Miscellaneous,Wolfgang Amadeus Mozart

それにしても、最近いろいろと定まることが定まり、決めることも決め、やることも少しずつ始まり、という感じです。問題は、時間がないのと腰を痛めて動きにくい、ということ。まったく。。昔はあんなに重い荷物を持ってもビクともしなかったのに、最近は立っているだけでも辛いという状況だったりして。

そういう面では、若いうちに動き始めるアドバンテージというのはあるよなあ、とも思ったりします。私も腰を壊す前にもう少しいろいろできればとよかったなあ、と思います。

でも、若いときはうまく動けないことも多いです。頭の良い人、要領の良い人はさっさとやっちゃうんだろうと思いますが、なまじっか悩んだりすると、若いときによくいるとんがっている人になってしまいます。

今でもたまにとんがっている人に会うことがありますが、羨ましいと思いながらも、あれやると辛いんだよなあ、と思ったりもいます。とんがると結局損しますので、別のやり方でやらないといけないんだけど、そうした知恵がないといけないわけです。

もっとも、とんがって損するという環境自体がダメなのかもしれませんけれどね。。なんてことも思います。

今日はこちら。

String Quartets
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1773の作品ととされるモーツァルトの弦楽四重奏曲第13番。この曲だけはどうしても気になってしまいます。短調ということもあると思いますし、昨日も触れたように最終楽章のフーガは本当に立派です。作曲したのは17歳ですか。きっととんがっていた頃なんだろうなあ。どうも映画の印象が強いです。本当にいい曲ですね。でも、きっと今でも、これぐらいの才能を持っている人はたくさんいるんだろうなあ。モーツァルトの時代は世界に出られる人は一握りでしたが、今はトンがっている人は、誰もが世界に出られる時代なのかも。

ではおやすみなさい。グーテナハトです。

 

 

 

Wolfgang Amadeus Mozart

今日は帰宅してから、仕事場の方とビデオチャットやSlackなどを使っていろいろ相談。グローバルなワークスタイルは、どんどんすすんでいるというのに、それをつかえず、それでよしとしている世界もあるんだなあ、とあらためて。

今日もモーツァルトの弦楽四重奏曲を聞き続ける感じです。何も考えにで聞くと、BGMになってしまいますが、結構堅牢な曲などがあって、驚きます。

今日はこちら。というか、モーツァルトの弦楽四重奏は面白いですね! はまりそうです。。

Mozart String Quartets

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Mozart Hagen Quartet
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例えば、第13番の最終楽章は本当に立派なフーガですね。なんだか、バッハを聴いているかと思ってしまいます。「音楽の捧げ物」を思い起こさせる、構築美とその中に含まれるなにか心を刺す痛みのようなものを感じる音楽です。美しいものにはおそらくは触れてはいけない毒のようなものがあって、というよくある寓話のようなものを思い出してしまう音楽でした。
たぶんですが、この弦楽四重奏曲第13番はあまり聴いた記憶がないのです。
今日はハーゲン弦楽四重奏団。アマデウス弦楽四重奏団と対比的な硬質な演奏ですね。こういう聴き比べができるのもApple Musicのおかげです。

明日からまた3連休です。その後、また1日仕事場に行き、また2連休です。まだまだ家でやることはたくさんありますので頑張ります。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Wolfgang Amadeus Mozart

ゴールデンウィークの前半が終了。仕事場で消耗しつつ働かせていただいておりましたので、金曜日と土曜日はただただ休息し、今日やっと体が動き始めたので溜まっていた家事をはかせるという実に実践的なゴールデンウィークを過ごしました。明後日からの中盤の三日間も溜まっていた家事に勤しむ日々になるはず。

そんな中で聞いていたのがこちら。Apple Musicで聴いたアマデウス弦楽四重奏団のモーツァルトの弦楽四重奏曲集です。

String Quartets
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モーツァルトの弦楽四重奏曲は、アルバン・ベルク弦楽四重奏団でよく聞いていましたが、アマデウス弦楽四重奏団は、ある種ダイナミックで重みのある演奏だなあ、と思います。厚みのある音色は実に豊かでありました。ネットでいくらか見てみると、私が感じたものと同じような評価がみられました。

それにしても、こうしてアマデウス弦楽四重奏団のモーツァルトの弦楽四重奏曲全集をApple Musicで聴くことができるというのは本当に幸せなことです。

最近の幸せはそうしたものに限られるのかも。

今日も、所用あって近所の図書館の書架のあいだを歩き回り、ボルヘスの講演集を手に取ったりしたのですが、なにか本当に遠い世界の出来事のようです。どこか間違ったところに来てしまっているような気がしてなりません。

