J.S.Bach,Piano

最近はバッハのピアノ曲をよく聴きます。といっても、おそらくはバッハはチェンバロのために描いたんだと思いますが。

それで、感心したのがこちらでした。

AppleMusicのリンクも載せておきます。どうもamazonの音源とAppleMusicの音源が同じか自信がなく。。

この静謐な感覚、柔らかくリバーブの聴いた音質に吸い込まれ手しまった感じがして、この二週間ほどは、数日おきに聴いていた気がします。

なにか、深みのある青い水面をもった池に、いくつもの波紋がうかんでいるような、そんな感じがします。

チェンバロのために描かれた音楽であったとしても、それがピアノで演奏されたとして、モダンな感じとトラディショナルな感じが同居している不思議さなバランスを感じます。チェンバロで聴くよりもピアノで聴いた方がしっくりくる感じ。

リヒテルのことは、昨年末に日経新聞「私の履歴書」に登場したリッカルド・ムーティーの逸話が印象的でした。ムーティーの結婚式で、ニーノ・ロータとリヒテルが音楽当てクイズを永遠とやり続けたという逸話。…

リッカルド・ムーティ(13) 結婚式 披露会場で曲当て勝負 ロータとリヒテル、譲らず

どういう経緯かわからないが、リヒテルとロータが曲当てクイズを始めた。最初はヴェルディやワーグナーなどのオペラのアリアや序曲を数小節弾いていたが、だんだんエスカレートし、1時間たっても勝負が決しない。音楽のことならなんでも知っているロータだが、リヒテルも負けていなかった。オデッサの劇場で練習ピアニストとしていろいろな作品の伴奏をしていた経験が生きていた。2人の競争心は高まるばかりで、息をのむ光景だった。

映画の一場面にしたい光景です。

 

さてと、世の中は激変中で、シリコンバレー銀行の破綻は、何かの予兆?この3月はターニングポイントかもしれません。世界も個々人も、そして私も。

平穏な世界が訪れますように。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

J.S.Bach

 

最近、ものを書くことにこだわるように努めていて、日本語やら英語やらで、暇を見つけてはせっせと読み書きをしています。といっても暇はあまりないので、通勤電車の中とか、休日のいくばくかの時間に限られますが、歳を重ねたとしても始めるに遅いことはありませんので、せっせと読み、書くことにしています。

そんな時に相応しい音楽は何かしら、と考えた時に、バッハだなあ、と思い、AppleMusicで出てきたのがキース・ジャレットが弾く平均律クラヴィア曲集でした。グレン・グールドに比べて幾分か優しさのある音色は、キース・ジャレットのコンサートシリーズのそれに近しくもあり、静謐と懐古の色を帯びたものに感じます。

バロック音楽にはリズムの揺れがありませんので、ジャズとの親和性があるわけで、ジャック・ルーシエなどを大昔に聞いた記憶もありますが、集中が求められる時においては、ビートのある音楽がいいと思います。ビート=拍動は、おそらくは太古においてはシャーマンをトランスへ導くものだったわけで、ビートがもつ何かしらの作用は確かにあると思われ、そうした観点で暗黙に、バッハだなあ、となったんだと思います。

という感じで、今日もやはり、バッハを聴きつつ過ごしていますが、音楽が、読み書きへと至る集中を助けたり、あるいは幸福を想起させるといった作用と持つというのは本当にありがたいことです。昔はコンサートで、次にレコード、CDと徐々にポータビリティが上がってきたわけですが、今は、クラウド上の音源をいつでもどこでも聴けるわけで、何か精神の支えに寄り添ってもらっている感覚があります。ありがたい時代です。

ということで、春が少しずつ見えつつありますが、皆さも今しばらくの冬をご自愛ください。

Photo

関東某所にて撮影した月明かり。満月の翌日ですので、まあ実質満月です。

最近はなにか月の周期で物事を見ている気がします。さすがに、夜明かりや引力の周期は人間の生物的な側面へ働きかけるものなんだろうな、と思います。

ずいぶんと長い間生きてしまったような感じもあり、これからどうしようかなあ、と思うことしばし。

1月の連休も終わり、2023年も明日から本格始動。働き過ぎは良くない。しかし頑張ることは大事です。何のためになるのかを考えながら仕事をしていかんとな、と思います。

それではおやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

あけましておめでとうございます。

初日の出であることには間違いない写真ですが、今年は出先でとったのでちょっといまいち。。

それでも露出などは少し工夫して悪あがきしてみました。

今年はどんな年になるかしら。世界のことは憂えてもできることは限られていますので、せめて自分とその周りだけでも良くなるように進めたいです。それも中長期的にできることは限られますので、短期的な積み重ねを続けながら一定のビジョンを見続けるぐらいのことしかできないかな、という感じです。

世界も大激変ですが、日本も個人も大激変です。まあ、なるようにしかならないですが、起きていることを受け入れるということが大切とおもいます。何が起きても解釈次第ですから。

私は、最近appreciateという言葉が好きです。

辞書で引くと、正しく理解する、価値を認める、感謝する、という3つの意味があります。あのころは実に腹の立つことだったけれど、思い起こせば、そのことがあったから今は状況が良くなっているのだ、といったことがよくあります。スコットランドから来た英語の先生が、そんな事案のことをYou appreciate it. みたいな感じで話していて、理解、価値、感謝というような状況をひとくくりにされた感があり、驚いたものでした。

ということで、なにごともappreciateな感じで生きていける1年にしたいな、と思います。

忙しすぎてあまりに文章を書く時間がなく笑ってしまうしかないのですが、もう少しすると書く時間ができるような気もしていますし、もう少しバリエーションに富んだことも書けるようになる気もしていて、しかしながら、それでもブログで良いのかしら、まあいいか、なんてことも感じながらやっていきたいと思いますので、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

それではみなさま、おやすみなさい。

Miscellaneous

やれやれ、2022年もそろそろおわりとなります。こちらは近所の畑、というかおそらくは税金対策の休耕地です。

この休耕地にオナガドリと思われる鳥が群れていました。以前、オナガドリが飛んでいるのを見て、なんだか十字架が空を舞っているように思えたものです。

 

毎年のように、冬至がまわり、年末年始に近づき、夏へ憧憬を感じるサイクルが続いています。

 

この歳にもなると、1年のサイクルがわかりきってしまった感もあります。実のところ、仕事は波瀾万丈で、不摂生極まりない生活ですが、人間ドック異常なしという不思議もあり、もう少し頑張らんといかんのかな、と想ったりもしています。

ということで、どうかよいお年をお迎えください。また来年もよろしくおねがいいたします。

Miscellaneous

昨夜、月と木星がほぼほぼ同じ位置にいて、なかなかダイナミックな風景でした。

月の右上に小さく木星が映っていますが、実際には月と木星が煌々と輝いていたのでした。下の写真のほうが実際のイメージに合う感じ

で、2023年もあとわずか。やれやれ、って感じの波瀾万丈な一年でしたが、来年はもっと波瀾万丈かもしれず、なるようにしかならなんな、という気分で過ごしていきたいと想います。
せめてもの数日の休日をすごしているわけですが、明日も書けると良いのですが。

