Opera

相変わらず「アイーダ」を聴いています。アイーダの空気が、ローマ人の物語の雰囲気に実によく合うのです。そういうこともあって、ヴェルディへの道が徐々に開けてきた感じがします。

昔は、なにか無理して咀嚼しようと努めていた感がありますが、最近はすっと曲の世界に入り込むことができている感覚です。先だっては「期待していた演奏とは違う」などと偉そうなことを書いてしまいましたが、もちろん悪いところもあるのですが、それ以上に良いところが分ってきましたので、心底楽しめるようになってきています。やっぱり、演奏や作品が理解できなくても、聞き込んでいけば楽しめるようになるものですね。

ともかく、ヴェルディって、こういう風に楽しむんだ、という感じが自分の中に形成されていくのが分って、とても嬉しいです。重厚な合唱、情熱的な独唱、華やかなオーケストレーション、ドラマティックな旋律。これはもうご馳走です。 

  • 作曲==ジュゼッペ・ヴェルディ
  • 指揮者==ヘルベルト・フォン・カラヤン
  • 管弦楽==ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
  • 合唱==ウィーン楽友協会合唱団
  • アイーダ==ソプラノ==レナータ・テバルディ
  • ラダメス==テノール==カルロ・ベルゴンツィ
  • アムネリス==メゾ・ソプラノ==ジュリエッタ・シミオナート
  • アモナスロ==バリトン==コーネル・マクニール
  • ランフィス==バス==アルノルト・ヴァン・ミル

Opera

ミミ、といっても、耳ですが、どうも調子が悪いです。一年半前に、耳鳴りがするというので、病院に行ったのですが、そのときはいったん収まっていたと思っていたのですが、このところ耳鳴りがどんどん激しくなっています。iPod聞きすぎですかね……。耳の病気は命に関わらないことなので、あまり研究が進んでいないのだ、ということを聞いたことがあります。とある方「も、やっぱり耳なりがひどくて生活するうえで少々困っている、とおっしゃっていたので、私も不安を持っています。音楽が聴けなくなるのはいやですし、日常生活にも支障が出ると困るので、明日は聴力検査をしてもらって一年半前とどの程度聴力が変わっているかを確かめたいと思っています。

きょうもアイーダです。聞いているうちにだんだんわかってきた感覚が出てくるようになりました。昨日のぼやきは、私の未熟さが故。何度も聞き返せば、いいところがわかってくるようになりました。もう、誰の盤かをあかしてもいいと思います。カラヤン盤ですが、1959年の録音ですから、円熟期のカラヤンの指揮っぷりを楽しむことができます。アイーダでもやっぱり迫力あるどっしりとした演奏です。録音が古いので少々S/Nが気になるのと、とある歌手の声質とかピッチが気になる場面があるのが難点。ですので特選というわけにはいきません。 ヴェルディのオペラは、僕にとってとても高い城壁でして、なかなか中に入ることができないのですが、先だって聴きました「リゴレット」とともに、「アイーダ」も聞き込むうちに徐々に、高い城壁の入り口の前にやっと辿り着いたという感じでしょうか。ですがまだ街の中に入ることは許されていないようです。もうすこし聞き込みましょう。

  • 作曲==ジュゼッペ・ヴェルディ
  • 指揮者==ヘルベルト・フォン・カラヤン
  • 管弦楽==ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
  • 合唱==ウィーン楽友協会合唱団
  • アイーダ==ソプラノ==レナータ・テバルディ
  • ラダメス==テノール==カルロ・ベルゴンツィ
  • アムネリス==メゾ・ソプラノ==ジュリエッタ・シミオナート
  • アモナスロ==バリトン==コーネル・マクニール
  • ランフィス==バス==アルノルト・ヴァン・ミル

