Giacomo Puccini,Opera

 昨日12月22日は、プッチーニの誕生日。今から150年前の1858年にプッチーニは生まれました。いまや遅し、ですが、本日(12月23日)、NHKBSハイビジョンでプッチーニ特集が放送されます。今放映しているのは、新国立劇場で10月に公演された「トゥーランドット」です。このあと、13時台に「ドキュメンタリー 「ダークサイド・オブ・ザ・ムーン」   ~ プッチーニの光と影 ~」が放映されます。これはおそらく小間使いドリア事件の真相究明のドキュメンタリーではないか、と勝手に思っています。楽しみ。20時からはグラインドボーン音楽祭での「ジャンニ・スキッキ」が放映され、その後、オペラ映画「ボエーム」が放映されます。「ボエーム」は、ミミ役をネトレプコが歌います。これは見物だと思います。

残念ながらNHKBSハイビジョンはデジタル放送ですので、コピー制限があります。我が家の録音機器は少々古いのでコピーワンス(一回どこかにムーブできるだけ)ですので、保存にはほとんど限界があります。テレビをデジタルビデオカメラで撮ってやろう、とも思っています。最近はダビング10ですが。デジタル放送化されると、ほとんどビデオの保存は難しくなりますね。まあ、これまで撮りためたビデオを見ればいいのですけれど。まだ全然見られていませんので。

Opera,Wolfgang Amadeus Mozart

 いって参りました、新国立劇場の「ドン・ジョヴァンニ」。忘れないうちに印象をエントリーします。久しぶりに箇条書きにて。

  • ドン・ジョヴァンニ役のルチオ・ガッロ氏は精悍な印象。「シャンパンの歌」も颯爽と歌いのける技巧。演技もクールで格好良くて、すばらしかったです。
  • レポレロ役のアンドレア・コンチェッテイ氏は、レポレロの喜劇的な役柄を難なくこなしていらっしゃる。歌も良いですが、演技的にもすばらしくて、客席の笑いを誘っていました。
  • 一番楽しみだったドンナ・エルヴィーラのアリアを聴かせてくださったのが、アガ・ミコライさん。アグネス・バルツァさんのような透徹とした感じというわけではありませんでしたが、中音域の倍音に下支えされた高音は美しかったです。
  • ツェルリーナの高橋薫子さんが大健闘だったと思うのは私だけでしょうか。ツェルリーナの田舎娘的純朴さをうまく出しておられて、ピッチも安定していましたし、声も美しかった。私的には大変すばらしいと思いました。
  • コンスタンティン・トリンクス氏の指揮ですが、先日のオペラ・トークで話されていたように、定跡を大きく逸脱しない演奏でしたが、かなりテンポを落として歌わせるようなところもあっておもしろかったです。

というわけで、とても楽しめた三時間半でした。

それにしても、ドン・ジョヴァンニはかなりキワドイ話です。その中でも一番キワドイのが意外にもツェルリーナでして、ドン・ジョヴァンニに籠絡される場面はいいとして、マゼットに「私をぶって」と頼んだり(かなりMなんじゃないか、と……)、「薬局では調合できない薬を持っているのよ」なんて意味ありげなことを言ってみたり……。マゼットは完全にツェルリーナに振り回されている。一番恐ろしい女は、ドンナ・アンナでも、ドンナ・エルヴィーラでもなく、ツェルリーナです。間違いない。

それにしても、ドンナ・アンナも身勝手な感じ。オッターヴィオとの結婚を一年延ばすだなんて、意味不明。父親が亡くなって、ドン・ジョヴァンニに振り回されて、それを理由に結婚は一年待ってほしいとは。オッターヴィオは、自分がドンナ・アンナの父親役になるんだ! と意思表示しているのに。

いろいろ考えるとおもしろいです。

 

Opera,Wolfgang Amadeus Mozart

なんだかきちんと音楽を聴けていない感覚がまた始まってしまいました。バッハの無伴奏チェロ組曲に没頭しようとしたり、ドン・ジョヴァンニの予習をしたり、と散漫です。こういうときは疲れているに違いないので、休みたいところですが、そうもいきません。仕事がたまって仕方がありません。困りました。

さて、今日も飽くことのないドン・ジョヴァンニの演奏。第二幕の最終部を聴いております。この部分はニ短調ということで、序曲の冒頭部分と同じ調性であるばかりではなく、レクイエムとも同じ調性。個人的にはモーツァルトの短調の空気が大好きなので、聴くことができてうれしいですね。

