Classical,Opera

今日の通勤時間もヴォツェック。とりつかれてしまいました。

それにしても、(恥ずかしながら)音楽理論も知らないし(クラシックの)楽器演奏経験もない身にとって、ヴォツェックについて何かを書くことが許されるのでしょうか。なんだか、背伸びをしているのか、冒涜しているのか分からない。 ただ、言えるのは、旋律や響きや歌唱が奔流となって流れ込んでくる、という状態を主観的ではあれ捉えているということです。けれども、その奔流を言語化せねばならないという必死な感覚が湧き上がっている感じ。勉強せねば。いつまでも逃げていてはなりませんね。

ちょっとずるして更新しています。明日はもう少しヴォツェックのことを書いてみようと思います。

Opera

うう、忙しくて更新できません。下書きは書いているものの、Weblogにアップできない。まずいですね。もっと効率的に動いていかないと。

今朝は、急にベルクのヴォツェックが聞きたくなって、第一幕第三場でマリーの幸福と不安の混ざり合った美しい歌を聴いていました。第三場では、冒頭で軍楽隊の行進が聞こえますが、これはもうマーラー的な世界。それが、マリーの台詞で一気に無調の世界へと色彩を変えていく。 マリーの台詞の焦燥感と切迫感、歌唱の流麗さと調性を踏み外す危うさ。たまりません。しかしながら、忙しいときや鬱気味のときにに聞くのは考えもの。心がかき乱されますので。

どうもヴォツェックのマリーと、軍人たちのマリーのイメージが重なり合って仕方がないです。ちと考えてみたいテーマですね。

シュトラウスのような美しいオペラも好きですが、ヴォツェックとかルルとか、不安をかきたてられるオペラも実は好きだったりするのですね、これが。ああ、こんなことなら、昨年、バレンボイム(場恋慕医務と変換された。笑えます)&ベルリンシュターツオーパーの「モーゼとアロン」を見ておくんだった……。もっと積極的にいろいろ聞いていこうと改めて思いました。

仕事場はトラブル続きで大混乱状態。直接の当事者ではないですが、玉突き的に私の仕事も膨らんでいるイメージ。まあトラブルなので仕方がないですが。

Giacomo Puccini,Opera

旅行明けで会社に戻ってみると、驚きの連続。良い意味でも悪い意味でも。早くイニシアティブを取り戻して行きたいですね。

今日はまたオペラの話題。

今年はプッチーニの生誕150周年となります。そういえば、お正月に見に行った「NHKニューイヤーオペラコンサート」でも、プッチーニの動画本邦初公開みたいなコーナがありましたね。

図書館で借りてきたシノポリの振る蝶々夫人、これがめっぽう面白いのです。第一幕を執拗に聞き込んでいます。それだけでも本当にすばらしいのです。

テンポが激しく操作されていて、実に楽しい。ここでこのテンポ? みたいな驚きの連続。でもそれでいてしっくり来るテンポ。僕のデフォルト盤であるカラヤン盤がそんなにテンポを動かさないので、そう思うのかもしれませんが。個人的にはテンポを動かす演奏が好きですので、いたく気に入りました。

シノポリのプッチーニといえば、「マノン・レスコー」を聞いたことがありますが、こんなにテンポ動かしていたかなあ、と思ったり。

ちなみに、ピンカートンを歌うホセ・カレーラスがすばらしすぎる。パヴァロッティのようなあらぶれたところもなく、ドミンゴのような甘さもないけれど、なんだか直情的で真摯に歌う感じですね。不品行なピンカートンには少し似合わないかも(そういう意味ではパヴァロッティはピンカートンにぴったりですが……)。でも好きなんですね、こういう声。ここまで一生懸命歌われるとこちらも心が動きます。ピンカートンのカレーラスは当たりです。

Opera

整理するために、アイーダの人物相関図を作ってみました。

 

Aida
Aida posted by (C)shushi

アイーダがエチオピアの王女で奴隷だと言うのに、どうしてラダメスと知り合ったのか、という謎。アムネリスがラダメスに思いを寄せるのはよく分かります。きっとお嬢様で、何でも欲しいものは手に入れてきた手合いなのでしょう。ラダメスは立派ですが、少しお人好しでもあります。だからこそアモナズロの策にはまってしまう。アイーダの心は真っ二つでしょうね。敵国の将と恋に落ちるのですから。いわばウェストサイド物語というかロミオとジュリエットというか、古典的な悲恋物語の範型をとどめています。

