかで聴いた話なのですが、自宅への来客に、シュトラウスはこういったんだそうです。
「君、帰る時間を遅くして、もう少し我が家にいてくれないか。君が帰ったとたん、カミさんは、僕に『早く仕事(作曲)しなさい!』と癇癪を起こすだろうからね」
確かこんな内容。パウリーネがいてくれたおかげで、僕らはシュトラウスの音楽に恵まれているという面もありそうです。

世界観

このオペラには三つの世界があります。その間を行ったりきたりするわけです。
# 霊界:カイコバート、乳母、伝令が属する世界。妖精の世界。皇后は霊界出身である。
# メルヒェン世界[2]:皇帝と皇后が属する世界。
# 人間界:バラク夫妻の属する世界
霊界を、ホフマンスタールは神秘的なユートピア世界、神話的世界と捉えていました。「リング」のヴァルハラのようなイメージでしょうか。
fn1. 「エジプトのヘレナ」でもやはりシュトラウス夫妻をモティーフにしたと思われる夫妻が登場するそうですが、不覚にも「エジプトのヘレナ」が数年前に上演したとき、落としていますので、大変残念。
fn2. オペラトークでは「メルヒェン」という言葉は使われませんでした。

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なんだか、久々のつれづれでご勘弁を。オペラトークの後半は、ちょっとお待ちください。いろいろ面白かったんですが。

これ、なんだか分かります?
カプリッチョの譜面なんです。この部分、右下のところに台詞が書かれていますが、ここは、伯爵とクレロンがソネットの詩を朗読し合うところです。
シュトラウスの譜面は本当に難しいです。本当はちゃんと譜面に起こして書きたいところですが、ちょっとだけさわりを。
なのであえて題名には「その1」と書いてあります。「その2」以降でもう少し考えていく予定です。
先だって書いた以下の記事にYoutubeの映像を埋め込んであります。フレミングが歌っているもの。泣けます。
“https://museum.projectmnh.com/2010/03/20071815.php":https://museum.projectmnh.com/2010/03/20071815.php
最終幕で伯爵夫人マドレーヌが歌うソネットの部分ですが、譜面では四分の三拍子で書かれております。
で、この部分、聞いているだけじゃ、三拍子には聞こえないんです。
普通の拍節じゃないんですよね。四拍子でも三拍子でもない。おそらく、途中で何度も拍子を変えているんだろうなあ、と思って、譜面をみたら、単純に四分の三拍子だったというわけ。
でもですね、一つのソネットの歌詞が五小節に当てはまっている。なので、聴いている側とすると、五拍子的なフレージングに聞こえるというわけです。
もちろん、歌詞の内容と、三拍子という拍節は全くリンクしていません。なので、歌詞の意味と拍節の同期を取ろうとすると、拍子が変わっているように思えるんですね。
すごいですね、シュトラウス。半端なく難しい。
やっぱ、譜面みながら聴くと、いろいろと発見があって面白いです。著作権が切れた譜面はIMSLPというサイトでpdfで見ることができます。
“IMSLP":http://imslp.org/
「ばらの騎士」とか「サロメ」は、ダウンロードできるんですが、カプリッチョは日本からだとダウンロードできない。まあ、ブラウザの設定を変えたりプロキシを使えば何とかなるんでしょうけれど。
さて、わたくし事ですが、7年半にわたってお世話になったThinkpad X30の液晶バックライトがとうとう光らなくなりました。外部ディスプレイにつないで、USBキーボードつないで使ってますけれど。
長い間お疲れさんでした。
第二の人生はウェブサーバーかしら、と思っています。

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連休あけて、すぐに土日に突入ですが、土曜日は会社で仕事するより忙しい感じ。午前は都心に出かけて所要を済ませ、地元にとって返してジムに行って、イギリス人としゃべって、帰宅して、夕食を作るというパターン。まあ充実しているんで苦ではないですけれど。

オペラトーク

新国立劇場5月の演目は、リヒャルト・シュトラウスの歌劇「影のないの女」です。というわけで、ジムはお休みして行って参りました。
今日のオペラトークでは、一橋大学院教授の田辺秀樹さんのレクチャーと、カバー歌手の方々による聴き所の紹介がありました。これまでのオペラトークですと、指揮者と演出家の方がお話しされるのですが、今回はそういった趣向はなくて残念でした。演出のエーリッヒ・ヴェヒター氏とドニ・クリエフ氏の話も聞きたかったなあ。でも、いろいろもやもやとしていたものがクリアになって、個人的には有意義なレクチャーでした。

