Fauré,Gabriel Urbain

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先日行った公園の風景。樹の根元のたんぽぽにスポットライトのように日光があたっていて、なにかの演出のようでした。

今日は祝日でしたが、体を休めるまもなく、という感じです。明日は鼻血が出ない程度に早めに仕事を切り上げたいとおもっています。

さて、フォーレの室内楽を年代順に聴いていくシリーズですが、今日はピアノ四重奏曲第2番です。

こちらは、1886年に初演されています。1886年においては何があったかというと、チャイコフスキーの《マンフレッド交響曲》やサン=サーンスの交響曲第三番《オルガン付き》が初演されたのも1886年です。ワーグナーの《パルジファル》の初演は1882年ですので、それから4年が経っています。

また、フォーレの代表作である《レクイエム》の初演は1887年です。フォーレ中期の始まりを告げるものとして、《レクイエム》とともに位置づけられているのが、このピアノ四重奏曲第2番となっています。

今日もこちらの盤で楽しみました。

Piano Quartets

Piano Quartets

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G. Faure
Chandos (2010-02-23)
前作のピアノ四重奏曲第1番の7年後に作曲されています。さすがに7年という年月は短くはありません。奔流のようにほとばしる色彩が、1番より一層鮮やかになっていますし、旋律もドイツ的なものではなく、形を変幻自在に変えていくものに変わっているようです。
ピアノのキャスリーン・ストットはイギリスのピアニストで、シャンドスに多く録音をしているようです。またヨー・ヨー・マとの録音を持っているようです。
エルミタージュ弦楽三重奏団はロシア出身の3人によって2004年に結成されました。シャンドスやナクソスに録音しているようです。
それではおやすみなさい。グーテナハトです。

Fauré, Gabriel Urbain

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太陽に輝く新緑。こういうのを、つかの間の幸福というのでしょうね。大地が緑と青に満たされていて良かったです。

しばらく続けようと思うフォーレの室内楽曲を聴くシリーズ。そういえば、昨日の太陽は南仏のそれのように乾いていました。えーっと、南仏には行ったことがありません。想像です。

Piano Quartets
Piano Quartets

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G. Faure
Chandos (2010-02-23)

この曲には、なにか懐かしさを感じます。

それは何かというと、20年ほど前にブラームスやシューマンの室内楽ばかり聴いていた頃のことです。あのころは、電車の中ではCDウォークマンを使って室内楽ばかり聞いていました。というのも、オケの曲はダイナミックレンジが大きすぎて、当時のヘッドホンやイヤフォンでは聞けなかったのです。

今日の課題は、二つのピアノ四重奏ですが、いずれも、シューマンやブラームスの色合いを残しながらも、なにか、たゆたう柔らかいものがあるのです。

これが、「フォーレ的語法」なんでしょう。それは「調整と旋法とが両方一緒に並んでいる表現形式」なのだそうです。

そういえば、思い出しました。20年前に、フォーレの室内楽を聞こうとした時に聞いた言葉。

「フォーレは若者にはわからない」

出典不明。私の記憶の中にずっとあった言葉です。いよいよ、私もフォーレという庭園の中に足を踏み入れる許可を得たのではないか、とおもったり。

あすは昭和の日でお休み。今日は鼻血が出るまで働きました。あすはゆっくり休めますように。

それではお休みなさい。グーテナハトです。

Fauré, Gabriel Urbain

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あっという間に初夏の風情です。今日は、仕事場を休んで近くの公園を散策しました。藤の花が満開でした、ミツバチやクマバチが藤の花の甘い匂いに誘われていました。

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この公園、幼い頃、つまり30年前に来たことがあるのですが、いろいろなものがかわらず残っていて、不思議です。特に驚いたのが、木の成長ぶりです。あれ、こんなに大きかったっけ? というぐらいに木が成長しているのには驚きました。

というわけで、今日はすこしお勉強を。フォーレの室内楽を年代順に並べてみました。

フォーレ室内楽

年代は、ウィキペディアを見たのちに、クラシック音楽作品名辞典ですこし補正をしました。そもそも年代にもいろいろな解釈があるのだと思いますし、そこは歴史記述という解釈が入りますので、おそらくは「事実」はなんなのかはわからないままだとおもいます。

