行って参りました。新国立劇場のベルク「ヴォツェック」公演。スマートで格好良く、刺激と毒に満ちあふれ、片時もよそ見や上の空を許さない濃密なパフォーマンスでした。全三幕十五場を約100分のあいだ、ぐるぐるとヴォツェック世界のなかで振り回され、駆け回され、最後に一人舞台に取り残された子供の姿を見て思わず涙が出てしまうといった案配でした。なんでこんなに面白くて興味深いのでしょう。
水の張られた黒々とした舞台。立方体の部屋が上下し、場面によってはゆらゆらと揺られていて、劇中人物の不安定さを表しているようにも思えます。水に倒れ込んだり、ジャガイモや金にむらがる黒服の男達の姿はドブネズミかゴキブリのよう。黒服の男達は黒子のように舞台の上を動き回り、ヴォツェックにナイフを渡したり、倒れたマリーを舞台外に運び出したり、楽団を背中に乗せて現れたり、と言う感じ。
アップライトピアノが水面を滑るように現れるのには驚くばかり。水面の反射が舞台上に波紋を映し出したり、ナイフの反射光がヴォツェックを舐め回ったりと、光の効果も秀逸すぎる。クリーゲンブルク氏のセンスは抜群で、僕のツボにがっちりはまってくる感じでした。未知なものなのに見知ったもののように思える瞬間が不思議すぎます。抽象画を観るスリリングな感じと、調性を外れながらも美しさを保っている不安定で安定した音楽、両者の融合が産み出したキメラ的美と恐怖、といったところでしょうか。
実に重々しく堂堂たるヴォツェックのトーマス・ヨハネス・マイヤーですが、第一場の"Jawohl, Herr Hauptmann"と歌った途端にすげーとうなってしまう。演技も歌も素晴らしいマリーは、ウルズラ・ヘッセ・フォン・デン・シュタイネンでして、終始安定した歌唱で、低めの倍音を吹くんだ豊かなメゾソプラノで僕の好みの声。ビブラートもそんなにきつくない感じです。鼓手長のエンドリク・ヴォトリッヒは少々遠慮がちかしら。昨シーズンの新国「ワルキューレ」でジークムントを歌ったときのほうが調子が良かったかも。大尉のフォルカー・フォーゲルは、第一場ではちょっと抑え気味でしたが、その後は安定的。医者役の妻屋秀和さんですが、もうこの方なしには新国の舞台は成り立たないのではないか、と思うぐらい新国登場回数が多い方です。歌も演技も凄く良かったです。声の質がいつもより少し硬質に聞こえました。
ヘンヒェンの指揮は、私が聴いたどのヴォツェックの演奏(アバド、バレンボイム、ケーゲル、メッツマハーだけですが)よりもテンポを落とす場面があって新鮮でした。マリーを殺害した跡のB音(H音?)のロングトーンの破壊力はすさまじかったですし、最終場へ向けた間奏曲の高揚感と不条理感にも心揺れる思い。世の中、現実、社会の冷徹さ。東フィルは、最初の方はムラがあったような気がしましたが、進むにつれて気にならなくなる感じでした。
カーテンコールでは、当然ですが水の張られた舞台に歌手達が登場するわけですが、指揮者のヘンヒェン氏は、長靴を履いて出てきました。ちょっと面白いです。
最近、仕事でトラブル多発でして、仕事が入るかも、と行けるかどうか危ぶんでいたのですが、何とか観ることが出来まして本当に感謝感激でした。
舞台がはけてホワイエに出ると、次期芸術監督の尾高忠明さんのお姿がありました。意外に小柄に見えてびっくりしました。
次は、明後日に二期会の「カプリッチョ」を聴きます。こんなにオペラ通いしてもいいのでしょうか。