総論

まずは、このオペラの位置づけについて。シュトラウスは全部で15曲のオペラを書いておりますが、そのうち「影のない女」は7曲目に位置するオペラです。シュトラウスのオペラ最高傑作と言われていて、シュトラウス自身も相当気合いを入れて書いたとのこと。故若杉弘さんは、シュトラウスオペラのなかでこの曲が一番好きだったとか。だから、なおさら、「影のない女」を今シーズンの演目に入れたのだと思います。本来なら若杉さんがタクトをとるはずだったわけですが、残念ながらお亡くなりになってしまったという感じ。
ともかく、このオペラは非常に難しい。理由は、やはり天才ホフマンスタールが、彼のあらゆる文学知識を総動員してリブレットを作ったというところにあるでしょうし、文学的才能に恵まれていたシュトラウスも、シュトラウス自身、ホフマンスタールが書いたリブレットを大変鷹評価し、その難解さを咀嚼して、音楽的技術的にも彼のもてる力を最大限に投入して作られたオペラであるから、ということにありましょう。

ストーリーの要約

田辺先生のストーリーの要約には少し驚きました。それは以下のようなもの。
*二組の不幸な夫婦が試練を通じて真の幸福に達する*
なるほど、最大限に要約するとそうなりますね。
二組の不幸な夫婦とは
# 皇帝と皇后
# 染物師バラクとその妻
となります。
なるほど。簡潔にまとめるとこうなりますか。確かにそうですね。
皇帝は、利己的な男で、皇后の愛なんかより自分の大好きな狩猟に明け暮れるような世間ずれした男です。バラクの妻は、現世に疲れ切っていて、夫のバラクにも愛想を尽かしているような女。二組ともうまくいっていないのです、。

ストーリーをちょっと。

というわけで、ちょっとストーリーにおつきあいを。以下のリンク先の人物相関表も見ながら読んでいただくと良いかもしれません。
“https://museum.projectmnh.com/2010/05/02104406.php":https://museum.projectmnh.com/2010/05/02104406.php
皇后は霊界の出身。霊界の王カイコバートの娘で、いろいろな動物に姿を変えることができたのですが、牝鹿に化けていたときに皇帝に射止められてしまい、皇帝と結ばれることになります。
皇后は霊界の出身であり、「影」を持っていません。「影」とは、要は子供を作る能力を象徴しているわけです。皇帝と皇后が結ばれてから1年経って「影」を手に入れてないとなると、皇帝は石になってしまうという呪いがかけられていますので、皇帝を愛する[1]皇后は、影を手に入れなければならない。そういうわけで、皇后に使える乳母の手引きで人間界に降りていき、バラクの妻から「影」=子供を産む能力を手に入れようとします。(第一幕)
これはすなわち、バラクの妻が子供をもうける、という幸福を、皇后が取り上げると言うことに他なりません。乳母は冷徹なメフィストフェレス的な存在でして、バラクの妻を色仕掛けやら装飾品やらで釣って、「影」を奪おうとするわけです。皇帝は皇帝で、皇后と乳母が人間界に出かけているのを良くは思っておりません。[2]バラクの妻は、乳母の策略にはまって影を失いかけてしまうのですが、バラクは怒り、妻を殺そうとします。その瞬間、バラクとその妻は大地に飲み込まれてしまいます。(第二幕)
そこで、互いへの愛情の重要さを再認識して、歌う二重唱が実にすばらしいところ。皇后の方は、石化した皇帝の姿を見せつけられ、湧き黄金の水を飲めば、バラクの妻の「影」を手に入れることができ、皇帝の石化も溶けるのだ、と告げられる。しかしそれは、バラク夫妻の幸福(=子供ができる)を奪うことに他ならない。そこで、皇后の良心は以下の決断を下します。
「私は、それを望みません! (Ich will nicht!)」ここが、このオペラの最高点の一つ。
すると、石化した皇帝は元に戻り、皇后は影を得ることとなる。バラクの妻も影を奪われることなくバラクとの愛を確かめ合い、二組の夫婦は幸福な結末に達し、めでたしめでたし、ということで幕となります。
(第三幕)
本日はここまで。明日に続きます。
fn1. なぜ、皇后が皇帝を愛しているのかが不明。
fn2. ここの皇帝の歌は、第一幕の歌唱とともに実にすばらしいです。

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プロット研究中

今朝になって、影のない女のプロットをまとめに入ったのですが、これが非常に込み入っていて、なかなかまとめられない。私の持っている唯一の日本版であるシノポリ盤のライナーノーツの細かい字を読みながら要約したんですが、まだみなさまの前に発表できる段階にはありません。本当は今日のうちに片付けるつもりだったんですけれどね。

