辻邦生「嵯峨野明月記」その3
辻邦生全集〈3巻〉天草の雅歌・嵯峨野明月記 辻 邦生 (2004/08) 新潮社 |
嵯峨野明月記、今日は読むことができました。カーラビンカさんに先日コメントを頂いた部分、早速出てきてうれしかったです。おそらくこの一文ではないでしょうか?
だが、それがどんなことであれ、そのなかに浸りきらぬことだな。およそこの世のことで、おれたちがそれに頭までどっぷり浸かりきるようなものはあり得ない。
辻邦生『嵯峨野明月記』中公文庫、1990、154頁
志波左近という若い武士が光悦に語るシーンです。志波左近は前田家に仕える武士ですが、それまでに宇喜多直家、別所長治、毛利家、丹羽長秀、織田信長、徳川家、前田家と主君を縷々と変えた武士で、苦労も多いながらも、明るく、男らしく、清爽とした生き方をしている男として描かれています。現世に媚びることもなく、また離れることもない生き方が、愛憎の中で苦しんだ光悦の心を解きほぐしていったように描かれています。
志波左近のような、現実世界からつかず離れずの男を魅力的に描くということは、辻文学が決して芸術至上主義ではなかったと言うことの現れだと思います。エッセイといった随所に市民的生活の重要性が示されていることからも明らかなことだと思います。市民的生活の中にあってなお美的世界とのつながりを保つバランス感覚が重要なのだ、といっているように思えてならないのです。
※私事ながら、こうしたバランス感覚を保つことの難しさを、この数年来感じつづけています。まだまだ探求は続くということだと思います。
辻邦生
ディスカッション
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カーラビンカさん、ありがとうございました。カーラビンカさんのおっしゃっているところを引用できて良かったです。
>「美的世界」とのつながりを邪魔するものはなんなのだろう
そうなんですよね。邪魔するものがなんなのか、と言う点は難しいと思います。辻文学においては明示的に示されていない点だと思いますが、逆に言うと明示的に示すことの危険性を指摘しているのが辻文学なのではないか、と考えています。
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これです、これです!
確か左近は世の変転に誰よりも翻弄された身だったけれど、ルサンチマンに固執することなく、生を満喫することに長けた人物ではなかったでしょうか。
>辻文学が決して芸術至上主義ではなかった
さすがShushiさん、鋭い!
これは次の「市民的生活の中にあってなお美的世界とのつながりを保つバランス感覚が重要なのだ」という見解につながるものですね。
私は辻氏のいう「美的世界」とのつながりを邪魔するものはなんなのだろう、と逆に考えたりしています。発見できたら強力な気がしますが。