嵐のようなトラブルは過ぎ去りぎみで、今日の仕事は久々に落ちついたものになりました。東京も今週から途端に寒くなって、11月だというのに、気温的には年末と同じぐらいになったそうです。
いよいよ年末が迫ってきたわけですが、今年の振り返りをする季節になったということです。ところが、大変残念なことに年始に建てた今年の目標、ぜんぜん達成できていないです。欲張りすぎでした。すいません。来年はもう少し身の丈にあった目標を立てることにします。
とはいえ、まだ今年は終わっていませんのであきらめてはいけません。せめて読書だけでも目標に近づきたいです。 読んだ本はといえば、ここで紹介できるような本ではないです。要はビジネス書の類を読みすぎました。少々後悔です。
それにしても、一年を通して年末年始休暇ぐらいしか心休まる休日はないなあ、と思います。ウチの会社ですと、夏休みはなくて、個人個人が業務に応じて一週間休みを取れる仕組みです。夏休みとはいえ、他の方々は働いていらっしゃるわけで少々気が引けるのですよ。そういう意味では年末年始は皆さんお休みですので気兼ねすることなく羽を伸ばせるというわけです。楽しみですね。
さて、昨日から、プロコフィエフの交響曲6番を聞いていたのですが、10回ほど聴くとさすがに疲れてしまいました。プロコフィエフの旋律はとても捕らえにくくて、捕まえたと思ったらすぐに逃げて行ってしまいます。どうやって語れば良いのか。標題音楽的ではないにしても、第二次大戦の記憶が埋め込まれているのではないかと思うのですが、それぐらいしか語れない。私にはまだ難しいということでしょうか。
曲調はショスタコーヴィチにとても似ていると思います。それからピアノの使い方が効果的ですね。第二楽章の前半は重苦しいねっとりとした感じで始まるのですが、中盤には拍節のパルスが現れて、急激に曲調が変わります。このあたりの感覚も難しくてなかなか語れない。もう少し想像力を磨いたほうがよさそうです。
小澤さんの指揮は明快だと思いますし、爽やかさすら感じます。ベルリンフィルの演奏も傷を感じさせない完成されたものだと思います。
プロコフィエフばかり聴いていたので、モーツァルトやバッハのみずみずしさが心地良いです。もちろんプロコフィエフが嫌いというわけではないです。同じ音楽ばかり聴くと、なぜか感動が薄まっていくというところ。モーツァルトだって、何度も何度も聞けば疲れますよね。美的な感興というものはある種の驚きを伴うものですので不思議ではないのですが。