Miscellaneous

先日から、宇宙開発や宇宙探査に関心が向いているのですが、それは、とりもなおさず、アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」によるものです。

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)
クラーク
光文社
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先日読んだ折に、いつかは地球が終わる時が来るという決定的な認識を得てしまい、それでもなも人類が永らえるためには、という命題があるはず、と気づいたのでした。太陽の膨張とか、地球が冷え切るなどの環境変化は、気の遠くなるような長いスパンでは起こりうるもののようです。宇宙開発や宇宙探査は、私たちの子孫の繁栄のためには欠かせないものではないか、というのが、少し大仰ですが、科学的な意見を参考にした意見です。

そんな中、NASAが重大発表をするというニュースをキャッチしました。どうやら系外惑星に関するもののようです。系外惑星とは太陽系外の恒星形にある惑星のことです。先日読んだ立花隆の本では、宇宙望遠鏡の発達で、系外惑星の発見が進んでいるとのことでした。

光速を超える宇宙旅行はできないのですが、片道であれば、光速に近づけば近づくほど時間が遅くなるということもあり、もしかすると、今回発見されると予想される地球型系外惑星に人類が移住する日が来て、いつしか、スター・ウォーズのように、人類が銀河を巡る時代が来るのかも、などと想像したりしてしまいました。

もっとも、宇宙も大事ですが、目の前の仕事も大事。どちらもバランスよく進めないと。

取り急ぎ、みなさま

おやすみなさい。グーテナハトです。

 

Miscellaneous

昨今、喜ばしいことが、そのまま喜ばしいとは思えない、という感じ。逆にいうと、忌まわしいことも、そのまま忌まわしい思わずにすむ、という感じでもあります。

あらゆるものには、表裏があります。ポジティブシンカーは、悪い出来事にもプラスの価値を見出します。ということはその逆も可能。どうも、歳を重ねて。両方できるようになってしまったらしく、そうなると、あらゆることに喜怒哀楽がなくなってしまう、という状況なのかも。いや、喜怒哀楽は起きたとしても、それをカッコでくくってしまうということなのかも。だから、世の中は透明で平坦だと思うわけです。

資本主義の世界では、一応、経済は発展するので、景気の波はあれど、長期的には発展していくことになっています。こういう平坦な気分も、上・下の波を均して見た結果なのですが、それが、資本主義経済のように上昇基調だと良いですね。

きょうもやはりブルックナーの7番。ティントナー。

Bruckner: Symphony no 7 / Tintner, Royal Scottish National Orchestra
Naxos (1999-05-11)
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平坦な気持ちで仕事場を出ましたが、ブルックナーが本当に心に染み込んできました。別の指揮者のブル7も聞きましたが、それはドイツロマン派の文脈でした。しかし、ティントナーのブル7は多分ドイツロマン派の文脈ではなく、やはり何かイタリア的な明るさが含まれているような感じで、このままこの世界に没頭したいという気持ち。無人島に持っていく一枚は、このティントナーのブル7かもしれない、という気持ち。

このティントナーを聞いた幸せな気分は平坦な気持ちではありませんでした。こういう、はたから見るとささやかな「上向く気持ち」の積み重ねが、波を均したときに、総体で上へ向くことになるということなのかも。つまり、生きることのほとんどは均された平坦なものなのですが、ほんの少しの「上向き」のために、せっせと波を均して、時々訪れる「上向き」を待って少しずつ上向かせているのかも。「上向き」の機会を注意深く補足していかないと。

それは、まるでニュートリノの光芒、あるいは超新星の輝きを探るのと似ているのかもしれず、そうしたほんの少しの瞬間の光だけが人生の意味なのかもしれない、などと思います。

明日もまた仕事場で頑張らないと。ただ、仕事場だけで頑張るのも問題ですけれど。

まだ少し寒い日が続くようです。みなさま、お体にお気をつけてお過ごしください。おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

Photo

この週末は、様々な用事を済ませて、今やっと日曜日の夜。唯一、週末は、幸いにも仕事場に行かなくて済みますので、睡眠時間を取ることができるのがありがたいです。

写真は近所の公園にて。冬晴れにそびえる枯れ枝、と思われるかもしれませんが、近づいてみると枝には若い芽がいくつもできていて、春に備えていました。

また、東京の日没は12月初頭に比べると1時間長く日が出ているのは嬉しいものです。先日、仕事場で、いつでもどこでも仕事ができるテレワーク、みたいな話が出たのですが、私の場合、太陽の光の下で仕事がしたいなあ、と思いました。仕事場はブラインドが一日中下がっていて暗いのです。

