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ますます素晴らしい気候の2月。寒さも心持ち緩んできた気がします。

一週間もお休みいただきました。この一週間、夕食のお付き合いの機会が多かったということが一番の理由だったと思われます。そんなことにならないように、日頃ストックしておくのがプロなんでしょうけれど、そこまではなかなか。というか、今後はそうしないと。

写真は、近所の歯科からの帰り道で撮ったもの。

私は樹の枝が空へ広がっているのをみるのが好きです。昔、電車の車窓から広葉樹を眺めて、広葉樹だけをとる写真家になりたい、と夢想したことがありました。なんだか空に向かって自由に手を広げているようで、心が洗われます。

明日でウィークデーもおしまい。フォーレーの歌曲をピアノとチェロの編曲で聴きながら過ごしています。明日も良い日でありますように。

Faure: Works for Cello / Melody Transcriptions
ATMA Classique (2010-06-01)

ではグーテナハトです。

2014/2015シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera

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先日の公演がおわり、オペラシティに入っている書店に行こうとおもったのですが、なんとオペラシティは全館休館日でした。まったく、どういうことなのでしょうか。

で、巨大なオペラシティのアーケードをポチポチ写真にとっていまして、その一枚がこちら。ここ、私が東京でもっとも好きな場所の一つです。

それにしても、《こうもり》第三幕は厳しい役人批判でした。それは看守のフロッシュのことです。

どうも実際の台本にでは見つけられなかったのですが、第三幕に以下の様なセリフがあったように思います。

「酔っぱらいのバカ役人!」とアルフレートがフロッシュを揶揄するのですが、それに対してフロッシュは「酔っぱらいは余計だ!」といいます。つまり、バカ役人ということは認めているわけです。
(バカと言う言葉は、別の言葉だったかもしれません。)

また、フロッシュは確かになにか間抜けな看守という役柄ですので、「バカ」といった類の言葉で笑い飛ばすのは一向に問題ないのです。ですが、シュトラウス二世が革命にとらわれていたということを思うと、なにかしらの意味があるように思えてならなかったりします。

ちなみに、フロッシュのことを「ラクダ!」といって揶揄する場面があります。字幕ではラクダの横に「馬鹿者」といったたぐいの言葉が添えられていて、同義だということが示されていたと思います。これももとの台本にはないもののようです。

この駱駝、という言葉。ニーチェなんでしょうね、きっと。

それにしても、徐々に年度末が近づき慌ただしくなってきました。寒さも少し和らぎつつあるのでしょうか。今日の昼間は、コートなしで過ごせました。

みなさまの明日も良い一日でありますように。グーテナハトです。

2014/2015シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera

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閉幕後の風景。日が長くなってきましたね。閉幕後も明るいとなにか嬉しさを覚えます。

先日に続き《こうもり》の中に垣間見える政治的要素について、です。


第二幕の最終部分で、ファルケ博士が唐突にこういうことを言います。

見たところ ここにはたくさんのカップルがいて
たくさんの心が愛の中で結ばれています そこで
私たち皆でひとつの大きな絆を作ってはいかがでしょうか
姉妹や 兄弟となって!

(中略)

親しげな「君(ドゥー)」という呼び名を贈りましょう
いつまでもずっと 今日の日のように
明日もまたそう思い続けましょう!
まずキスを 続いて君(ドゥー)を 君 君 君といつまでも!

訳はオペラ対訳プロジェクトから引用いただきました。
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/287.html

他愛もないようなシャンパンの歌で世界市民主義を表明するかのような部分で、劇の本筋とは関係のない唐突感を感じます。シャンパンによって浮かれている参加者の感傷に訴えているような感もあります。ですが、なにか永遠に得ることのできない革命の理想が差し込まれているような部分だと感じたのです。

これは、友愛の理念なのではないか、と思うのです。これは、18世紀啓蒙思想の結果で、フランス革命における三つの理念の一つですが、もともとはフリーメイソンの思想から繋がるものでもあります。

(友愛とは→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8B%E6%84%9B

今回の演出では、オルロフスキーが従者の肩に頭をあずけるシーンが象徴的でした。階級を超えた友愛が示されていたように思えました。

(つづく)


今日の午後は家族で近所をぶらぶらと散歩しました。

太陽の光も随分と明るくなってきました。昼の長さは晩秋のそれと同じぐらいになっているはずです。おそらくは10月から11月と同じほどでしょう。

太陽の光が少しずつ赤みを失い、白く透き通ってきているように思います。同じ場所、同じ時間であっても季節によっては全く別の場所にいるようです。

いや、それは「別の場所にいるようです」ではなく、実際に「別の場所」なのです。

同じ日本にいると思っても、地球は公転していますので実際には太陽との位置関係においては別の場所にいるわけです。視点を変えるとあらゆるものの意味が変わってきます。

ではおやすみなさい。グーテナハトです。

2014/2015シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera

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新国立劇場の隣にそびえるオペラシティ。もう竣工から18年ですか。

