「父・バルトーク」の中にある19世紀的なものとの断絶感
先日から読んでいる「父・バルトーク」。
二度目を読みながら色々考えています。
この本に通底するテーマというのは、もしかすると、戦後のアメリカナイズされた物質主義への抵抗の物語なのではないか、と考えました。
私は、当時の歴史を読むにつけて、あらゆる面で、1945年8月で世界が断絶したように思っています。
それは、例えばロマン主義の鬼っ子であるナチスドイツが崩壊し、19世紀的帝国主義に遅れてしまい、富国強兵に失敗した明治政府の終焉した、ということなのでしょう。19世紀的なもの終焉。それ以前と以後では世界が全く違う色に染まったのが1945年であるように思えるのです。
バルトークはもちろんそれ以前の人間です。大量生産品を嫌悪し、手作りの品を慈しむ姿は、ティピカルな19世紀人とも言えますが、それが今の私には実に魅力的に思えます。
バルトークが生涯をかけて失われつつある民謡を収集したのと同じように、19世紀的ロマン主義も失われました。そしてそのバルトークも、戦後すぐ、1945年9月にはその生涯を終えるのです。
もっとも、こうした見方もひとつの可能性に過ぎません。もう少し考える必要がありますけれど。
それからもう一つ。私がまだできていないのは、バルトークの音楽からまだ「物語」を読み取るということなのです。それにはもう少し時間がかかるような気がします。
というわけで、今日も《カンタータ・プロファーナ》と《かかし王子》を聴きました。ブーレーズ版ですよ。
ちなみに、オーボエリードケースを買いました。次はマンドレルを買うか?
明日も午後出張。ではグーテナハト。
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Posted by Shushi
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