Classical

Shostakovich: Symphonies Nos. 10 & 11 Shostakovich: Symphonies Nos. 10 & 11
Anatoli Safiulin、 他 (1999/02/05)
Melodiya

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ロジェストヴェンスキーとソヴィエト連邦文化省交響楽団の演奏によるショスタコーヴィチの交響曲第10番を聴いてみました。一年365枚さんでカラヤン盤のショスタコーヴィチが紹介されていたので、触発されたのです。

最初に録音についてですが、残響感がとてもすばらしいです。1986年にモスクワでの録音とあるだけで、残念ながら録音場所についてのは記載はありません。

この録音はNHK-FMでオンエアされていて、中学生の頃に激しい衝撃を受けたのですが、同じ音源のCDを探していました。そんな折、メロディアレーベルが廃盤になるという噂を聞いたので、ロジェストヴェンスキーとソヴィエト連邦文化省交響楽団のコンビによるショスタコーヴィチの交響曲の録音をすべて購入したのでした。その中の一枚がこのCDだったわけです。

さて、演奏なのですが、僕にとっては交響曲第10番のデフォルト音源なだけに、本当に心から共感できる演奏です。ほとんど洗脳されていると言ってもいいでしょう。

特に第2楽章の攻撃的で緊張感のある演奏に当時感銘を受けたのを覚えています。金管の鋭くてアタックの強い音なので、時代の緊張感がそのまま突き刺さってくるようです。その時代とは、スターリン圧政時代でありソ連邦末期の混乱した時代なのです。

第3楽章の静謐な雰囲気の中にも絶望感や憂愁感が漂っているあたり、すばらしいです。ホルンが吹くDSCH音型も美しく遠くへと響き渡ります。やはり録音場所の残響感によく助けられている感じです。後半部のDSCH音型の発展系が切迫した悲痛な叫びに聞こえてなりません。それにしてもこのオケのホルン、かなり上手いです。高音域を音を乱さずに柔らかくよく響く音で吹いています。

第4楽章、木管が支配する冒頭の雰囲気、憂鬱な者の傍らに寄り添ってくれている感じ。オーボエ、フルート、イングリッシュホルンがすばらしいです。この楽章もDSCHに支配されていますが、祝祭的な様相も呈しているのです。

一年365枚さんの記事の中で、作曲家の吉松隆さんのウェブでこの曲についての紹介がなされていることを知りました。こちらも興味深いです。

残念なことに、僕の聴いているCDは今は廃盤となっているようです。

参考

Classical

バルトーク:管弦楽のための協奏曲、中国の不思議な役人 バルトーク:管弦楽のための協奏曲、中国の不思議な役人
ラトル(サイモン) (2002/11/20)
東芝EMI

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バルトーク/バレエ音楽「中国の不思議な役人」作品19を、ラトル指揮のバーミンガム市響で聴いてみました。前回に続いて憂鬱な時に聴いてはならない曲でした。

簡単なあらすじ。登場するのは少女ミミ(ボエームではありません)と三人の悪党、そして不気味な役人。悪党たちは少女ミミに役人を色仕掛けで誘惑させ、金をせびりとろうとしています。ミミを抱擁しようとする役人を三人の悪党は殺しにかかりますが、ナイフを突き刺しても首をつるしても息絶える様子はありません。ついに役人はミミを抱擁するのですが、とたんに役人は息絶えてしまうのです。

なんとも頽廃的なあらすじで、曲を聴いて心がかき乱されるのはやむを得ないですね。若きラトルがバーミンガム市交響楽団を振っているのですが、若々しいだけに激しく情熱的な演奏なのでした。

ところで、最近思うのはラトルにも当たりはずれがあるのだ、ということです。もちろん、ラトルのすばらしい演奏に当たることのほうが多いのです。ちなみにこのCDは当たりでした。

参考文献

Classical

Alban Berg: Lulu Suite/The Wine/Lyric Suite Alban Berg: Lulu Suite/The Wine/Lyric Suite
Alban Berg、 他 (1991/01/14)
Sony

