辻邦生さんの12回目の命日
1999年7月29日に亡くなった辻邦生さんの12回目の命日でした。
あの日のショックはまだよく覚えている。いまでもそのときの心のひだを手で触った時の実感がありありと記憶に残っています。辻邦生文学は普遍性を持っていて、現代日本においても十二分にその輝きと煌めきを喪うことはありません。けれども、辻文学を継ぐ文学はきっと成立しないだろう、とも思います。現代日本文学は因果性とか物語性にたいして厳しい目を向けているように思います。現代日本文学で辻文学がいかほど受け入れられるか。そのあたり、少し自信がありません。
ただ、一昨年ごろ、私の古い友人に辻文学を薦めたところ、とても気に入ってくれて、何冊も本を読んでくださいました。そういう意味では光を失うことなく、燦然と孤高の境地に立っている気がします。
今週、先週と所用で目白に行ってきました。学習院の構内でゆかりの場所の写真を撮ってきました。もしよろしければどうぞ。
ディスカッション
越後のオックスさん、コメントありがとうございます。
コメントへの返事が遅れて申し訳ありません(リマインダーが機能していなく気がつくのが遅くなりました)。
辻先生をバッハとされたのは、確かに! と思います。ここまでの作品群が埋もれている(?)のは本当に惜しいと。辻先生は、「言葉の箱」という講演録の中で、時代に合っていなくても書きたいことを書く、ということを言っておられます。批評家への複雑な心境もかいまみえます。また出典を失念しましたが、批評家に取り上げられないことを嘆いておられたと記憶しています。むしろ批判されるぐらいの方がいい、といった内容でした。
おっしゃるとおり、どなたかが「再発見」して、もっと世にでたり、外国へ紹介されたり、といったことがあってもいいと思います。「春の戴冠」も「ユリアヌス」も「フーシェ革命暦」も世界レベルの作品ですので、日本語だけというのは本当にもったいないです。
もっと、辻先生のことを紹介しないと、と改めて思いました。今後も書いていきますのでよろしくお願いします。
Shushi様今日は。過去記事に書き込み失礼いたします。辻先生が亡くなられた時は、私も己の半身を失ったようなダメージを受けたものでした。高校時代の恩師に、「雲の宴」を薦められ、それ以来辻先生の作品を浴びるように読んできました。「嵯峨野」と「天草」と「銀杏散りやまず」は未読ですが。それ以外はほとんどの作品を読んでいます。辻先生は文学のバッハなのではないでしょうか?物凄く端正で精密に構築されているのに、ちっとも堅苦しくありません。白亜の彫刻を見るような文体です。件の恩師は「素晴らしい作家なのにベストセラー作家なんかにはならない人だよね」と言っておられましたが、バッハもメンデルスゾーンがマタイを復活上演させるまでは、忘れ去られたとまではいかないまでも影の薄い存在でしたよね。モーツァルト、ベートーヴェンといった人たちはバッハの偉大さにメンデルスゾーンによる「再発見」以前から気づいていたわけですが。メンデルスゾーンのような目利きが出てきて辻先生その人が、辻先生の作品が今よりも多くの読者に受容されて、研究対象になることを願ってやみません。