Japanese Literature,Opera

今日もなんとか時間を取ることができました。ブログ書くのは楽しいですね。どんな方がごらんになっているのだろう、とアクセス解析を見ることがありますが、いろいろな方に見ていただいておりまして、大変感謝しております。本当は、美術館のようにいろいろなものを「陳列」したり、「展示品」の感想を書いたりするブログにしたくて、2003年からMuseum::Shushiをはじめたのですが、もうそろそろ5年にもなりますか。当初思ったような形とは違う方向に進んできた感もありますが、ともあれ、この一年ぐらいは「ほぼ」毎日更新になっていると思っています。そういう意味では少しは前進したといえそうです。今後も引き続き書いていくことになると思います。

今日も引き続き「死の都」を聞いていますが、昨日の夜あたりから、この雰囲気、プッチーニの「西部の娘」と似てないだろうか、と思い始めてきました。「西部の娘」はアメリカを舞台にしたオペラですが、ほかのプッチーニ作品に比べて、若干渋みのある作品で、「私はミミ」か「私のお父さん」と比べられるような大人気アリアを持たない作品です。しかしオーケストレーションの厚みとか色が鮮やかでなのです。「死の都」の持つ空気の色と同じなのです。これを楽理的に言えればもっといいのですが。

「ローマ人の物語」はとうとう6巻に突入しました。全15巻ですので、まだ半分にも達していない。先は長いです。今年は、せめて第11巻「終わりの始まり」までは今年中に読みたいと思っているのですが、ちょっと気を張らないと読み終われなさそうですね。さて、6巻は初代皇帝、オクタヴィアヌス治世のお話。「パクス・ロマーナ」という題名から察せられるように、ローマ帝国の国力は地中海世界を覆っていて、しばしの平和が訪れるわけですね。オクタヴィアヌスがどのようにして皇帝の地位を獲得してゆくのか。その老獪ともいえる手腕をまさに眺めながら、という感じで読んでいます。

「ローマ人の物語」をはじめとした塩野七生さんの著書を読んで良かったことは、困難なことに立ち向かう力がまた湧いてきた、ということにあります。特に仕事面でその効果は大きいです。オクタヴィアヌスの意志力の欠片にあずかった気分。読んで良かったです。

Opera

会社も今週3日目。今週もやっと半分を超えました。

今日から、コルンゴルトのオペラ「死の都」を聴き始めました。先だってからコルンゴルトを聴いているので、この機会に、ということでです。ちょうど、家に「死の都」の映像があるのを思い出して、最近はオペラの予定も入っていないということで、「死の都」を聞き込んで、DVDを観ようかな、と思った次第。

あらすじ。舞台はブリュージュ。パウルは、マリーという妻を亡くしたばかり。ところが、マリエッタというマリーとそっくりの踊り子が現れ、パウルはマリエッタにおぼれていくのだが、最後には、マリエッタにも愛想をつかされてしまう。ところが、すべての出来事は夢の中の話であった。パウルは友人の進めに従いブリュージュを去っていく、というもの。

しかし、ここでも「マリー」が登場ですか。ベルクの「ヴォイツェック」もマリー、ツィンマーマンの「軍人たち」もマリー、コルンゴルト「死の都」もマリー。関係ないとわかっていても、なにか繋がりがあるんじゃないかとかんぐってしまう。

しかし、23歳でこんなオペラ作ってしまうコルンゴルトはすごいですね。ウィキペディアにはすさまじい略歴が載っております。天才はすごい。戦時中はアメリカに亡命して映画音楽を作り、オスカーも取っています。戦後、ヨーロッパに戻りますが、すでに時代遅れになっていただなんてかわいそうではあります。

ですが、コルンゴルトの映画音楽の及ぼした影響はすごいですね。先だって少し書きましたが、先日から聴いているコルンゴルトの映画音楽集のCD に収録されているKing Rowという作品、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」とか「スーパーマン」に大きく影響しているのが分ります。

