Tsuji Kunio

本日辻邦生先生の誕生日です。あのお別れの会も15年前の今日ということに成りました。あの日と同じく今日の東京地方は雨模様でした。 

昨日も、「のちの思いに」や「風越峠」をよみながら思いましたが、あの戦中戦後の空気と言うものとの決定的な断絶がそろそろ迫っているのでしょう。

同じ狂気の時代としても、なかなか伝わらないことも多いはず。こうして、時代の記憶は歴史へと姿を変えていくのだと思います。

先日も触れましたが、文学にアクチュアリティを見出すのが良き読み手なわけですが、そうしたものをどうやって普遍化して行くのか。それが課題なのだと思います。

時代は流れますが、人間は変わりません。だからこそ、何千年も命脈を保つ思想というものがあります。思想の享受者である人間は変わらず、欲望を持ち殺戮を繰り返す。それでいてなお、自由と不自由の間を行き来します。現代社会は進んでいるようでいて、実際には回帰しているに過ぎないと思うこともあります。

今日読んだ「のちの思いに」。
のちの思いに

いずれもノンフィクションのように思いますが、実際にはフィクションだそうです。なにか、戦後の新しい時代が到来したというワクワクした感じを感じるのは私だけでしょうか。これは、バブルが崩壊した後に、ITバブルへと至る1995年移行の「世界が変わるのではないか?」という気分に似ているような気がしてなりませんでした。実際にはITは、世界を変えはしましたが、逆に世界を統制する装置として機能しつつあります。

いよいよ秋本番。秋分の日も過ぎ、日は短くなるいっぽうですね。日本は冬の闇の世界へと降りていくわけです。早く冬至が過ぎて、また光の世界へ戻って行きたいものです。

季節の変わり目ですので、みなさまもどうかお身体にはお気をつけて。

それではグーテナハトです。おやすみなさい。

Tsuji Kunio

辻邦生「風越峠」。万葉古歌が散りばめられ、戦中の悲壮さと古代史の悲劇を重ねあわせた作品です。

誤植を発見

私が最初に読んだこちら版。中公文庫の「辻邦生全短篇2」。今日、風呂に浸かりながら再読しましたが、なんと誤植を発見。なんで今まで気づかなかったのか。。

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谷村が語り手に、大津皇子の物語を熱く語るシーン。語り手が「日本書紀には何て書いてあるんだい?」と谷村に問いかけるシーンなんですが、そのあと「彼は熱っぽく話す谷村に調子を合わせて訊ねた」と続きます。この「彼は」は「私は」の誤植のはず、と思いました。

で、全集を当たりましたが、「私は熱っぽく話す谷村に調子を合わせて訊ねた」に訂正されていました。良かったです。

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ちなみに、新潮文庫「見知らぬ町にて」に収められているバージョンはこちら。正しいです。
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ちなみにこの「見知らぬ町にて」が私が初めて買った辻邦生本。多分1991年か1992年に買ってますので、そろそろ四半世紀近くになります。
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語り方の素晴らしさ

確かに少し出来過ぎたストーリーなのかもしれませんが、私はこの本を高校時代によんで、なんだか感動してしました。戦争に赴く学徒と、実らぬ恋という恋愛小説。で実らぬ恋に、殉死さえしてしまう一途さったら、これはもう現代では決してありえない純愛小説で、まあ、若者にはキュンと来ます。

ですが、どうも最近読むとそういう面とは違う面がクローズアップされてくるような気がします。自分が情熱をかけたものを、一度諦めるわけですが、埋み火のように胸の底でくすぶり続けていて、あるときそれが噴出してしまう物語。そういう後日談的な興味深さというものがあります。

この小説は、ストーリというより、物語りかたにその真骨頂があるのかもしれないですね。回想と書簡を縦横無尽につかって、時系列に沿わずに物語を語る、という構造。で、それが本当に自然なのです。語り手の回想という意味では、時系列にそっているのですが。

これ、プルーストなんだ、と思いました。あの、プルーストの「失われた時を求めて」的な語り方なんだなあ、と思います。緊密な語り方で名人芸です。

気になること

で、他にもこの小説で気になることがあります。ネタバレ注意ですが。。

谷村が当時愛した女性である麻生志貴子は、実は自分の妹で、それが分かるシーン。自分の母親とあって、事の顛末、つまり恋人=妹が自ら命をたったことを告げられるんですが(そこの語り方も見事なんですが)、その時にこういうわけです。

