Classical

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本日いただいた和菓子。春の風情満載でありがたい限りです。

今日は午前、午後とプライベートな用事で、休日が終わってしまいました。先週の徹夜仕事の疲れも抜けず。

ですが、マゼールを楽しんだ週末でした。マゼール、こんなにフィットするとは思いませんでした。とにかく、驚きの連続、という感じ。クラシックにこんなにスリリングなものを感じたのは、チェリビダッケを聴いたとき以来です。もっと早くに聞いておけばよかった、と後悔。

Mahler:Symphonies 1-10
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では取り急ぎグーテナハトです。

Miscellaneous

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はじめに

最近、フーコーとかラカンなんかの関連書籍を仕事の行き帰りに嬉々として読んでいまして、なんだか昔と変わったなあ、と思うのです。というのも、昔からフランス的なものへの違和感のようなものを感じていた気がします。それは以下のような理由でした。

ビスマルク好きであったが故に、フランスは敵。

高校時代、世界史が大好きでした。特に感銘を受けたのが、イタリア統一とドイツ統一の経緯でした。カブールとビスマルクという類い稀な指導者が国家統一を成し遂げる、という「美談」に高校生という若さもあり感動したわけです。

両国とも、統一にあっての最大の敵はフランスだったわけですね。ナポレオン三世です。あの、ドイツ統一を、普仏戦争に勝利し挙句敵国の宮殿で皇帝戴冠をしてしまう、という強烈なストーリーに舞い上がってしまい、ああ、ドイツって素敵で、フランスは敵だ、と思ってしまったというわけです。

ホーンブロワーシリーズが好きであったが故に、フランスは敵。

高校時代に読んでいたのがいわゆる「ホーンブロワーシリーズ」というやつです。

ナポレオン戦争時代のイギリスの若き海軍士官が主人公の冒険物語で、ハヤカワ文庫10冊に渡るものでした。10年ほど前に実写ドラマ化もされました。
この物語も、ナポレオン率いるフランスが敵です。フランス海軍との華々しくない地道な戦いぶりに、戦争の厳しさを学んだものです。

ちなみに、作品中にクラウゼヴィッツが登場したと記憶しています。

辻邦生のこと

それで矛盾するのが辻邦生先生のこと。フランスに留学され、フランス文学で卒論を書いている辻先生が好きなのになぜ?という問題。

辻先生はトーマス・マンがお好きでしたので、そちらのつながりを重視することにしたのでしょう。

その結果

その結果、大学時代はフランス思想に背を向けて、カントなどのドイツ観念論をやらないとね、というふうになってしまったみたいです。

当時、フランス思想が大流行でした。フランス映画なども。幾つになっても天邪鬼で反骨な私は、どうもそうした方向に流れたくないなあ、と思ってまして、それでますます遠ざかったんでしょう。

大学を出て数年経って、パリに行きました。その頃は、辻邦生も随分読んでいましたし、プルーストも読み始めていました。ルーヴルやらオルセーは凄まじく、筆舌に尽くしがたいものでした。

その頃から徐々に何かが変わったような気がします。プーランク、フランク、フォーレが好きになったのもこのころでしたし。

で、フランス現代思想までたどり着くのには相当時間がかかりました。まだ原典を読んでいませんが(というか、フーコーの「知の考古学」をKindleで読み始めたのですが全然進まない。。)もっと本を読んで、もっと頭を柔らかくしなければ。

ドイツとフランスの敵対関係も何百年経って昨今ようやく成し遂げられたわけですから、時間はかかります。

ちなみに冒頭の写真はその2002年のパリで撮った写真。これはルーブルなはず。 まだデジカメが出た頃で、写真もきちんと撮れなかった時代です。また是非行きたいものですが、いつのことになるやら。。

終わりに

今日聴いているのはこちら。私にオルガンの素晴らしさを教えてくれたマリー・クレール・アラン女史によるフランスのオルガン曲集から、今日はフランクを。フランスのオルガンの伝統もまた素晴らしいもの。

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東京地方の今日はぐずついた天気でした。あすはもう少し良くなるはずでしたが、また雨みたいですね。雨が降っただけ暖かくなるのがこの季節ですので、雨もありがたいものです。

ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

最近、Kindleでの読書が非常に心地よく、手放せないです。

KindleといってもiPhoneですけれど。

ともかく、これはかつてiPodに感じた爽快感に似ているものがあります。かつては、CDをホルダーに入れて持ち歩いて、CDウォークマンで聴く、ということをしていたわけですが(15年前のこと)、今はiPodにあらかじめ入れておけば、CDアルバムにして何百という音源を持ち歩くことができます。

今のところ、新書や辻邦生本などを何冊か入れていますが、電車や歩きながらKindleで読むのはなかなか爽快です。

それで今日読んでいるのがこちら。あー本当にフランス現代って面白いです。もっと若い頃に読んでいればよかったと思いますが、今読んでいるからいいんですね。

ラカンの精神分析 (講談社現代新書)
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この中に出てくるブルトンの「ナジャ」が興味深いです。私、未読なんですが、精神的に飛んでいる女性ナジャの話です。おそらく時代は20世紀なんですが、ナジャは自分がマリー・アントワネットの侍女だったと思い込んでいるわけです。もう100年以上前の出来事なのに。

この話って、ワーグナーの《パルジファル》の登場人物であるクンドリの件ととても似ています。クンドリは、自分がイエス・キリストの磔刑に立ち会っていると思い込んでいるのですから。すごくそっくりだと思いました。

これは、前世の記憶なのか、それとも本当にそれだけの時間を生きているのか。

それが幻想なのか本当なのかはわかりません。ですが、おそらく、そんなことはどうでもよく、感じている人間が主観的にそれが真実であれば、それはそれで良いのではないかとも思います。

なんてことを考えながら、電車の中でKindleを読んでました。

というわけで今日も取り急ぎです。おやすみなさい。

Classical,Symphony

昨夜の「らららクラシック」はショスタコーヴィチ交響曲第5番が取り上げられていました。この曲は社会主義リアリズムに基づいたもので、社会主義革命を賛美する楽曲である、というのは有名な話。ですが、実際にはショスタコーヴィチはそんな気はつゆぞなかったのだが、体制と折り合うために、やむなく作ったのでした。昨夜の番組の中では、この曲に隠された意味が取り上げられていました。ビゼー《カルメン》の中に登場する「ハバネラ」の楽節が第四楽章で登場します。その楽節に当てはめられた《カルメン》における歌詞は「信じてはいけない」だそうです。つまり、「革命なんて信じてはならない」ということメッセージが隠れていたというわけです。

ところがです。私は念のため《カルメン》の楽譜を見ました。そこ信じてはならない、という意味のフランス語を見出しました。Prends garde à toi というものです。フランス語の素養がありませんので(この件については現在激しく後悔してますが)、Google翻訳を通してみました。すると別の意味が出てきます。直訳だと「あなた自身のために外を見る」です。あれ、「信じてはいけない」とまではいってません。もう少し砕けて解釈すると「気をつけろ!」ぐらいだと考えます。つまり、昨日の番組の文脈で捉えると「革命には気をつけろ!」ぐらいのニュアンスになりそうです。

さて、ネットでいろいろ調べてみると、この点について指摘されている記事も見つけました。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~smacky/classic3.htm

そこには、昨夜の番組で「ラ音は「私」を意味する」とは異なる解釈も。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~smacky/index.htm
ショスタコーヴィチの真意は何だったのでしょうか。ここから先は私の感想ですが、思うに、ショスタコーヴィチほど才能のある人が、「ハバネラ」の楽節を仕込むでしょうか。そうした「真意」は、おそらくは党のお偉方には気付かれないでしょう。しかし、音楽家であれば容易に気づくに違いないのです。その時に、「革命に気をつけろ?」とか「革命を信じるな!」ということを容易に推察されては困るわけです。
だから、おそらくは別の意味も用意していたはず。
「いや、この曲は革命を賛美していますよ。ですが、あの部分は確かに「ハバネラ」に似ていますね。じつは、私の古い恋人に向けたオマージュでして。でもそれ、妻には言えませんでしょう。ですから、隠しておいたのです」という別の意味にも捉えるようにしておいて「でも、言われてみれば反革命に取られてしまいますね。偶然です。そこまでは思い至りませんでした。ああ、そうかやっぱりまずかったのかもしれませんが、そうではないのでどうか安心してください」とでも言えるようにしておいたのではないか、などと。
あくまで私の文学的想像です。
テクストではなくその先の意味が重要なのですが、そうなると真意は伝わりません。ですが、世界は事象と意味が何層にも重なるそもそも理解できないものなのでしょう。
ではお休みなさい。Gute Nacht. 