それではみなさま、おやすみなさい。

Miscellaneous

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あっという間に4月も終わりですね。日本は連休へ。そしていつの間にか初夏の風情に。

昔、福田和也の本を読んだとき、スランプに陥ってもルーチンを崩すな、みたいなことが書いてあった気が。

ルーチンは崩さず、食べて飲んで寝る、というのがポイントなんですが、連休にはいってついつい夜更かし気味です。

星は巡り、世界は変わりますので、ま、うまくいくようになるまで身を潜めて雌伏を伺いましょう。

仕事場では新しいことも始まり、少しは希望もわきますが、ミシェル・フーコーの考えを知ってしまった私には、何も信じられない状況なのかも。ともかく「なぜ腹がたつの? こんな世の中なのに」という言葉を《ばらの騎士》で元帥夫人に語らせたホフマンスタールに思いをはせるしかないですね。彼がこの言葉を書いたのは100年以上前ですが、ま、世の中はそうそう変わりません。

ともかく、再開し続けることが大事ですね。

ではみなさま、おやすみなさい。

 

Richard Strauss

2014年、生誕150年だったリヒャルト・シュトラウス。当時録画していたドキュメンタリーを昨日からたまたま観ていました。

その中に驚きの映像があったのです。

戦後、資産を幾らか失ったシュトラウスは、コンサートに出演するなどしていたらしいのです。「ばらの騎士」をピットで振る映像が放送されたのですが、エスコートする精悍な顔つきの男が気になりました。

あれ、どこかで見たことあるような。

あ、ショルティじゃない!?、と。

特に字幕もコメントもありませんでしたが、そうではないか、と。

(写真載せていいのか悪いのか。。しばらく載せたら削除します)

IMG_5872

ウィキなどを調べてみると可能性はかなり高いです。戦後、ショルティは、バイエルン国立歌劇場の音楽監督に抜擢されました。これは、名だたる指揮者は亡命していたのと、残った指揮者も非ナチ化政策で就任できなかったからです。

シュトラウスはバイエルンのガルミッシュに住んでいたわけですから、バイエルン国立歌劇場のピットに入ってもおかしくありません。

また、ショルティは晩年のシュトラウスと面識があり、指導を受けていたということもききますしね。

ということで、こちら。

Solti Conducts Richard Strauss

Solti Conducts Richard Strauss

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今日は、本当に本当に久々の本当の休日だった気が。3月上旬から休日もこころが休まりませんでしたので。。

ではまた明日。おやすみなさい。

Miscellaneous

金曜日、仕事場で熊本城の石垣が崩れている写真を見て、なんだか切ない気分になりましたが、実際にはそれからが大変なことになってしまいました。修復には20年かかるという話も出ていたり。

その後、どんどん被害が拡大していて、まさに現在進行系の地震で、心が痛みます。昨日は、やらないといけないことがたくさんあったにもかかわらず、なんだか手につかない感じでした。やれることをやるしかないのですけれど。

昔、大分に住んだことがあり、よそ者にもかかわらず、本当にお世話になったり、城下町ならではの矜持あるみなさんとお付き合いができたりと本当にいい思い出ばかりの大分や、修学旅行や家族旅行で行った熊本が傷ついているのを見ると、本当に悲しい気分です。

日本にいる限り、こうした自然災害の脅威にさらされるわけですが、それが日本人のメンタリティに影響しているのかなあ、ということを漠然と思ったりしました。農耕民族で、協力して稲作をしなければ食べていけないがゆえの帰属意識ということもあるのでしょうが、こういう自然災害の時に助け合わなければならないという記憶が、日本人ならではの帰属意識を醸成しているのかも、なんてことを思いました。

ヨーロッパや中国だと火山も地震も少ない地域もあり、そうだとすると、災害というのは外敵の侵略のようなものになるわけで、おのずと処世術が変わったり、あるいは自然をコントロールできるという感覚のようなものも生まれてくるのかもしれないですね。

1994年に神戸で震災があり、2004年に中越で震災があり、2011年に東日本で震災があり、そして2016年に熊本で、ということで、震災に会わずに生きることなんてできないのかも、と腹をくくったりもしました。

がゆえに、自然が神格化されている神社の神様にお祈りをしたくなったりもする感覚が明るような気もしたりします。

本当に日本人は自然の中で生きているんだなあ、と実感します。

もっとも、キリスト教だって砂漠という厳しい環境で生まれた宗教ですね。大学の授業では、イスラエルという土地は砂漠ばかりではなく温暖な土地もあるのだ、ということで、キリスト教が普遍的な宗教であるということが示されましたが、砂漠と地震では少し趣が違うのかもなあ、とも。日本の場合は、いつもは温暖なのにあるとき地震で破滅的、みたいな感じですが、砂漠は常に破滅的。がゆえに、砂漠と戦うのが西欧で、日本は平時は自然と触れ合い、いざとなると平伏してしまう、みたいな感じなんですかね、なんて。