Giuseppe Verdi,Opera

先日から隙間時間で少しずつ見ていた「アイーダ」のDVD。ようやく完了です。音楽を聴いてかなり覚え込むと、映像をみるととても愉しめます。

マゼールの指揮はキリッとしている。盛上げるところはテンポを上げてダイナミクスをつけています。まあ、オケや歌手が追随できていないところもありました。それから、第二幕の第一場で少々オケが乱れるところも。カラヤン盤でもやはり少々リズムが揺れるところなので難しいのだと思いますが。裏と表の拍節の取り方が難しいところなのです。ライヴですし仕方がないと思います。ですのでご愛敬です。全体的に割合に濃密な音作りだと思いました。

ラダメスのパヴァロッティは絶好調。張りがあって威力ある歌声はすさまじい。アイーダを歌うマリア・キアーラさんも健闘。アムネリスを歌うゲーナ・ディミトローヴァさんは、悪役なのか味方なのかよく分からないアムネリスの難しい役回りをうまくこなしていましたが、演出の都合もあるのでしょうけれど、もう少しナイーヴなアムネリスも見てみたいなあ、という感想も。

やはり第四幕の前半はアムネリスが悲劇のヒロイン的な状況で、アイーダの悲劇的状況も相俟って見ると、ラダメスよ、しっかりせよ、と言いたくなりました。二人の女性を死に追いやったり絶望の淵に立たせたり、とラダメスはなかなかに女泣かせな男なのです。自分への真偽を貫くのはいいのですが。

アイーダはプロットしてもとても面白いので、いろいろ翻案してみると面白そうです。

今回、アイーダをむさぼるように聞いたおかげで、ヴェルディのオペラが面白くなりました。やはり理解できない楽曲であっても、諦めずに聞き込むと面白くなってきます。この調子で、ヴェルディの他のオペラ群も楽しめるようになれるといいなあ、と思います。

 

  • 作曲==ジュゼッペ・ヴェルディ
  • 指揮者==ロリン・マゼール
  • 管弦楽==ミラノ・スカラ座管弦楽団
  • 合唱==ミラノ・スカラ座合唱団
  • アイーダ==ソプラノ==マリア・キアーラ
  • ラダメス==テノール==フェルナンド・パヴァロッティ
  • アムネリス==ソプラノ==ゲーナ・ディミトローヴァ
  • アモナスロ==バリトン==フアン・ポンス
  • ランフィス==バス==ニコライ・ギャウロフ

Opera

Salome in NNTT

昨週の水曜日の新聞に、新国立劇場の次期芸術監督人事についての記事が載っていました。今更ながらご紹介。すでにご存じのように、若杉弘さんは2010年秋に芸術監督を退き、尾高忠明さんが次期芸術監督に就任することが発表されています。2007-2008シーズンから若杉さんが就任したというのにもう次期監督ですか、と少々困惑したのですが、新聞によると芸術監督の任期は三年なのだそうです。そうすると、あと2シーズンで若杉さんが退任すると言うことになる。

うーん、個人的には「軍人たち」上演に代表される若杉さんのチャレンジに期待していただけに、残念だなあ、という感じ。あと2シーズンあるとはいえ、次期監督が発表されてしまうと、劇場の士気にも影響するのではないか、とも思いますね。

ところが、おもしろい(?)ことに、次期監督に「決まった」とされる尾高忠明さんも「そんなの聞いてないよ」という感じなのだそうです。劇場側が根回しが不十分なまま発表してしまったようなのです。尾高さん自身尾高さんは「納得できなければ辞退する」とおっしゃっているそうな。劇場側のネゴが足らなかったんですね。担当者は今頃大変だろうなあ。

理事長の遠山敦子さんは、小泉内閣で文部科学大臣になった方ですが、この方もやはり文部官僚。トルコ大使や文化庁長官も歴任しているそうです。今は官僚に対しては厳しい時代。いろいろ不祥事もあるということもありますが、それに乗じてマスコミも官僚を叩けばニュースになりますから、スケープゴートにしやすい。記事では直接遠山さんを批判してはいないけれど、記事の作りは時流に乗った(?)ものとも言えそうです。