Miscellaneous

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本日、近所の料理屋でちょっとしたお祝い。鯛は大変おいしく大したものでした。

諸事がおわり、ようやく生活が整い始めました。が、また来月から多忙の予感です。

今月は8冊読みましたが、なんだか軽い読書ばかり? ですが、先日触れた西欧の光について考えられたのはなかなか有意義でした。

とはいえ、いまから読み直してみると、まだこなれてないですね。もう少し考えないと。どうも最近考えることが多く拡散気味で、ブログも書きづらい状況ですので、戦線を整理しているところです。

ではみなさまよい週末を。おやすみなさい。Gute Nachtです。

Book,NNTT:新国立劇場

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先日行ったレストランにて。鮮やかな生ハム。

それにしても、才能って、羨ましいです。センスがある方というのは、こんなにトントン拍子に物事が進むものなんですね。

新国立劇場合唱団の指揮をされている三澤洋史さん本を読んでます。音楽できる方って、本当にこういう方なんですよね、という感じ。まあ、こうでなければ、クラシックの道に入ってはいけないのかなあ、なんて思います。

オペラ座のお仕事――世界最高の舞台をつくる
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詳しくは読了する予定の明日まで。本日は予告編。かなり面白いですよ。

では取り急ぎグーテナハト。

Tsuji Kunio

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以前も出した写真ですが、「光」の写真だとするとこんな感じなのかも、などと。

引き続き西欧の光。なんだか、ちょっと抹香臭い響きですけれど。

西欧の優れている点は、それ自身の思想ではなく、現実と戦い、人間を救い出し、そこから普遍を汲み上げようとするそのベクトルにあるのではないでしょうか。それは、自らが普遍でないことを暴く自己批判の精神を持ち、自らを鍛えうるものなのです、

私がこのことに気づいたのは、昨日紹介したのが、30年前に書かれた「はじめての構造主義」という入門書でした。

このなかで、著書の橋爪大三郎さんが西欧思想の仕組みを語るところがあります。西欧思想システムの重要な要素が、テキスト、主体、真理なのです。ですが、西欧思想は、それらを壊したわけです。

テキストではなく意味へ、主体ではなく無意識へ、真理から制度へ。

こうして、自壊してしまうほど極端に「真理」へと進むというのは、常に「混沌」とか「自然」などから、よりソフィスティケートされた状態へと進もうとするベクトルがあります。

確かに、西欧は世界を武力で蹂躙しました。だが、そうであってもなおそこに自浄力を備えているわけです。内部にそれに対する免疫か抗体をもっているわけです。ポストモダンこそが、その抗体の存在証明ではないか。

それは、種としての人間の尊厳を重要視するベクトルなのでしょう。

それが、非西欧にとって妥当かどうかは問題なのではないのです。がゆえに、自壊が始まったのです。それでもなお成長しているのではないか。その自己批判能力こそが「西欧の光」なのではないか。そう考えています。

さすがに、世界にでて鍛えられた文明だけあります。その懐の深さを我々は意識しなければならない、ということなのでしょう。

===

最近、帰宅前に水泳することが多いです。今日は無心で15分ぐらい泳ぎ続けました。泳ぎながらもいろいろ考えがまとまって有意義です。なんというか、人間というのは、やはり水と親和性のある動物なのですね。水に包まれていると落ち着きを感じます。

ではグーテナハトです。

Tsuji Kunio

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まるで息継ぎをするように、お昼に建物の外に出ることが多いです。昔読んだ本に「必ず日中一度は外に出よ」と書いてあって、ああ、なるほど、と思い実践している次第。で、出典の本を開いて探しているんですが、見つかりません。幻でしょうかね。。

先日読んだ、「西欧の光の下で」。

私は先日以下の文章を引用しました。

「お前が、どのような動機であれ、よそに、すでに出来上がったものを求めにいったのは、間違ったことだった。精神が、他の精神にふれうるのは、それが生みだしたものを通して、いかにそれが現実と闘い、そのなかから自らの糧を汲みだしたかに注意するときだけだ」

