Tsuji Kunio

昨日に続き、「のちの思いに」を読んでいます。辻佐保子さんの後書きには、「御世話になった方々へのお別れ」という趣旨のことが書いてありますが、辻先生が出会ったたくさんの人々との出会いが綴られています。

とくに、衝撃だったのは、辻先生のお母様が、避暑地の松原湖にみえたときの話。辻先生とお母様が二人で山登りを楽しみ、美しい池の畔で休んでいるとき「もう母はここに二度とくることはないのだ」という思いに達するのです。この達観、私には、人生の、あるいは記憶の悲しさ、とまずは思いました。それは非情であり容赦ないものではあるのですが、がゆえに、今、ここの大切さ、を認識すると言うことなのだと思います。

先日、「言葉が輝くとき」のなかから、「かりそめに過ぎて」というリルケの詩を取り上げました。かけがえのない体験というものは、おそらくは、記憶の中に生き続けるのだろう、と思います。

そういえば、2000年頃だったか、夜中に帰宅しているときに「あ、きっとこの瞬間をいつか忘れることになるだろう」と直観した瞬間を記憶しています。しかし、忘れることはなく、あの瞬間を今でも覚えています。それは、詩的ななかけがえのある瞬間というわけではありませんが、おそらくは一生涯あの微分点のような瞬間を覚えているはず。

いろいろ考えること数多……。

さしあたり、今日はここまでです。

Tsuji Kunio

東京地方は久々の快晴だったように思います。先週一週間は、なんだかずっと仕事場にこもって仕事をしていた、あるいは、外の風景を観る余裕もなくすごしたような気もします。

さすがにハードな一週間の後で、週末は、少しゆっくりさせてもらいましたが、今度は家の仕事が出来ませんので、難儀だなあ、と思います。

そんな中で、すこしばかり辻邦生「のちの思いに」を少しつまみ読みして、すこししんみりとした感じです。。最後のフィクションとなってしまったこの作品は、自伝的な風合いで、大学入学から、フランス留学、帰国後のことが描かれています。

と、かんがえたところで、先に書いた「しんみり」という言葉はあまりに軽すぎる、とも思いました。人生と記憶の素晴らしさと悲しさ、というところでしょうか。重いテーマです。

結局、つれづれを書くつもりが、辻先生のことを書いてしまいました。

明日からまた戦わないと。

それではみなさま、おやすみなさい。

Tsuji Kunio

辻邦生はリルケに関係する著作がいくつかあります。一つは有名な「薔薇の沈黙」。美しい本です。

一方、先日、書棚にある講演録「言葉が輝くとき」を取り出していたところ、ここにもやはりリルケの素晴らしい詩について語られていました。

これは、1990年に不二聖心女子学院での講演「詩をよむ心」の講演録に含まれているものでした。リルケの「果樹園」という詩集に入っている「かりそめに過ぎて」という詩です。

かりそめに通り過ぎて

 

かりそめに通り過ぎて

十分に愛さなかった かずかずの場所への郷愁よ

それらの場所へ 遠方から なんと私は与えたいことか──

仕忘れていた身ぶりを つぐないの行いを!

 

もう一度──今度は独りで──あの旅を

静かにやり直したい

あの泉のところにもっと永くとどまっていたい

あの樹にさわりたい あのベンチを愛撫したい……

 

つまらないと皆が言う

あの独りぼっちの礼拝堂まで登ってゆきたい

あの墓地の鉄柵の扉を押してはいり

あんなにも無言なあの墓地とともに無言でありたい

 

なぜなら 今や こまやかな敬虔な

ある接触を持つことが大切な時ではないか?──

ある人は この地上のものの強さによって強かった

ある人は 地上のものを知らないために愚痴をこぼす

辻邦生「言葉が輝くとき」27ページ

孫引きになってしまいますが、片山敏彦さんが訳されたものを辻邦生が引用し、若い女学生に説明をしています。さまざまな事物を見過ごすのではなく、かけがいのないものとして味わい直すと言うこと。それが、私たちをもう一度生きるという意味に立ち返らせてくれるのだ、ということ。こういったことを、辻邦生が静かに女学生たちに語っている姿が想像出来ます。

それにしても、この、今、ここ、を愛おしむ感興は、実に甘美であり、実に真剣であり、実に厳しいものです。

私は最初に読んだとき、「あの旅」と言う言葉に反応し、旅行という非日常において、なにか旅行で触れた事物への愛惜の念が描かれているように思ったのです。しかし、実のところ、人生こそが旅ですので、旅行というよりもむしろ日常において触れるさまざまなものへの愛惜なんだなあ、と思ったのです。