今日も《こうもり》について。

オペラ《こうもり》は、ウィーンのどんちゃん騒ぎを描いたくったくのない娯楽オペラだと思っていました。際にはヨハン・シュトラウス二世の政治的主張が色濃く織り込まれているオペラなのではないか、といまさらながら気づいてしまいました。

それは、今回の公演パンフレットの中で、西原稔さんが書いておられた「ヨハン・シュトラウス──ワルツの父とワルツ王との親子の確執」のなかで、ヨハン・シュトラウス二世が三月革命を支持していたことが書かれていて、確かに当時のシュトラウス二世ぐらいの世代だとそうだろうなあ、と思ったのです。シュトラウス二世は1825年生まれ。1848年の三月革命当時は、23歳です。若いシュトラウス二世がそうした新しい思想に感化されることに不思議はありません。

そうしてみると、いろいろなことがわかります。

たとえば、小間使いアデーレのおかれている境遇が描かれています。それが嘘だとしても、病気の叔母を見舞うのも雇い主の許可無くしてはなりません。また、アイゼンシュタインが、女優としてパーティに出ていたアデーレを「うちの小間使い」というと、「そんな侮辱をよくも!」とパーティの参加者に糾弾されます。つまり、小間使いというのは実に低い地位に置かれていた存在というわけです。こうした使用人の地位の低さは、たとえばカズオ・イシグロの「日の名残り」や、ロバート・アルトマン監督の「ゴスフォード・パーク」などに見られるものです。その小間使いが、女優に化けて、階級を超えていこうとする姿が描かれている、ということになります。

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特に、第三幕は圧巻です。女優の才能を見せる場面で、女王を演じるまでになります。これは小間使いが女王にもなりうる、という階級の崩壊をも描いているものと捉えられるのではないでしょうか。このオペラ、全てはシャンパンがもたらす幻であるというものです。つまりは、こうした階級ですら、幻である、ということになります。これは、実に革命的であり、当時においては反体制思想です。

そういう意味において、まるで《フィガロの結婚》のような政治的オペラといえるわけです。

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今日も寒い一日。毎日お昼に散歩することにしています。いつものようにコートを着ないで外に出ましたが、さすがに寒いですね。寒さが鋭く突き刺さってきました。周りにはコートを着ないで歩いている方々がいましたが、みなポケットに手を入れて前かがみになって足早に歩いていたようです。

鉛色の空は無慈悲に太陽の暖かさを阻んでいました。

ではグーテナハトです。

2014/2015シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera

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今日は新国立劇場《こうもり》に行ってまいりました。

東京地方は冷たい雨が降るあいにくの天気ではありましたが、3時間にわたっていろいろと考える機会をもらった感じです。

まずは素晴らしかったのはアルフレート・エシュヴェの指揮でした。すいません、3年経ったので書きますが、前回2011年のダン・エッティーンガーの指揮のこうもり》に馴染めなかったという記憶がありました。軍楽隊のようで、ガチガチだったものですから。

前回の公演の感想は以下の様なものでした。

驚いたのは、エッティンガーの指揮ぶり。これは賛否両論あるに違いありません。まずは鋼のような統率力が凄いです。序曲のスネアが軍楽隊に聴こえるほどの精緻な指揮ぶりでした。いつもより、東京フィルも気合が入っていたとおもいます。エッティンガーにかかると、ウィナーワルツの微妙なもたり感もすべて数値化され計算されているかのようです。
それから、音楽の力強さが半端ないです。テンポもすごく落とすところがあり、重い感じに仕上がっていました。ワーグナーばりかも、などと。。。
やはり、題材が洒脱な「こうもり」ですので、もうすこしゆるくかるくオケを動かしてもよい、という意見もあるかもしれません。
あとは、統率力のほう。この統率力で、東京フィルの音が先週と全く違って聞こえました。金曜日に聞いた日本フィル定期演奏会の山田和樹氏とは全く正反対です。指先の動きまで使って細かく指示を出している感じで、クリックも完全に全部統御している感じです。

ですが、今回のエシュヴェは違います。

私は序曲で落涙しました。なんというか、枯淡の境地という言葉を思い出していたのです。奇をてらうことなく、無理やりなウィーン的情緒を出すこともなく、淡い色合いの音楽を作り出していたからです。

ワルツのもたった感覚は、予習に使っていたクライバー盤よりも淡白です。透き通った白磁のようなワルツの感覚だったと思います。

日本のオケをこんな風に歌わせるとは、と驚きました。

抑制され過度などぎつさのようなものもないなかで、色彩感とかダイナミズムを出していて、ああ、これが伝統で、それをよくぞ日本で再現してくださった、と思ったのです。

もちろん、そうした指揮ですから、舞台上のナラティブを阻害することはありません。こうしたオペラの下地をきちんとつくる音作りは、オペラのパフォーマンス全体を支えるものとなります。