まあ、日本に住む以上は、地震に勝てるわけもなく、ただただ備えつつ、無事を祈るしかないのだなあ、とということなのですね。

そうであっても、明日は仕事。がんばらないと。

きょうはこちら。西欧の自然が少しわかるかも。雲が沸き起こり雷鳴が轟き村人たちが逃げ惑う姿が見えます。そういえば、西欧音楽で「地震」とか「火山」とかないな。。やはりメンタリティも文化も環境によります。その後、牧童の笛で閉じるというのも、なんとも奇想画のようです。

Beethoven: Symphony No. 6 in F-Dur, Op. 68 Pastorale - Mozart: Symphony No. 33 KV 319 (1953 Recordings)
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きっと、こういう世界なんだろうなあ。国立西欧美術館にある「踊るサテュロスとニンフのいる風景」のような風情。これはひとつのアルカディア。憂のない調和のとれた世界。

踊るサテュロスとニンフのいる風景 Landscape with Dancing Satyrs and Nymphs

ではみなさま、おやすみなさい。

 

Miscellaneous

 

これから趣味を持ちたい人へ」というエッセイをフォーサイトで読みました。書かれたのは成毛眞さん。日本マイクロソフトの社長を務められた方で、前々から随分面白いことをたくさん書かれていてフォローしていました。

新潮社のフォーサイトというサイト(昔は雑誌でした)でもいろいろ面白いことを書いておられます。もともとは週刊新潮に書いておられたもののようです。

その中に、趣味は、体験型、蓄積型、没頭型がある、ということなのだそうです。成毛さんによれば体験型はジェットコースター、蓄積型は盆栽や歌舞伎、没頭型はプラモデル、ということになるのだそうです。

特に、蓄積型の趣味である盆栽は、「趣味を盆栽にしていなかったシニア層は、全力で孫や子供に盆栽を勧めるべき」とまで言います。30年ものの盆栽なんていうものは大変な値打ちになるのだとか。

これを読んで思ったのは、楽器とか、音楽とかもやはり蓄積型なんだろうなあ、と。

まず、楽器は若いうち、学生時代に初めておかないと難しいです。やはり時間がないと楽器の習熟というのは難しいですね。私の妄想でオーボエを始めましたが、さすがに暇ではない社会人にとっては難しい結果になっています。時間が取れれば問題ありません。でも、時間は限られます。

音楽もそうかも。14年前に聴き始めたオペラは、その時すでに遅れを取っていると思い、焦りとともに狂うように聞いたり見たりしました。でも、実は遅くはなく、14年経ってみれば、うまく蓄積できたと思いました。でも、14年はやはり長かったですし、まだまだ聞き足りないですし観足りない。もっと早く聴いたり観たりしていれば、人生は違うものになっていたとも思います。

なんでも早く早くやらないと、と。

遅いということはあるかもしれませんが、気づいたときに始めればそれがベストを尽くしたということになるのだと思います。もちろん、時間が経っているので限界はあるのですが、それでもベストを尽くすことは、結果ではなくプロセス的には本当に意味のあることです。

しかし時間はないなあ。。若い人、まだ社会人ではない方、あるいは社会人になりたての方は、長く付き合うものを早く見つけられるといいですね、と思います。

私も。。

では、おやすみなさい。グーテナハトです、

 

 

 

Miscellaneous

Photo

一週間ほど前に撮った江戸彼岸。ほのかな色合いが実に美しいですね。

こういう美しさも世界。あるいはあまりある芥も世界。世界は多様で混沌としているわけですが、そういう混沌から、何の脈絡もなく、何かが決まったり、人の生き方が変わっていったりするもんなんでしょうね。ニュースを読んだり人の話を聞いたりして、そんなことを思った1日でした。

こういう世界にあって、パルテノン神殿に象徴される「美しさ」のようなものを希求した辻邦生はやはりすごいです。きっと随分と苦悩されたのだと思います。奥様の手記を読んだり、自筆日記を少しだけ拝見してそう思ったりしました。

