2014/2015シーズン,NNTT:新国立劇場,Opera,Richard Wagner

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1月の新国立劇場は《さまよえるオランダ人」でしたね。

飯守泰次郎さんの指揮が素晴らしかったです、緊密というか、Solidという言葉を思いだしながら聴いていました。前回のパルジファルと同じく、微細なテンポコントロールが見事で、ダイナミズムや重厚さを表現していたと思います。

で、なんだか変なことに気づいてしまいました。

《オランダ人》は《アラベラ》と似てますね。オランダ人もマンドリーカも父親が連れてきた花婿で、あまり世間なれしていない男。で、ふたりとも妻となるべき女性の素振りを誤解して、すねてしまうという。《オランダ人》にも《アラベラ》にもそれぞれ、エリック、あるいはマッテオという、ヒロインに片思いを寄せる男が出てきますし。

2010年新国立劇場《アラベラ》のマンドリーカも、今回のオランダ人もどちらも、トーマス・ヨハネス・マイヤーで、私は強い既視感を覚えまして、こんなことを思いついてしまいました。もちろん、トーマス・ヨハネス。マイヤーの歌唱はやはり素晴らしかったのです。この方の《ヴォツェック》は忘れられないですね。

でも、この考え、意外と図星かも。同じことを考えている方がいらっしゃいました。「頭がいい人、悪い人の話し方」を書かれた樋口裕一さんです。

http://yuichi-higuchi.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-283f.html

リンク先は、その2010年の《アラベッラ》についての感想を書いておられます。もう4年も前の話ですね。

それにしても、いろいろ興味深いです。もう少し考えてみないと。

なんだか今日も世界の波にのまれるような一日でした。いろいろありますが、良いことばかりではありません。

ではグーテナハトです。

Book

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昭和39年に出版され、昭和46年に17刷となった講談社現代新書の「現代思想事典」。

大学に入った頃、事典ばかり読んでいて、それでなんとかしないと、と思っていたころに古本屋で250円で買いました。

「シュールレアリスム」について調べていたんですが、その次の項目である「象徴主義」をなんと福永武彦が書いているのですね。驚きました。マラルメ、ランボー、ヴェルレーヌなどの詩人の名前をあげて、その源流がボードレールだと言います。それは「暗示によって映像を喚起する方法」として総括されていて、「詩の中に、超感覚と批評と魂の告白と詩句の音楽性」を育てた、ということになっています。「美が想像力のうちに、いいかえれば仮象的世界の暗示的現前のうちに整理する」とも。

最後に、小説における象徴主義のことが書いてあって、これが実に面白いのです。当たり前の方には当たり前かもしれませんが。

詩は一人でもかけるが、小説は読者なしには作れない。なぜなら、小説は「その世界がなんらかの形で、暗示的、喚起的な映像によって読者の参加を待つ」というのです。これがなければ、小説は「たんなる読み物」で、映画やテレビに太刀打ち出来ない、とあります。

この「読者の参加」インタラクティブ性が、小説の小説たる所以、ということになるのでしょうか。語りすぎず、読者を引きずり込むような小説こそが、真の小説である、ということなのでしょうか。まあ、あまりに「象徴的」過ぎるものもなかなか困りますが。

余談ですが、面白いことに、福永武彦は、昭和39年当時にあって、当時を「小説の衰弱した時代」としています。先日来書いているレリスの「オペラティック」においても、やはり、オペラは常に衰退している、とありました。まあ、長く続く芸術形式というのは、衰退し続ける運命にあるのでしょう。つまりに、人間は不治の病に侵されている。つまりそれは死という病である、というあの手の議論になるのかもしれません。

今晩も鍋を食べました。冬は鍋に限りますね。

ではグーテナハトです。

Tsuji Kunio

昨夜、NHKで「日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち」という番組をやっていて、その中で三島由紀夫が取り上げられていました。

三島由紀夫は1925年1月14日生まれ。今年で生誕90年です。

一方の辻邦生も、1925年9月24日。

ですので、二人は同い年です。

二人が過ごした時代は同じです。終戦時に価値観がひっくり返ってしまったというのも同じです。

三島由紀夫は、価値観の転倒をうけて、日本古来の伝統へ回帰しようとしたわけで、が故に三島事件を引き起こしたとされています。一言で語るには重いものではありますが。

辻邦生は、パルテノン神殿に向かい、美が世界を支える、という方向に進んだのだと思います。

いずれも、揺れ動く現実を、どこかで繋ぎとめよう、としたのは同じだ、と思います。価値がひっくり返ったことをどうやって処理していくか、ということ。難しい課題です。

我々にとっても、価値がひっくり返るどころか、価値があまた溢れている状態にあって、何が支えになるのか。あるいは支えなんていらない、という方向に行くのか、など考える必要があります。ですので、他人事ではないのです。

