上野に来ました。歩いていたら、路面電車発見。いい時代。
とりいそぎ。
人間には何といろいろな啓示が用意されているのだろう。地上では雲も語り、樹々も語る。大地は、人間に語りかける大きな書物なのだ。…… 辻邦生
写真は近所からとった朝の風景。先日のことです。どんどん日が短くなります。
バタバタとしております。昨年の10月からずっと。で、明後日でようやく落ち着くと思われます。いや、まだひとやま、ふたやまあるな。ものを創るということは大変です。
今年に入ってブログ皆勤ですが、毎日コンスタントに書くのは難しいです。。
取り急ぎおやすみなさい。グーテナハトです。
マゼールの振ったシュトラウスを仕事場の若い方にお貸ししたら喜んでいただけました。あまり、気をてらってはいないけれど物語のようだった、とのこと。気に入っていただけたようで良かったです。録音もよかったとのこと。それはバイエルン放送交響楽団がヘラクレスザールでやればいいですよね。よかったよかった。
それにしても、今回の事件は本当にショックですので、私はこちらの二冊をかって来週から少しずつお勉強しようと思います。というか、知らないことだらけだなあ。宗教の教義などは、さすがに世界史でもやりませんから、自分で壁をこわして取りに行かないといけないですね。
こちらは、相当売れているようですね。リアル本はプレミアついているらしく、FACEBOOKで著者の池内さんが苦言を呈しておられました。Kindleも制限がかかったりしているみたいで。。私はKindleで入手しましたが、こちらも来週までおあずけ。
では取り急ぎツイートのようなエントリですが、とりいそぎ。
あ、最近の若い方はブログをやらないでツイッターをする場合が多いそうです。なんだか、そういう感じですね。ブログもツイッターも両方必要な私も、ツイッターは少しお留守でして。。
では、グーテナハトです。
なにか、ものごとが皮膜だけのように思え、その裏側には光なのか闇なのか、いずれかわからないものがあるのだが、それは決して分かることがないのである、という直観。
どうも、考え過ぎは良くないことはわかるのだが、考えすぎてしまうという問題。
主知主義という言葉がありますが、それって、どうなの? 本当にいいことなの?みたいなことを、大学のゼミで教授にいわれ、ああ、そういう考え方もあるんだ、と驚いたことがあります。
知りすぎ考えすぎは生活の質を下げる場合もありますね。
考え過ぎは体によくありません。この十数年で初めての鍋。風邪が治らないので、こちらで体をあたためました体を冷やすと免疫能力がなくなります。身体を冷やしてはいけません!
では早々におやすみなさい。グーテナハトです。
追伸
最近聞いているこれ。フォーレのピアノ曲集。最高です。どこか図書館で借りた音源なのですが、おそらくこちらです。リラックス。あ、リラックスして音楽聞いて良いんでしたっけ。。
私が尊敬するJamie Todd Rubinさんが、昨年の氏のブログのアクセス履歴を示しておられたので私も真似してみます。
昨年一年間のページビューは32,686だそうです。月当りだいたい2723ビュー、一日だと、だいたい90ビュー、というところでした。
以下のリンク先によると、少し古い記事ですが、一ヶ月に5000ビュー以下ののサイトが63%を占めているそうです。ですので、平均的なページビューということになるのでしょうか。
http://www.garbagenews.net/archives/1104114.html
いくつか山があるのですが、2月の山はおそらく佐村河内問題のためです。3月の山は新国立劇場の《死の都》関連かと思われます。また7月に山がいくらか現れているのは辻邦生関連記事を書いたからかもしれません。10月前半は《パルジファル》について書いたからかと思われます。
ちなみに、8月の山はWordpressへ移行するにあたって、作業ベースで何度もアクセスしたからかも。プロならそうした作業についてはアカウントされないよう成業するのかもしれませんけれど。
というわけで、本日もなんとか。正月休みはまだ1日ありますので、やり残したことをしっかりやりましょう。いまのところ、7割ぐらいしかできてないかも。。
ちなみに、今日もマゼール三昧。ローマ三部作最高でした。
ではグーテナハトです。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
本当は、年明け前までに書きたかったのですが、諸事情により、年明けですがまずは昨年のまとめを。
昨年は、176篇のエントリーを書きました。半分より少ないんですね。。もっとがんばらんとなあ。
今年もっとも人気のあった記事はこちらでした。新国立劇場《パルジファル》関連のエントリーでした。やはり、新国立劇場関連のエントリーは沢山ご覧になっていただけており、感謝しております。