「「たえず書く人」辻邦生と暮らして」の162ページ。

亡くなる一週間前から、午後のマーラーなどを聴く時間帯のあと、西向きの大きな窓に面した椅子に、日が暮れるまでじっと座っているようになった。

勝手な想像なんですけれど、夕暮れの山並みを眺めておられたのではないでしょうか。なんだかそういう気分です。

「たえず書く人」辻邦生と暮らして (中公文庫)
辻 佐保子
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やっと週末。なんだか長い一週間でした。やるべきことは何も終わらず。。

ではおやすみなさい。グーテナハトです。

Classical

あいかわらず聴き続けているマゼールのブルックナー。本当に驚かされる瞬間が何箇所もあって、個性というものの素晴らしさを感じます。

Bruckner: 10 Symphonien
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昔、まだまだクラシックを聴き始めて間もない頃、演奏んも違いというものをりかいすることの難しさに途方にくれていた頃がありました。中学生ころですかね。あのころ、小澤征爾の弟の小澤幹雄さんが「やわらかクラシック」という番組をFM東京でやっていました。クラシック音楽の曲名をあてるという番組で、いまでもNHKFMの「きらクラ」の「きらクラドン」のようなものですかね。

番組終了までしばらく聴いていたのですが、印象的だったのがマーラー特集でした。マーラー三昧の曲当てクイズだったのですが、わたしの記憶ではそのときに始めて演奏者を当てるクイズが出たのでした。この演奏は誰の指揮か?という問題。当然わかるべくもなく。。そりゃ、中学生で、何枚も何枚も同曲異演を聴いていて、当てられるだけの資力はありません。親がたくさんもっているとか、そういう環境なら別ですが、わたしはそういう環境にはいませんでしたので。そのとき、小澤幹雄さんは「演奏をきいて、その演奏が誰の演奏家わかるというのも、クラシックファンにとっては重要なことなのです」みたいなことをおっしゃっいまして、あー、これは無理だわ、と中学生ながらに感じたのでした。

このとき「演奏を聴いて、演奏者をを判別する」というのは二つの意味で捉えられるのだと思います。一つは、きいたことのある演奏を、同定するということ。もう一つは、聴いたことのない演奏をであっても、演奏者を同定するということ。

前者と後者、どちらのことを小澤幹雄さんがおっしゃっていたのかわかりません。ま、両方なんでしょうか。

これを初めてできたのが、多分その後10年経ったころだとおもいます。ジャズを演奏するようになって、音楽の機微が少しずつ分かってきたようなころでした。
で、これがなかなか微妙な思い出ですが、初めて演奏を聴いたことがないのに演奏者を当てたという思い出のこと。たしかベートーヴェンのピアノ協奏曲でした。ほんとうに苦手な演奏で、ふと「これはバレンボイムとラン・ランに違いない」とおもってしまったのです。当たりでした。これ以上は言えません。

そういうわけで、最近は、先輩の皆さんにはかなわないにせよ、少しずつ演奏者の同定ができるようになってきたような感じで、いろいろとの楽しみが増えてきた感覚はあります。

そんな中で、やはりこの数年好きになったマゼールは、特徴的で個性的なスタイルなのできっとわかりやすい部類なんだろうなあ、と思います。

長くなりました。電車の中でざっと書いてしまいました。。

ではおやすみなさい。グーテナハトです。

Anton Bruckner

新年度は本当に気を使います。年度の初めなので、行事もたくさん。気を遣います。でも使いきれていないという事もあるのですが。

で、ブルックナー。

先日からヨッフムを聴いて、その後バレンボイムに駒を進めました。バレンボイムは7番まで聴いて限界を感じました。苦手なんだなあ、と。バレンボイム。苦手です。わたしにはちと難しい。遊びがなく、ガチガチに固められた演奏には、疲れてしまいます。

で、アバドの7番を聴いて、しばし時を忘れる感じ。それはまた次の話として、次に思い立って聴いたのがマゼール。いや、これは本当に豪放で大きな演奏です。実はこれまで聞く機会に恵まれていなかったのですが、本当に心に染み入るマゼールのブルックナーです。

Bruckner: 10 Symphonien
Bruckner: 10 Symphonien

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テンポをきちんと動かすんですが、それが本当に絶妙に感じるわけです。ここぞ、というところにテンポを落としてメリハリをつけるのは見事。昔、マゼールのボレロを、「まるで歌舞伎役者が大見得をきるような演奏」と評しておられるのを聴いたことがあります。確かに。ここぞというときの爆発力、あるいは、なにかここぞというときに翼を広げる孔雀のような大見得なんだと思います。本当に期待を裏切らないですよね。。
最近隔日更新になってますが、途切れていないだけいいのかも。いや、もうなんだか身動きが取れません。

ではまた。おやすみなさい。グーテナハトです。