American Literature

辻邦生師が好きとはいえ、あまりに他の本を読んでいないなあ、ということで、なんやかんやと手のつけられていない「夏の海の色」を傍らにおいて、ポール・アンダースンの「タウ・ゼロ」というSFを読みました。

SFは昔から好きだったのですが、ファウンデーションシリーズを読んだり、谷甲州さんの「航空宇宙軍史」を読んだりしましたねえ。他にもココには書きづらい読書歴もありますが。

「タウ・ゼロ」は、恒星間ラム・ジェットが、永遠に加速を続けたらどうなるか、という怖ろしい話でして、語られていることは非常に抽象的な宇宙論に基づくのですが、それを取り巻く人間模様などが綿密に織り込まれていて非常に面白かったです。50人の男女が恒星間探査を行うべくおとめ座に向かうのですが、事故で減速装置が壊れてしまうというアクシデントがもたらすものは、という話でして、恒星間植民の論点や、ウラシマ効果とか、ビック・バンとか、まあそれは壮大な話です。

これが書かれたのは1960年代でして、当時は実に斬新だったと思います。宇宙論は文系の私にはかなり厳しいわけですが、人間模様の機微は味わい深いです。

あとがきに怖いことが書いてありました。 「この本を試験前に読んではならない。そうした些細なことで人間は人生を踏み外すものである」 さもありなむ。人生を踏み外した私には良くわかるのであります。

Giuseppe Verdi,Opera

とうとう新国の2008/2009年シーズンも終わり、オペラ的にはシーズンオフ。「修善寺物語」にはいけなかったのが口惜しいところですが。

今回のシーズンで一番すごかったのは、やっぱり「ワルキューレ」でしょうか。意外だったのは、これまで苦手としていたロッシーニ作品を楽しめたことでしょうか。「チェネレントラ」はすさまじかったです。

2009/2010年シーズンは新国11年目のシーズンです。舞台裏では新国も色々あるみたいですが、より一層すさまじい舞台を見せてほしいです。

ということで、2009年シーズンの冒頭を飾る「オテロ」を予習中。「オテロ」はたしか2002/2003年シーズンで演奏されたかと思います。でも、あの頃の私は、まだ「アイーダ」も知らず、「カプリッチョ」にも出会っていなく、「指環」も知らない赤子でした。まあいまも青二才ですが。

デズデーーモナは、ノルマ・ファンティーニさん。この方、凄いと言う噂をよく聞きますし、新国にも何度もいらしているはずなのですが、実演は今回が初めてです。楽しみ。イアーゴは、ルチオ・ガッロさん。「西部の娘」、「ドン・ジョヴァンニ」でおなじみ。今回も渋い歌声を聞かせてくれそう。

とはいえ、数年前からiPodに入っている、カラヤン&デル・モナコの「オテロ」を予習に、と聴いてみると……、マジですか! これはすごい曲で、すごい演奏だ、ということに気づきました。お恥ずかしい限り。デル・モナコのトランペット・ボイスはiPod+Quiet Comfort2で聴いてもすばらしい。ヴェルディの分厚く圧倒的なオーケストレーションが激しい音圧となって迫ってくるのには、会社の昼休みであることを忘れてしまうぐらい。すごいなあ、カラヤン。

実演が楽しみです。

Opera,Yakushima2009

 大変ご無沙汰してしまいました。実は先週旅行に行っておりました。本当は海外に行きたかったのですが、新型インフルエンザ騒動で、頭の硬い旧時代的な我が社は、海外旅行の事実上禁止令が発動されておりまして、国内へ。以前から一度は行ってみたかった屋久島へ行っておりました。

旅行の様子はぽつりぽつりとこれから書いていこうと思いますが、最初にいきなり真打ちにご登場いただきましょう。縄文杉です。

想像を絶する幹周りをもつ縄文杉は、以前はいくつもの杉が合わさってできたものではないか、といった説も合ったようですが、最近DNA鑑定が行われて、合木説は消えたそうです。すべての枝のDNAがそろったとか。悲しいことに、縄文杉はあまりの人気でして、縄文杉観覧用の木製の大きなテラスができていたり、下草を切り払ったり、周りの木々も伐採したりしたようで人工的な劇場に鎮座しているようなイメージ。少し残念な気分でした。

屋久島は確かに世界遺産ですが、人の手が数百年前から入っている森でもあります。太い杉の木は、幕政時代までにほとんど倒されてしまったようです。宮崎駿監督が屋久島の森を見て「この森は病んでいる」とおっしゃったそうです。巨木はほとんどないから、というのが理由のようですが。