明日からまたウィークデーですね。ウィークデーこそが大切です。がんばらないと。

ではグーテナハトです。

Tsuji Kunio

廻廊にて (新潮文庫 つ 3-2)
辻 邦生
新潮社
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辻邦生がそう思っていたかどうかはわかりませんが、辻文学のテーマの一つとして「性急な改革は失敗する」という物があると思っています。

たとえば、「背教者ユリアヌス」におけるユリアヌスの失敗、「春の戴冠」におけるサヴォナローラの失敗、「光の大地」における教団の失敗、「廻廊にて」におけるマーシャの挫折などなど。あるいは、「サラマンカの手帖から」で、主人公たちが、サラマンカを去るのもそれに当たるかもしれません。

結局は、真実を目指したとしても、それは現実に必ず跳ね返されるわけです。それはどうしようもない真理。なぜなら、現実が、それが道理にあおうがあうまいが、現実界においてはそれが正しいからです。

がゆえに、そうではない粘り強い取組みが必要とされる、というのが、20年以上辻邦生を読んできた結論の一つです。

こうした、正しさと現実との「ずれ」というものが、あらゆる痛ましい出来事の原因になっている。昨今の事件をみて、そう思わざるを得ません。

今日も短く。グーテナハトです。

NNTT:新国立劇場

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来シーズンの新国立劇場ラインナップがでましたね。少し遅れましたが、以下のとおりでした。

  • ラインの黄金(新制作)
  • トスカ
  • ファルスタッフ
  • 魔笛
  • イェヌーファ(新制作)
  • サロメ
  • ウェルテル(新制作)
  • アンドレア・シェニエ
  • ローエングリン
  • 夕鶴

新制作が三つ。また新たなリングが始まりますね。楽しみです。

来シーズンは、劇場へのでかけ方を少し変える必要があるかも、などと思っています。

取り急ぎ。

Tsuji Kunio

十二の肖像画による十二の物語
辻 邦生
PHP研究所
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今日、辻邦生の新しいKindle本などないかなあ、などと見ていたところ、意外にも復刊があることがわかり驚いています。「十二の肖像画による十二の物語」です。明日、1月23日発売だそうです。

12枚の肖像画をモチーフにした12の短篇が収められるはずです。

もともとは、1980年3月から1981年2月まで文藝春秋に連載されたものです。

1992年5月に「風の琴 二十四の絵の物語」が文春文庫から刊行されましたが、そちらにもこの「十二の肖像画による十二の物語」が含まれており、そちらで読んでいました。

どのような装丁の本になるのでしょうか。書店で手に取るのが楽しみですね。

風邪をひいて二週間。喉の痛みは収まりましたが、熱が出たりひいたり。。全く最近の風邪はしつこいです。体を冷やさず、お腹いっぱい食べて寝るのが一番。

ではおやすみなさい。

Tsuji Kunio

写真 1 - 2015-01-21

こちら、Kindleではなく、リアルの「夏の海の色」です。1992年4月に出された文庫版です。23年前。さすがにくたびれています。

で、相変わらず、この「夏の海の色」を読み続けています。というか、季節外れですね。冬なのに。

今日はその中に収められた短篇「彩られた雲」が気に入りました。


舞台は戦前の東京

足の悪い美しい少女に恋心を抱く主人公。で、その少女もやはり主人公と少しばかり親しくなる。その家は金持ちなのだ。

だが、向かいに住むとある兄妹は、その少女を冷たい子で、人を憎み、嫉み、妬いていて、冷たい仕打ちをするのだという。

妹はこういう。

「冷たくなかったら金持ちにはなれません」

「あの人の家は高利貸だからです。あの人の家は冷酷じゃなければお金が入らないようになっているのです」

その後、この美しい少女一家は、主人公が夏休みで帰省している間に引っ越してしまう。人づてに聴くと実に親切そうな両親で、「冷酷」というふうではなかった、と聴く。主人公は、妹の言葉を少し信じてしまったことを後悔する。


