Japanese Literature

Photo

今朝の東京地方は曇り空で、あれ、天気予報と違う、と思いましたが、その後お昼に向けて雲が切れて行きました。写真は、ちょうど雲が切れ始めて快晴へと向かう時間帯のもの。
昨夜は、少しばかり飲みすぎまして、まったく懲りないものです。気を使う場だとついつい飲みすぎてしまいまし。正月休みということでお許しを。
この年末年始休暇は自分の時間をとることはなかなかできませんでしたが、家事をしながら、「紅白歌合戦」を含めて、テレビを見ていろいろ情報を得ました。

で、こちら。

BS1スペシャル「巨匠スコセッシ“沈黙”に挑む~よみがえる遠藤周作の世界~」

オペラ「沈黙」を新国立劇場で2回見ていて、映画化の情報も聞いておりました。この春にロードショーだそうです。録画を仕掛けていたのですが、家事のあいまで最後まで見てしまいました。

「沈黙」について語ることそうそう簡単なことではありません。ですが、自らの信仰、自らの価値感、自らの美意識を捨てる、と言うことは、キリスト教禁制下におけるキリシタンだけが直面する問題ではない、ということにあらためて思い至りました。

また、遠藤周作は、「沈黙」に登場するような弱き者たちを沈黙の灰から救い出すことこそが文学の仕事だ、ということを言っていた、とされていました。常々思っていることは、文学の仕事というのは、学問的な客観的必然性や普遍的妥当性がなかったとしても、そこに何かしらの真実を求める営為です。それは、ともすればPostTruthの文脈で語られるような安易な感情的な振りかざしになりがち、ありはそう思われることもあるのでしょうが、作家はそこに客観的必然性と普遍的妥当性を当為としてあるように書くことで、政治や歴史にはできない仕事をしているのだと考えています。遠藤周作の言っていたことは文学の使命として、ある種の作家に向けた一つの指針のようにも感じました。

さて、明日で正月休みは終わり。明後日からまた五時起きの毎日が始まります。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Jazz

Photo
新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。皆様にとりまして幸多き一年となりますことを願っております。

昨年末に「セッションでチック・コリアをやらないか?」と言われたりしまして、チック・コリアを聞き始めたら、なぜかとらわれてしまいました。

今日はこちら。「不思議の国のアリス」をモチーフにした1978年のアルバム。

マッド・ハッター

マッド・ハッター

posted with amazlet at 17.01.01
チック・コリア ゲイル・モラン エディ・ゴメス ジョー・ファレル ハービー・ハンコック スティーブ・ガッド
ユニバーサル ミュージック クラシック (2005-03-30)
売り上げランキング: 82,464

チック・コリアの音楽は、何か、70年代のオプティミズムのようなものが含まれているような気がしてなりません。20世紀のSFに描かれたオプティミズムのようなものと通底するものとも言えます。科学の発達が人類を栄光の未来へと導いていくというもの。あるいは、世界は歴史の流れにおいて必然的に発展し様々な問題は一つに収斂していく、というもの。それは、チック・コリアの来歴を知っているという要素はあるかもしれませんけれど。

今年は(あるいは今年も、と言いたいですが)、限りある時間を意義あることにきちんと使っていく年にしたいと思います。自分にとって意義あることは何か。それは不惑を過ぎていますので、定まっていますので、あとは時間を作ってやるだけです。

お仕事をされている方もいらっしゃると思いますが、みなさまもどうか良いお正月をお過ごしください。

※今年はスマホで初日の出をとってしまいまして、こんな感じになってしまいました。来年はちゃんとカメラで撮りましょう。

Miscellaneous

Photo

今年もあと1時間強で終わり。

本年一年間ありがとうございました。
音楽も聞けず本も読めず全てが思うように進むことのない一年でしたが、いろいろと考えることの多く、振り返ると充実していた年のような気もします。なかなか行く機会のない場所に行ったり、貴重な出会いに恵まれたり。

来る年のことを思うと、また大変な一年になりそうですし、正月休みも気が休まらず、時間が取れないのですが、様々工夫をして乗り越えようと思います。
みなさまもどうか良いお年を。
それではおやすみなさい。