Miscellaneous

月蝕を移動中に。

これ、昔の人は怖かっただろうなあ、と思います。輝く月が急に暗くなり、真っ赤に輝くのですから。

わたしも,ただならぬ不気味さを感じながら、欠けゆく月を移動しながらみ続けました。

19時16分に皆既状態になると、なにか放心したような感覚がありました。全てが解放されたというか、解決に向かうかのような。

その後仕事場に戻り打ち合わせ。なんだか、いろいろなことがピタリピタリとパズルが合うかのように進んでいるように思います。

ということで、本日もおつかれさまでした。おやすみなさい。

Miscellaneous

11月に入り、晴れた日が多くなった気がします。実に良い天気。太陽は平等に光を降り注ぎます。

日差しのもとは暖かく、日陰は少し肌寒いので、陽の光のありがたみを感じます。

明日、11月7日が立冬ですので、今年最後の秋空ということになりそうです。

それでは。

Tsuji Kunio

学習院大学の講演会。数年ぶりのオフライン講演で、なんだか懐かしさしかありませんでした。

最近はハードワークが続いていて、文学のことを考える暇もなく、ただただレスポンシビリティのために動いている感もあり、何かの助けになればと願いながらと言う感もありますが、春の戴冠の世界に少しの間だけ戻れて、見つめ直せたきがします。すべてはうつろいゆくばかり。辻邦生がボーイング727でフランスへ飛んだ、という話を聞いて、時代の断絶を感じたことがありますが、それでもなお変わらないものもあるのだと思います。それはおそらくは「ホーム」とも言えるもので、人生も折り返してみると、あらためて「ホーム」探しに勤しむことになるようです。私の場合は、転居転校を繰り返しましたので、常にアウェイの感覚で生きてきましたので、どこに行ってもアウェイで、もちろん学習院大学も場所としてはアウェイでしかありません。辻邦生の文学は、そうしたなかでも人生の大半をともに過ごしてきたもので、精神的なホームと言うことができるのでしょう。アウェイでいるにも、また、この先、別のアウェイな場所に向かおうにも、ホームは必要ですので、この歳になりながら、あらたて辻文学のようなホームを一つ一つさがしていかないとなあ、と思う今日この頃です。

さて、指揮者の矢崎彦太郎さんのお話のなかで、レスピーギが取り上げられました。素晴らしいレスピーギ。イタリアの太陽です。

南イタリアの田舎の港町で、人知れず暮らしながら、少しずつ地元の人々と心を通わせ、いつしかベッドで静かに眠るように息を引き取るという幻影をみました。刺すような太陽で、おそらくは肌は灼けるのでしょうが、深く刻まれた皺や白く輝く歯を持つ男達の仲間になれば、昼間からワインを飲んで、明るいうちにベッドに入ることもできるのではないでしょうか。などということをおもいながら、レスピーギを聴きました。

幻影であっても、それを想ったところで、それは現実と違わぬものになります。辻邦生はそれをイマージュと呼んだのではないでしょうか。イマージュを言語化することが、私だけの世界を係留する手段になります。それが文学であり、物語である。そんなことを想いつつ、またレスピーギを聴いています。

朗読会の「春の戴冠」は見事に長大な春の戴冠の半分を1時間に切り取っていて、感服でした。ボッティチェッリの「春」は、おそらくは、ギリシア的でもあり、キリスト教的でもあり、そうした要素が巧く抽出されていて、2H=ヘレニズムとヘブライイズムからなる西欧文化の奥深さを感じました。ビーナスでもありマリアでもある女性が「春」には描かれていて、それが懐胎しているとしたら? というのはあまりに刺激的な観点となります。語ると長くなりますが。

それではみなさま、おやすみなさい、グーテナハトです。

Miscellaneous

十二年周期で太陽を廻る木星。今、ちょうど地球と近い位置にいるようです。太陽の反対側にいますので、夜更けとともに東からあがり、美しく輝いています。ちなみに、木星の右側には土星、左側には火星が見えます。ここまでは東京でも肉眼で見えます。そして木星のさらに奥に海王星が居るはずですが、肉眼では見ることはできません。

木星はJupiterですので、ローマ神話のユピテル、つまりゼウスというわけで、神々の長ですが、火星の、さらにその先にある小惑星帯を超えた遙か遠くにもかかわらず、燦然と輝くのはやはり神々しさしかありません。ホルストの組曲「惑星」では快楽をもたらす者、とされていました。英語では、Jollity。英和大辞典を開くと、愉快、陽気、パーティー、祝賀会と言った意味があります。なにか、快楽と言うよりも幸福をもたらす者、と言い換えたくなります。

幸福をもたらす星を見つめ,幸福を引き寄せるのも良いのではないでしょうか。

それではみなさま、おやすみなさい。