最近は、オペラの予定がなくてさびしかったので、いい目標ができてよかったです。演奏については後日ということで。しばらく聞き込みます。

  • 作曲==エーリヒ・ヴォルフガング(エリック)・コルンゴルト(コーンゴールド)
  • 指揮者==エーリヒ・ラインスドルフ
  • 管弦楽==・ミュンヘン放送管弦楽団
  • 合唱==テルツ少年合唱団
  • 合唱==バイエルン放送合唱団
  • パウル==テノール==ルネ・コロ
  • マリー、マリエッタ==ソプラノ==キャロル・ネブレット
  • フランク==バリトン==ベンジャミン・ラクソン
  • ブリギッタ==メゾ・ソプラノ==ローゼ・ヴァーゲマン
  • フリッツ==バリトン==ヘルマン・プライ

Japanese Literature,Opera

今日も曇天。霧雨をたっぷり含んだ空気をかきわけて駅まで行きました。 今日は幸いなことに電車に座れましたので、ゆっくり本が読めました。

仕事のほうも混迷を深めていて(?)、7月に立ち上げるプロジェクトが11月に延期になりそうな勢い。まあ、納期が後ろにずれるのは短期的に見れば嬉しいことです。前にも書いたかも知れませんが、少々無理のあるプロジェクトでしたので。とはいえ、延期すれば延期したで後ろにしわ寄せが来ますし。予算のぶんどり合戦にも巻き込まれそうで、少々嫌な役回りをしなければならなそう。こういうときは、自らの善性をひた隠しにして、悪人を演じなければなりません。仕事とは演じることである、とは誰かの言でしたでしょうか?

塩野七生さん「ローマ人の物語3 勝者の混迷」は読了です。グラックス兄弟の改革の失敗、マリウス、スッラの独裁、そしてポンペイウスの時代へ。大きくなりすぎたローマはすでに元老院による寡頭民主制でコントロールするには困難な時代になっています。それでも、スッラなどは民主制を守ろうと、矛盾するようですが無期限の独裁官に就任するわけですね。古びた皮袋を修繕してワインを入れようとしたのがスッラ。しかし修繕にも限界がある。ワインを入れる新しい皮袋を準備しなければならないのですが、ローマはまだそこまでは行っていない。この言葉で、カエサルと、オクタヴィアヌスの登場が示唆されているわけです。

「勝者の混迷」の巻は華々しい権力闘争や戦闘シーンは少ないですが、帝政ローマへの道のりが示唆されていて、読み流せません。 一度読んだだけではなかなかわからないのも事実。そこで、「塩野七生『ローマ人の物語』スペシャル・ガイドブック」を借りてきてみました。各巻の要約が載っていてわかりやすいのですが、やはり要約は要約ですので、流れをつかむ分にはいいですが、楽しみのためにはやはり全巻読まねばなりませんね。それより塩野七生さんのインタビュー記事や対談が興味深いです。この本は塩野七生ファンには必読の書でしょう。

ちなみに、塩野七生さんと辻邦生師の対談もとある本に載っていたのを読んだことがあるのですが、さすがにイタリアの話となると塩野さんの方が饒舌で、辻先生が聞き役みたいな具合になっていましたね。最近の塩野さんのお写真も拝見したのですが、凄いアウラですね。すごまれたら下手な若者でもシュンとなるに違いないです。

クラシックのことを書くこともこのブログを立ち上げた一つの目的だったのですが、読書の感想を書くのももう一つの目的、ということでどうかお許しを。

さて、今日も、「ラインの黄金」に挑戦中。カラヤン盤とショルティ盤をとっかえひっかえ聴いています。特に帰宅してからは久々にCDでショルティ盤の「ラインの黄金」を聴き始めました。ラインの乙女とアルベリヒの対決場面を執拗に聞いています。もう少し聴けば創造的進化が生まれてくるのではないか、と期待しています。「ラインの黄金」はショルティ盤とカラヤン盤しか聴いたことがありません。本当は別の盤も聴きたいのですが、諸事情によりしばらくCDの購入は我慢せざるを得ない状況にありますので、我慢ですね。サヴァリッシュのDVDもiPodに落としましょうか、と思案中。ともかくいろいろ聴いてみないと評価するのも難しいですね。いずれにしろ、なかなか越えられぬ壁もありますが、ともかく聴き続けることが大事ですね。

いよいよ待ちに待った週末ですね。とはいえ、のんびりと過ごせるほど時間持ちではありません。明日は早起きの予定。できるかな?