クラシック音楽作品名辞典 第3版
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こう並べてみると、体系的に聞いてみようという意欲が改めて湧いてきますね。

早速順番に聞き始めることにします。

フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ集
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今日はヴァイオリン・ソナタ第1番。1876年の作品です。この年、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」が初演されています。一方で、ブラームスの交響曲第1番の初演もこの年です。

曲は旋律がわかりやすく、まだまだ19世紀のロマン派的な情緒にあふれています。フランクのヴァイオリン・ソナタにも匹敵する美しさ。ちなみにフランクの方は1886年に作曲されていますので、フォーレの方が先ですか。

ちなみに、この本。かつて古書店でなんども見かけたのですが、その大きさゆえに、購入をあきらめていました。が、ネットをみる限り、古書店の在庫なし、ですか。。なんとも。逃がした魚は大きい。一期一会を大切に。

評伝フォーレ―明暗の響き
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ではおやすみなさい。グーテナハト。

Miscellaneous

iPod classic. It's a legacy audio player.

iPod Classic 160GBです。長年私の音楽の友として、苦楽を共にしてきました。

ですが、荷物軽量化を図るためとか、いい音で聴きたいという欲求もあり、iPhone に音楽ライブラリを写して、しばらくお蔵入りしていました。

iPhoneで音楽を聴くのもいいのですが、やはり128GBでは容量がたりず、というところなのです。

全部入りの安心感のようなものをもう一度味わってみたい。そう思って再び現役復帰させることにしました。

いうなれば、モスボールされていた戦艦を再就役させるようなものですかね。

ただ、音はイマイチなんですよね。。取り込み方の問題という説もありますけれど。

もっとも、音質というものは、主観的なもので、相対的なものですので、追求しても、意味はあるのですが、理論や真実がない世界ですので、そこには脚を踏み入れるべきではないと思っています。

さて、なかなか同期が終わりません。明日の朝には終わっているといいのですけれど。

今日もフォーレ。フランス語の素養がないので、フランス音楽にはあまり明るくなく、まだ語るほど成熟して聞けていないのかも。。日々勉強ですね。

Faure: Works for Piano (Complete)
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では、おやすみなさい。

Miscellaneous,Richard Strauss

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かなりご無沙汰になってしまいました。

先日所用でとおりがかった立教大学です。辻邦生は、1966年から1972年まで立教大学一般教育部助教授として勤めていました。ここもゆかりの場所というところになります。半世紀も前のことになるわけですね。なんともかんとも。

身体を使いすぎると、復旧に時間がかかります。これは昔も今も変わりません。復旧しきらないと、ダメージが広がりますので、気をつけないと。

先日も書きましたが睡眠をとって、よく食べるのが大事です。

今日はこちら。

シュトラウスの標題交響曲ですが、初期の交響詩に比べると円熟味が増している、と書くと、なんだか雰囲気で書いているような気がします。ですが、これは本当で、というのも、この曲は 《ばらの騎士》や《ナクソス島のアリアドネ》を作曲したのちに書かれたものだからです。

《サロメ》、《エレクトラ》でシュトラウスなりの「前衛」を極め、その後、人間味あふれる《ばらの騎士》や 、洒脱な《ナクソス島のアリアドネ》(この後ろに《町人貴族》があることもお忘れなく)を通り抜けたあとのこの《アルプス交響曲》となると、聞く方も、なるほど、と思います。

さすがにアルプスの山登りを書いただけとまではいきません。いや、アルプスの山登りの情景をここまで的確に描くということは常人にできることではなく、それはまるで黙劇たるオペラを見ているような気にもなるわけです。

ですが、裏テーマも充実していて、ニーチェやマーラーの影響を見て取ることもできるというものです。

http://www.asahi-net.or.jp/~wg6m-mykw/Library_RStrauss_AlpineSym.htm

ブロムシュテットの指揮は、マゼールとは違う重みがあります。重心の位置が違います。確かに重いのですが、なにか爽やかなに逃げ去るような洒脱さがありますね。

ちょっと仕事場の人に聴いてみてもらおうかな、と思っています。

R.シュトラウス:アルプス交響曲 交響詩 ドン・ファン
ブロムシュテット(ヘルベルト)
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それにしても、最近の音楽の関心が徐々にフランス系音楽に行っているのはどういうことなんでしょう、と。思わずフォーレのピアノ曲集を聞いてしまうとか、オルガン曲を聞いてしまう、とか。