先日のオペラトークでは、ドン・ジョヴァンニの最終幕のことを黒田恭一さんがいろいろ論じていらっしゃいました。なぜ、ドン・ジョヴァンニの地獄落ちのあとに、予定調和的な場面が入っているのか、という観点でした。 黒田さんのお話によれば、初演当時のオペラは大衆娯楽という意味合いがありましたので、現代のテレビドラマのように最後に締めがないと良くなかったわけです。

黒田さんは刑事ドラマでたとえていらっしゃいましたが、陰惨な事件のままでドラマは終えてはならないわけで、めでたし、めでたし、で締めることが必要、というわけです。ところが、後世になって、オペラが芸術化してくると陰惨な事件のままオペラは終わってしまいます。「エレクトラ」とか「サロメ」などがそれにあたるわけです。

似たような観点でつけ加えますと、先日島田雅彦さんが、オペラについて語っている番組を見ました。その中で島田さんがおっしゃっていたのは、オペラが陰惨な事件を扱うようになったのは、作曲家が現実逃避的な聴衆を現実に目覚めさせるため、ということでした。ハッピーエンドのオペラを見せておけば、聴衆は現実を忘れて陶酔することができます。ところが、現実にあるような陰惨な事件を見せられると、聴取はおのずと現実を意識しなければならないわけです。先日観にいった「リゴレット」がそうでした。このヴェルディオペラの現実性こそが、イタリア国民をハプスブルク帝国からの独立とイタリア統一へと導いた原動力になった、というわけです。

島田雅彦さんがNHでオペラについて語っていた「知るを楽しむ」のテキストはこちらです。

この人この世界 2008年6-7月 (2008) (NHK知るを楽しむ/月)
島田 雅彦
日本放送出版協会
売り上げランキング: 106812

黒田恭一さんのアプローチは、オペラが芸術化したという観点、島田雅彦さんのアプローチは、オペラがアジテーション的な力を持ったという観点。違いはあるものの両方とも首肯できます。

少なくとも思うのは、オペラが持っている、現実をより現実化したところに見られる陰惨さや残酷さ、あるいは虚無感や諦念といった、われわれにとってはネガティブともいえる感情を引き起こす要素があるからこそ、オペラがアクチュアルな価値を持つことができるわけです。

芸術はなんらかアクチュアル性を持つもので、それは現実に即しているという意味ではなく、現実に働きかけてくるという点においてです。 「ばらの騎士」で見た元帥夫人の時間に諦念や、「カプリッチョ」で観た伯爵夫人の葛藤、「リゴレット」で観た陰惨な不条理、「ヴォツェック」で観た不幸なる者の不条理などなどいくらでも数え上げることができます。どれもが、われわれの現実とつながっていて、答えのない問題をいくつも突きつけてきて、それらを考えずにはいられない状況へと誘います。そこには答えはありませんので、ある種の徒労感を伴いますが、未知のものへの好奇心が勝れば、ある種の快さをも伴うことにもなります。

そうした陰惨さを展開するのに、オペラである必然性はないのではないか、というむきもあるでしょう。確かにそうなのです。映画でも小説でも演劇でも良いわけですね。オペラがオペラである理由は音楽が伴う一回性の芸術であるということ。映画や小説のような複製芸術でもなければ、演劇にはない歌唱や音楽が付随しているという豪華さ。それをもって総合芸術などと呼ぶむきもありますが、もっとも、どれが優れているという論点はなくて、ただあるのは差異と好みの問題だと思います。

何はともあれ、オペラは楽しいです。あとは時間と経済力があれば、もっといいのですが、そのためにも「仕事」をがんばることにいたしましょう。「仕事」しないとオペラにはいけません。

Opera,Wolfgang Amadeus Mozart

DCF_0013
DCF_0013 posted by (C)shush

新国立劇場12月のオペラ公演である「ドン・ジョヴァンニ」のオペラトークに行って参りました。刺激的な90分で実にinterestingな内容でした。

  • 司会==黒田恭一氏
  • 指揮==コンスタンティン・トリンクス氏
  • 演出==グリシャ・アガサロフ氏

本来なら、芸術監督の若杉弘さんが登壇されるはずでしたが、前回に引き続きご病気とのことで、かわって音楽評論家の黒田恭一さんが司会として登場されました。

まずはトリンクス氏のお話から。 トリンクス氏はカールスルーエ生まれの若き俊英。大野和士さんの薫陶を受け、来季からはヘッセン州立歌劇場の音楽監督に就任予定。今回が初来日とのこと。ドン・ジョヴァンニの指揮は三度目ということで、キャリアとして若いにもかかわらず三度も振っているのは珍しいのでは、とおっしゃっていました。 今回のドン・ジョヴァンニの公演においては、初演版であるプラハ版と、その後モーツァルトによって改訂されたウィーン版のうち、ウィーン版を中心にしますが、プラハ版のみに存在するアリアなどは復活させるなどして、ウィーン版とプラハ版をあわせた版とでもいうべきバージョンで演奏するとのこと。

