先だって行ってきた玉前神社にて、おみくじを引いたところ、大吉でした。さっそく、いいことがあり、御利益に感謝です。
ショスタコーヴィチ《革命》に隠された謎
ところがです。私は念のため《カルメン》の楽譜を見ました。そこ信じてはならない、という意味のフランス語を見出しました。Prends garde à toi というものです。フランス語の素養がありませんので(この件については現在激しく後悔してますが)、Google翻訳を通してみました。すると別の意味が出てきます。直訳だと「あなた自身のために外を見る」です。あれ、「信じてはいけない」とまではいってません。もう少し砕けて解釈すると「気をつけろ!」ぐらいだと考えます。つまり、昨日の番組の文脈で捉えると「革命には気をつけろ!」ぐらいのニュアンスになりそうです。
さて、ネットでいろいろ調べてみると、この点について指摘されている記事も見つけました。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~smacky/classic3.htm
http://www2u.biglobe.ne.jp/~smacky/index.htm
2月もおしまい
本日、近所の料理屋でちょっとしたお祝い。鯛は大変おいしく大したものでした。
諸事がおわり、ようやく生活が整い始めました。が、また来月から多忙の予感です。
今月は8冊読みましたが、なんだか軽い読書ばかり? ですが、先日触れた西欧の光について考えられたのはなかなか有意義でした。
とはいえ、いまから読み直してみると、まだこなれてないですね。もう少し考えないと。どうも最近考えることが多く拡散気味で、ブログも書きづらい状況ですので、戦線を整理しているところです。
ではみなさまよい週末を。おやすみなさい。Gute Nachtです。
《短信》才能はいいなー
先日行ったレストランにて。鮮やかな生ハム。
それにしても、才能って、羨ましいです。センスがある方というのは、こんなにトントン拍子に物事が進むものなんですね。
新国立劇場合唱団の指揮をされている三澤洋史さん本を読んでます。音楽できる方って、本当にこういう方なんですよね、という感じ。まあ、こうでなければ、クラシックの道に入ってはいけないのかなあ、なんて思います。
早川書房
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詳しくは読了する予定の明日まで。本日は予告編。かなり面白いですよ。
では取り急ぎグーテナハト。
辻邦生「西欧の光の下で」から──自壊してなお成長する西欧?
以前も出した写真ですが、「光」の写真だとするとこんな感じなのかも、などと。
引き続き西欧の光。なんだか、ちょっと抹香臭い響きですけれど。
西欧の優れている点は、それ自身の思想ではなく、現実と戦い、人間を救い出し、そこから普遍を汲み上げようとするそのベクトルにあるのではないでしょうか。それは、自らが普遍でないことを暴く自己批判の精神を持ち、自らを鍛えうるものなのです、
私がこのことに気づいたのは、昨日紹介したのが、30年前に書かれた「はじめての構造主義」という入門書でした。
このなかで、著書の橋爪大三郎さんが西欧思想の仕組みを語るところがあります。西欧思想システムの重要な要素が、テキスト、主体、真理なのです。ですが、西欧思想は、それらを壊したわけです。
テキストではなく意味へ、主体ではなく無意識へ、真理から制度へ。
こうして、自壊してしまうほど極端に「真理」へと進むというのは、常に「混沌」とか「自然」などから、よりソフィスティケートされた状態へと進もうとするベクトルがあります。
確かに、西欧は世界を武力で蹂躙しました。だが、そうであってもなおそこに自浄力を備えているわけです。内部にそれに対する免疫か抗体をもっているわけです。ポストモダンこそが、その抗体の存在証明ではないか。
それは、種としての人間の尊厳を重要視するベクトルなのでしょう。
それが、非西欧にとって妥当かどうかは問題なのではないのです。がゆえに、自壊が始まったのです。それでもなお成長しているのではないか。その自己批判能力こそが「西欧の光」なのではないか。そう考えています。
さすがに、世界にでて鍛えられた文明だけあります。その懐の深さを我々は意識しなければならない、ということなのでしょう。
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最近、帰宅前に水泳することが多いです。今日は無心で15分ぐらい泳ぎ続けました。泳ぎながらもいろいろ考えがまとまって有意義です。なんというか、人間というのは、やはり水と親和性のある動物なのですね。水に包まれていると落ち着きを感じます。
ではグーテナハトです。
辻邦生「西欧の光の下で」から──混沌=現実との闘いこそが西欧、か。