Opera,Richard Wagner

今朝起きると激しい雨音が。先日の「谷間の水」を思い出したので、道順を変えて出勤。今日はぬれずにすみました。

最近はどうもまとまってクラシック音楽を聴くことができないでいました。どうやらそれは、先週末の結婚パーティで、ジャズとブルースの生演奏を聞いたから。ちょっとした衝撃だったようで、本当はブルックナーを聞きたいはずなのに、あいま時間にジャズを聴いてしまうことがありました。べつにジャズを聴くのが悪いというわけではありませんが、気持ちにノイズがのった感じでした。それでも通勤時間や会社の昼休みになんとか聞き続けて、ようやく今日になってワーグナーに回帰できました。

というわけで、「ラインの黄金」をカラヤンの指揮で。あらすじを大体把握したので、音楽だけ聴いても面白いです。初めて聞いたのはショルティ盤でしたが、音のよさではカラヤン盤が勝っています。演奏も録音に助けられてダイナミック。「ラインの黄金」は、「ヴァルキューレ」や「神々のたそがれ」ほどには聞き込んでいるわけではないです。「ジークフリート」と並んで、理解が急がれる曲です。まずは聞き始めなければ話は進みませんね。

 ラインの黄金は、女性歌手の活躍の場が少ないですね。ラインの乙女やフリッカやフライア、エルダも登場しますが、ジークリンデやブリュンヒルデといった主人公クラスの女声がないです。それがとっつきにくさなのかな、とも思います。そういえば、ジークフリートも終幕にブリュンヒルデが出てくるだけ。鳥の声もありますが。そうか、ラインの黄金とジークフリートが僕にとって聞きにくいのは女声が少ないからか、と気づきました。

たまには立ち向かって刺激を受ける選曲もだいじですね。それがまた愉しみなわけです。

あと二日で仕事もおしまい。今週末は自宅でやることが満載。静かな週末になるはずですが、充実した週末にもしたいです。

Opera,Richard Strauss

昨日は、せっかく書いたのにアップできず。ちと本業が忙しくて、ということで。今日からは日次更新予定です。

通勤時間に聞いたのは、シノポリの振る「サロメ」。昨日はカラヤンの「サロメ」でしたが今日はシノポリを聞くことができるという幸福。うれしいですね。シュトラウスもまさかiPodに自分のオペラがいくつも入れられて、電車やバスの中で聞かれるようになるとは想像すらしなかったでしょうね。考えてみれば贅沢なお話だと思います。

ちょっと調べてみようと思って、Googleで「サロメ シノポリ」で調べていたら、1月29日版の本ブログの記事が出てきてしまいました。あらら。そうか、ウシャコワさんのサロメの予習をしていたときにこの「サロメ」を聞いていたのでした。 サロメを歌っておられるステューダさん、混ざりけのないきれいで豊かな声。音量のダイナミクスレンジもあるし、テンポも意外といじっている感じでした。それも割りとゆっくりめに演奏していて、ハーモニーが良く聞き取れる。幸せですね。

リヴァーヴ感がいいなあ、と思っていたら、ベルリン・イエス・キリスト教会だったのでした。ドレスデン・ルカ教会よりも残響時間は少な目ながらもいい音です。

  • 作曲==リヒャルト・シュトラウス
  • 指揮==ジュゼッペ・シノポリ
  • 管弦楽==ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
  • ヘロデ==ホルスト・ヒーターマン
  • ヘロデヤ==レオニー・リザネク
  • サロメ==チュリル・ステューダ
  • ヨカナーン==ブリン・ターフェル
  • ナラボート==クレメンス・ビーバー
  • 録音日時==1990年12月
  • 録音場所==ベルリン・イエス・キリスト教会