それからもうひとつ多く見ていただいているのが、歌手の種類というシリーズです。ドイツ・オペラの用語になっています。
いずれも、こちらを参考にしています。ワーグナー入門書としてわかりやすい本です。
リアルの方では、昨年は図書新聞に3篇の書評を載せていただきました。なかでも、《魔笛》に関しては面白い体験をしました。
以下の本の書評を書いている最中のことでしたので、シンクロニシティを感じました。この本を読んでいる中で、レヴィ=ストロースに興味を持ちました。その流れで構造主義関連の本を何冊か読み、ミシェル・フーコーに関心を持つに至った、というのが昨年のストーリーでした。
今年は辻邦生生誕90年になります。なにかしらのことをこの場でできればと思っています。
また数年前にやっていた一年100冊読む、またできれば、と思ってます。
完読するとは限りません。タッチして、なにかしら学ぶことを前提に、いくらか読めば読んだことにします。立花隆の教えです。
あとは、コンスタントにきちんと音楽を聴いたり楽器をやったりしないととおもいます。オーボエは、プライベートな事情で現在冬眠中ですが、サックスやピアノなど、他の楽器もありますので。
あとは、秘密のプロジェクトもいくつか。。
前身のブログから数えて、今年は12年目になるみたいです。少しは前進しているものと思って、続けていきます。
みなさまの今年一年が素晴らしいものでありますように。よい三が日をお過しください。
それでは、グーテナハト。
グッバイ・レーニンという映画がありました。2003年の映画です。
ベルリンの壁が崩れて14年あまりのころの作品です。
ネタバレになるのであまり触れませんが、たしか熱心な党員だった母親が心臓発作を起こしてしまい、過度なショックを与えないように、息子がベルリンの壁が崩壊した事実を伏せるため活躍する、という話だったかと。
舞台は壁崩壊直後の東ベルリンです。
とても秀逸な映画で、しかもめちゃくちゃおもしろくて、映画館で身をよじって笑いました。本当におすすめの映画。
たとえば、母親がテレビを見るわけですが、テレビでは壁崩壊のニュースがひっきりなしに流れます。ですので、テレビニュースを捏造して、壁崩壊の事実を母親に知らせないようにするんですが、このパロデイ精神が本当に面白くて面白くて。
東ベルリンに西ベルリン市民が訪れるわけですが、これを「西ドイツが崩壊して東ドイツに市民が逃げてきた」みたいな説明をするニュースを創ったり、まあ奇想天外で面白いです。
とにかく、壁の中に囲われていた人々が、必死になって、自由を渇望し謳歌するというベクトルが伝わってきました。きっと当時の我々には想像のつかないことだったと思います。
夕闇のブランデンブルク門。デジカメを初めて買ったころなので下手くそな写真ですが。当時の街の様子はつかめるかもしれません。
こちらは、ソヴィエト連邦との友好を記念したモニュメント。今もあるのでしょうかね。。
目に見える壁ならまだよいのでしょう。壁が透明なのが、壁崩壊後の壁のあり方なのかも、などとおもいます。
そうした壁は、もともとあるものでもあり、新たに創られたものでもあり、あるものは有用で、あるものは有害なものでしょうね。
仕事場に同僚が出ていて、気もそぞろな土曜日の夜です。みなさま、どうかお身体にお気をつけて。
ではグーテナハトです。
1999年に行ったベルリンは、先輩のYさんと一緒でした。昨日出てきた倫理学の先生というのがこのYさんです。
このベルリンの夕方は、たまには別行動をということで、Yさんは美術館、私は東ベルリン中心部への散策という感じでした。
その時の記録が出てきて懐かしかったので引用します。
アレクサンダー広場の少し西側、鉄筋コンクリート造りの古い郵便局にテレホンカードを買うべく入って行った。怖そうな窓口婦人がこちらを睨みつけて早くこっちに来い、と怒鳴っていた。どうやら若干ご機嫌がわるいらしい。慌てて彼女の窓口へ向かう。ここに来るまでに何度も反芻していた言葉(「ここでテレホンカードを買うことは出来ますか? Kann man hier Telefonkarte kaufen?」)をゆっくり口に出してみる。彼女は大きく、もちろん、とうなずき、「50マルク、○○マルクがあるけれどどっちにするのよ?」と尋ねてきた。国際電話で使うのだから「50マルク御願いします」と答える。彼女は「わかったわ」と50マルク分のテレホンカードをカウンターに差し込み、度数が確かに50マルクであることを示す。「ありがとう」「どういたしまして…」。こうして東ベルリン郵便局での老獪な窓口婦人との戦いは終わった。テレフォンカードにはペルガモン博物館の美しいアラビア絨毯の写真が印刷されていた。時刻は丁度17時。郵便局内の電話で日本へ電話をかけた。「今東ベルリンにいるんだわ…。」