また、ピリオド奏法の要素を取り入れて、たとえば、弦楽器や木管楽器のビブラートを小さくすることでモダン楽器でありながらピリオド奏法の良さを引き出すといったことを試みるそうです。トリンクス氏は、古楽演奏にも造詣が深いとのことで、こうした観点が出てきたのだと思います。もっとも、現代のオペラ劇場という、初演当時とは異なった環境で演奏されるものですので、すべてを古楽風にするのはナンセンスであると行った趣旨のことを述べておられました。

ここで、トリンクス氏はこれからオケとのリハーサルがあるということで、退場され、続いて、演出のアガサロフ氏のお話し。アガサロフ氏もドイツはジーゲンのお生まれ。キャリアのあるベテランの演出家でして、チューリッヒ歌劇場芸術監督を務めておられます。新国立劇場では、「カバレリア・ルスティカーナ/道化師」、「イドメネオ」に続いて三度目の登場。

今度の演出は、良い意味で「保守的」なものなのだそうです。今の欧州における演出のはやりは、オペラの舞台を現代に置くというもの。ですが、今回の演出では時代設定は初演当時に合わせることにしたそうです。というのも、批評家は保守的な舞台を批判することがしばしばなのですが、聴衆は「保守的」な舞台を望んでいる部分が多いのではないか、というのがアガサロフ氏の見解でした。アガサロフ氏もトリンクス氏も同様に自分たちはよい意味で「保守的なのである」とおっしゃっていました。

一方で舞台設定ですが、登場人物の名前がスペイン風であることを除けば、設定上の舞台であるセヴィリアにこだわらなくて良いのではないか、というのもアガサロフ氏の意図でして、原作者のダ・ポンテがカサノヴァと知己であったという事実から、ドン・ジョバンニをカサノヴァに重ね合わせルということで、舞台をカサノヴァが「活躍」したヴェネツィアに置くということにしたそうです。また、演じられる場面はすべて夜であると言うことに着目して、ヴェネツィアの夜の幽玄さをだすような舞台にしたい、とおっしゃっていました。

ドン・ジョヴァンニは、奇をてらった演出ではなく、落ち着いた演出になりそうですね。

その後は、ピアノ伴奏で以下の三曲が演奏されました。

  1. 第一幕第七曲「お手をどうぞ」(ドン・ジョバンニ/ツェルリーナ)
  2. 第一幕第十一曲「シャンパンの歌」(ドン・ジョバンニ)
  3. 第一幕導入曲より(ドン・ジョヴァンニ/騎士長/レポレッロ)

ドン・ジョヴァンニを歌われた星野淳さんがすばらしかったですよ。歌ももちろん、挙措もドン・ジョヴァンニ的で、オペラを歌われる歌手の方々のすさまじい技量に感嘆でした。尊敬してやむことがありません。

ちなみに、会場は新国立劇場の中劇場だったのですが、オケピットを床下に収納して、オケピットの上でトークをしたり歌ったりしていました。客席と非常に近いところでお話を聞けたり、歌を聴けたりしましたので、臨場感があってよかったです。

というわけで本公演がとても楽しみ。予習もしないといけませんね。

 

Alban Berg,Opera

昨夜の夕食時、家人と一緒にベルクの「ルル」のDVDを見ました。とはいっても最初の30分ほどでしたが。映像は、クリスティーネ・シェーファーが脚光を浴びたグラインドボーンでの「ルル」公演。アンドリュー・デイヴィス指揮のロンドンフィルハーモニック管弦楽団。 この映像、おそらく初めて全曲通して観たオペラ映像です。これまでも何度か取り上げたと思います。

最初のあたり、第一場、画家とルル(シェーファー)の演技のきわどさに、二人で「怖いねー」などといいながら見ていたのですが、第二場で、シェーン博士とルルの過去が言及され、にわかに緊迫し始めて、食い入るように見てしまいました。今日は30分ほど見ておなかいっぱい。

しかし、奥深いドラマです。シェーン博士や画家、医事顧問官を死に至らしめる魔性の女としてのルル像という見方もありましょうし、逆に「踊り子」として、おそらくはつらい生活を送っていたに違いないルルが、シェーン博士にすくいあげられたという、救済物語としてみるとすると、ルルはシェーン博士のエゴの被害者なわけですね。最近ではどうも後者の読み方のほうがしっくり来るような気がしています。シェーファーの妖艶なルルをみると、どうしてもルルの「強さ」に見方が傾いてしまいますが、違う読み方もできると言うことのようです。

