取り急ぎエントリー
これもすごい! ウルフ・シルマーさんがN響を振る。しかもパルジファル!
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/column/20090128/1011766/?P=2
2010年4月に演奏会形式で演奏されるらしい。しかも二日のみ。ああ、これはチケット入手が厳しそうだなあ。
人間には何といろいろな啓示が用意されているのだろう。地上では雲も語り、樹々も語る。大地は、人間に語りかける大きな書物なのだ。…… 辻邦生
取り急ぎエントリー
これもすごい! ウルフ・シルマーさんがN響を振る。しかもパルジファル!
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/column/20090128/1011766/?P=2
2010年4月に演奏会形式で演奏されるらしい。しかも二日のみ。ああ、これはチケット入手が厳しそうだなあ。
東京地方は寒い日ながら快晴で、気持ちの良い一日でした。最近つとにやることが多いのですが、そうしたタスクをこなせないまま、先週に引き続き今週もコンサートに行ってしまいました。今日はペーター・シュナイダー氏指揮の東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を渋谷のオーチャードホールにて。
17日、18日は休みだというのにタイトなスケジュールでした。予定したタスクは結局達成できなくて残念でしたが、いろいろ勉強になりましたのでいいですか。
17日は午前中から都内に出たのですが、午前中の予定が早く終わりましたので、初台に移動して「じゃじゃ馬ならし」公演までカフェで一休み。しかしなぜか眠い。荷物が半端なく重くてすでに疲弊気味。 そんな状態で東京オペラプロデュースのヘルマン・ゲッツ「じゃじゃ馬ならし」を新国立劇場中劇場にて鑑賞。
一応、元本のシェークスピアの戯曲に当たっておいたのですが、ゲッツのオペラ版台本は相当単純化されていてわかりやすくなっています。戯曲どおりだと、従者が主人に変装したり、見知らぬ老人を父親に扮装させたり、登場人物が多かったりするわけですが、そうしたところがすっきりと整理されたイメージ。でも、原作の持つ複雑な人間模様は少々失われ気味。まあ、オペラにかけるのならこれぐらい単純化したほうがわかりやすいと思います。
ビアンカを歌われた岩崎由美恵さんが、グンドゥラ・ヤノヴィッツさんに似た澄み切った歌声で良いなあ、と思いまして、カタリーナの菊地美奈さんが、ルチア・ポップさんの気勢ある雄弁な声に聞こえてなりませんでした。
18日未明は、ベルリンフィルのディジタルコンサートを聞こうと思い、クレジットカード決済の直前まで行ったのですが、プロトコルがセキュアではないのに気づいて、あわててPaypal決済しようと思ったのですが、Paypalにうまくつながってくれない。暗号化されないプロトコルのままクレジットカード番号を入れる気にもならなかったので、断念しました。無念。ここは改善してほしいところ。ほかの方はそのまま入力してしまっているのでしょうか……。
18日午後は新国立劇場にて「蝶々夫人」を鑑賞。初台には二日連続で行った感じ。さすがにこれはかなり体に無理強いした感じ。疲れた体とともに向かうオペラは辛いもの。同じ演出を見るのも3回目ということで、歌手の方々に期待しました。蝶々夫人のカリーネ・ババジャニアンさんもピンカートンのマッシミリアーノ・ピサピアさんもテクニック的には抜群でした。ババジャニアンさんの方は、少々ビブラートがかかりすぎかな、という感じもしました。ピサピアさんは、見かけがかなりマッチョな感じで、ピンカートンの利己的で嫌な側面を巧く表現しておられました。指揮はカルロ・モンタナーロさん。オケは雄弁で、トランペットに少々違和感を覚えたぐらいで、聞かせどころを巧くためたりして良かったです。
ともあれ、2007年4月の公演のジュゼッペ・ジャコミニーニさんを超えた方というと、そちらはなかなか……、というところ。
ちょっと無理をしすぎました。反省。またがんばります。
速報です。昨日年間チケット継続勧奨が届きました。そこに以下のとおり記載があります。
アンケートに「影のない女」と書き続けていたのですが、そのせいではないにしても、「影のない女」の上演はうれしいですね。しかも、「影のない女」が意識していた「魔笛」も上演されるとは。ヴォツェックは既報の通り。こちらもうれしい。リングも今シーズンに引き続き。
詳細はまだわかりませんが、また何かわかりましたらご報告します。
ヘルマン・ゲッツのオペラ「じゃじゃ馬ならし」を予習中です。
ゲッツは36歳でなくなってしまった作曲家ですが、年代的にはブラームスと近いです。以前にも触れましたが、弦楽五重奏をとある演奏会で聴いてから気になる作曲家になりました。ドイツオペラ的には、ウェーバーとワーグナーの間に位置するとでも言いましょうか。