いずれにせよ、春が待ち遠しいです。

明日の日本列島は、大荒れの天気だそうです。みなさま、どうかお気をつけてお過ごしください。

Book

大昔、高校の前半まで、短編小説というものがあまり好きではなく、長編ばかり読んでいた気がします。分厚ければ分厚いほど、読む気が湧いてくる、みたいな。とにかく、長編ばかり。と言っても、古典文学ではなく、トム・クランシーやレイモンド・フィーストだったりしたのですが。

その認識が変わったのは、辻邦生を知ってからだと思います。短編の持つ繊細なガラス細工のような技芸は、長編ドラマとは違う楽しみあるなあ、と。

もっとも、辻邦生は実際のところは長編を得意とする作家でもあったわけで、辻邦生との出会いが短編だったというのもなにか不思議な気分ではありますし、短編でさえ長編の一部という作品もあるわけです。「ある生涯の七つの場所」もその1つで、文庫化された1992年は、二ヶ月に一度の文庫の発売を楽しみにして過ごし、短編を一つ一つ読んだのは、私の読書体験における幸福な記憶の一つです。

夏の海の色 (中公文庫―ある生涯の七つの場所)
辻 邦生
中央公論社
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ただ、なかなか読み進めることができなかった、という記憶があります。電車の中で一つの短編を読み終わると、ぼーっと車窓を眺めて、放心しているような感じだったと記憶しています。

みなさまもそうだと思うのですが、短編を読める量と、長編を読める量というのは自ずと違うなあ、という気がします。長編は、物語的面白さに引き込まれて、ぐいぐいと先へ先へと読み続けますが、短編は、一つ読んだだけで、何かもう次を読めないという感覚になります。短編はそれ一つで、完結した一つの世界です。その一つの世界を最初から最後まで読みきった時、その世界のあまりにも強い余韻に酔ったような気分になり、しばらくそこから動けないような感覚があります。

今、村上春樹が訳した短編集を読んでいるのですが、一つの短編を読み終わったところで、満腹感のような充実を覚えてしまい、容易には次の短編に進むことができない、という感じでした。余韻に浸る、という言葉がありますが、余韻というよりは、何か浮かされた熱を冷ます、ほとぼりを冷ます、というような感覚の方が正しいと思います。そういう余韻、あるいは熱を伝えることのできる短編というのは、力のある短編ということになるのであって、きっと、辻邦生の短編群もやはり、激しい余韻と熱を伝えるものだったということなのだと思います。

さて、今日でウィークデーは終わり。週末は色々とやることがありそうです。色々頑張らないと。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Book

ぼくらの頭脳の鍛え方 (文春新書)
立花 隆・佐藤 優
文藝春秋
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立花隆氏と佐藤優氏の対談。お互いに教養を深めるためのブックリストを作って、それについて語るというもの。何かのタイミングで、引っかかっていて読みたかったのですが、今回入手。2009年の本ということで、少し古いのですが(なんと8年前)、紹介されている本は古典とも言えるものなので、色あせた感覚はありませんでした。

お二人とも、相当な読書家で、月に10万円本代に使うということで、そういう点でも見習わないと、と思います。面白かったのは、外務官僚についての記述。佐藤優氏は外務省に勤めていて、鈴木宗男との関連で退職された方です。官僚は収奪する側とされる側に別れるとか、上役は「うまくやれ」と下役を使い、うまくいけば手柄は上役へ。うまくいかなければ、罪過は下役へ、という構造は、どこも一緒だなあ、と本当に面白かったです。

大学時代は、今から思えば楽器を吹いて飲んでばかりでしたが、もう少し本を読んでおけばよかったなあ、と思ったり。残りの人生時間を見極めて、効率よく読書計画を立てなさい、というくだりがこの本の中にあって、まあそうかもしれない、と思ったり。若ければ若いほど、こうした本は効果的だなあ、と思います。

そういえば、高校時代に読んだ岩波文庫の宣伝文句に「良い読書は、悪い本を読まないこと」という趣旨のことがあり、まあそうかもね、とも。もっとも、効率的な読書って、なんだかお勉強みたいでつまらなさそうだなあ、とも思います。