なりわいも仕事も盛りだくさん。身体に気をつけてモリモリ食べて頑張ります。

ではおやすみなさい。

Miscellaneous

先だって体験した連続57時間仕事のことを。なかなかない体験でした

とある金曜日の朝から働き始めました。そのまま土曜日に向けて徹夜開始です。いつもの徹夜仕事のように土曜の明け方に、辛い時期が訪れました。ですが、ここはいつものように難なくクリアしました。

土曜日の午後になると徐々にテンションが上がり始めます。ですが、今から思えば記憶が薄れています。

土曜日の夕方、いよいよ佳境となります。連続30時間を過ぎたあたりで、妙なハイテンションになります。とにかく仕事が進むのです。いろいろなことがひらめいてきて、窮地を脱したのでした、ですが、同時にろれつが回らなくなってきます。言いたいことが口をついてきません。頭の回転に唇や舌の動きが付いてこなくなるのです。

日曜日の明け方、さすがに辛くて、二時間ほど仮眠をしました。起き上がって全く仕事ができないので栄養ドリンクを三本ほど立て続けに飲みました。その後、おかげでテンションがあがり、最後の重要な仕事をなんとかクリア。

次の仕事をやり始めたのがどうも日曜日の朝方なのですが、そこから記憶がありません。確かに起きていました。作業もしているのです。結果も残っています。ですが記憶が断片的です、最後は記憶がなくなります。確かに何かをやっていたのですが、明確な記憶とか脈絡がないのです。

この状態ですが、アルコールを飲んだ時の症状と全く合致しているのですね。ハイテンションになり、ろれつが回らなくなり、記憶を失う。まさに酔っ払いの症状です。

よく言われることですが、寝不足はアルコールによっているのと同じであるから車の運転をしてはならない、という話をよく聞きますが、それがよくわかりました。

自慢にも何にもならず、自分を大切にすることなく行動してしまい反省することしきりです。

実は、その二日後にも、再び徹夜仕事をしましたが、その時は、全く使い物になりませんでした。私という人間の能力の限界を感じたというところです。

このまま睡眠をしないと、おそらくその先には、神を見るのではないか、と思います。千日回峰行などは断眠の行がありますし。もっとも常人だとそこまで行く前に眠ってしまうのでしょうけれど。

それではおやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

 

寒い一日でした。若葉が散りゆくのを見て、秋の気配さえ感じます。 

まったく《なりわい》に勤しめない今日この頃。さすがに、仕事ががらりと変わりましたから。さらには、このところ徹夜仕事ばかりでして。

それでも、フオーレやデュプレ、フランクを聴く毎日です。それも、曲名にとらわれず、ただ黙々と聴くという毎日。

先日、仕事場の人と街で会いました。

「おはようございます。音楽聴いているんですか?」

「いやいや、ボーッと聴いているだけだよ」

「それ、普通じゃないですか?」

あれ、そうだっけ、と思いました。

本来、集中して聴いて、そこに何か意味を見出す、ということが、あるべき姿ではないか、と。

でも、そういう考えもあるのかも、と思いました。それでいい時もあるのかもしれない、と。

わかる人にはわからない意味が読み取れなくても、音楽は多層ですので、それでもいいわけです。読み取れなくても楽しさはあるわけです。

聴くこと自体が大切なのですね。

ではみなさま。おやすみなさい。

Miscellaneous

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すっかりご無沙汰となっていました。桜ももう終わっているのでしょうね。

この週末、仕事場に50時間以上缶詰になり、昨夜も徹夜してました。それ以上に働いている人もいましてですね、もうほとんど戦争状態です。

おかげで、予定していた東京春祭の「ワルキューレ」もいけませんでした。

ですが、私はもう透明になっていますので何も感じません。なんちゃって。

ですので、いま桜がどうなっているのか全くわかりません。

Various: L'orgue Francais
Various: L’orgue Francais

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Marie-Claire Alain
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マリー・クレール・アランのフランスオルガン音楽集。私は19世紀後半以降のオルガン曲が随分と好きなことに気づきました。先日も少し書いたマルセル・デュプレの件もそうした流れの一環です。