Opera,Richard Strauss

今日も日差しが戻っています。昨週の天気の悪さが不思議なぐらい。ですが、今日は休日にしては盛りだくさん。午前中は都内のスタジオで来週に迫ったジャズコンボのリハーサルを二時間。昼食を、バンドメンバーと摂りながら他愛もない世間話に舌鼓を打つ。もう10年以上もつきあっている方々でしたので、懐かしい話も織り交ぜながら、あるいは初めてあったときから10年以上経って、お互いの境遇が変わっていることに驚かされたりしながら、という感じでした。

今日は、カラヤンの振るサロメを聴いています。予想していたのですが、やはりオペラに戻ってきてしまいました。久々に聴くシュトラウスは実に美味です。もちろん単なるおいしさではなくて、歯ごたえもあれば粘りも腰もある。録音の感じも僕好みで、低い倍音が豊かで、リヴァーヴ感もほどよい感じに聞こえます。

ホセ・ファン・ダムさんのヨカナーンがすばらしいです。意志力に満ちた力強い声。ヨカナーンの境遇や性格をよく映し出しているなあ、と思った次第。とても良いですね。ベーレンスさんのサロメは、どうしてもブリュンヒルデに聞こえてしまう。いけませんね。僕の中でショルティ盤のリングのイメージが抜けきらない。僕の聴き方が悪いのですが、とにかく力強い歌唱です。

サロメ、本当に難しいですよね。演奏もそうですし、聴くのも同じく。さすがに何度も聞かないと理解が深まらないです。それでもなんどとなく聴いてますので、徐々に分ってきていると良いのですが。とにかく、聴いていて楽しい、という領域には入ってきています。

  • 作曲==リヒャルト・シュトラウス
  • 指揮==ヘルベルト・フォン・カラヤン
  • 管弦楽==ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
  • ヘロデ==カール=ワルター・ベーム
  • ヘロディアス==アグネス・バルツァ
  • サロメ==ヒルデガルト・ベーレンス
  • ヨカナーン==ホセ・ファン・ダム
  • ナラボート==ヴィエスワフ・オフマン
  • 録音日時==1977年5月、1978年5月
  • 録音場所==ウィーン、Sophiensaal

Opera

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NNTT2 posted by (C)shushi

NNTT1
NNTT1 posted by (C)shushi

今日は朝から雨模様。昨日は帰りが遅かったので少々疲れ気味。朝は早く起きられたのですが、午前中はなんだか疲れてしまって、どうにも気が引き締まりません。

このコンディションで予習なしで「軍人たち」に臨みます。だいじょうぶかなあ、と少し不安でした。予約していたCDは結局届かないまま。予習なしですので、とりあえず入場してすぐにパンフレットを買って熟読態勢。うーむ、なんだか「ヴォイツェック」と「ルル」を彷彿させるようなあらす じです。

幕が開くと、大勢の真っ白な男女が舞台上にいろいろな方向を向いて並んでいます。頭も顔も洋服も靴もみんな真っ白。曲調は、なんだかベルクかウェーベルンのイメージ。そのうちに、一人の女性を遠巻きにひとりぼっちにさせます。その女性が主人公のマリー。舞台は横に長い立方体のなかに置かれていて、黒い壁に白銀の殴り書きがたくさん。まずは白と黒の色の世界を見せつけられます。

マリーは、装身具商人の娘で、織物商人のシュトルツィウスと相思相愛にあります。マリーは青い服を着ていて、堅実な市民女性と言った風体。

ところが、軍人デポルト男爵から芝居に誘われます。デポルト男爵は舞台奥の窓から姿を見せるのですが、やはり顔を白く塗り、頭もスキンヘッドで真っ白。ただ、軍服は真っ赤。窓の向こう側も真っ赤な世界。さしずめ、社会の背面にある軍隊の世界を暗示しているのか、というところ。今までの白と黒の世界に、赤い軍人の世界が浸食してきます。

