「標的は11人-モサド暗殺チームの記録」

「標的は11人-モサド暗殺チームの記録」を読み終わりました。少々知りたいことがありましたので。

ところが、これがめっぽう面白い。

今年の夏に読んだフレデリック・フォーサイスや、スタンリイ・エリンを思い出しました。

先日スペイン系のイギリス人とお話しました。お父様がスペインの方だったのだそうですが、相当苦労されたとか。スペインの戦後はしばらくはフランコ体制でしたので。それから戦後のヨーロッパの話になりまして、冷戦下のイギリスにあっては、やはり東側の核兵器に恐怖を感じたのか? とたずねてみると、ぜんぜん! との答えが。あれ、と思ったら、核兵器よりもIRAのテロの方が怖かったのだ、とおっしゃる。

身震いをするぐらい驚きました。 現代の日本人にしてみれば、テロが現実として間近に感じられるようになったのは、オウム事件以降だと思いますが、当然それ以前からテロルは存在していたわけですから。

そうしたテロの中でも衝撃的ものの一つと思われるのが、ミュンヘンオリンピック事件です。

アラブ過激派がミュンヘンオリンピックのイスラエル選手たち9名を拉致監禁し、イスラエルに収監中のパレスチナ人234名の釈放と飛行機でカイロへの逃亡を要求する。ヘリコプターで向かった空軍基地で、警察部隊と銃撃戦となったのですが、当時の西ドイツ警察にはテロ即応部隊などはなかったこともあり、人質の解放に失敗し、人質全員がヘリコプターの爆破により命を落とし、西ドイツ警察も一人の殉職者を出してしまいます。犯人グループの8名中5名を射殺してしまうということで、後味の悪い失敗となってしまったわけです。

物語はここから始まるわけですが、コマンド部隊出身のエージェントであるアフナーが、ミュンヘン事件の報復のためにパレスチナ過激派テロ組織「黒い9月」の主要メンバーをリストアップし次々に暗殺するという物語。

暗殺シーンの臨場感とか、当時の欧州の裏社会を見ることができて非常に興味深いのと、最後が実に考えさせられる感じ。

どこの社会でも組織と人は持ちつ持たれつ、ときにそれは悲惨な結末をもたらす。 どんな物語であっても、何かしらの対立軸というものが成立します。そうした対立軸は、男と女であったり、国と国であったりしますが、組織と組織、あるいは組織と人という対立軸も多いですよね。

組織と人、という題材で真っ先に思い出すのは、以前読んだハーマン・ウォークの「ケイン号の叛乱」でしょうか。軍隊組織にあって、無能な上官を持った将校兵士はどうするべきなのか、という問題。これって、ホーンブロワーシリーズでも同じ題材がありました。

時代小説的なら、お家と家臣の関係でしょうし、サラリーマン小説なら会社と社員。もうあまりに使い古された題材ですが。

わき道にそれました。

最近の僕の感じでは、第二次大戦後から冷戦終結までのヨーロッパに大きな関心を持っている気がします。前述のとおりスペインやポルトガルの全体主義体制が残留し、イギリスではIRAが活動し、フランスではOASが活動する。東西冷戦の行方は果て知れず、核戦争の脅威にさらされている。東側諸国では統制社会となり、弾圧や密告がまかり通る。そして、アラブ過激派のテロとモサドの戦い。それでもなお科学技術の発達はとどまることを知らず、アメリカ資本は娯楽を過剰供給していく、というアンビバレンツ。

いろいろ面白いことがわき出てきます。