Béla Bartók,Classical

父・バルトーク 〜息子による大作曲家の思い出
ペーテル・バルトーク
スタイルノート
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Solti Conducts Bartok
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ショルティの《カンタータ・プロファーナ》

さて、今日もバルトーク。昨日聞いた《カンタータ・プロファーナ》をショルティ盤で聴いてみました。
* テノール タマス・ダラクジー
* バリトン アレクサンドル・アガシュ
* ハンガリー放送合唱団
* ブダペスト祝祭管弦楽団
* 指揮者 サー・ゲオルグ・ショルティ
1997年6月にブダペストで録音された、ショルティ最後の録音です。
ブーレーズ盤よりもまとまりがあって、私的には好感度は高いです。音価の拡大解釈によるもたり感などは、ショルティですのでそうそうなく、さらにいうと堅実に作られたものと思います。80歳過ぎた最晩年の演奏で、使い古された言葉で言うと「円熟の」ということになるのでしょう。それぐらい安定した演奏だと思います。
それから、譜面まで確認できていませんが、テノールの高音域で難しい曲だと思います。今まで聞いた3バージョンとも、苦労して歌っているのを感じます。

家に帰ることができたショルティ

感動的な逸話を見つけました。
ショルティは格別の思いをこの《カンタータ・プロファーナ》に持っていたようです。ショルティはハンガリーを離れ海外で活躍した指揮者です。つまり、家を離れて森のなかで生きたわけで、ショルティ・ギエルジィからサー・ゲオルグ・ショルティとなったわけです。《カンタータ・プロファーナ》のなかで人間から鹿へと姿を変わってしまった9人の息子たちと同じ境遇です。
ですが、最晩年に故郷の村を訪れました。つまり、《カンタータ・プロファーナ》の鹿が出来なかった、自分の家への帰還を果たしたということになります。これができるようになったのは、政治体制の変革といった外的要因もあるでしょうし、ショルティの内面の変化などもあったのかもしれません。
鹿が家に帰れなかったのは、角が大きすぎて戸口から入れなかったからです。ですが、ショルティの家は、その大きすぎる角が通れるぐらいに戸口が大きくなった、ということになるのでしょう。
これは、ショルティが最後の録音に際して語った内容です。以下のサイトで紹介されていました。ちょっと感動する話です。
http://www.ne.jp/asahi/mi/mi/hibinokatte-text-99.02.htm
では今日はこの辺りで。日付変わりましたがグーテナハト。