ゲッツの音楽は、抒情的で優しさに溢れた曲調です。「じゃじゃ馬ならし」というシェークスピアの喜劇を題材にしているということもあって、深刻さのようなものはあまりなく、伸びやかなドイツ的牧歌的抒情性を感じます。指揮者はカイルベルト。いい雰囲気です。
結構気になるいいフレーズがあるのですよ。 たとえば、
MIDIファイルです。聴いてみてください。→widerspenstign.mid
いかがですか? 何か自信に満ち溢れた若々しい旋律。この旋律を聴けただけでもううれしくなってしまいます。東京オペラプロデュースによる公演はは1月17日です。なにごともなく行くことができればいいのですけれど。
今日から仕事始めです。 また日常が戻ってきました。平日は以前にまして時間を取るのが難しいので、寸暇を惜しんで目的に向けて進んでいきたいものです。
1月3日に、7ヶ月ぶりにアルトサックスを吹いたのですが、さんざんでした。調子に乗ってしょっぱなにフラジオ音域で吹きまくっていたら、アンブシェア(口の形とでもいうのでしょうか)が保てなくなって、ロングトーンがふけなくなりました。フラジオ音域なんて夢のまた夢な状態。1オクターブ下で吹くことにしました。無念。それでも無理ならEWI(ウィンド・シンセ)投入か? って、ここに書いたらバレルやないか……orz。ともかく、あと二日練習出来るかどうか、というところ。これはピンチです。良く見る夢があるのですが、それはオペラの舞台に立っていて、これからドイツ語を歌わないといけないのに、困ってしまう、という悪夢なのです。それと同じ感覚。ともかく全力を尽くしましょう。
今日は、メトロポリタン歌劇場にて1月3日マチネで演奏された「ボエーム」を聴いております。
ミミのマイヤ・コバレフスカヤMaija Kovalevska さんは、1979年ラトヴィア生まれとのこと。低い音の声質が変わってしまって少し残念ですが、柔らかい感じの声です。ヘッドフォンで聴いているときは、ちょっとビブラートがかかりすぎで、音がつぶれているような感じだったのですが、自宅でスピーカから聴いてみると印象が全く違います。むしろ感動させ覚えてしまう。すばらしい「私はミミ」です。よくつやが出ていますし、ビブラートも自然な感じで聞こえてくるのが不思議です。 さらに、ゼンハイザーのHD600という少々高いヘッドフォンで聴いてみてもやはり高音域がよく伸びて聞こえてきます。ちょっとこれはショック。たしかにいつも使っているBOSEのクワイエットコンフォート2は低音域が強調されている感じがありましたので。
ロドルフォのラモン・ヴァルガスRamón Vargasさんは、輝く音というよりいぶした深い倍音を持った声。高音域が得意というタイプではないです。むしろ高い音が少し苦しそうに聞こえてしまっているように思えました。こちらも自宅で聞き直してみると、印象は少し変わりましたが、苦しそうなのはやはり苦しそう。体調の問題などありますし、ライヴ音源なので許容範囲かもしれません。
ムゼッタのスザンナ・フィリップスSusanna Phillips さんは、第二幕のワルツで、婀娜っぽさだしながらうまく歌っておられます。マルチェッロのマリウス・キーチェンMariusz Kwiecienさんが素敵です。つややかで黒光りする声。落ち着きを払った威厳のある声。フンディングとかヴォータンを聴いてみたいですね。実際にはドン・ジョヴァンニを歌ったりしておられるようですので、ちょっと方向性はちがうでしょうか。
指揮のフレデリック・シャスランFrédéric Chaslinさん は伸縮自在なテンポでうまく旋律を歌わせようとしています。有名な聴かせどころではかなり減速して歌手にのびのびと歌わせていますね。とおもったら、幕入りでは煌めくように駆けるところもあって驚かされます。
再生装置の重要性に気づかされてしまったボエームでした。うーん、痛い。いまからオーディオに投資するのも難しいですし、音楽と言えばiPodで外出中にしか聴けませんし。困りましたね。
NHKの2月のBSクラシックナビゲーションが見られるようになりました。
私の注目は、2月9日未明(8日深夜)に放映されるカラヤン指揮「カルメン」。主なキャストは以下の通り。1967年のユニテル制作です。ヴィッカーズさんのホセ、見てみたいですね。
あとは、未定となっている2月16日(15日深夜)枠がどうなるか、だと思います。
ウェブラジオにて、エマニュエル・クリヴィヌ指揮のリヨン歌劇場公演、ヨハン・シュトラウス二世の喜歌劇「こうもり」を聴きました。
クリヴィヌ氏は、1947年グルノープル生まれ。ご両親はロシア人とポーランド人とのこと。おかかさんのブログで取り上げておられたのもあって、聴くことにした次第。いつも大変感謝しています。
ちなみに、2月には新国立劇場で「こうもり」をみる予定で、予習用にクライバー盤を聴いていましたが、こちらも予習用にもってこいです。
序曲からテンポも音量もかなり動かすアグレッシブな指揮で、聴いていてとても楽しい。つまりある種の驚愕を得られる興味深さです。ウィーン的グルーヴ感がよく出た演奏だと思います。たまにオケが追随できないこともありますが、それは愛嬌でしょう。クライバー盤ではカウンタ・テナーが歌っているオルロフスキー役ですが、この音源では女性が歌っておられます。こっちの方がしっくりくるなあ、という感じです。