まるで息継ぎをするように、お昼に建物の外に出ることが多いです。昔読んだ本に「必ず日中一度は外に出よ」と書いてあって、ああ、なるほど、と思い実践している次第。で、出典の本を開いて探しているんですが、見つかりません。幻でしょうかね。。
先日読んだ、「西欧の光の下で」。
私は先日以下の文章を引用しました。
「お前が、どのような動機であれ、よそに、すでに出来上がったものを求めにいったのは、間違ったことだった。精神が、他の精神にふれうるのは、それが生みだしたものを通して、いかにそれが現実と闘い、そのなかから自らの糧を汲みだしたかに注意するときだけだ」
辻邦生全短篇1195ページ
あるいは以下の様な文章。パリの町並みが夕日に照らされた瞬間にこういうことが考えられたのです。
私はそこにただ町の外観のみをみたのではなく、町を形成し、町を支えつづけている精神的な気品、高貴な秩序を目ざす意志、高いものへのぼろうとする人間の魂を、はっきりと見出したのである。そこには、自然発生的な、怠惰な、与えられているものによりかかるという態度はなかった。そこには、何かある冷静な思慮、不屈な意図、注意深い観察とでもいうべきものが、鋭い町の輪郭のなかにひそんでいた。自然の所与を精神に従え、それを人間的にこえようとする意欲があった。
辻邦生全短篇1 194ページ
曲解なのかもしれませんし、辻先生の本当に言いたかったこととは異なるのかもしれませんが、私は、この「西欧の光の下」を思い出して、次のような考え方を持ったのです。
おそらくは、西欧の精神というのは、このように、秩序=真理を求める無限な営為でした。ヨーロッパには二つの真理がありました。一つは聖書の真理。もう一つはギリシアからの論理による真理。この二つの真理をつかった営為だったというわけです。これで世界の秩序を解き明かそうとしたのです。
さらに、人間というものの発見をしたのも西欧の精神なのでしょう。ルネサンスからのヒューマニズムは、おそらくはフランス革命へと繋がり、基本的人権という現在のグローバル(と思われる)な規範を他のどの文明よりも早く形成したわけです。
おそらく、ここにある「自然の所与を精神に従え」という一節は、その後のエコロジーとの関連で噛みつかれることもあるのかもしれません。私は、ここでいう自然は、いわゆるnatureではなく、混沌Chaosに近いような意味と捉えています。
そうした混沌=現実との闘いこそが西欧である、ということ。実は、それは、余りに現実と闘い、真摯に真理を求めたがゆえに、自壊していったとも言えるわけです。
もう少し書くべきことがあります。続く予定。
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ちなみに、以下の本を電車で読んでいたんですが、これが今回の考えの端緒かもしれません。こちらがそのきっかけとなりました。なぜ、大学当時にこの本を読まなかったのかがわかりません。あの頃は、モダン=近代をもっと勉強しなければ、と思っていたのです(実際は楽器ばかり吹いていたのですが)。フランス近代思想のファッションのようなものに、相容れなさを感じていたのかも。なにか、デリダ、フーコー、アルチュセールという人名がカッコイイ時代でした。
では、おやすみなさい。グーテナハトです。
狂おしいマーラー
行き交う人もまた旅人なり。
オペラシティでの風景。こういう無機質な雰囲気も嫌いではないです。
ポリドール (1995-07-07)
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昨日から、アバドのマーラー全集のなかから、7番を聴いています。
以前も書いたかもしれませんが、こんな会話をしたことが有ります。
- 私 「昔はマーラーが好きでしたが、今はシュトラウスが好きです」
- Aさん 「え? 普通逆じゃないですか?」
私のイメージでは、マーラーは、実に直情的に世界を描いているのだと思います。ですが、シュトラウスは婉曲に世界を描いているのではないか、などと思います。哀しみや怒りは、マーラーの場合、直接心に響きますが、シュトラウスの場合は、物語の中に横たわっていて、あとでジワリと効いてくるような感覚です。
ですので、マーラーが少し激しすぎて、なかなか乗れない時期というのがあって、それが最近ようやくとけてきたなあ、という感じです。
アバドの指揮は実に陰影がはっきりしています。ひとことで言うと、「狂おしい」演奏、なのかもと思います。
それにしても、こういうアバドの指揮の機微が分かるのも、音楽を聴き続けてやっと、というところですね。さすがに聴き始めた小学生や中学生の頃は、そこまでわかりませんでした。あの頃は、同曲異演の違いなどわかりませんでした。まずは、いろいろな曲を聴きたいという感覚が強かったですし、当時はレコードやCDを買う資力もありませんでしたから。今は、NMLがあったりしますのでまた事情はべつでしょうね。
では、今日もグーテナハトです。みなさま、よい週末をお過しください。
本当の再起動?