深夜に帰宅して自室でオルガン曲を聞く快楽は何にも代えがたいです。

明日以降も、戦争状態は続くようで、倒れるメンバーも出ているようですが、まあ、こういうのはとかくなるようにしかなりませんので、何がメリットなのかを見極めて行動をしていかないと。

では、グーテナハトです。

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昨日は、少し早いですが近所の桜の名所へ。ですが、桜はほとんど咲いておりません。一分咲きがいいところです。とはいえ、お花見に興じているグループが結構いらっしゃいました。すこし羨ましかったです。

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とはいえ、近寄ると随分と美しく咲いている花もありました。

IMG_3372.JPG

今日は別の場所でエドヒガンを発見。こちらは満開。

近所の桜。江戸彼岸で、染井吉野よりも早く満開を迎えています。

桜といえば西行。西行といえば辻邦生「西行花伝」ですね。

西行花伝 (新潮文庫)
西行花伝 (新潮文庫)

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辻 邦生
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「西行花伝」、実は一度しか読んでいません。おそらくは1999年ごろかと。「背教者ユリアヌス」、「春の体感」、「フーシェ革命暦」にならぶ辻邦生作品を連なる巨大な山脈の一つなのですが。

仏には桜の花をたてまつれ わが後の世を人とぶらはば

辻邦生の「西行花伝」の最後に言及される西行の歌です。

自分の死後、仏となった自分には桜の花を供えてほしい。もしそういう人がいるのならば、という意味だそうです。

桜の花を愛した西行の心持ちなのですが、死後の魂の有無を考えさせられます。

唯物論的には、人間とは考える主体ですから、主体が無くなれば世界認識もなくなります。世界は存在しなくなるわけですが、おそらくは厳然として世界は続くでしょう。ですが、「私」たちは、そんなことはわからないわけです。ですが、実際にはその先には何があるのか。

散りゆく桜の花に、そうした生の無常、あるいは生の新たな展開を想像してしまいました。

明日もまた暖かい1日のようです。春爛漫。新たな季節は、新たに年輪を刻む時でもありましょう。

では、みなさまおやすみなさい。グーテナハト。

Tsuji Kunio

The statue of the gate in Kanda Myojin.

少しご無沙汰しました。 先日おまいりした神田明神の門の写真です。朱色が美しく春の日差しに映えていました。

お参りのご利益で今年最後の大仕事が無事に終わりました。すでに気分は新年度です。

辻邦生の「夏の光満ちて」。

写真 1 - 2015-03-28

夏の光満ちて―パリの時 (1982年)
辻 邦生
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1980年6月からパリに滞在した時の記録です。以前紹介している「春の風駆けて」が属するシリーズ「パリの時」の一冊目にあたります。

書かれたのはいまから35年前のことです。つい最近のことのように思いますが、本当に別世界のようです。1980年の35年前は1945年です。現代と終戦のちょうど中間地点が1980年、ということですか。

あまりに現代と離れているので、これはもうほとんどフィクションの世界です。それは時代もそうですし、パリという場所が離れているということもありますけれど。おそらくは日記をもとに書かれたものですが、これもおそらくは「のちの思いに」のように、あるいは歴史小説のように、「歴史そのままと歴史はなれ」を体現したものなのかも、と思いました。

とにかく、まだ時間の流れが違っていた時代でした。別に懐古主義というわけではありませんが、郷愁を感じないといえば嘘になります。

石は生きているがセメントは死んでいる

「人間であること」を除いたら、いったい何のために生きているのか。太陽を、河波の反映を、雲を、葡萄酒を、通り過ぎる女たちの微笑を、心から楽しまなくて、どうして生きているといえるのか ──

このような引用は、真実を表しているのでしょうが、現代においては誤っているのでしょうね。こんなことを言ったもんなら、変人扱いされます。

ではグーテナハトです。おやすみなさい。