Opera,Richard Strauss

梅雨入り直前の日曜日の朝、近所を散歩しました。柔らかい日差しにつつまれる甘美な時間で、こういう時間を大切にすることが、生きる営みの智恵だとおもいます。

Heiter entscheiden,
sorglos besitzen,
Glück des Augenblicks
Weisheit des Lebens!

 

「明るく振る舞うと決心し、よろこびを悟り、幸福の瞬間こそが人生のよろこびであり、智恵である」という一節がリヒャルト・シュトラウスのオペラ「カプリッチョ」の中にありましたが、これだな、と思います。

梅雨入り前最後の好天を楽しみましょう。

それでは。

Miscellaneous

いちおう、5月6日が満月とされていますが、実際には日本時間の午前2時頃が満月だったということで、今晩の満月を楽しみにしていましたが、残念ながら雲厚く、見ることはできなさそうです。 というわけで、昨夜の満月を。 昨夜のまばらな雲影の隙間から満月が顔を覗かしたタイミングに運よく。iPhoneで撮りましたので、絵の感じはいつも通りですが、白銀の輝きは、それでもなお見るだけた嬉しいものでした。 毎月の楽しみは、この満月を見ることだったりします。日頃の感謝を込めて。 それではおやすみなさい。グーテナハトです。

Ludwig van Beethoven

憲法記念日。写真は、昨日のものですが。すいません。なぜか、「なつきにけらし 白妙の」という言葉を思い浮かべてしまいまいた。初夏の風情が横溢していて、幸福感しかありませんが、なぜか扁桃炎を発症してしまい、休日当番のお医者に朝一で行ってみて頂いたりしまいた。ありがたい限り。

さて、先だって書いたラトル&ウィーンフィルのベートーヴェン交響曲全集に引き続き、ベルリンフィルとの録音を聴いています。

解像度が高く、繊細で、軽やかで、手触りの良い質感。ベルヴェットのように輝く演奏。癖もなく、軽いスパークリングのような清涼感。今時分、初夏に聴くのにちょうどいい感じ。

ワインの選評みたいですが、スタイリッシュな銀細工のような演奏で、いいなあ、と思います。

しかし、ティンパニーが独特に感じるのは、ラトルのコントロールなのか、ミキシングなのか、ティンパニー奏者の方のセンスなのか。ラトルは打楽器やっていたので、なんとなくラトルのセンスなのかもしれない、と思いながら聞いていました。

一番から九番まで、一周きいて、二週目に入りましたが、いやー、メジャーな、三番、四番、五番、六番、七番、九番よりも、一番、二番、八番が心に沁みます。特に、緩徐楽章がめちゃいい。癒しでしかないです。

音楽について書くと言うのは、なにかしらの言語化以前の情感を、目を瞑りながら手探りでその形を彫り出すと言う感覚があります。イマージュを現前に呼び出すと言う感覚かもしれません。さらに、個人的なメモにではなく、どなたでもみられる場所に書くという一定の緊張と矜持も言葉を彫り出すと言う営みを助けるのだと思います。

と言うわけで、近頃珍しく、先日の投稿からあまり間を空けず書いてみました。

おやすみの方もそうでない方も、良いゴールデンウィークを。

Ludwig van Beethoven

それにしても、なんともかんともな生活が続いていますが、その傍にいるのは、なぜかベートーヴェン。こんなにベートーヴェンを聴く日が来るとは思いもよりませんでした。Twitterにも書きましたが、ベートーヴェンのアダージョを集めたコンピレーションアルバムにハマり、そこからラトルがウィーンフィルと作った懐かしのベートーヴェン全集を聞く日々という感じです。聞く時間というのは、もちろん、仕事場への往復電車でしかないわけですけれど。

https://music.apple.com/jp/album/beethoven-adagios/1675036696

アダージョ・ベートーヴェンというコンピレーションアルバムは、Apple Musicで、何かの拍子に見つけたものです。格安アルバムでよく目にしていたブリリアントレーベル。第九のアダージョはこんなに良かったのか、とか、皇帝のアダージョ、これまでは退屈に感じていた向きもあったのですが、静謐でいいな、など再発見が多かったです。