ますます素晴らしい気候の2月。寒さも心持ち緩んできた気がします。
一週間もお休みいただきました。この一週間、夕食のお付き合いの機会が多かったということが一番の理由だったと思われます。そんなことにならないように、日頃ストックしておくのがプロなんでしょうけれど、そこまではなかなか。というか、今後はそうしないと。
写真は、近所の歯科からの帰り道で撮ったもの。
私は樹の枝が空へ広がっているのをみるのが好きです。昔、電車の車窓から広葉樹を眺めて、広葉樹だけをとる写真家になりたい、と夢想したことがありました。なんだか空に向かって自由に手を広げているようで、心が洗われます。
明日でウィークデーもおしまい。フォーレーの歌曲をピアノとチェロの編曲で聴きながら過ごしています。明日も良い日でありますように。
ではグーテナハトです。
役人は●●です──《こうもり》その4
先日の公演がおわり、オペラシティに入っている書店に行こうとおもったのですが、なんとオペラシティは全館休館日でした。まったく、どういうことなのでしょうか。
で、巨大なオペラシティのアーケードをポチポチ写真にとっていまして、その一枚がこちら。ここ、私が東京でもっとも好きな場所の一つです。
それにしても、《こうもり》第三幕は厳しい役人批判でした。それは看守のフロッシュのことです。
どうも実際の台本にでは見つけられなかったのですが、第三幕に以下の様なセリフがあったように思います。
「酔っぱらいのバカ役人!」とアルフレートがフロッシュを揶揄するのですが、それに対してフロッシュは「酔っぱらいは余計だ!」といいます。つまり、バカ役人ということは認めているわけです。
(バカと言う言葉は、別の言葉だったかもしれません。)
また、フロッシュは確かになにか間抜けな看守という役柄ですので、「バカ」といった類の言葉で笑い飛ばすのは一向に問題ないのです。ですが、シュトラウス二世が革命にとらわれていたということを思うと、なにかしらの意味があるように思えてならなかったりします。
ちなみに、フロッシュのことを「ラクダ!」といって揶揄する場面があります。字幕ではラクダの横に「馬鹿者」といったたぐいの言葉が添えられていて、同義だということが示されていたと思います。これももとの台本にはないもののようです。
この駱駝、という言葉。ニーチェなんでしょうね、きっと。
それにしても、徐々に年度末が近づき慌ただしくなってきました。寒さも少し和らぎつつあるのでしょうか。今日の昼間は、コートなしで過ごせました。
みなさまの明日も良い一日でありますように。グーテナハトです。
世界市民?──《こうもり》その3
閉幕後の風景。日が長くなってきましたね。閉幕後も明るいとなにか嬉しさを覚えます。
先日に続き《こうもり》の中に垣間見える政治的要素について、です。
第二幕の最終部分で、ファルケ博士が唐突にこういうことを言います。
見たところ ここにはたくさんのカップルがいて
たくさんの心が愛の中で結ばれています そこで
私たち皆でひとつの大きな絆を作ってはいかがでしょうか
姉妹や 兄弟となって!(中略)
親しげな「君(ドゥー)」という呼び名を贈りましょう
いつまでもずっと 今日の日のように
明日もまたそう思い続けましょう!
まずキスを 続いて君(ドゥー)を 君 君 君といつまでも!
訳はオペラ対訳プロジェクトから引用いただきました。
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/287.html
他愛もないようなシャンパンの歌で世界市民主義を表明するかのような部分で、劇の本筋とは関係のない唐突感を感じます。シャンパンによって浮かれている参加者の感傷に訴えているような感もあります。ですが、なにか永遠に得ることのできない革命の理想が差し込まれているような部分だと感じたのです。
これは、友愛の理念なのではないか、と思うのです。これは、18世紀啓蒙思想の結果で、フランス革命における三つの理念の一つですが、もともとはフリーメイソンの思想から繋がるものでもあります。
(友愛とは→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8B%E6%84%9B
)
今回の演出では、オルロフスキーが従者の肩に頭をあずけるシーンが象徴的でした。階級を超えた友愛が示されていたように思えました。
(つづく)
今日の午後は家族で近所をぶらぶらと散歩しました。
太陽の光も随分と明るくなってきました。昼の長さは晩秋のそれと同じぐらいになっているはずです。おそらくは10月から11月と同じほどでしょう。
太陽の光が少しずつ赤みを失い、白く透き通ってきているように思います。同じ場所、同じ時間であっても季節によっては全く別の場所にいるようです。
いや、それは「別の場所にいるようです」ではなく、実際に「別の場所」なのです。
同じ日本にいると思っても、地球は公転していますので実際には太陽との位置関係においては別の場所にいるわけです。視点を変えるとあらゆるものの意味が変わってきます。
ではおやすみなさい。グーテナハトです。