デポルト男爵の誘いにマリーは舞い上がってしまいますが、マリーの父親は軍人の品行の悪さをよく分かっているので芝居に行かないように諭すのですが、もしや男爵と結婚することになれば、貴族階級に入り込むことが出来るという打算的な考えも頭に入ってくる。もちろん、シュトルツィウスとのことも維持しておくように、と商人らしい手堅さをも見せる訳です。

シュトルツィウスは軍人たちがたむろっているカフェに姿を見せる。カフェには軍人たちがたくさん。もちろん全員真っ赤な制服を着ていて、カフェの椅子もテーブルも真っ赤。カードに興じ、酒を飲む軍人たち。テーブルにカードを放る音や、コップを置く音、スプーンで叩く音は、スコアに指示されていると言うわけで、パーカッションの役目を果たしています。

カフェの机を軍人たちが動かして、小さな舞台を作り出すと、そこに淡いグリーンのドレスを着て赤い制帽を着た夜の女が現れて、ジャズ・コンボが演奏する4ビートに乗って、扇情的なダンスを繰り広げ、三人の軍人(ダンサー)と絡み合う。揶揄する軍人たち。ジャズコンボは、クラリネット、トランペット、ギター、ベースの四人で、パーカッションが4ビートを刻みます。パーカッションの刻みはジャズ的グルーヴ感はありませんでしたが、四人のコンボはグルーヴしていて、ダンサーとうまくコラボレートしている。この場面、ものすごく印象的でした。

そこにシュトルツィウスが現れるのですが、マリーをデポルトに寝取られたといって、軍人たちに笑われます。シュトルツィウスはマリーに非難の手紙を書きますが、デポルトは却って、マリーに絶縁状を書かせようとします。ここで、マリーの老母が登場するのですが、椅子に座って鏡を持っている。あまりに不気味な老母の姿。マリーは、赤い靴を履いたりしていて、徐々に軍人たちの影響下に入っているのが示唆されています。

シュトルツィウスは、マリーからの手紙に打ちのめされます。シュトルツィウスは舞台左側から布を引っ張ってきて、その布をシュトルツィウスの母が追いかけるように裁断していきます。シュトルツィウスの持つマリーから手紙を、母親がはさみで切り刻んでしまいます。シュトルツィウスは復讐を決意します。オーケストラはマタイ受難曲からの引用を演奏。

立方体の舞台の奥の壁が徐々に傾きはじめ、傾いた壁の奥から兵士たちがまるで爬虫類のように匍匐前進してマリーに迫ってくる。強烈な映像。夢にでますぜ、これは。

ここまでで1幕から2幕が終了。あまりに刺激的で強烈な舞台、演出、演奏なので、すごい充実感。個人的にはものすごく楽しめていて(楽しいという言葉がふさわしいかどうかは分かりませんが)、ヴェルディやプッチーニがオペラである、とする向きには本当に退屈だったようで、「もう帰ろうか……」とつぶやいている年配の男性がいたりしました。

3幕のはじめ。女性が兵士たちの好色な目にさらされている。兵士たちの不品行が象徴的に描かれています。マリーは、デポルトからマリ大尉に相手を変えています。そして、ラ・ロシュ伯爵へとどんどん相手を変えている。冒頭の市民的なマリーの姿は全くない。

突然、真っ黄色なロココ調の衣装を着たラ・ロシュ伯爵夫人が登場。息子のラ・ロシュ伯爵が品行が、悪いという噂が立っているマリーとつきあっていることを重く見ていて、息子に旅に出させておいて、マリーには面倒をみてあげよう、などと提案する。マリーの衣装もいつの間にか伯爵夫人と同じ黄色い衣装。だが、結局は衣装を脱がされてしまいます。脱がされた衣装を集めるマリーの老母。どうして老母がココに出てくるのか不明。でもいいんです。なんでも。もう何が何だか訳が分からない。物語的必然性というより、すでに感覚的必然性で、あらゆる要素が縦横無尽に関係し合っていて、それがすでに自明であるかのように提示されてきます。そうした意外性の刺激の強さ。