ブックリストは、有識者の経験が詰まっているので本当に面白いです。

さて、今日もティントナー。7番を聴いています。

Bruckner: Symphony no 7 / Tintner, Royal Scottish National Orchestra
Naxos (1999-05-11)
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先日も紹介したばかり。思うに、ブルックナーでいちばん好きな曲はこの7番だなあ。優美で典雅。先日も触れたように、初めて聴いたブルックナーは7番。あれ、実演を聴いたことはないかもしれない。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Anton Bruckner

仕事場への通勤時間が唯一の考えられる時間で、スマホがあり、ヘッドホンがあり、文庫本があれば、まあなんでもできてしまうのですが、それでもなお、時間がたくさんあると思うとそれは錯覚で、あっという間に電車は仕事場に着いてしまいます。逆にできることがあり過ぎるから、ですね。

今日は、またティントナーによるブルックナー。5番です。あまりに論理的な構築美が繰り広げられる5番ですが、どう聞こえるのか。時に、晦渋に過ぎる演奏もありますが、ティエポロのような美しさはあるのか。

Symphony 5
Symphony 5

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で、聴いてみるのですが、やはり何か繊細な細やかさのようなものを感じて、いいなあ、と心から。丁寧な職人技のようなのですが、職人という言葉から連想される「仕事」という感じではなく、たおやかな「遊び」のようなものを感じました。
ブルックナーをとおしで聴けるぐらいの通勤時間は、良いのか悪いのか。まあ、良し悪しはなくて、あるのは、とおして聴けるというありがたさだけなのかも。通勤時間は、無償の労働と言われますが、まあ、スマホとヘッドホンのおかげで、生産的な時間とも言えそうです。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

いろいろなことがおわり、先週は多くの山を越えました。今までにないことをいくつも。

思うことは、やり過ぎもまた問題ということかなあ、と。

先だって、とある方と話をするなかで、野心的だと言われたことがありましたが、単に、やりたいことをやりたいと思うだけで、淡々としたものなんですが。

苦労しているのは時間に対してやることが多すぎることで、色々と迷惑をかけているのでしょう、ということだけです。申し訳なくおもうことばかり。

今日はこちら。マックス・リヒターのリコンポーズによるヴィヴァルディの《四季》。

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日曜日にNHK-FMで流れたのを聴きました。数年前にドイツグラモフォンからリリースされているので、きっと色々と議論されてつくしているのだとおもいますが、一旦は印象を。
春から冬まで、シンセサイザーを交えながら、弦楽合奏と独奏ヴァイオリンでリコンポーズサレタ楽曲は、《四季》のようで《四季》ではありません。似てはいるのですが、違います。リズムや旋律が変えられていたり、あるいは構造も変わっていたり。しかし、やはり、それはヴィヴァルディの《四季》。

でも、冬が終わったあと、5つのShadow というユニットが始まります。それはシンセサイザー中心の楽曲で、《四季》の旋律がかすかに聞こえたり、和声が聞こえたりするのですが、なにか、世界を裏側から眺めているような、《四季》ではない世界になっています。死者が世界を眺めるのこうなるのでは?、と思います。反《四季》のような感じ。

多分、大事なのは、オリジナルにはない、この部分なのかも。

さらにシンセサイザーだけでリミックスされた《四季》6曲。これは本当にエレクトロニカ、あるいはダンスミュージック的な音作り。現代化された《四季》。これもやはり、死者からなのか未来からなのか、裏側から眺めた《四季》。美しさ、あるいは批評なのか諷刺なのか。

さて、あらゆるものには、正と反があり、合となる、というのは、よくある弁証法の話。どうも最近の感覚は、正と反があり、平坦がある、です。上昇することなく、ただそこにある、という感覚。やりすぎると良くも悪くもあるけれど、まあ、そういうものだということで、受容しないといけないのかも。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

European Art,Miscellaneous

今日もブルックナー。9番をやはりティントナーで。昨日は、柔和な、と書きました。なにか優しさを感じます。

Bruckner: Symphony no. 9 / Tintner, Royal Scottish NO
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思い出したのが、新国立美術館にあるティエポロの絵でした。2017-02-10 23.44.47
昔、ウィーンだったか、外国の美術館で、老人がティエポロの絵の前で「ティエポロ」低い声で呟いたとのが忘れられません。ヨーロッパ人の彼と、日本人の私が感じるティエポロに違いがあるのかないのか。私の感動は、日本人だからなのか。彼はどういう思いで「ティエポロ」と呟いたのか。あるいは、そもそも彼はどこの国から来たのか。オーストリアなのか、ポーランドなのか、スロベニアか、ハンガリーか。