それにしても画家が死んだ医事顧問官にかける言葉が怖いです。

「私はあなたとかわりたいよ。彼女をあなたにかえすよ。その上に私の青春をあなたにあげよう」

ルルの魔力にすでに絡め取られていながらも、足をばたつかせて逃れようとする若き画家の恐れ。恐ろしい。恐ろしい。

また続きを見ることにいたしましょう。

Opera

ご存じの方々にとっては、いまさら感もあると思いますが、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の公演を映画館で上映する「METライブビューイング2008-09」という催しがあるのですね。先日、新国立劇場でもらったパンフレットではじめて知りました(情けない情報収集能力……)

公式ウェブはこちら→ http://www.shochiku.co.jp/met/

これ、METの公演を全世界700カ所の映画館で上映する試みの一環らしく、欧米では同時配信なんだそうです。日本での公演は以下の通りです。ちょっとまとめてみます。

 

sq 題目 日程 注目
1 シュトラウス「サロメ」

11月1日~7日
京都のみ11月22日~11月28日

 
2 アダムス「ドクター・アトミック」

11月29日~12月5日

 
3 ベルリオーズ「ファウストの劫罰」 12月13日~12月19日  
4 マスネ「タイス」 1月10日~1月16日
京都のみ1月24日~1月30日
R・フレミング
5 プッチーニ「つばめ」 1月31日~2月6日

ゲオルギュー
アラーニャ

6 グルック「オルフェオとエウリディーチェ」 2月14日~2月20日  
7 ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」 2月28日~3月6日  ネトレプコ
8 プッチーニ「蝶々夫人」 3月28日~4月3日  
9 ベルニーニ「夢遊病の女」 4月11日~4月17日  デセイ
10 ロッシーニ「ラ・チェネレントラ」 5月30日~6月5日  ガランチャ

うーむ、なかなか壮観。

ちなみに、お値段は一回3500円。普通の映画よりも残念ながら高い。けれども、6チャンネルの音声で聴けるのだそうで、大画面で良い音声で聴けるのなら行ってみても良いかな、などと思います。

さすがMETで、私でも知っている有名歌手を配しています。「つばめ」のゲオルギューとアラーニャの組み合わせはEMIからもCDで出ていますが、それを見ることができるのなら、ほぼ行くのは決定です。ガランチャの「チェネレントラ」も見逃せない。ガランチャはたしか2004年の新国立劇場「ホフマン物語」で二クラウスを歌われた方。あの豊かな倍音を持った声が忘れられないのです。デセイの「夢遊病の女」も凄そうだし。

ちなみに、映画館の会場は以下の通りです。

  • 札幌:札幌シネマフロンティア
  • 埼玉:MOVIXさいたま
  • 千葉:MOVIX柏の葉
  • 東京:東劇
  • 東京:新宿ピカデリー
  • 神奈川:109シネマズ川崎
  • 愛知:ミッドランドスクエアシネマ
  • 京都:MOVIX京都
  • 大阪:なんばパークスシネマ
  • 福岡:福岡中洲大洋

映画館でみるオペラもなかなか面白そうです。しかもMETともなればなおさら。おそらく「つばめ」は行くのが確実ですので、また行ってきましたらレポートします。

しかし、今週やっている「サロメ」に行けないのは悔しいなあ……。

Opera

 気が早いですが、もう次のシーズン、つまり2009年~2010年のシーズンのラインナップの一部が発表されています。

  • ヴェルディ:オテロ(2009年9月)
  • ベルク:ヴォツェック(2009年11月)
  • ワーグナー:ジークフリート(2010年2月)
  • ワーグナー:神々の黄昏(2010年3月)

一番の楽しみは「ヴォツェック」ですね。2005年の「ルル」は物議を醸しましたが、今回は何事もなく無事に公演を迎えてほしいですね。もちろん「指環」も今シーズンに引き続き楽しみ。予習しないと。

それにしても、私はまたシーズンチケットを買ってしまうのだろうか……。うーむ、悩む。

Giuseppe Verdi,Opera

 

新国立劇場2008/2009シーズン第二弾「リゴレット」にいって参りました。連休の最終日ということもあって、少々疲れ気味でしたが、何とかいくことができました。よかったですよ。