 

Opera

この一ヶ月弱は、ヴェルディばかり聞いている気がします。これまでは本当にヴェルディが苦手でした。ですが、ちょっとした理由により、アイーダを聞き続けているうちに、なんとも面白くなってきたのです。

以前にも書いたのですが、迫力のある音響、情熱的な旋律、人間心理を抉り出すプロット、などなど魅力がたくさん。これまでは、レストランの外から、紳士淑女がヴェルディ作品をめでているのを眺めているだけでした。ですが、ここにきてようやくレストランの敷居が下がってきて、紳士淑女にはならずとも、ヴェルディ作品を楽しめるコース料理にありつけた、といった感じでしょうか。

今朝も、オテロを聞いて出勤したのですが、導入部の迫力音響に深い感動を覚えましたし、なにより、デル・モナコのテノールが雄雄しくてすばらしいのです。どこかでモナコの声をトランペットに喩えていた文を読んだ記憶があるのですが、まさにトランペットですね。すばらしい。ちょっとピッチがおかしいところもありますが、それもご愛嬌でしょう。 ともかく、オテロもまだまだ聞き込まないといけません。まだまだご馳走を味わうだけのレベルに達していませんので。これはまたひとつ楽しみが増えました。

ちなみに、これまで実演で接したベルディ作品は以下のとおりです。

  1. イル・トロヴァトーレ(2003年@新国立劇場)
  2. オテロ(2003@年新国立劇場
  3. 椿姫(2004年@新国立劇場)
  4. ファルスタッフ(2004年@新国立劇場)
  5. マクベス(2005年@新国立劇場)
  6. 運命の力(2007年@新国立劇場)

予定では、リゴレットを今年の11月に見に行くことができそうです。

一応本番前に予習をしていますので、本番だけではなくCDもきちんと聴いているはずでした。しかし、これだけ聴いても、理解できなかったのがどうしてなのか分かりません。楽しむことができるようになるには少々時間がかかるということなのでしょう。

そういうわけで、ほとんどヴェルディばかり聞いているので、ほかの曲を受け付けなくなっています。特にジャズ。iPodにはジャズも結構入っているのですが、今度はジャズに入っていくことができなくなってしまいました。僕にとっては、今はヴェルディを聞く季節なのだ、ということなのでしょうか。うれしいですね。感謝しないと。

Opera

仕事、なかなか進みません。こんなにうまくいかないのは、見積と実績が乖離しているから。それと、人さえ投入すれば仕事が出来上がると見られているから。結局、負荷が集中するキーパーソンがボトルネックとなり、プロジェクトはなかなか進捗しない。しかも、キーパーソンですから、いろいろなプロジェクトに横断的に関わっていて、被害はそのほかのプロジェクトにも飛び火する。

「ローマ人の物語」では「ローマは兵站(ロジスティック)で勝利する」というくだりが何度も出てきました。ただ攻めあがるのではなく、食料や兵器はもちろんのこと、道路を整備し補給路を確保する。それをやらなかったのが旧日本軍。精神力だけで飛行機を迎撃できませんから。 もちろんローマ軍にだって精神力はあった。それは、確かな兵站力の上に成り立っているもの。後ろで支えている人がいると思うだけで、ずいぶんと励まされるものですし、目先の敵に集中できるんですよ。

だれにも支えられていないと感じながら敵に向かうのでは、戦う前から足かせをはめられている感じ。何とかしたいものです。 まあ、いろいろといいたいことはありますが、ここは、仕事の話をする場ではないので、このあたりで。

引き続きアイーダを聞いております。DVDのほうは、第二幕へ突入。アムネリスとアイーダの対決が終わり、これから凱旋行進で盛り上がるところです。今日見る予定です。CDのほうは、テバルディとベルゴンツィが歌うカラヤン盤を狂ったように聴いています。もう大分と曲も覚えてきました。しかも飽きが来ない。何度聞いてもおもしろいです。小さい頃はこういうことがありましたが、近頃ではこんな聴き方をしていませんでした。珍しく一曲に没頭しています。カラヤン盤が実はとてもすばらしいということも原因の一つ。あそこまでドラマティックに盛り上げられると何度聞いても血が沸き立つ思いです。