それで、そうこうしているうちにカイルベルトが振った盤を全部聴いてしまいました。

「影のない女」再発見

 
 最近は「影のない女」については、いろいろと発見があって非常に興味深いです。このオペラの主な登場人物は以下の通りです。 
*  皇帝
*  皇后
*  染物師バラク
*  バラクの妻
*  伝令
  皇帝は当然ヘルデン・テノールですが、皇后もバラクの妻もホッホドラマティッッシャー・ソプラノでして、まあブリュンヒルデやトゥーランドット姫と被る声質が求められているわけです。
ショルティのDVD盤ですと、バラクの妻はエヴァ・マルトンなのですが、彼女は、METでドミンゴと歌った「トゥーランドッット」ではトゥーランドッット姫を演じていたし、ハイティンク盤リングではブリュンヒルデを歌っていました。
バラクの妻のプロット上の重要度は理解していたつもりでしたが、第三幕の最初のところで、バラクと一緒に歌うあたりの歌唱の内容からみて、これはもうブリュンヒルデ級が求められているんだなあ、ということが理解できました。
 
 おなじく、伝令は、プロット上には一切登場しない霊界の王カイコバートのメッセージを届ける役に過ぎないんですが、カイルベルト盤ですと、ハンス・ホッターが歌っている。ショルティ盤DVDだとブリン・ターフェルが歌っています。
 バラク役の重要度は言うまでもありません。あの第三幕前半のこの世を超絶した甘く悲しみを湛えた美しいところがありますから。カイルベルト盤ではフィッシャー=ディースカウが歌っていて、これがまた素晴らしい。
 

カイルベルト盤

 
この盤、1963年11月21日のバイエルン州立歌劇場でのライブ録音。少々古い年代ですが、音質的にもこなれていますし、なにより歌手が良いですし、値段もお手頃なので予習にはもってこいでしょう。みんなパワフルな歌唱です。ですが、この盤、Brilliantでして、いまいまネットで探せないです。
 
 というか、この甘くりりしいバラクを歌うディースカウとか、第三幕で乳母を突き落とす伝令の激しさを歌うハンス・ホッターのすばらしさは筆舌に尽くしがたいパワー。ハンス・ホッターって、やっぱり凄いんだなあ。ショルティ盤のリングを思い出しました。
 
 出演者の方々は以下の方々です。
* Chorus==ドレスデン国立歌劇場合唱団
* Composer==リヒャルト・シュトラウス
* Conductor==ヨセフ・カイルベルト
* Orchestra==ドレスデン国立〔歌劇場〕管弦楽団
* 皇帝==Tenor==ジェス・トーマス
* 皇后==Soprano==イングリート[←イングリッド]・ビョーナー[←ビョーネル]
* 乳母==Mezzo-Soprano== マルタ・メードル
* バラク==Bariton==ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
* バラクの妻==Soprano==インゲ・ボルク(←ボルイ)
* 伝令 ==Bariton==ハンス・ホッター
明日で連休も終わりですが、疲れはとれませぬ。明日はヨガに行く予定です。

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さしあたりわかったことですが、「影のない女」は人生三回目に見るオペラではありませんでした。作曲家リヒャルト・シュトラウスも、台本作家のホフマンスタールも、この作品が難解きわまることをすでに承知していて、ホフマンスタールは自ら筆を執って解説文を書いたほどなのですから。
といって、8年前の自分を慰めましょう。
というわけで、残り一ヶ月を切っていますので、早速勉強して参りましょう。本日は人物相関図です。

これまた難しい。表現をどうすべきか。
私なりに、あらすじを書くしかなさそう。

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5月の新国立劇場は「影のない女」です。

苦い思い出

何度も書いたように、このオペラには苦い思い出があります。
生涯第3回目のオペラがこの「影のない女」でして、予習を十分にできないままパリに飛んで、翌日の夜にバスティーユに出かけたのはいいのですが、激務と時差ぼけでもうろうとした状態のまま数時間が過ぎ去ってしまったのでした。指揮者はあのウルフ・シルマーだったというのに!!
鷲のライトモティーフだけが、なんだか頭の中に先入観のようにこびりついたり、今聴けば、あんなに感動的な皇帝のアリアに心を動かすことができなかっただなんて。皇帝が歌っているのをなにか別世界のテレビのように感じていました。本当に残念。