ではどうして縄文杉は伐採されなかったのか。幕政時代頃の杉の使い道は平木にして屋根を葺いたりするのに使ったようです。そのためには、筋がまっすぐな杉の木が必要でした。縄文杉は節くれ立っていて、筋も曲がっているので、使い物にならなかったのですね。ですからこれまで命を長らえているわけです。

ガイドの方に「縄文杉より巨大な杉があるという噂がありますが、あれは本当ですか?」 と尋ねてみました。するといとも簡単に「きっとあるでしょうね」とお答えになりました。まだまだ地元の人しかしらない巨木がどこかで眠っているなんてことを想像するとなんだかワクワクしてきました。

そんなことを考えながら、今日はヴェルディの「オテロ」をデル・モナコの歌唱にて。以前はロッシーニやヴェルディが実は苦手だったのですが、最近徐徐に近づけて行っている感じがあります。「オテロ」は新国の来シーズンのトップバッターでして、新国ではたしか数年前にも上演されています。私はそのときに実演に触れているのですが、正直いって理解できたという気分ではありませんでした。ところが、今日聞き直してみると、なんだか実に面白いのです。まだ語れるほどには聞き慣れていないのですが、これはちょっとこれからが楽しみです。

Classical

近頃クラシックを聴いていないかというと、結構聴いておりますが、なかなか文章に出来ない歯がゆさ。

ここ最近に聞いて楽しかった曲を羅列してみると……。

  • アバド;クレーメル/ヴィヴァルディ:「四季」
  • ベン・ヘップナー/ワーグナーアルバム「ヘップナー・ワーグナー」
  • ボールト/ヴォーン=ウィリアムズ:交響曲第三番
  • ババジャニアン;ジャコミーニ/プッチーニ・アリア集
  • ハイティンク/ワーグナー:「ワルキューレ」
  • シラグーザ;カサロヴァ/ロッシーニ:「チェネレントラ」
  • アバド/ロッシーニ:「チェネレントラ」
  • グールド/バッハ:平均率クラヴィア集

などなど。

ヴィヴァルディ:協奏曲「四季」
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アバドとクレーメルの「四季」は、クラシックを聞き始めたころにグラモフォンのカセットテープで聞いた懐かしいもの。やっぱりこの「四季」がデフォルト盤ですので、心地よい。私は「夏」と「冬」が好きです。

Heppner Sings Wagner
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ヘップナーのアルバムは、ペーター・シュナイダーさんの指揮を聞けるとあって買いました。ヘップナー氏の声は若々しくてヒロイック。顔の写真はこわもてなのですが。

Vaughan Williams, The Complete Symphonies
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ヴォーン=ウィリアムズは、今現在イギリス人二重スパイであるチャップマンのノンフィクションを読んでいるので、といういささか浅はかな理由ですが、RVWはすばらしいっす。心休まりますねえ。会社の昼休みに聞いて心安らかです。

Rossini: La Cenerentola
Rossini: La Cenerentola

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シラグーザ&カサロヴァの「チェネレントラ」は最高! アバドの「チェネレントラ」では聴けなかったアクロバット高音域を楽しめます。私は第二幕の後半のスタッカートが生き生きとした重唱が好きです。

ヒア・アイ・アム
ヒア・アイ・アム

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アマンダ・ブレッカー
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ブラジリアン・パッション
アマンダ・ブレッカー
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ジャズ系では、あのマイケル・ブレッカーの姪にして、ランディ・ブレッカーとイリアーヌ・イリアスの娘であるアマンダ・ブレッカーのCDを衝動買いしてしまいました。ブレッカーと聴くと財布が緩むのであります。反省。 やっぱり毎日書かないと、日々何を思っていたのかがわからないです。ちと心入れ替えんといかんなあ……。イリアーヌとランディも参加。離婚しても愛娘は愛娘。それにしても、アマンダの顔はランディにそっくり。小さい頃のアマンダの写真は、母親のイリアーヌのとあるアルバムのライナーにみることができるのですが、その頃はもっとランディにそっくりでした。

Book

 こちらも久々に骨のある本で、息つく間もなく二日で読み終わりました。上質のスパイ映画を観ている気分。しかもそれがどれも実在だった(と思われる)話しなので、臨場感が違います。

ロンドンで悪名をならした天才犯罪人がナチスのスパイとなり、ついで英国のMI5のスパイとなり、二重スパイとして、ドイツやイギリスを翻弄する、チャップマンが主人公の痛快なノンフィクション。

小学校の頃、「原爆スパイ0号」というスパイノンフィクションが面白かった記憶がありますが、それにもにた面白さ。正史には現れない第二次大戦の舞台裏を神の眼をもって眺めているという贅沢さ。いや、贅沢だなんて言葉は似つかわしくないです。戦争がいかに人を変えて、人を活かすのか、という戦慄すべき事実をも突きつけられますので。