とっぷりと日の暮れた東ベルリン中央部からフリードリヒシュトラーセへと戻る。連れのY氏との待ち合わせ時間までしばらく間がある。テーブルのついた、日本でいえばさしずめスターバックス風の店に入りホットドックとコーヒーを入手し、本を読む。とうぜん見知らぬ日本人の隣のテーブルにつく人は居ない。何かしら敬遠されているような気配を感じる。いたし方あるまい。日本では感じられぬ「Minorityであること」を自覚する。だが、これは何も不思議なことではないし、それを受け容れるだけの理解力も持ち合わせていた。外国に出ると日本では決して感じることのできない日本という国とのつながりを考えざるを得ない。
そう。いろいろ思い出してきました。ドイツ、特に北ドイツはなかなか厳しい風土でした。私の大学時代の先生は「北ドイツ人は本当に厳しく冷たいのですよ。まるでK先生のように。あ、K先生はミュンヘン生まれですが」とよく言っていました。もちろん冗談めかしてですが。
ベルリンもやはり北ドイツですので、そうそう優しく接してもらえるわけではありません。ましてや外国人ということも有りますので、なかなか難しい局面も多々ありました。当時そのYさんとその件について散々話しました。フランクフルトの魚料理屋でした。いささか飲みながらしゃべっていたので、店員に「飲み過ぎね」と言われました。
しかし、人間というものはやはりどこにあっても異質なものに対する拒否反応を示すことに成ります。それはおそらく原始的な本能に拠るものなのだと思います。逆に言うと、異質なものを許容できる包容力こそが、人間の高度な能力なのかもしれません。
私は当時もいまも、この原始的な本能というものの重要性を理解しているつもりですが、一方で、それを乗り越えることの必要性も理解しているつもりです。
ほんとうに寒い毎日です。みなさまもどうかお身体にはお気をつけて、風邪やインフルエンザにご注意ください。
ではグーテナハトです。
昨日、私は「竣工直後のライヒスターク」と書きました。1999年に修復されましたので、それは大きな間違いではありません。私が写真を撮ったのは、1999年だったと記憶していますから。
本来的には、1894年に完成したのですが、1933年に炎上しました。国会議事堂放火事件というもの。これがナチスがドイツを掌握する直接的なきっかけとなりました。コミュニストに対する弾圧の口実としても使われました。
その後、1938年11月9日は水晶の夜と呼ばれる反ユダヤ主義暴動がありましたね。
で、この11月9日という日付は、ベルリンの壁崩壊の日と同じなのだそうです。
そういう暗い記憶と華々しい記憶が交錯するのが、このベルリン界隈だと思います。
逆光ですが、そのブランデンブルク門。
ベルリンの壁の跡地。
チェックポイントチャーリの跡地にて。
ナチスドイツの禍々しい記憶が今後の世界においても尊重されることを願ってやみません。今日もパキスタンで悲惨な事件があったようですし。
今年の夏に、倫理学の先生と話をする機会がありました。世界においては、様々な価値観があり、そうしたなかでは、たとえば人権といったものを軽視するような価値観もあるわけです。そもそもそれが人権として語られないのでしょうから。
それをどのように理解するべきか、ということを問いかけたのですが、その答えは「イデオロギーと真理を混同してはならない」というものだったと記憶しています。
この「真理」というもの。もしかすると他の言葉を先生は語っていたようにも思いますが、この真理という言葉を信用できなくなってしまったのが、現代なのではないか、とも思うのです。先日もすこし書いたフーコーの件とか、レヴィ=ストロースの議論とか。西欧の進歩史観のようなものですら、局地的で一時的な一つの価値に過ぎないのかもしれない、などと思うわけです。
価値相対主義は、多様な価値を認めるものであるべきではありますが、どこまで価値が拡散していくのか。
そんなことを思いながら、過ごす今日このごろです。
ではグーテナハトです。
鬱蒼と茂る?人参畑。
最近のスーパーで買う野菜は、長時間冷蔵倉庫に置かれていたりするそうで、実はそうした保存期間中にビタミンが失われてしまっているのでは、という話を聞いたことがあります。
ご実家が農家だった後輩は、家の野菜はすごく甘い。だが買ってきた野菜は全然味がしない。もう買ってきた野菜は食べられない、などとなんとも羨ましいことを言っていたのを思い出しました。
野菜は新鮮なものが一番。ですが、ワインは古いものも美味しい。音楽も、やはり新鮮でもよいし古いでも良い、なーんてことを思ってました。
メガネが合わず、頭痛と肩こりがひどいこの一二週間ですが、ようやくメガネが本日届きました。これで治るはず!
今日は、ビル・エヴァンスを聴いて過ごしました。
それでは取り急ぎグーテナハトです。