こういう状態でDVDや実演を見るのが効果的なんですよね。

それにしても、アムネリスの言動は複雑です。恋敵のアイーダがいなくなったと喜んでいたら、ラダメスさえも失うことになるとは想像もつかなかったようです。第四幕前半の主人公は間違いなくアムネリス。アムネリスが、ラダメスに慈悲を、と願う台詞がある種の哀感すら漂わせる。あの第一幕、第二幕の強気なアムネリスは何処へ行ってしまったのでしょう。

以前にも書いたかもしれませんが、アムネリスにとってのラダメスの死は、おそらくは、初めて大切なものを失う瞬間なのでしょう。そういう意味では、同じくお嬢様(?)的お姫様であるトゥーランドットにも似ている。やはりトゥーランドットも謎かけにおける誇りを失い、挑戦者のなすがままになろうとしているのですから。

ラダメスとアイーダが地下牢で逢う場面、ここはトゥーランドットのカラフとリュウの掛け合いの部分に似ている。カラフは、トゥーランドットを選びリュウを選ばないのですが、ラダメスはアムネリスを選ばずアイーダを選ぶ。対照的でいながら要素は良く似ている感じを受けます。舞台はどちらもいわゆるオリエント(東方)ですし。

ヴェルディのオペラとプッチーニのオペラは似ていないのではないか、と常々思っていたのですが、やっと似ているところに出遭った感じです(むしろプッチーニはワーグナーに似ていると思っていました)。

Opera

表記の本を入手。アイーダを聞こうと思っていたときに、丁度いいところで発売された感じです。ロリン・マゼール指揮スカラ座の舞台を買うと思えばやすいもの。それにラダメスは若きパヴァロッティですから期待も高まるというものです。少しずつ見始めていますが、なかなかいい感じです。

それにしても、アイーダはすばらしい曲ですね。ヴェルディを苦手にしていたのですが、本当にようやくここまでたどり着いた、という感じです。アイーダは合唱も充実しているので、響きの中にレクイエムの香りを感じたりするとうれしくなってきます。

アイーダがヴェルディ最後の「番号付」オペラなのだそうです。オテロ以降は楽曲は途切れずに続いていくわけですが、アイーダはアリアの終わりに拍手ができるということですね。以前から「番号付」と「番号無し」がいつごろきり分かれたのかを知りたかったのですが、ヴェルディ的にはアイーダとオテロの間がその隔絶だということなのですね。

先日も聞いていたリゴレットもすばらしい曲だと思いましたが、アイーダもすばらしい。ヴェルディ的な次の課題は、オテロとファルスタッフを攻略すること。いずれも新国立劇場で実演に接しているのですが、どうも今一つ咀嚼しきれないです。 これから聞くとまた感想が変わるかもしれません。

Opera

に図書館に言ってもらって借りてきてもらったのが、アーノンクールがウィーンフィルを振ったアイーダ。これまでのカラヤン版は録音が古いので、ノイズが少々気になるのですが、さすがにこの演奏の録音はいいですよ。TELDECなのですが、結構クリアできれいに録れています。

アーノンクールのアイーダ、というと、やはり本流どころではないのかな、とも思っていたのですが、どうしてどうして、明快で主張にあふれた演奏だと思います。テンポはあまり動かさずに、少し速めのテンポをキープしている。音量のダイナミクスが面白いですし、カラヤン版とはアーティキュレーションが違うところがあったりして、面白いです。

とりあえず、全曲通して聴いてみましたが、洗練された綺麗なアイーダ。カラヤン盤はどちらかというと、勢いのある激しく燃え上がるアイーダ。どちらが良いとも言えませんが、そういう違いが感じられるのはおもしろいです。最初は全く入っていけなかったカラヤン盤ですが、こうして聞き比べてみると、カラヤン盤の良いところが見えてきました。そういう意味でも聞いてみて良かったです。

  • 作曲==ジュゼッペ・ヴェルディ
  • 指揮者==ニコラウス・アーノンクール(←アルノンクール)
  • 管弦楽==ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
  • アイーダ==ソプラノ==クリスティーナ・ガッラルド=ドマス
  • ラダメス==テノール==ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ(スコラ)
  • アムネリス==メゾ・ソプラノ==オリガ・ボロジナ(ボロディナ)
  • ランフィス==バス==マッティ・サルミネン
  • 国王==バス==ラースロー・ポルガール