Alban Berg


このネタは、有名な話で、きっとご存知の方が多いと思いますが、興味深いので書いてみます。
いまから25年前の、1986年8月17日、イギリスのオブザーバー紙に掲載されたエピソードです。
どうやら、アルバン・ベルク夫人であるヘレーネ・ベルクは、オーストリア皇帝フレンツ・ヨーゼフの庶子なのではないか、という説があるのだそうです。ヘレーネの母親はアンナと言いますが、どうやら、1875年5月8日に、公園を散歩中のフランツ・ヨーゼフと出会い、皇帝の心を奪ったらしいのです。それも、アンナは、どうやらフランツ・ヨーゼフと出会うために、わざわざ皇帝の散歩の時間を見計らっていたのだとか。アンナは当時15歳。したたかすぎます。今時の女子高生と同じです。
私は、「失われた時を求めて」で主人公がゲルマント夫人と出会えるようにわざと散歩をしていた、というエピソードを思い出しました。アンナはどうやら「ゲルマントの方」への鍵を手に入れたようです。
フランツ・ヨーゼフの皇后は、19世紀末の欧州の王族の中で最も美しいとまで言われたエリザベートですが、エリザベートはウィーン宮廷の雰囲気になじめず、旅に出ることが多かったようです。皇帝は皇后を愛していましたが、皇后は留守がちであったそうです。が故に、皇帝は愛人を囲った、あるいは囲えたのでしょうか。
アンナは皇帝との間に二人の子供をもうけました。一人はヘレーネ、もう一人は、皇帝と同じ名前を持つフランツ・ヨーゼフ。アンナは、皇帝の計らいで、フランツ・ナホヴスキーという男と結婚しますが、これも皇帝の計らいでフランツはガリシアへの長期出張を強いられたのだとか。
結局、愛人を作るような男は、飽きっぽいと見えて、皇帝は別の女性に惚れてしまい、アンナとの関係を清算することになります。
アンナと皇帝の娘とされるヘレーネ、はアルバン・ベルクと結ばれることになりますが、もう一人の庶子であるフランツ・ヨーゼフはどうなったか? 彼は、フランツ・ヨーゼフ皇帝の生誕100周年式典で、皇帝の棺に自分の切断した小指を置くという行為に走り、精神病院に収容されてしまいます。
この「ヘレーネ・ナホヴスキー・ベルクはフランツ・ヨーゼフ皇帝の庶子である」という事実は、フォルカー・シェルリースによる「アルバン・ベルク──生涯と作品──」(1985)の邦訳に付け加えられた宮川尚理氏による「追記」において、「皇帝の私生児であることがほぼ確認されている」(245ページ)と言及されており、また日本アルバン・ベルク教会により1986年に出版されたベルク年報(1986)においても、オブザーバー紙のハードコピーとともに掲載されています(92ページ)。
私は、アルバン・ベルクの音楽も大好きですが、それ以上に、彼の人生を巡る数々の妖しく不思議な挿話にも興味をそそられます。ベルクの陰惨で妖艶で怜悧な音楽を聴く度に、なにか不安な気分になり、それがまたなにかしらの快感を覚えずには居られないのは、こうしたベルクにまつわる挿話があるから。
これらの挿話は、至る所で取り上げられていますが、折を見てこの場で紹介したいと思います。
※ 画像は、シェーンベルクにより描かれたヘレーネ・ベルク。