『あなたがたのことを、あの子も知ったんです』と。

この「あなたがた」を「あの子」が知ったというのがどういうことなのか。

「あの子」は志貴子です。で「あなたがた」とは? 谷村と志貴子のことですかね。志貴子が、谷村と志貴子の関係、つまり異父兄妹であるということをしったということを「あなたがたのこと、あの子も知ったんです」と表現しているということになります。「谷村の志貴子が兄妹であることを、志貴子も知ったんです」ということです。

この表現は、個人的には違和感があります。なにか主語のずれが感じられるんです。「あなたがた」と「あの子
」には、志貴子が含まれますので、ちょっと気になるのです。

この部分は、「私たちのこと、あの子も知ったんです」の誤植ではないか、という気もしていたんですが、全集でもそのままでした。なにか緊密な構造体の中に一つだけ隠された暗号のようなもののように思えます。私のセンスの問題かもしれないですが……。

ただ、よく考えてみると、これでもいいのかもしれないのです。ただ、母親の感情として、谷村も志貴子に対する強い遠慮のようなものがあって、そういう言葉になったのかもしれない。そう思いました。

参考

風越峠については、こちらも。昔、地名について調べていました。

「風越峠にて」の土地の名 一考

それではおやすみなさい。グーテナハトです。

Miscellaneous

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今日は仕事場のみなさんと松茸をいただきました。ありがたいことです。というか、松茸をちゃんと食べたのは初めてかも。

昨日から図書館で借りたフーコーの解説本を読んでいます。価値転倒? 考え抜くとこうなるのか、と言う感じ。戦後の思潮と辻邦生文学の結節点を探している感じです。

ではおやすみなさい。グーテナハト。

Tsuji Kunio

2002年に訪れたデカルト街37番地。辻邦生が住んだ部屋です。

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建物を見上げる。いまはプレートが付いているはずですが、当時はありませんでした。

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通りの様子。隣の中華料理店の建物には、ヘミングウェイが住んでいた部屋があります。

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自宅にあるこちらを読んでいまして写真を載せることにしました。

たえず書く人

Classical

プーランク。本当に不思議な音楽を作ります。軽妙洒脱。それでいて豪華で端正。ドイツや北欧などの生真面目さはありませんが、しっかりした曲作り。

今日聴いたのは《オーバード》という曲。ピアノ協奏曲のようですが、小規模な管弦楽は、管楽器が多い小規模変則的なものです。弦楽器はヴァイオリンはありませんが、ビオラ、チェロ、コントラバスのみ。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット。《六重奏曲》にもにた響きで、違和感なく没頭しました。どうやら舞踏の伴奏に作曲した楽曲のようです。ドラマティックなのはそのせいかとおもいます。

オーバードAubadeというのは夜明けの歌で、まあ、夜明けに別れる恋人の歌ということみたいです。セレナードの逆、と辞書には書いてあります。オーバードは、中世の吟遊詩人がよく歌ったらしいです。
こういうのがオーバード。ロミオとジュリエットの夜明けの別れのシーンだそうです。

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DickseeRomeoandJuliet" by Frank Dickseehttp://www.odysseetheater.com/romeojulia/romeojulia.htm. Licensed under Public domain via ウィキメディア・コモンズ.

そうか。《ばらの騎士》の冒頭もオーバードになるのでしょう。夜が明けて、ナーバスになるオクタヴィアンを元帥府人がなだめるシーンがありました。「なぜ昼なんだ? 昼なんて欲しくない」的なセリフです。

※ あれって、《トリスタンとイゾルデ》のパロディではないかと思います。「あの陰険な昼を、あの最も手強い敵を、 憎み、非難しよう!」っていうトリスタンのセリフがありました。

演奏はこちら。ジョルジュ・プレートル。プーランクの音源はこの方のものを多く持っている気がします。きっとこの方の演奏が端正なので、プーランクがそういう風に聞こえるのかも。

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今日も涼しい一日。いろいろ追い込まれてます。いつも追い込まれている気がしますが、なんとか乗り切るのです。

みなさまもお身体にお気をつけて。おやすみなさい。グーテナハトです。

Japanese Literature

今日も東京地方は涼しい一日だったようです。一日中仕事場に居ました。今年の東京地方は残暑がないですね。日本全国同じでしょうか。ようやくセミの声も聞こえなくなってきた用に思います。