最後の部分がちょっと寂しい。チャップマンのスパイ人生の終わり方をもう少し読んでいたかったです。それは、とりもなおさず、物語が終わるという寂寥だったりするのですが。

しかし、チャップマンほど頭がよくて、勇気があればなにをもできると思うのですが、そうもいかないようです。死ぬ間際にはすこし寂しい話しもあったようです。

こういう本を読むと、なんだか勇気づけられる気分。私も、能力はなくとも、なんとか頑張らないといかんなあ。

Book

なんだか、久々に骨のある本を読んだ気分です。「ミケランジェロの暗号」。 というか、昨年ローマに行く前にこの本を読みたかった……。ミケランジェロの手による、システィナ礼拝堂のあまりにも有名な天井画と壁画に隠された暗号を、ユダヤ教の公明なラビと美術史家が紐解いていくドキュメント。これは「ダヴィンチコード」や「天使と悪魔」の世界に近しいもの。

ミケランジェロは、その非凡な才能をロレンツォ・メディチ豪華王に見出されて、ロレンツォの子供達とともに英才教育を受けるわけですが、このときに、フィチーノやピコ・デラ・ミランドラにユダヤ教の諸知識を得たらしい。旧約の世界と当時のヴァチカンの隔たりに憤り、システィーナ礼拝堂に暗号を埋め込んだという事実。面白くて痛快すぎる。やっぱり天才ともなるとやることが違います。

色々と面白いネタがたくさんで、息つくまもなく読み終わったというところ。個人的にはシスティーナ礼拝堂が、ソロモン神殿と同じサイズで作られているということを知らなくて、大変お恥ずかしい限り。だからあんな教会らしくない建物なんですねえ。

Opera

またも月日がたつのは早い。加速度的。 日曜日に行った「チェネレントラ」が思いのほかすばらしい思い出になりまして、ここのところアバド盤を聴いてばかり。先週ロッシーニは大変な思い、といっていたのですが、手のひらを返したような感じ。すいません。

「セヴィリアの理髪師」を聴いたときにも思ったのですが、「チェネレントラ」にも、あらすじに関係ない技巧的な重唱がありますね。第二幕の中盤過ぎのあたり、スタッカート気味に重唱を始めるのですが、すごくモダンに感じます。モダンというよりも、ある種の驚きのようなものに似ています。聴けば聴くほど難しい曲だと思います。 最終幕のチェネレントラの独唱はすごいですねえ。美しすぎますですよ。

気がつけば「チェネレントラ」の序曲を鼻歌で歌っているのには苦笑。仕事中も頭から離れない。こんなにロッシーニが楽しいとは知りませんでした。不勉強さに恥じ入るばかり。申し訳ありません。ペーザロに行ってみたくなりました。ロッシーニ三昧でワインでも飲んだら幸せだろうなあ。っつうか、今週末はロッシーニのDVDでも見たいですねえ。

Opera

先日の記事で、「ロッシーニがむにゃむにゃ」とか、「予習をサボろう」などと、たいそうなことを書きまして大変反省しております。予習をサボろうといいながらも、なるべく聴くようにはしておりましたので、まあまあ旋律を覚えた状態で、今日の本公演に望むことができたわけですが、

 

ものすごく楽しかった!

という感じです。偉そうなことは書くもんじゃないですね。すいません、

何が凄かったかって、まずは予想通りアントニーノ・シラグーザさんが激烈に素晴らしい。

実は、シラグーザさんの歌は2002年の新国立劇場「セヴィリアの理髪師」で聴いているのですね。この頃の新国は、ダブルキャストでして、もう一人の伯爵が歌っておられたのですが、風邪で調子を崩され、シラクーザさんが二幕から急遽歌ったのでした。ものすごい拍手でしたね。実は、このときの「セヴィリアの理髪師」が、生オペラ初体験だったわけでして、当時は何が何だか分からないまま聴いていたので、シラグーザさんがどんなに凄いかをまだ理解できていなかったようなのです。

ですが、あれから6年半は経ちまして、私もいろいろとオペラを聴きましたが、今日になってシラグーザさんの偉大さを再確認いたしました。

何より声の張りが凄いです。声量は取り立てて大きいとは感じませんでしたが、音圧とでもいいましょうか、声が空気を振動させているのがよく分かるのです。それでいてピッチは当然正確ですので、アクロバット飛行を見るかのような爽快感。凄かったです。