Miscellaneous

先日近所で撮った赤松。冬の夕暮れの輝く太陽に照らされて赤く輝いていました。時間は四時過ぎ。

このあと、そばにある図書館へ行ったのですが、閲覧室の窓の外の夕暮れにそびえるこの赤松をじっと眺めいる年配の方がいて、なにか思うこともあり。小説の一シーンのようでした。

まだまだ冬は続きます。

それではよい一日を。

Miscellaneous

img_9303
クリスマスも終わった今日このごろ。次はお正月に向けてまっしぐらです。この写真、クリスマスの夜の写真。画面の右上に恐らくは金星が輝く宵のころ。

この三連休は、静かに暮らしましたが、録画していたガッティがコンセルトヘボウに就任した演奏会のえいぞうを見まして、「ローマの噴水」が素晴らしくて感動しました。緊密と自由のバランスが素晴らしいです。

今週は、いつもと同じ一週間で、大変そう。来年も祝日が土曜日にかぶるケースが多く、お休みの楽しみが少ないようで、残念。

それではみなさま今日もまたお元気にお過ごしください。

Miscellaneous

Photo

昨年の秋に撮影した空。空気の流れが波打つ雲の文様を作っていて、おそらくは、気象学者なら、三角関数を使ってこの文様を表現できるに違いない、と思いました。

海の波はもちろん、株式相場もやはり波のように動くようですし、もちろん、人間にも世界にもやはりこう言う波の文様があるはずで、そんなことは経験的に分かることなのかもしれませんが、人生に於いてもやはり、いい時もあれば悪い時もあるわけです。

結局は、山あり谷ありの波が、総体的に上向いていれば良いわけで、そうなるように努力すべき、ということなんだと思いましたし、すべてが波だと思えば、悪い時にもなんらか先行きに光を見出せるのでしょうし、良い時も、次の谷間に向けて、謙虚に身を引き締めることができる、というふうに思います。

満員の通勤電車などで、人に揉まれる時、人の動きに会えて委ねた方がうまく行くこともあります。波に逆らっても仕方がないので、まあ、適宜な感じで、波乗りをするのが、うまい人生の過ごし方であるように思いました。

ちなみに、今日は、少し悪い時でした、夜になって持ち直してきました。
なんてことを言いながら、夜更かししている感じ。滅多にない機会でした。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

Photo

やっと冬の極致である冬至になりました。もっとも夜が長い日、だそうです。ただ、日の入りがもっとも早くなるのは、冬至ではなく、12月初め頃からのようです。

東京でいうと、11月28日に16時28分が日の入りとなったのがもっとも早いようですが、12月13日に16時29分となり、今日は16時32分ということで、少し遅くなってきました。

一方、日の出は、東京の場合、来年の元日1月1日に6時51分まで遅くなりますが、1月14日からに6時50分と少しずつ早くなります。

もちろん、東京とは違う場所もあります。根室は、12月上旬には、15時43分に太陽は沈んでしまうのですね。寂しい限りです。

来年の夏至でいうと、東京は19時1分が最長です。待ち遠しいといったらありません。

で、最近思うのは、本当に太陽の光が大好きだ、ということです。仕事場で、眩しいからということでブラインドが下げられてしまうのですが、本当に残念です。人それぞれなので仕方がないのですが。狂ったように太陽の光を浴びて過ごしたいと願い続けています。もちろんこれは人それぞれの好みですが、なんでこんなことになってしまったのでしょうか、というのはよくわかりません。たぶん、ブラインドの下げられた仕事場で仕事をし続けて欲求不満に陥った反動だと思います。

今日はこちら。バレンボイムは得意な方ではありませんが、なんだか全部聴き通したくなりました。今日はパルジファルからローエングリンへと進みました。ちょっと楽しみかも。かつてのワーグナー体験を追体験しています。ああ、オペラも狂ったように浴びるように観て聞きたい、というのも夢です。

Barenboim - Complete Wagner Operas
Warner Classics International (2013-06-04)
売り上げランキング: 147,144

明日は残念ながら東京は雨のようです。少し残念。

それではみなさま、おやすみなさい。

Miscellaneous


いろいろとあった一週間でした。なんというか、いつもと違う時間を過ごしましたので、たくさんの気づきを得ました。個人的な気づきもあれば、社会的な気づきも。あるいは未来に向けた展望も。