一方で、有名なラトルのベートーヴェン全集。20年ほど前に発売されたと記憶しています。当時は、一つの教養として聞いていた気がしますが、今はなぜか心に染み入る感じ。10年以上前に、経験を重ねるとベートヴェンを聴くようになるのかもしれない、と思いながら、ワーグナーに狂っていた頃があったのですが、そうした日々がとうとうきてしまったのかもしれません。

さて、今日で4月もおしまい。通勤時間はあっと言うまですし、家ではゆっくり音楽を聴くというよりも、インターネットラジオで、ジャズやクラシックを流して新たな音楽に合うのを楽しみにしている、と言う感じになっています。とはいえ、音楽ライフとしては幸福であることには変わりないのかも、と思います。

あとは、楽器を少し吹けるといいんだがな、などと思ったり。

と言うことで、皆様も良いゴールデンウィークを。

おやすみなさい。グーテナハトです。

J.S.Bach,Piano

最近はバッハのピアノ曲をよく聴きます。といっても、おそらくはバッハはチェンバロのために描いたんだと思いますが。

それで、感心したのがこちらでした。

AppleMusicのリンクも載せておきます。どうもamazonの音源とAppleMusicの音源が同じか自信がなく。。

この静謐な感覚、柔らかくリバーブの聴いた音質に吸い込まれ手しまった感じがして、この二週間ほどは、数日おきに聴いていた気がします。

なにか、深みのある青い水面をもった池に、いくつもの波紋がうかんでいるような、そんな感じがします。

チェンバロのために描かれた音楽であったとしても、それがピアノで演奏されたとして、モダンな感じとトラディショナルな感じが同居している不思議さなバランスを感じます。チェンバロで聴くよりもピアノで聴いた方がしっくりくる感じ。

リヒテルのことは、昨年末に日経新聞「私の履歴書」に登場したリッカルド・ムーティーの逸話が印象的でした。ムーティーの結婚式で、ニーノ・ロータとリヒテルが音楽当てクイズを永遠とやり続けたという逸話。…

リッカルド・ムーティ(13) 結婚式 披露会場で曲当て勝負 ロータとリヒテル、譲らず

どういう経緯かわからないが、リヒテルとロータが曲当てクイズを始めた。最初はヴェルディやワーグナーなどのオペラのアリアや序曲を数小節弾いていたが、だんだんエスカレートし、1時間たっても勝負が決しない。音楽のことならなんでも知っているロータだが、リヒテルも負けていなかった。オデッサの劇場で練習ピアニストとしていろいろな作品の伴奏をしていた経験が生きていた。2人の競争心は高まるばかりで、息をのむ光景だった。

映画の一場面にしたい光景です。

 

さてと、世の中は激変中で、シリコンバレー銀行の破綻は、何かの予兆?この3月はターニングポイントかもしれません。世界も個々人も、そして私も。

平穏な世界が訪れますように。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

J.S.Bach

 

最近、ものを書くことにこだわるように努めていて、日本語やら英語やらで、暇を見つけてはせっせと読み書きをしています。といっても暇はあまりないので、通勤電車の中とか、休日のいくばくかの時間に限られますが、歳を重ねたとしても始めるに遅いことはありませんので、せっせと読み、書くことにしています。

そんな時に相応しい音楽は何かしら、と考えた時に、バッハだなあ、と思い、AppleMusicで出てきたのがキース・ジャレットが弾く平均律クラヴィア曲集でした。グレン・グールドに比べて幾分か優しさのある音色は、キース・ジャレットのコンサートシリーズのそれに近しくもあり、静謐と懐古の色を帯びたものに感じます。

バロック音楽にはリズムの揺れがありませんので、ジャズとの親和性があるわけで、ジャック・ルーシエなどを大昔に聞いた記憶もありますが、集中が求められる時においては、ビートのある音楽がいいと思います。ビート=拍動は、おそらくは太古においてはシャーマンをトランスへ導くものだったわけで、ビートがもつ何かしらの作用は確かにあると思われ、そうした観点で暗黙に、バッハだなあ、となったんだと思います。