そのときどき、触れるものを大切にし愛しむというのはとても大切ですが、実際にはとても厳しいものです。すべてを愛おしむことは出来ませんので。ですが、たとえそうではあっても、やはりあの樹に触りたいし、あのベンチを愛撫したい。あの時、あの瞬間の思い出を死ぬまで大切にしたい。それでもやはり、すべてに触ることは出来ないし、失われた思い出もある、と言うことなんだなあ、と思います。

だからこそ、「敬虔」という言葉なんだ、と思いました。まるで、不可視である神を見るかのごとく、さまざまな事物すべては不可視であり、が故に、神的性格をも帯びて、敬虔な思いとともに、事物を見るということ、と思います。求めないと神は現れません。同じように、事物に接触=触れるという能動性において、この事物のかけがえのなさと、生きる意味が得られる、ということなんだと想いました。

今、この瞬間に全力を尽くすのが、生きると言うことです。私もそういう生き方をしてみたい、と想います。

思ったより長くなってしまいました。みなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

ぼくは時どき思うことがある──ぼくらはもと大胆に、生きることを十全に引き受けて、ヒロイックに生きなければならないのではないか、と。

大胆に、ヒロイックに生きるとは、太陽や風や海や大地に直結して、<いま・ここ>を全身的に生きることだ。街を歩いているなら、街の中に全身的に入りこんでいる。食事をしているなら、食事の楽しさの中に全身的に入りこんでいる──ぼくはそういう生き方をヒロイックと呼びたいのだ。

「夏の光満ちて」186ページ

おそらくは14年ほど前に呼んだときに、鉛筆で印をつけていたところ、やはり今読んでも心に響くなあ、と思いました。

さまざまな試練や苦難と言うものが、生きると言うことにひもついています。現に、先日も仕事場で巧くいかないことがあるわけです。組織を代表して持っていた説明が炎上して、会議中に被弾したり。ただ、そういう経験すらも、なにか清々しく感じられるなあ、と。楽しくはありませんが、まあ、何かにその瞬間は入り込んでいることは確かです。

全身的に入り込む、というテーゼは、なにか勇気を与えてくれるようにも思います。全身的に入り込めば、まだまだ生きられるのではないか、言う感じです。人生は長く短い。この瞬間瞬間を全身で生きないと、と強く思いました。

さて、この週末台風が来るようです。被害がなければ良いのですが。

おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

9月24日は辻邦生の誕生日。1925年生まれですので、今年で生誕93年です。時が経つのは速く、さまざまなものが現実から記憶へ、そして歴史へと移り変わっていきます。おそらくは、後世においては辻邦生と同時期に生きてきたことをなにか愛おしく思うことがあるかもしれません。例えば、私の父が、少年向け伝記に登場するシュバイツァーのような偉人と同時期を生きていたことに憧憬を覚えるかのように。

最近、辻邦生「夏の光満ちて」を再読しています。と言っても、前に読んだのはおそらくは(記憶が正しければ)2004年頃と思います。14年前ですか。早いものです。

1980年に辻邦生はデカルト街に部屋を借りて、パリ大学で教鞭をとります。その一年間の日記が、文芸誌「海」に連載されていました。それが単行本となって刊行されているわけです。

とにかく、冒頭の東京からパリへ向かう高揚感とか、パリで部屋を借りて、調度品を整えるシーンとか、新車を買ってシャルトルまでドライブに行くシーンとか。読んでいるこちら側も、何かパリで過ごしている気分になります。

そのなかで、とても印象的だったのは、パリはローマを模倣している、というもの。ギリシア・ローマを模倣するがそこにフランスらしい優雅典雅がある、という一節。パンテオンのような事大主義的な建造物について言及している箇所における一節でした。

ナポレオンが皇帝になったのは、もちろん、西ローマ帝国の皇帝の継承なわけで、そういう観点でローマを模倣する、という解釈もあります。ですが、「背教者ユリアヌス」を読み、そこにあったローマの精神の普遍性のような議論を知っていたとすれば、それは、何か、建築だけではなく、精神のあり方にあるのだ、と思うわけです。

それは、辻邦生の一貫したギリシア・ローマへの尊敬や憧憬があるのだなあ、とも思います。それは、「背教者ユリアヌス」はもちろん、「春の戴冠」における新プラトン主義を思い出すものです。

この「パリはローマを模倣している」という一節で、パリを愛した辻邦生を貫くギリシア・ローマを体感した気がします。まるで、背中をなでるとき、その向こう側にある脊椎を感じる、といったような気分でした。