それはまるで企業活動を支えるITインフラのようなものなのかもしれないですね。あって当たり前のようなものなのです。それがあるからこそ、演出が活き、歌手が歌い演じる事ができる、ということだと思います。

しばらく《こうもり》については続けて書くことになりそうです。エシュヴェの指揮のおかげで、なにかブレークスルーを感じたり、このオペラの真の意図を感じたり。。

では、また明日。グーテナハトです。

Miscellaneous

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昨日行った森鴎外の旧居。いい感じの古い日本家屋で、こころが洗われました。

昨日でようやく、ひと仕事終わりました。時間もなかなか取れない状況で、体力的にも辛いものがありましたが,なんとかおしまい。今日は疲れて昼寝を何度かしながら、懸案だった模様替えなどを実施中。模様替えも気分が変わっていい感じです。

これからいろいろなものを再起動しないといけないですが、明日はさしあたりは《こうもり》です。それが終わったら、懸案のプロジェクトを再起動。また物書きを続けられそうな目処もたちそうです。

それにしても思うのは、正しいこととはなにか、ということ。真理、倫理、そして利益。どこを重視すべきか。現在においては利益が、もっとも強い正しさの基準なのでしょうね。真理や倫理を基準に考えるとあとでやられてしまうのがこの世の中というものです。

それではグーテナハトです。

Miscellaneous

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写真は近所からとった朝の風景。先日のことです。どんどん日が短くなります。

バタバタとしております。昨年の10月からずっと。で、明後日でようやく落ち着くと思われます。いや、まだひとやま、ふたやまあるな。ものを創るということは大変です。

今年に入ってブログ皆勤ですが、毎日コンスタントに書くのは難しいです。。

取り急ぎおやすみなさい。グーテナハトです。

2014/2015シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera

引き続き《こうもり》のこと。今日もクライバーの《こうもり》を聴きました。なんというか、古き良き時代。このような時代が100年以上前にヨーロッパにあったということなんですね。

新国立劇場の《こうもり》は、2006年にプルミエを迎えたハインツ・ツェドニクの演出を使います。今回が4度目です。なかなか息がながいですね

私は2009年と2011年の二回観にっています。

2009年はなかなか楽しい思い出でした。

https://museum.projectmnh.com/2009/02/02235843.php

が、2011年は、エッティンガーの指揮が軍楽隊のようで、という感想でした。(リンク先、WordPress移行で情報が乱れている模様)

https://museum.projectmnh.com/2011/12/11225001.php

では、今回はどうでしょうか。

今回の式は、アルフレッド・エシュヴェです。フォルクスオーパーで指揮をしているアルフレッド・エシュヴェはみずから「ウィーン気質」と言っています。《こうもり》の経験も多そうですね。洒脱な《こうもり》が聞けると良いのですが。

こちらがインタビュー記事です。

http://www.nntt.jac.go.jp/opera/news/detail/150122_006234.html

いろいろ画像をみていると、前回2011年もアイゼンシュタインを歌ったアドリアン・エレートは、どうやら口ひげをつけて登場のようです。また、2009年、2011年とは違うキャストの方も入っていますので、今回は随分印象が変わるのではないか、と思っています。

そしてこちらが予告編。2011年の模様となっています。

すでに全5回のうち2回がおわり、金曜日と日曜日二回公演が残っているのみです。

こんな時だからこそ、見に行かないと、と思います。いわゆる、辻邦生のいう「戦闘的オプティミズム」です。

ではおやすみなさい。

Béla Bartók,Opera

J.シュトラウス:喜歌劇「こうもり」全曲
クライバー(カルロス) クシェ(ベンノ) プライ(ヘルマン) ヴァラディ(ユリア) レブロフ(イヴァン) コロ(ルネ) ヴァイクル(ベルント) バイエルン国立歌劇場合唱団
ユニバーサル ミュージック クラシック (2011-06-22)
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今週末、新国立劇場で《こうもり》を見る予定です。色いろある世の中ですが、こういう時に違うことをすると、かえってよくありませんのであえて行くことにします。

戦闘的オプティミズムという感じ。それも贅沢かもしれませんが、保つためには必要なことではないか、と。

で、やっぱりクライバーはすごいのですね。クラシックの楽しみ方はいろいろありますが、指揮を愉しむ一つの方法は一拍一拍の音の長さを意識してみるということがあります。微細な長さの違いが絶妙な味わいを出しているということがよくわかります。

しかし、《こうもり》もなにか《アラベラ》と似ているところが。。前座→パーティー→結論、という流れは同じですね。新国立劇場の演出でも、二つは似ているような気がします。

最近は随分と日が長くなりました。ようやく朝起きる時間が明るくなってきました。さすがに暗い時間に起きだすのは辛いものがありましたので、少し楽になったかなあ、などと。

ではおやすみなさい。