という感じで、今日もやはり、バッハを聴きつつ過ごしていますが、音楽が、読み書きへと至る集中を助けたり、あるいは幸福を想起させるといった作用と持つというのは本当にありがたいことです。昔はコンサートで、次にレコード、CDと徐々にポータビリティが上がってきたわけですが、今は、クラウド上の音源をいつでもどこでも聴けるわけで、何か精神の支えに寄り添ってもらっている感覚があります。ありがたい時代です。

ということで、春が少しずつ見えつつありますが、皆さも今しばらくの冬をご自愛ください。

Photo

関東某所にて撮影した月明かり。満月の翌日ですので、まあ実質満月です。

最近はなにか月の周期で物事を見ている気がします。さすがに、夜明かりや引力の周期は人間の生物的な側面へ働きかけるものなんだろうな、と思います。

ずいぶんと長い間生きてしまったような感じもあり、これからどうしようかなあ、と思うことしばし。

1月の連休も終わり、2023年も明日から本格始動。働き過ぎは良くない。しかし頑張ることは大事です。何のためになるのかを考えながら仕事をしていかんとな、と思います。

それではおやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

あけましておめでとうございます。

初日の出であることには間違いない写真ですが、今年は出先でとったのでちょっといまいち。。

それでも露出などは少し工夫して悪あがきしてみました。

今年はどんな年になるかしら。世界のことは憂えてもできることは限られていますので、せめて自分とその周りだけでも良くなるように進めたいです。それも中長期的にできることは限られますので、短期的な積み重ねを続けながら一定のビジョンを見続けるぐらいのことしかできないかな、という感じです。

世界も大激変ですが、日本も個人も大激変です。まあ、なるようにしかならないですが、起きていることを受け入れるということが大切とおもいます。何が起きても解釈次第ですから。

私は、最近appreciateという言葉が好きです。

辞書で引くと、正しく理解する、価値を認める、感謝する、という3つの意味があります。あのころは実に腹の立つことだったけれど、思い起こせば、そのことがあったから今は状況が良くなっているのだ、といったことがよくあります。スコットランドから来た英語の先生が、そんな事案のことをYou appreciate it. みたいな感じで話していて、理解、価値、感謝というような状況をひとくくりにされた感があり、驚いたものでした。

ということで、なにごともappreciateな感じで生きていける1年にしたいな、と思います。

忙しすぎてあまりに文章を書く時間がなく笑ってしまうしかないのですが、もう少しすると書く時間ができるような気もしていますし、もう少しバリエーションに富んだことも書けるようになる気もしていて、しかしながら、それでもブログで良いのかしら、まあいいか、なんてことも感じながらやっていきたいと思いますので、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

それではみなさま、おやすみなさい。

Miscellaneous

やれやれ、2022年もそろそろおわりとなります。こちらは近所の畑、というかおそらくは税金対策の休耕地です。

この休耕地にオナガドリと思われる鳥が群れていました。以前、オナガドリが飛んでいるのを見て、なんだか十字架が空を舞っているように思えたものです。

 

毎年のように、冬至がまわり、年末年始に近づき、夏へ憧憬を感じるサイクルが続いています。

 

この歳にもなると、1年のサイクルがわかりきってしまった感もあります。実のところ、仕事は波瀾万丈で、不摂生極まりない生活ですが、人間ドック異常なしという不思議もあり、もう少し頑張らんといかんのかな、と想ったりもしています。

ということで、どうかよいお年をお迎えください。また来年もよろしくおねがいいたします。

Miscellaneous

昨夜、月と木星がほぼほぼ同じ位置にいて、なかなかダイナミックな風景でした。

月の右上に小さく木星が映っていますが、実際には月と木星が煌々と輝いていたのでした。下の写真のほうが実際のイメージに合う感じ

で、2023年もあとわずか。やれやれ、って感じの波瀾万丈な一年でしたが、来年はもっと波瀾万丈かもしれず、なるようにしかならなんな、という気分で過ごしていきたいと想います。
せめてもの数日の休日をすごしているわけですが、明日も書けると良いのですが。