辻邦生全短篇1195ページ

あるいは以下の様な文章。パリの町並みが夕日に照らされた瞬間にこういうことが考えられたのです。

私はそこにただ町の外観のみをみたのではなく、町を形成し、町を支えつづけている精神的な気品、高貴な秩序を目ざす意志、高いものへのぼろうとする人間の魂を、はっきりと見出したのである。そこには、自然発生的な、怠惰な、与えられているものによりかかるという態度はなかった。そこには、何かある冷静な思慮、不屈な意図、注意深い観察とでもいうべきものが、鋭い町の輪郭のなかにひそんでいた。自然の所与を精神に従え、それを人間的にこえようとする意欲があった。

辻邦生全短篇1 194ページ

曲解なのかもしれませんし、辻先生の本当に言いたかったこととは異なるのかもしれませんが、私は、この「西欧の光の下」を思い出して、次のような考え方を持ったのです。

おそらくは、西欧の精神というのは、このように、秩序=真理を求める無限な営為でした。ヨーロッパには二つの真理がありました。一つは聖書の真理。もう一つはギリシアからの論理による真理。この二つの真理をつかった営為だったというわけです。これで世界の秩序を解き明かそうとしたのです。

さらに、人間というものの発見をしたのも西欧の精神なのでしょう。ルネサンスからのヒューマニズムは、おそらくはフランス革命へと繋がり、基本的人権という現在のグローバル(と思われる)な規範を他のどの文明よりも早く形成したわけです。

おそらく、ここにある「自然の所与を精神に従え」という一節は、その後のエコロジーとの関連で噛みつかれることもあるのかもしれません。私は、ここでいう自然は、いわゆるnatureではなく、混沌Chaosに近いような意味と捉えています。

そうした混沌=現実との闘いこそが西欧である、ということ。実は、それは、余りに現実と闘い、真摯に真理を求めたがゆえに、自壊していったとも言えるわけです。

もう少し書くべきことがあります。続く予定。

===

ちなみに、以下の本を電車で読んでいたんですが、これが今回の考えの端緒かもしれません。こちらがそのきっかけとなりました。なぜ、大学当時にこの本を読まなかったのかがわかりません。あの頃は、モダン=近代をもっと勉強しなければ、と思っていたのです(実際は楽器ばかり吹いていたのですが)。フランス近代思想のファッションのようなものに、相容れなさを感じていたのかも。なにか、デリダ、フーコー、アルチュセールという人名がカッコイイ時代でした。

はじめての構造主義 (講談社現代新書)
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では、おやすみなさい。グーテナハトです。

Gustav Mahler,Symphony

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行き交う人もまた旅人なり。

オペラシティでの風景。こういう無機質な雰囲気も嫌いではないです。

マーラー:交響曲全集
マーラー:交響曲全集

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昨日から、アバドのマーラー全集のなかから、7番を聴いています。

以前も書いたかもしれませんが、こんな会話をしたことが有ります。

  • 私   「昔はマーラーが好きでしたが、今はシュトラウスが好きです」
  • Aさん 「え? 普通逆じゃないですか?」

私のイメージでは、マーラーは、実に直情的に世界を描いているのだと思います。ですが、シュトラウスは婉曲に世界を描いているのではないか、などと思います。哀しみや怒りは、マーラーの場合、直接心に響きますが、シュトラウスの場合は、物語の中に横たわっていて、あとでジワリと効いてくるような感覚です。

ですので、マーラーが少し激しすぎて、なかなか乗れない時期というのがあって、それが最近ようやくとけてきたなあ、という感じです。

アバドの指揮は実に陰影がはっきりしています。ひとことで言うと、「狂おしい」演奏、なのかもと思います。

それにしても、こういうアバドの指揮の機微が分かるのも、音楽を聴き続けてやっと、というところですね。さすがに聴き始めた小学生や中学生の頃は、そこまでわかりませんでした。あの頃は、同曲異演の違いなどわかりませんでした。まずは、いろいろな曲を聴きたいという感覚が強かったですし、当時はレコードやCDを買う資力もありませんでしたから。今は、NMLがあったりしますのでまた事情はべつでしょうね。

では、今日もグーテナハトです。みなさま、よい週末をお過しください。