オペレッタの楽しい雰囲気は伝わってきて、途中ではアルフレード(と思われる)が、バーンスタインの「トゥナイト」を歌って会場が沸く場面もあって楽しいです。ボエーム、椿姫のアリアやら「オ・ソレ・ミオ」を引用してみたりしておもしろいです。そのほかでも会場が沸いているのですが。フランス語だったりしてわからない。ああ、語学をがんばらねば。 しかし「こうもり」は実際に見に行った方が良いパフォーマンスだと思います。これからDVDを見ようかな。
ちなみに音源は2008年12月19日に録音されたものですが、Operabaseによると、同じキャストで大晦日、元旦にも公演があった模様。ヨーロッパの年末年始は「こうもり」ですね。
登場人物が複雑なので、相関図を作ってみました。ちょっとネタバレもあるかも……。あらすじはウィキペディアを参考にしました。登場人物が多いので、実演に接するか、対訳を見ないときちんと聞けない感覚。がんばりましょう。
今日でやっと仕事納めでしたす。今週から通勤客はぐっと減っていて通勤は楽でした。まあ仕事できるだけでもありがたいと思わないといけない時代になりつつあるようですが。
朝の通勤時間でも目が冴えていて、ヴォツェックの本を読んでいました。音楽之友社の名作オペラブックス(26)「ヴォツェック」です。いろいろと興味深くて読み続けて、疲れたら、iPodでヴォツェックを聴きながらリブレットを追っていく感じ。なかなかおもしろです。
ビュヒナーがヴォイツェック事件を救い上げ劇作化し、それをまたベルクが救い上げオペラ化したという構造。ベルクの功績でヴォイツェック事件は時間と空間を越えて東洋の島国にまで伝播している。そしてそのアクチュアリティ。日本でも不幸な事件が相次いでいますが、それが日本だけで発生しているわけはなく、現代に限らず発生しているわけです。もちろん、事件の容疑者や犯人は責めを負わなければならないのですが、はたして当人にだけ原因があったのか、という深く重い問題。コンテキストの中で理解することが求められるのだが、それは辛く厳しい仕事になるのだろう、という予感。
ヴォツェックのアクチュアリティはまさにここに現れているのではないでしょうか。
あるいは、ちょっとずれますが10年ほど前にカミュの「異邦人」を読んだときにも同じことを感じたことがありますし、カフカの「審判」でも似たようなことを考えました。いったい裁かれるものとはなんなのか、という問題。
私は、これは犯罪といった法を犯すという状態についてだけでなく、裏切りや不貞などの、「人倫」に悖る状態にまで拡張できると思っているのですが。
ともかく、問題は、どうしてオペラ化されたのか、ということでして、これは継続調査中です。
23日のBSハイビジョンでのプッチーニ特集。ショッキングなことに、いちばん楽しみにしていたドキュメンタリー「ダークサイド・オブ・ザ・ムーン」の録画に失敗しました……。ショック……。まあ、過ぎたことは仕方がありません。また再放送やると思いますし、NHKに要望を出してみようかな。
午前中のトゥーランドットは、トーゥランドットのイレーネ・テオリンさんの歌唱に改めて脱帽しました。あそこまで強力なソプラノはすばらしいと思います。高音域の力強さ。叫びになることなくきちんと「音」として存立している感じ。すばらしかったです。実演に接したときよりもすばらしいと思いました。これは不思議なことです。
20時から始まった第三部ですが、まずはグラインドボーン音楽祭での「ジャンニ・スキッキ」を。これは小一時間で終わりますし、特に用事もありませんでしたので直接見ました。「ジャンニ・スキッキ」は、映像を見るのが初めてでしたが、これは実に愉快で洒脱に富んだすばらしい作品です。これは画像付きでみないと楽しさがわからないかも。ラウレッタのサリー・マシューズさんが歌う有名なアリア「私のお父さん」は絶品でしたが、それ以外にもリヌッチョを歌ったテノールのマッシモ・ジョルダーノさんの巧さにも脱帽。ジャンニ・スキッキを演じたアレッサンドロ・コルベルリさんも性格俳優的な演技もあいまって実にすばらしかったと思います。
そのあと、映画版ボエームの第一幕だけ見ました。ネトレプコのミミがどんなものなのか期待していました。実際には、ミミの妖しげな部分を巧く出した演出もあいまって、実に刺激的でした。ミミはお針子という設定ですが、なかにし礼さんが指摘していたのは、お針子というのは夜は別の顔を持つことが多いということ。ミミという名前も実際は源氏名であるぐらいな勢いで(源氏名とまではおっしゃいませんでしたが)話しておられました。映画の演出もやはりわざと蝋燭の火を消して「火をください」と行ってみたり、わざと部屋の鍵を落としてみたり、と怪しげ満点なミミでした。それはそれでいい解釈だと思います。パリの裏町はおとぎの国ではありませんので。残りはこれから見ようと思います。