しかし、やるべきことはなかなか終わらず。

いつかも書いたかも知れませんが、人生を成し得るには、戦略はもちろん、仔細にわたるタスク管理の技術が必要で、特に、偉い方々のように秘書やかばん持ちを持たない個人には、それを一人でやるための工夫が必要です。それができないと、偉い人との差は広がる一方です。うまくやっているつもりですが、まだまだ工夫の余地はありそう。頑張らないと。

今日も明日も良い天気。冒頭の写真は、先日撮った新宿。冬の東京の晴天を「日本晴れ」と表現しているドラマの台詞を聞きましたが、明日も「日本晴れ」のようです。

つれづれですが、今日はこの辺りで。それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Richard Wagner

img_9033

夕暮れ。冬晴れの関東の美しさは奇跡的です。雪に閉ざされる冬ではないのがありがたいです。

最近やめられなくなってしまった、こちら。リオバ・ブラウンとペーター・シュナイダーのアルバム。

よく知られているように、歌詞は、当時不倫関係にあったとされているマティルデ・ヴェーゼンドンクによるもので、そうした不倫関係が《トリスタンとイゾルデ》につながったといいます。この歌曲集は、《トリスタンとイゾルデ》の作曲時期と重なっていることで、曲想が非常に似ています。

「ヴァーグナー大事典」によれば、「夢」「温室にて」の2曲が《トリスタンとイゾルデ》を先取りしているそうです。

ですが、私は第4曲「悩みSchmerzen」が《トリスタンとイゾルデ》の和声の感覚にマッチしていると思いまして、繰り返し聴いてしまいました。どんどん続いていく転調めいた旋律が、人間なのかあるいは世界なのかわかりませんが、永遠の流転を表しているように思うのです。音楽というのは本当に恐ろしいものです。世界と直接繋がり、人間の心に直接アクセスしてきますから。

それから、《パルジファル》のクンドリのパートも入っていて、先日も触れたように、こればかりはもうたまらない美しさと悲しさと優しさと妖しさなんでしょう。クンドリはパルジファルを誘惑する際に、この歌の中でパルジファルの母親の記憶をパルジファルに喚起させようとしますが、その妖しさ。母親を使い男を誘惑するという恐ろしさ。ワーグナーは文学と音楽の両面における天才だったということがよくわかります。

なんだか昨今いろいろと世界認識が変わっているのですが、そうした気分になったのもこのアルバムを聴いたからだと思いました。

今朝は早起きでやっと書けました。今日いちにち良い日でありますように。

SF

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)
クラーク
光文社
売り上げランキング: 14,072

アーサー・C・クラーク「幼年期の終わり」を読みました。光文社から出ている新訳をKindleで。これは、高校か大学の時に読みたかった本。当時はアシモフは読んでいましたが、クラークは今ひとつ読んでなかったかも。いまさら感ありますが、なにか読んだあとにじわりとくるものが。

ネタバレあるかもしれないですが、これは、喜劇なのか悲劇なのか、という問題。「砂の女」を読んだ時も、やはりそう思いました。オーバーマインドと合一した人類は、果たして滅亡したのか、進化したのか。その割り切れなさ。そして、子供が変やつし去って行くと言う設定。死別でもなく、離別でもなく、変容によると分かれ。この哀しみこそが文学なのだ、と強く思います。

そして、これは未来史小説。歴史と物語が同じものであるということを感じさせます。連綿とした未来史のなかで、運命あるいは必然に抗い決然と生きる人間たちの姿は、例えば、辻邦生「春の戴冠」のフィオレンツァの人々や、「天草の雅歌」の長崎の人々のように思いました。必然の歴史の中で、自我と自由を守ろうとし、あるいは取り戻そうとする人たちを書くこともまた文学だとも思います。

それにしても、この名状しがたい読後感。丁度、日経サイエンスで人類の未来についての記事を読んでいただけに、この先1000年、2000年後の人類を思うと、目がくらみます。こうしたことを考えるのも矢張り文学なんだろうなあと思いました。

一週間終わり。来春はまた別の種類の仕事を一週間。不安は多い。今、帰宅中ですが、家でとりあえずワインを飲みたい気分。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。