リゴレット役のバリトン、ラード・アタネッリさんと、ジルダ役のソプラノ、アニック・マッシスさんがすばらしかったです。アッタネッリさんの声は、艶のある光を帯びた豊かな声で、聴いたとたんに心を奪われました。マッシスさんも、安定したピッチコントロールを見せてくれた技巧的な声です。ハイトーンはかなりの迫力。このお二方の歌については終始安心して聴いていることができました。

マントヴァ侯爵はといえば、初っぱなでオケとピッチが全くあっていなくて、気持ちの悪い思いをしましたが、そのその後修正してきました。ただ、マントヴァ侯爵といえば、私が予習で聴いていたパヴァロッティの完成された歌の印象が強すぎて、少々物足りなさを感じてしまいます。

オケの方はといえば、先月聴いた「トゥーランドット」の強烈な印象に比べて、少々おとなしい印象。指揮のダニエレ・カッレガーリさんは、部分的には若干粘っこい感じもだしていましたが、全体的には割と淡泊な感じにまとめていた印象です。

演出の方は台本に忠実なオーソドックスな演出で、奇を衒うようなことは全くなし。それはそれでいいのですが、すこし野心的な演出もみてみたかったなあ、と、少々身勝手な感想。思えばオペラ公演に出向いたのも今日で51回目となります。そろそろ演出的なおもしろさを理解できる準備ができてきたというところでしょうか。

しかし、この作品、救いがないですね。ジルダの脳天気ともいえる人の良さって、いったい何? などと考えてしまいます。マントヴァ侯爵に辱めを受け、裏切られたというのに、それでも愛情を持ち続け、身代わりになって自分の命までも差し出すだなんて、なかなかできることではありません。ジルダはほとんどキリスト的存在と言っても過言ではない。人間の猥雑な欲望や野心などとは全く無縁でただただキリストの教えのみに接していたから、キリスト教的自己犠牲を体現できたのでしょう。なにはともあれ、おそらくはリゴレットの命で教会に行く以外は家に引きこもっていたというのも原因の一つ。自業自得の感もあります。かわいい子には旅をさせよ、というところでしょうか。

ともかく、陰惨な救済のない人間劇で、ただただ絶望するのみ。この後もきっとリゴレットは復讐の鬼となってしまうのでしょう。ジルダがリゴレットを諫める場面がありましたが、あるべき姿は憎悪の連鎖を断ち切るということ。そうでないと復讐が復讐を呼ぶ無限地獄へと堕ちてしまいますから。

さて、新国立劇場も、初めて訪れた6年前とくらべていろいろと変化があります。「オペラパレス」という愛称を前面に押し出すようになったのはこの2,3年のことでしょう。 

 

 

 

次回は12月のドン・ジョヴァンニ。その前に11月23日にオペラトークを聞きに行きます。 また一ヶ月後が楽しみです。

Classical,Giuseppe Verdi,Opera

忙しくて疲れていると、ついつい音楽を流して聴いてしまう感じがします。それから、聴く音楽も少々ビートのきついジャズなどに傾き始める感じも。とはいえ、徐々に落ち着いてきましたので、今週に入ってから少しずつアクティブにクラシックを聴けるようになってきました。

11月3日は新国立劇場でヴェルディの「リゴレット」を聴きます。数ヶ月前にパヴァロッティがマントヴァ公爵を歌う盤を聞いていたく感動しまして、はじめてヴェルディに入っていけた! という感動を覚えました。その後カラヤン盤の「アイーダ」を聞き込んで、さらに「アイーダ」の世界にも入っていけまして、ヴェルディへの苦手意識が徐々に解けていったのがうれしかったのでした。 それで、いよいよリゴレットまで日が迫ってきたということで、(昨日まで聞いていた「神々の黄昏」を途中でやめて)リゴレットを再び聴いています。

キャストですが、リゴレットがシェリル・ミルンスさん、マントヴァ公爵がルチアーノ・パヴァロッティ氏、ジルダがジョーン・サザーランドさん。指揮はリチャード・ボニング氏。

やはりパヴァロッティはすごいです。張りがあって劇的な迫力に満ち溢れた声に心が動かされないわけはありません。会社の昼休みに聴いていたのですが、しばしわれを忘れて感動しておりました。

ミルンスさんのリゴレットの性格表現が激しく的確ですばらしいです。ボニングさんの指揮もいいですよ。劇的なヴェルディ世界をたっぷりと堪能させてくれます。

本当は、家にあるDVDを見ようと思っていたのですが、土曜日に見る時間をとることができるかどうか……。今週末は幸い連休なのですが、いろいろあって少々忙しいのです。なんとか見る時間を見つけることにいたしましょう。