秋は深まるばかり。アンニュイな日々。
昨日からジョー・ザヴィヌルのアルバム聴いていました。彼はウィーン音楽院に通っていたんですね。ウィーン伝統の先にウェザーがあったのか、となにか新鮮な気分です。
今日も短くおやすみなさい。
人間には何といろいろな啓示が用意されているのだろう。地上では雲も語り、樹々も語る。大地は、人間に語りかける大きな書物なのだ。…… 辻邦生
秋は深まるばかり。アンニュイな日々。
昨日からジョー・ザヴィヌルのアルバム聴いていました。彼はウィーン音楽院に通っていたんですね。ウィーン伝統の先にウェザーがあったのか、となにか新鮮な気分です。
今日も短くおやすみなさい。
11月も半ばを過ぎました。そろそらクリスマスなんですかね。先日、夏の写真を載せていた気もしますが、時の経つのは早いものです。
これまでに体験したことのない時間の使い方を求められる今日この頃です。工夫しないと何もできなくなってしまいます。はやく適応しなければ。
ではおやすみなさい。
仕事場近くの風景。水があると心が安らぎます。
辻邦生のお母様もやはり水辺がお好きだったとか。不忍池のほとりに立っていたようなことがあったそうです。「のちの思いに」のなかで紹介されていたエピソードです。
私もどっちかというと近くに水辺があった方がいいなあ、と思います。数年前引っ越しで家を探していたとき、池の近くの部屋を選ぼうとおもったことがありました。ですが、その池は下水が流れ込み決して美しいとはいえなかったので諦めました。
いまでも水辺の見晴らしのいい部屋に済むのが夢です。
それでは夢のままおやすみなさい。
本日も休息日。体を使いすぎるとどうも調子が悪くなります。そういう時はよく食べよく眠り、ひたすら部屋を掃除するぐらいしかありません。いろいろと片付けてスッキリしました。
木もビルも上へ上へと伸びていきますが、いつかはなくなるのですが、どうやってなくなっていくのか。林立するビルを眺めながらそんなことを想像すると面白いです。
それではグーテナハト。
仕事場の近く。柱状列石のようです。
いろいろばたばたしていました。
《ドン・ジョバンニ》も断念しましたが、行った方に聞いたところでは、楽しいパフォーマンスだったそうです。
今日はビル・エヴァンスConsecration と、シュトラウス
の《平和の日》を聴きました。脈絡なし。ビル・エヴァンスを聴き込むというプロジェクトも少しずつ着手です。
では取り急ぎグーテナハトです。
仕事場近くで見つけました。残念。
アムフォルタス、について書こうと思いましたが、仕事でトラブルに巻き込まれかけずじまい。仕事中ずっと気を張り詰めている一週間で、今日は少し早く帰宅して、少しばかり近所で泳いできました。
今週末はあらゆる意味で山場です。難しい舵取り。集団と個人のバランス。などなど、思うところあり。
今日の一枚。高校の時にこのアルバムを聞いて、「なんじゃこれは。。。」と衝撃を受けました。なんて曲だ、めちゃくちゃだ、と。サックスがバッキングに入ったり、奇天烈なリズムとキメキメフレーズ。こんなフュージョン聴いたことがない、と。。
ですが、今日聴くとそんなことはなく、実にジャジーな一枚です。プーランクやストラヴィンスキーのような、なにか流麗なんだが、いろんな疵や仕掛けが施されている、そういう音楽なのではないかなあ、と思いました。きっと小説もそういう小説が面白いはず。辻邦生もよく読むとそういうアンバランスさをはらんでいることに気づきますね。
それではとりいそぎですがグーテナハトです。
先日訪れた神社。お宮参りですね。つかの間の平和。これを維持するのが大人の役割なんですけれど。次の世代に良いものを残したいですね。
帰宅の電車で、夜遅いのに近くの私立小学校の生徒が乗っていて、《魔笛》のリブレット読んでました。あんなに難しいストーリーを読むとは…。
ではおやすみなさい。
今日は仕事場のみなさんと松茸をいただきました。ありがたいことです。というか、松茸をちゃんと食べたのは初めてかも。
昨日から図書館で借りたフーコーの解説本を読んでいます。価値転倒? 考え抜くとこうなるのか、と言う感じ。戦後の思潮と辻邦生文学の結節点を探している感じです。
ではおやすみなさい。グーテナハト。
なんだか、また戦時中のような感覚に戻ってしまいました。
今日の地震をうけて、なんだかそんな気分になりました。
2011年、あの震災直後の状況は、いわば戦時下のような事態だったなあ、といま思い出しています。
私なんて、関東西部に居て、そんな大きな被害は受けていませんので、なんだかんだいう資格はないのかもしれません。
ですが、信号機の灯が落ちて、真っ暗闇の交差点を車が恐る恐る走っていく様を観たり、翌日の電車の運行状況を駅で必死に調べたり、灯りの落ちた仕事場でデスクライトの灯りを頼りに書類を読んだり、なんていう経験をしました。
あの頃は異常が通常で、人間というものはこんなにも簡単に異常に慣れるものなのか、と半ば驚いたりもしました。
というか、あれは本当に戦争だったのかも、と思います。自然からの戦争に当然負けてしまったわれわれ、という感じ。
で、そうしたこともこの東京地方では、ずいぶんと前のことと思っていましたが、今日の少し大きめな地震で我に返った気がします。
あの時のそこはかとない不安。晴れた昼下がり、青空とさんさんと降り注ぐ太陽の光をみながら、でも、すでに昔のような牧歌的な気分にはなれないのだ、という、大きな喪失感のようなものを感じたりしたことを思い出しました。
今日の地震は、私の部屋も損害を蒙りまして、エレピの上にアンプが落ちてくる、という惨事でした。エレピには深い傷が。。ですが、音は鳴ってくれましたので、なんとかかんとか、というところです。
まさか、あの重いアンプが落ちてくるとは。そして、そのアンプ受け止めながらもエレピが壊れなかったという幸運に感謝している状況です。
世界が平和でありますように。
今日の一枚。なぜか、この心情には「抒情組曲」を聴きたいと思いました。冷たい織物の向こう側に救いはあるのでしょうか。この曲、実はベルクの不倫相手アンナ・フックスのイメージが隠されています。想像するに、そこはかとないアンバランスがここにはあるはず。安定しないのが世界というもので、常に先への不安が存在するわけですが、そういう気分が、根拠なき不安と通じるのでしょうか。
この全集の2枚目に収められています。ラサール弦楽四重奏団による演奏です。アルバン・ベルク弦楽四重奏団の師匠筋です。
ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。
昨夜、書こうかと思った矢先に仕事場に呼び出されました。
雨がしとしとと降るなか、仕事場に向かいましたが、土曜日の夜、人通りの少ない街の雰囲気がなんだかかっこよくて、少し感動しました。雨に濡れた街路が光を反射して、こういう都会もいいなあ、と思いました。そういえば、辻邦生先生も雨の都会が好きだったとか。前世は都会のホームレスだったのではないか、なんてことを書いておられたのを思い出しました。
ようやく涼しくなりましたが、体調など崩されないよう。
おやすみなさい。