先日、モンマルトル日記の一節を書きました。小説家など芸術家が思う生と死が一つのテーマだと思いましたが、岡本かの子の「鶴は病みき」のワンシーンを思い出しました。

「鶴は病みき」は、芥川龍之介がモデルの麻川という文士と主人公が対話する小説で、10年以上前に読みました。ただ鮮明に覚えているのは、生死の問題でした。

麻川=芥川は、「たった一つ残す自分の仕事によって、死後の自分と、現在との聯絡はとれるものだと思ってますな」というのですが、葉子=岡本かの子は「死後に全々消失する個性的な自己というものに、なんの関係もありはしない……あると思うのは、あとのこの世に残った人達の観察に過ぎないんでしょう……」とかなり即物的なことを言います。で、麻川=芥川は、ずいぶん寂しいことをいいますね、と半ば呆れながら、葉子=岡本かの子と皮肉合戦を繰り広げるというシーン。

そんなことを思い出しました。芸術家というのは、おそらくは自分の生きた痕跡を残したいのだと思いますが、それは誰しもあることなんですが。ですが、冷静に考えると岡本かの子の言うとおりなんですよね。死後の自分を語ることはできない。語りえぬものを語ってはならない。

それにしても、いま少しばかり目を通した「鶴は病みき」。怖ろしい小説です。ほとんど実話なのだと思いますが、これが本来的な日本文学なのでしょう。

それではおやすみなさい。

Alban Berg,Miscellaneous

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なんだか、また戦時中のような感覚に戻ってしまいました。

今日の地震をうけて、なんだかそんな気分になりました。

2011年、あの震災直後の状況は、いわば戦時下のような事態だったなあ、といま思い出しています。

私なんて、関東西部に居て、そんな大きな被害は受けていませんので、なんだかんだいう資格はないのかもしれません。

ですが、信号機の灯が落ちて、真っ暗闇の交差点を車が恐る恐る走っていく様を観たり、翌日の電車の運行状況を駅で必死に調べたり、灯りの落ちた仕事場でデスクライトの灯りを頼りに書類を読んだり、なんていう経験をしました。

あの頃は異常が通常で、人間というものはこんなにも簡単に異常に慣れるものなのか、と半ば驚いたりもしました。

というか、あれは本当に戦争だったのかも、と思います。自然からの戦争に当然負けてしまったわれわれ、という感じ。

で、そうしたこともこの東京地方では、ずいぶんと前のことと思っていましたが、今日の少し大きめな地震で我に返った気がします。

あの時のそこはかとない不安。晴れた昼下がり、青空とさんさんと降り注ぐ太陽の光をみながら、でも、すでに昔のような牧歌的な気分にはなれないのだ、という、大きな喪失感のようなものを感じたりしたことを思い出しました。

今日の地震は、私の部屋も損害を蒙りまして、エレピの上にアンプが落ちてくる、という惨事でした。エレピには深い傷が。。ですが、音は鳴ってくれましたので、なんとかかんとか、というところです。

まさか、あの重いアンプが落ちてくるとは。そして、そのアンプ受け止めながらもエレピが壊れなかったという幸運に感謝している状況です。

世界が平和でありますように。

今日の一枚。なぜか、この心情には「抒情組曲」を聴きたいと思いました。冷たい織物の向こう側に救いはあるのでしょうか。この曲、実はベルクの不倫相手アンナ・フックスのイメージが隠されています。想像するに、そこはかとないアンバランスがここにはあるはず。安定しないのが世界というもので、常に先への不安が存在するわけですが、そういう気分が、根拠なき不安と通じるのでしょうか。

この全集の2枚目に収められています。ラサール弦楽四重奏団による演奏です。アルバン・ベルク弦楽四重奏団の師匠筋です。

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ではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

はじめに

曇り空の一日。

どうやら最近働き過ぎのようですので、休息日としましたが、キーボードを叩くのが辛く(肩こりで)、ひいひいいいながら一日過ごしました。痛み止めを飲んで、長風呂につかって、という感じ。夜になって少し落ち着きました。辛いのはキーボードもそうですが、ペンを持つのも辛いですし、本を持つのも辛いということです。なんだか、ちょっとどうにかなりませんかね、と思います。

モンマルトル日記

ですが、一日家で過ごしたおかげで、いろいろと読みなおすことが出来ました。限られてはいますが、今日読んだのがこちら。
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辻邦生歴史小説集成第十二巻に収められた「モンマルトル日記」のなかから、おそらくは有名な部分。1968年11月30日のところ。

このところ、ずっと自分が死んで、いなくなることを考える。信じられぬようなことだが、それは必ずくる。そのときになってあわてず、自分の生をいきることだ。今まで自分の好きなように、思いのまま、力いっぱいの仕事をしてきた。これからも同じように全力を尽くして、人間と、芸術について考えぬくことだ。真に考えぬき、真実に生きたことだけが人間をうち、人間をうったものだけが人間の遺産となる。自分の仕事を完全に成熟させるための距離と、自由をつねにもつこと。