さて、最近あまり書けておりませんでした。一人の時間を少しずつ作り、いろいろと進めています。今後はもう少し書けるようにしたいと思います。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Murakami Haruki

雷雨
暑い毎日。

ですが、この週末、東京はずいぶん雷雨に見舞われました。土曜日の雷雨はずいぶん激しいもので、今日街を歩くと泥が側溝にたまっていて、周囲の道路も冠水していたようでした。

さて、先週は村上春樹「スプートニクの恋人」を読んでいました。

村上春樹作品はそんなに読んでいるわけではありませんが、通底するものがわかる気が致します。リアリティのあるアンリアリティ、という表現が胸の底の方から湧き上がってきました。現実とは何か、と言う問題。我々が現実と思っていることは、じつは現実ではない、のでは、とか、あの非現実は、実は現実ではないか、という思いです。

「結局いちばん役に立つのは、自分の体を動かし、自分のお金を払って覚えたことね。本から得たできあいの知識じゃなくて」という一節がなにか引っかかりました。これも、なにか常日頃思っていながらできていないことです。こういう箴言めいたものが心に残るというのも、村上春樹作品を読んでいてよく感じることです。

辻邦生の文学にこころが奪われていなながらも、村上春樹の文学に共感しているということはどういうことなのか、ということも考えないと、とおもいました。

来週はお盆の週。静かな週だとよいのですが。

それではみなさま、おやすみなさい。

Murakami Haruki

昨夜、村上春樹が出演する村上RADIOがオンエアされたということを、辻文学関連でお世話になっているYさんから伺いました。ほんとうにありがたいことです。

村上RADIO

私は、昨夜は聞き流したので、radikoで聴いています。radiko、よくぞタイムフリーで聴かせてくださいました。

いやはや、村上春樹の声を初めて聴きました。

iPod7台持っているとか、2シーターのオープンカーを何年も乗っているとか、なかやか面白いです(きっと賛否両論なんだとおもいますけれど)。

オンエアされている曲は、村上春樹がランニングするときに聴いている曲だそうです。が、音楽の選曲的は結構幅広いと感じました。個人的には趣味として合うところも合わないところも。昔、音楽嗜好について書いたことがありますが、そのことを思い出しました。

音楽嗜好総体のようなもの

マイウェイが好きじゃない、と言ってたのは、なかなか面白いと思いました。また、ペットショップボーイズは懐かしいなあ、と。演奏中に村上さんがコメントするのがなかなか面白いです。これは、音楽を聴いている人の頭の中身を覗いた気分です。音楽から書くことを学んだ、というのも共感できる気がしますが、共感していると錯覚しているだけかも。

夜の小説を読む時間を細々と続けていますが、今日はこちらを聴いて終わってしまいました。

村上さん、69歳なんですね。きっと、普通に暮らしている35歳より若いと思います。肉体的にも精神的にも。

さしあたり今日ははここまでです。みなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Classical,Tsuji Kunio

まずは、2001年、おそらくは東京都交響楽団の演奏会に行った際のパンフレット。もらったときにはすぐには気がつかなかったのですが、後から見返してみるとここに細川俊夫が辻邦生に捧げた「ハープ協奏曲「回帰」─辻邦生の追憶に─」についての記載がありました。もう17年前の資料です。折れたり汚れたりしているのはご容赦ください。

このハープ協奏曲、CDも発売されています。私の記憶では、2003年だったか、学習院大学で行われた辻佐保子さんの講演会の開始前にハープ協奏曲が会場に流れていたと思います。

先日このCDの話をとある場所でしたのですが、それ以来このCDを繰り返し聴いています。曲調としては現代音楽のトーンです。ハープがまるで和琴のように聞こえます。ライナーノートを読むと、嵯峨野明月記の最終部が引用されており、嵯峨野明月記や西行花伝といった日本を舞台にした作品にインスパイアされたものと考えました。決して明朗快活な音楽ではありません。しかし深みがあり、どこか悲しげで、それでいて達観を感じさせるものです。アルバムタイトルも《回帰》とあり、なにか永遠永劫の境地を感じさせます。ですが、私はまだそうした境地を知り得ていないはずもあります。

さて、今年の夏も名残惜しく過ぎていくような気がしてなりません。めまぐるしい現実の狂騒に疲れる毎日ですが、夏の午後に、太陽に灼かれる窓の風景を眺めながら、スピーカーから聞こえるハープとオーケストラの協奏を聴いていると、なにか現実こそが夢であるかのように思います。真の世界はあちら側にある。いや、「あちら」というべきではなく、「こちら」側か、などと感じています。