マリーは軍人たちに囲まれてしまい、囲みを解かれたときには、血濡れた服を着て、スキンヘッドになっている。ここで舞台は右に30度傾く。舞台が傾くなんて、腰を抜かしました。マリーは必死に傾斜を昇ろうとするのですが、昇ることが出来ない。マリーが落ちぶれていくのが象徴されています。シュトルツィウスは、マリ大尉の従卒になっているのですが、スープに毒をまぜて、デポルトに飲ませ、自分も毒をあおって死にます。

転落したマリーは、いまや物乞いをしている。物乞いの相手は自分の父

Opera,Richard Wagner

今朝は少々寝坊。あやうく遅刻しそうでしたが、なんとか練習には定刻に到着。ここから3時間一年ぶりのバンド練習でして、やはり疲れていた模様。楽譜はもっとさらわないと行けませんね。

ちなみに、新宿で練習したのですが、いつの間にかマルイの古いビルがぶっ壊されていてびっくり。元三越のビルに入ったジュンク堂書店で、久々にぶらぶらとしていたのですが、あまりの本の多さに圧倒されてしまう感じ。本なんてもう無限にあるから、読むか読まないかの選択する時点で勝負は決まって居るなあ、と思った次第。です。

今日は、久々にワーグナーに回帰。何度も登場しているカラヤンの「ヴァルキューレ」です。「ワルキューレ」と表記するべきか、「ヴァルキューレ」と表記するべきか迷いましたが、ウィーンだと「ワルキューレ」、ドイツだと「ヴァルキューレ」かなあ、と思い、あえて「ヴァルキューレ」に。ワーグナーもヴァーグナーなのではないか、とかありますが、まあ余りこだわると疲れるので、キメの問題と言うことで。

相変わらず美しい声を聴かせてくださるヤノヴィッツさんには脱帽。ヴィッカーズさんのジークムントもようやく咀嚼できてきました。

それにしても、ノートゥング(ヴォータンがジークムントのために準備していた剣)の挿話は、アーサー王伝説におけるエクスカリヴァーの挿話とよく似ていますね。選ばれた人にしか抜くことの出来ない剣、という設定は全く同じ。ワーグナーもきっとエクスカリヴァーを意識していたのでは、と想像します。

ジークムントとジークリンデの許されざる愛は、トリスタン伝説にも似ている。ですが、ジークムントとジークリンデのほうが遙かに悲劇的。トリスタン伝説は二人の死で昇華される訳ですが、ジークムントは父親のヴォータンに見放され闘いに敗れ、ジークリンデは森の奥に逃げねばならなくなる。しかも息子は奸計で殺されるし……。ヴォータンが指環を取り戻すために生まれたジークムントもジークフリートも悲劇的な死に見舞われる。ヴォータンって奴は……。そういう人間味のある神の姿はやっぱりギリシア神話のゼウスに思えてならないし。

指環は神話における壮大なカクテルなのだなあ、と思います。

以前、今年の秋に新国立劇場でラインの黄金とヴァルキューレがかけられる、と書いた覚えがありますが、勘違いでした。来年の春ですね。一年後になります。それまでには、ニーベルングの指環をもっと理解できていると良いのですが。

  • 作曲==リヒャルト・ワーグナー[ヴァーグナー]
  • 指揮者==ヘルベルト・フォン・カラヤン
  • 管弦楽==・ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
  • ヴォータン==バリトン==トーマス・ステュアート
  • フリッカ==ソプラノ==ジョゼフィン・ヴィージー
  • ジークムント==テノール==ジョン・ヴィッカーズ
  • ジークリンデ==ソプラノ==グンドゥラ・ヤノヴィッツ
  • フンディング==バス==マルッティ・タルヴェラ
  • ブリュンヒルデ==ソプラノ==レジーヌ・クレスパン