といった、あらすじ。

ここまでいくと、まあよくある話なんですが、面白いのがこの主人公が、まだ中学生で、思考に浅薄な部分があって、寄宿していた叔父の所得を考えられていないという設定があったり、その美しい少女に舞い上がっている場面がいくつも書かれているわけです。

なので、きっとこの後悔も、まちがった後悔なんでしょうね。

また兄妹の父親が、共産主義者で国外亡命しているという背景も描かれています。そうしたことも考えると一層面白いものが感じられます。

にしても思うことは、理性的なものとか正しいものというのは、現実世界においては、ほとんどの場合役に立たないのではないか。そうしたことをなにか感じさせる挿話でもあります。

というわけで、グーテナハトです。

Tsuji Kunio

夏の海の色 ある生涯の七つの場所2 (中公文庫)
中央公論新社 (2013-06-24)
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最近、毎日辻邦生作品を読むことにしています。本を持ち運ぶのは辛い時もあるのですが、スマホのKindleに入っていますので、その気になれば絶対に読める、というわけです。

で、今日「夏の海の色」を読みました。この短編集そのものではなく、所収されている短篇の「夏の海の色」の方ですが、いや、これは、あまりに見事すぎて、しばし動けないぐらいでした。

もう何度も読んでいるんですが、本当に緊密で見事な美空間で、我を忘れます。

夏の日差しに照らされる城下町と、そこに流れる今とは違う時間。城下町らしい、侍、あるいは軍人といった日本の古い感覚。中学生の淡い思いと、子を亡くした親の哀しみ。

短編映画か単発ドラマになります。絶対に。

どなたかドラマ化しないかな、などと。

こちらにあらすじがかいてあります。

この物語の城下町は松本がモデルだと言われています。また海辺の町は私は勝手に湯河原だと想像しています。
(湯河原だと想像している理由はこちらにも

これは私小説ではありません。が、色濃く辻邦生の体験、おそらくは松本での旧制高校時代の記憶とか、湯河原に疎開した時の記憶などが反映しています。

しばし時間を忘れたひとときでした。

ではグーテナハトです。

Miscellaneous

なにか、ものごとが皮膜だけのように思え、その裏側には光なのか闇なのか、いずれかわからないものがあるのだが、それは決して分かることがないのである、という直観。

どうも、考え過ぎは良くないことはわかるのだが、考えすぎてしまうという問題。

主知主義という言葉がありますが、それって、どうなの? 本当にいいことなの?みたいなことを、大学のゼミで教授にいわれ、ああ、そういう考え方もあるんだ、と驚いたことがあります。

知りすぎ考えすぎは生活の質を下げる場合もありますね。

初めての鍋。風邪治らないのでこちらで身体をあたためて、もう寝ます。

考え過ぎは体によくありません。この十数年で初めての鍋。風邪が治らないので、こちらで体をあたためました体を冷やすと免疫能力がなくなります。身体を冷やしてはいけません!

では早々におやすみなさい。グーテナハトです。

追伸

最近聞いているこれ。フォーレのピアノ曲集。最高です。どこか図書館で借りた音源なのですが、おそらくこちらです。リラックス。あ、リラックスして音楽聞いて良いんでしたっけ。。

Faure: Works for Piano (Complete)
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Classical

週末は今日でおしまい。なんだかあっという間に過ぎ去ってしまいました。

年末に録画していた2014年の音楽ハイライトを見ていました。昨年なくなったロリン・マゼールの追悼コーナーもあって、2012年にN響を振った《ボレロ》が抜粋ですがオンエアされてました。

解説の広瀬大介さんもおっしゃってましたが、ボレロはそうそう指揮者によって差異が出にくい曲だそうです。

が、鬼才マゼールはやはり違いました。最後の転調の場所でテンポを一瞬、かなり緩めて、またテンポを戻すのですね。あれ、ブレーキ踏まれた感があります。で、その後もテンポはぐちゃぐちゃに。ここまでエキセントリックなことをやっちゃって、あれ、これって、でもなんだかスゴイ、と思わせるのは、相当だと思いました。

先日買ったマゼールボックスでも《ボレロ》をやっていますが、これもN響の録画ほどではないですが、そういう仕掛けがありました。

Lorin Maazel Great Recordings
Lorin Maazel Great Recordings

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マゼール、最高です。やはり2012年に聴きに行っておくべきだったなあ。

ではグーテナハトです。