先ほど個人的なオペラログブックを眺めていたのですが、実演オペラには60回行ったことになるようです。ところが、私は生まれて初めて、曲の途中でアンコールが挿入されるのに遭遇しましたですよ。シラグーザさんの曲芸とも言えるすばらしい歌唱に拍手が鳴り止まず、指揮者がタクトを振ると、もう一度同じ箇所が演奏されました。字幕はカラ。それでも拍手が鳴り止まないので、シラグーザさんは颯爽と舞台奥に消えていきました。かっこよかったですよ。

その後、ダンディーニ役のロベルト・デ・カンディアさんが、自嘲気味なセリフで会場の笑いを誘っていましたけれど。

このカンディアさんも素晴らしいバリトンでした。ロッシーニの早口セリフをこなしていましたし、演技もコミカルで実に素晴らしい。このカンディアさんと、ドン・マニフィコ役のブルーノ・デ・シモーネさんのコミカルな演技の美しさ。ヨーロッパのエスプリとでも言いましょうか。愉快な振りとか、表情の作り方が凄く巧くて、これはもうさすがにかなわないなあ、という感じ。シラグーザさんも、歌詞に日本語を交ぜたりして笑いを誘っていましたし。

チェネレントラのヴェッセリーナ・カサロヴァさんを観るのは二回目です。一回目は2007年のチューリヒ歌劇場「ばらの騎士」のオクタヴィアンでした。カサロヴァさん、歌い出した途端に、思わずため息。

すげー、これが世界レベルの声だわ。

っていう感じ。バターのように豊潤で粘りのある歌声でして、清楚なチェネレントラというよりも、意志力のある強いチェネレントラ。この方のカルメンを聴いてみたい、と思いました。というか、3月に演奏会形式でカルメンやっていらしたですね。行けば良かった。

今日は、本当にロッシーニオペラの奥深さを体験しました。やはりCDを聴くだけではその魅力の10%も理解できないです。実演で、生の声を聴いて、セリフや振り付けや舞台を楽しみないと分からない感じ。やっぱりCD聴くだけじゃ偉そうなこと言えないなあ、と反省することしきり。

今年の新国の「ワルキューレ」も素晴らしかったけれど、違う観点で「チェネレントラ」も素晴らしかったです。こういうときは生きていて良かったと思うんですけれどね。

次のオペラはしばらく休憩で、新国立劇場2009/2010シーズンの最初を飾るオテロになります。「修善寺物語」は故あって行けず。残念です。

Opera,Richard Wagner

今月のオペラは、今週末の新国立劇場「チェネレントラ」です。現在アバド盤で予習中なのですが、当然ですが、やはりドイツロマン派以降のオペラとは語法が違いまして、少々大変な思い。きっと実演の舞台を見れば楽しめると思いますが。

最近音楽について文章を書いていないです。サボっているのです。全くこの体たらくといったら。音楽が巧くフィットしてくれない感じです。

なんて思って、ハイティンク盤のワルキューレを聞いてみると、ああーー、これめちゃくちゃいいわー。しょっぱなのコントラバスの緊張感のあるフレーズ、ヴァイオリンの切迫感のある音が地平線のように鳴り響く。コントラバス奏者の方々にとってはおいしいところなんでしょうね。それから、ホルンがフレーズして、ヴァイオリンが回転する。すげー。ジークムントの悲痛なモノローグ。ジークリンデの切ない声。独奏チェロの心象旋律に涙。これ聴くだけで、なぜか天にも昇る幸せな気分。ワーグナーラヴ。 また観たいです。実演のニーベルングの指環。とくにワルキューレを。来年のジークフリートと神々の黄昏が楽しみ。

あ、今日もチェネレントラの予習をサボって、ワーグナー聴いちゃおう。

Concerto,Ludwig van Beethoven

なんだか最近時間の経つのが早いですね。ともあれ、記事の更新が滞りがちなのは私の精神力のなさでしょうか。最近、音楽を聴いて語ることに何か引っかかりのようなものを感じているのも関係ありましょうか。というか、もし音楽の才能があれば、楽譜も読めただろうし、もっときちんと書くことも出来るのでしょうけれど、なかなか、というところ。逃げちゃいけないんですが。

昨日からベートーヴェンを聴いておりまして、昨日は交響曲第二番、今日はピアノ協奏曲第二番です。前者はアバド盤、後者は内田光子&ザンデルリンク盤。心洗われるというのはこういうこと。内田さんのピアノは、軽やかで舞うような気持ちになります。水面に落ちる水滴の音。特に第二楽章アダージョの静謐な空気にはなんだかたゆたう気分を。会社の昼休みに聴いていたのですが、しばし別世界でした。