なにか、戦後の日本の発展のなかで、上へ上へと登っていって行きついた先がいまの日本で、それはそれで本当にありがたいことではありますが、そうしたありがたさとは違うありがたみが、ティエポロとかティントナーにはあるなあ、と。とにかく静謐で、落ち着いていて、浮つくこともなく、淡々とデューティをこなし、唯一人間だけが意識的に許されている美しさをつくる営為に寄与している、ということ。実際は、もちろん、報酬はあり、あるいはそうした西欧の落ち着きに植民地経営が寄与していたということも忘れることはできませんけれど。これは、経済と芸術の問題なのかなあ、などと。

今日、山を二つ越えました。今週の山は日曜日で終わり。また来週から新しい山がきます。

それではみなさま、おやすみなさい。

 

Anton Bruckner

今朝読んだブルックナーについての記事に触発されてこちらを。

7番は、初めて聞いたブルックナーでした。おそらくは、1988年ごろかな、と。30年も前。大阪フィルを朝比奈隆が降ったFM放送のエアチェックでした。金子建志さんが、いかに朝比奈隆の指揮のテンポが遅いか、というのを、朝比奈さんの演奏とバレンボイムの演奏(だったと思う)の二つのCDを同時にスタートさせて、バレンボイム盤が終わったところで、朝比奈盤に切り替えて、あ、まだここまでしか演奏できてませんね、みたいな比較をして説明していたのを思い出しました。

私は第二楽章が好き。ワーグナーの死に際して作られた、と言いますが、浄福に至る美しさはしばし世の芥を忘れさせます。この曲聞きながら、黄金の太陽が降り注ぐ雲海を眺めたことがあります。あれは人生で最も素晴らしいひとときの一つだったと思います。

今日はティントナー盤を聞いてみました。20年ほど前に評判になったのですが、なかなか聞けずじまいでした。第一印象は柔和なイメージ。

Bruckner: Symphony no 7 / Tintner, Royal Scottish National Orchestra
Naxos (1999-05-11)
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ちなみに、昨今、起きていることが、いいことなのか悪いことなのかわからない状況。多分、世界は透明で平坦なのだと思う。そして思った以上に意味がない。失敗も成功もなく。ただ、あるのは、おそらくは、そうした透明や平坦に向けられる自分の解釈だけなんだろうなあ。

なんてことをこの曲を聴きながら考えてしまいました。

明日でウィークデーは終わり。今日、ひとつ山を越えました。あと山は3つ。頑張らないと。

それではみなさま、おやすみなさい。

Miscellaneous

DayOneというiPhoneのアプリを使っています。

要は日記アプリなんですが、デザインが素晴らしく、書きながら幸せを感じます。また、iPhoneの位置情報や写真をトリガーにしてエントリーを作れる仕組みなど、至れり尽くせりです。ただ、iPhone6では少し遅いかな、と。

で、もっとも素晴らしい機能は、一年前の日記を毎日見せてくれるというもの。これは本当に画期的なのです。2015年の秋頃から使い始めたので、先だっての秋から、この一年前の日記を見るようになってきました。そうすると、なかなか面白い事に気づきます。当時考えていたことのいくつかが実現している、というもの。まあ、なにかやりたいことがあれば、書いたりするといいよ、という話はよく聞きますので、そうかもね、と思いました。もちろん、実現しないこともあるので、統計的にはあまり意味がないものかもしれませんけれど。

今日はこちら。リトナーがかつての自分の楽曲を改めてカバーしたもの。聞き覚えのある曲が満載で、それらが新たなアレンジで聴けるというもの。昔に戻りながらも、何か歳をとった成熟のような感覚もあり、落ち着いて楽しんでます。

A Twist of Rit
A Twist of Rit

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Lee Ritenour
Concord Records (2015-08-21)
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さて、とはいえ、ともかく、信じるものは幸いなり、とも思います。頭で考えるより、紙に書いた方が整理がつくというもの。その方が迷いも晴れて先が見えますので。もっとも、明日は全国的に広い範囲で雪とのこと。春がその先に見えてくるといいのですが。

それではみなさま、おやすみなさい。