炎暑が続きますが、みなさまも、どうかお身体にきをつけてお過ごしください。

Tsuji Kunio

今年も7月29日がやってきました。辻邦生先生のご命日である園生忌です。気がつくと、19年が経っているということに今日気がつきました。来年は没後20年です。本当に早いものです。

最近、公私とも仕事が忙しく、なかなか書く時間が取れず、なかなか書く機会がとれないのですが、もっと早く書ければよかったのですが、27日金曜日に学習院大学史料館で開催された背教者ユリアヌスの朗読会に参りつつ、「背教者ユリアヌス展」もあわせて観て参ることができました。

毎年辻邦生の日記の一部を読むことができるのですが、それは編集されていない辻先生の肉声を聴くような気がして、毎年とても多く学ぶことがおおく楽しみにしているのですが、今年は、20代半ばに浅間温泉から松本高校へ通っていた頃の日記が展示されていました。同い年だった三島由紀夫を意識した日記で、なにか世に出ることへの焦燥であったり、芸術を志すにあたって若き辻邦生が懊悩している姿を垣間見るようでした。辻先生が身近に感じられた気もします。

朗読会も、辻文学を音読で聴く機会もなかなかなく、司会をされた学芸員の冨田さんが、辻先生がご存命ならご自分で朗読したいと思ったにちがいない、ということをおっしゃっていたのが実に印象的でしたし、若い方々が朗読する「背教者ユリアヌス」は、なにかみずみずしいもので、清澄とした気分になりました。

一方で、なおユリアヌスが滅びなければならなかったという事実に、なにか名状しがたいものを感じたりもしたのですが、まさに展示されていた日記においてもそのユリアヌスの最期が「素晴らしい」と書かれているわけで、ここが辻文学のキーポイントだ、とあらためて思いました。

なお、背教はユリアヌス展は、8月11日(土)まで開催です。日曜日は閉室とのこと。10時から17時にご覧になれます。入場は無料です。

http://www.gakushuin.ac.jp/univ/ua/course/

(おわりに)

さて本当に久々になってしまったエントリー。前述の通り、なかなか時間がとれないというのもありますが、なにか書くということに引っかかりを覚える気もします。辻先生のように「ピアニストのように毎日書く」ということがいかに大変なことか、ということでしょうか。もっとも、日記は毎日書いてはいます。ただ、外に出す文章と日記では、なにか勝手が違います。また少しずつピッチをあげていかないと、と思いました。まあ、ブログというメディアも時代遅れですので、すこし考えないといけないのですが。また、発信すると言うことに関してもっとピッチをあげないと。本も読んでいれば音楽も聴いているので。

それではみなさま、おやすみなさい。グーテナハトです。

Tsuji Kunio

辻邦生「西行花伝」を読んでいて、このような文章を読みました。

人はこの世の森羅万象がすべて滅びのなかに置かれているのを、心底から澄んだ気持ちで知ることができる。

だが、この不変と思える山も、永遠に波を打ちよへる海も、旅人の眼には、限りある生命に見えてくる。山の終わり、海の終わりがそこに見えるのである。

この想いが私の身のうちに染み込んできたとき、私は、死にゆく幼児を見守る親の眼ざしで、この世を眺めているのを感じた。

344ページ

私は、永遠というものは、物質界にはない、と思うのです。いつかは、太陽は燃え尽き、地球に太陽エネルギーは供給され無くなります。そうなると、木々は生きられないのでしょうか。海はなくなるのでしょうか。やはり海も山も限りある生命ではないでしょうか。

いつかは、この日本の美しい自然も、なにもかもなくなってしまう、ということは厳然とした事実です。

それを感じたのは、アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」の最後のシーン、つまり地球崩壊のシーンでした。この世界がいつかはなくなってしまう、というのは、避けられません。辻邦生がそういうことを考えていたかは分かりませんが、引用した西行のモノローグを読んで、そういうことを思ってしまいました。

美と滅びの感覚、という辻文学を表すこと僕がありますが、滅びとは、世界の終わりまで指し示している、ということに思い当たりました。永遠はない、ということは、本当に悲しいことです。その悲しみを我が子の死になぞらえるというのは、本当にすごい感覚だと思います。

今週末の日本は猛暑とのこと。復旧活動の方々は本当に大変かと思います。読んでくださっているみなさまもどうかお身体にお気をつけてお過ごしください。