辻先生が43歳の時の言葉ですね。ちょうど「嵯峨野明月記」を書きつつ、「背教者ユリアヌス」の構想が始まる頃のことです。この後「背教者ユリアヌス」が書かれ、「春の戴冠」が書かれ、「ある生涯の七つの場所」が書かれ、「西行花伝」が書かれるわけです。

なんというか、言葉が見当たらないです。まあ、これは誰もが思わなければならないことであり、かつ誰もが思いたくないことで、私もそんなことは思わないです。いつもは。

ですが、昨今はこういうことが心に響くようになりました。人の一生を様々なかたちで見ようとしているからなのだと思います。

今日の一枚。

レヴァインの《パルジファル》。来月開幕の新国立劇場の《パルジファル》もリハが始まっている頃と思います。私もチケットを取りましたが、所用のため行けるかどうかわかりませんが、とにかく聴かないと、ということで。

私は第一幕のアンフォルタスのモノローグが大好きです。あれほど人間らしい慟哭はないのではないか、と思います。このアルバムではジェームス・モリスが歌っています。すこし英雄的なアンフォルタス。

Parsifal
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※パルジファルでググっていたら、あまりに面白い記事がたくさん出るので止まりません。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Jazz

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昨夜は、ジャム・セッション。大泉学園のIn Fにおじゃましました。通算4回目の参加になります。ありがたく参加いたしました。

今回は、最近FBでつながった15年ぶりの友人K君も一緒に。K君のドラムは昔から変わっておらず、律儀でタイトで演奏しやすかったです。ボンゴもバッチリ叩いていました。ずっと続けていたそうで、やはり楽器はやめちゃいけないんだ、と思いを新たにしました。

ちなみに、私の方は、昔から変わらずフュージョンみたいなのやりたいんだね、と言われました。ごめんなさい。

今回は大人気ない演奏で、ご迷惑かけまくり。ついつい熱くなって走ってしまいました。あとは、音がいまひとつでした。もう少しエッジを効かさないと。

それから、メンツが若い方ばかりで、いい刺激をたくさんもらいました。若いっていいっすね。まだ夢も可能性もたくさんあるし。これは、能力云々というのもありますが、それよりむしろ残りの人生の長さのことです。

まあ、残りの人生の時間というのはあくまで相対的なものですから、その場その場で全力を尽くすのが吉です。私も最近そう思うようになりました。

来月は難しそうですが、またいかないと。その時に備えて練習します。

それではみなさま秋の夜長をお楽しみください。グーテナハト。おやすみなさい。

Tsuji Kunio

先日、哲学科の先輩と話した時のこと。いわゆる倫理というものも、実は相対的なものであり、たとえば、西欧における倫理観と中国やイスラムといった別の文化圏における倫理は違うのではないか。というような話をしました。ですが、先輩は、それは倫理の問題ではなくイデオロギーの問題であり、すり替えてはならない、ということをおっしゃいました。

そのことを最近はずいぶんと考えています。

辻邦生先生の「遥かなる旅への追想」のなかに、バルテノン体験について書かれている場面があります。そのなかで、まさに辻文学のテーゼが書かれています。

遥かなる旅への追想
遥かなる旅への追想

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私は、ギリシアの神殿がそこにあるということのなかに、私達の人間が人間であろうとすること、つまり自然放置の状態のままでなく、よりよい状態に人間を導いいていくことが、人間にとって本質的なことなのだ、と思わせる根拠があるに違いないと思えてきたのです。

辻邦生「遙かなる旅への追想」139ページ

だが、これは西欧偏重ではないか、という疑問を思わざるをえないのです。歴史の終わった現代においてなお、ギリシア、ヘレニズムのを典拠とする意味があるのか、という問いです。

ですが、それはやはり、現代の世界の基本思潮となる、フランス革命以来の基本的人権というものが、ひとつの拠り所になるのだ、という気がしています。

パリに行った理由の一つは、我々が考えている自由・正義・愛といった言葉は、日本で考えると、いかにも「観念」にすぎないものに見える。しかしヨーロッパ的風土のなかではぐくまれ、それを我々が継承しているとすれば、本場に行って考えたなら、それは決して単なる「観念」というものではないのではないか。

辻邦生「遙かなる旅への追想」138ページ

うーむ。現代の価値相対主義的時代において、この価値観をどこまで保持できるのか。当初書いた「イデオロギー」の違いだけで解決できるのか。

さしあたりこの問題と、iPhone6を買うべきか否かを考えながら、今日は休もうと思います。

それではおやすみなさい。