予習の始まり

確かに、このストーリーを、今、私自身がきちんと咀嚼できているか、というとそんなことは全くないです。故若杉弘さんが、このオペラを理解するには、まずはホフマンスタール自身がノベライズした小説版を読んだ方がよい、と進めておられたのを思い出して、先だってくだんの本を古書店で入手しました。
というわけで今日から重厚で品のある邦訳版を読み始めた次第。ちょっと本が読めない状態だっただけに、久々の散文は本当に気持ちいいです。

ショルティ盤

で、もちろん音楽は「影のない女」です。今日はショルティ盤を選択してみました。それで大変重要なことに気づいたのです。それは、プラシド。ドミンゴがドイツオペラを歌う時に覚える言い得ない違和感の原因。私は、それはどうやらドイツ語の鋭利な子音をドミンゴが柔らかく解きほぐしているからではないか、と思ったわけです。ドイツ語は読み書きもできないし、話すこともできませんが、昔は語学学校に通っていましたので、愛着だけはあります。ドイツ好きですから。
ショルティ盤は、アマゾンでは取り扱っていないようです。私もたまたま入手できたのでラッキーでした。DVD盤もありますがこちらはCDとはキャストが違います。

これからのこのブログの行く先は?

それから、オペラ歴ももうそろそろ8年になりますが、初めてオペラを聴く方に役に立つコンテンツを作ってみようかなあ、と思案中。それから、新国立劇場の公演をまとめるような仕組みも作りたい。やりたいことはたくさん。でも、きっと僕は全部やるんですよ。間違いなく。そう思うようになりました。
今日はつれづれ風。

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第三世代iPodに戻って二日目。なんだか勝手が違うなあ。

で、聴いているのは、ウェルザー=メスト&シュテンメ@チューリヒ歌劇場の「ばらの騎士」DVDをAACに落としたもの。2007年の「ばら戦争」のときに実演に接しています

2007年9月のチューリヒ歌劇場の感想はこちら。

https://museum.projectmnh.com/2007/09/02214520.php

でも、チューリヒのキャスティングもかなり豪華だったのですよ。演出は奇抜すぎましたが、ウォーナーのリングのような徹底さはなかった。というか、シュトラウスやプッチーニのオペラの読み替えは、ワーグナーのオペラのそれにくらべて、結構難しいですよね。

ニーナ・シュテンメは、マルシャリンも歌えますが、イゾルデもサロメも歌ってるんです。

「4つの最後の歌」のほうは、深みがあって大変良いです。一緒に「サロメ」の最終部も入っていますが、これは凄いですよ。妖しいサロメの退廃的な空気を見事に歌い出しています。

R.シュトラウス:4つの最後の歌
シュテンメ(ニーナ) シーゲル(ゲルハルト) ホワイト(ジェレミー) グロドニカイテ(リオラ)
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おすすめ度の平均: 5.0

5 新たなシュトラウス・ヒロイン誕生ですね

ドミンゴと録った「トリスタンとイゾルデ」。シュテンメ的にはすばらしいのですが、さすがにドミンゴは齢には勝てない。ですのでアルバム全体としては賛否両論あるかも。

ワーグナー:トリスタンとイゾルデ(全曲)(DVD付)
ドミンゴ(プラシド) シュテンメ(ニーナ) 藤村実穂子 パーベ(ルネ) ベーア(オラフ) コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団
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そういう意味ではシュテンメはかなりレパートリーが広いです。

シュテンメは強いソプラノ。ホッホドラマティッシャー・ソプラノといえましょう。だから、イゾルデも歌えるし、ブリュンヒルデも歌えるはず。フレミングのような温かみはないのですが、冷たく鈍く光る鋭利さがありますね。ルルもいけそうだし、クンドリもいけるでしょう。特にルル、歌うと凄いんじゃないかな。

公式ホームページはこちら

レパートリーを見ると、「ヴォツェック」のマリーは歌っているけれど、ルルはまだみたい。今後に期待。で、予想通りやっぱりブリュンヒルデは歌ってますね。

逆に言うと、マルシャリンとか、「カプリッチョ」の伯爵夫人のような、温かみをもつ役には違う意味が加わりますね。これもオペラの面白さ。演出の読みかえは当然ですが、歌手の声質で、オペラが読み替えられるという感じ。面白いです。だから、テオリン様のマルシャリンはちょっと想像がつかないのと感じは似ている。

それから、美しいお方であることは間違いありません。チューリヒの演出ではちょっと神経質なマルシャリンを演じておられましたが、「ばらの騎士」だというのに何か妖艶さのようなものを感じた覚えがあります。

あーヨーロッパで放浪してオペラ見まくりたい。果たせぬ夢。

今日は午後は都心へ外出。移動時間2時間あるので、いろいろ読んだり聴いたりできそう。仕事ながら楽しみ。