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ふと思いついて、ルル組曲をブーレーズ指揮ニューヨークフィルの演奏にて聞いてみましたが、この曲は憂鬱なときに聞いてはならない曲です。あまりに憂愁の色がこく、滅入ってしまいます。十二音階の不安定さが、夕方になって垂れ込めてきた鉛色の空に相まって、不安が心に忍び寄ってくる感じです。耳にこなれたフレーズさえも、まるで聞き手を裏切るように無調へと逃げ去ってしまい、強い空虚感を覚えるのでした。ヴァイオリンの鋭い美しさは黒魔術的な様相を呈した怪しい美しさで、手を触れると呪われてしまうかのように思えてしまいます。美しさの裏側にあるある種の非倫理的なにかがここに浮き彫りになってくるような気がしてなりません。昂じる不安感と闘いながら聞き続けるのですが、突然悲鳴声が聞こえてくるのです。切り裂きジャックにのどをかききられたルルの断末魔の叫び。いよいよ不安感が大きくなり、これ以上聴けない、とおもわされるのでした。

Classical

ベートーヴェン:交響曲全集 ベートーヴェン:交響曲全集
アバド(クラウディオ) (2000/09/30)
ユニバーサルクラシック

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ビデオに録っていた話題のドラマ「のだめカンタービレ」を観ました。第四話までとりあえず見終わりましたが、いやあ、本当にベートーヴェン交響曲第7番はいい曲ですし、感動的ですね。のだめがピアノで7番を弾いているシーンは圧倒的な感動。こんなにいい曲だったっけ?という感じ。胸が締め付けられるような感動を覚えました。やはり音のないマンガ版より音のあるドラマ版のほうがいいですね。その後アバド版を聴いてさらに感動を新たにするのでした。

Classical

Violin Sonatas
Violin Sonatas

posted with amazlet on 06.11.13
Johannes Brahms Maria João Pires Augustin Dumay
Polygram Int’l (1993/03/16)
売り上げランキング: 26597

ヴァイオリンソナタ第1番ト長調作品78を、デュメイとピリスのコンビで聴いてみました。いいなあ、ブラームス!久々にブラームス作品を聴いて本当に癒されました。四方八方から滅多打ちにされたあとにこういう演奏に触れると、深く癒されるのを感じます。できれば、窓から暗い海岸が見える薄暗い部屋で、独りになって聴いてみたいなあ、という感じです。
このコンビは、フランクのヴァイオリンソナタやブラームスのピアノ三重奏曲第1番でも競演しているのですが、それらの録音と同じく、溶けてしまうぐらい柔らかくて甘いアンサンブルなのです。デュメイのヴァイオリンは豊かな倍音をよく響かせています。ピリスのピアノは、ソフトペダルを踏みっぱなしなんじゃないかと思うほど柔らかくて優しいタッチです。この録音ではドイツ的な厳格さではなく叙情性を楽しむことができるのです。もしかしたらこういう音が苦手な方々もいるんじゃないか、とも思うのですが、僕は幸福なことに楽しむことができるようです。
聞き始めるとピリスの静かな和音に導かれてデュメイがそっと弦に弓をおく瞬間が感じられます。最初のヴァイオリンの六つの音符でもう参ったという感じ。この演奏にひれ伏さざるを得ません。穏和な感じの主題は展開部で激しく情感的に揺さぶられます。第二楽章は陰鬱な感じに歌い上げられています。救いなのは長和声で終わることでしょうか。そして第三楽章はすこし寂しげな舞曲風な楽章です。寒風に吹きさらされているドイツの田舎の街を独りで歩いている感覚です。最後はきちんと長和音で終わってくれるのが救いでしょうか。
この曲は1878年から79年にかけて作曲されました。そのころのブラームスは作曲家としてしっかり認知されていました。苦しみながら書いた交響曲第一番も既にできあがっていましたし、交響曲第二番も完成を見ていました。このころのブラームスはとても精神的に安定しているはずなのです。なのに、この寂寥感は何なのでしょうか?北ドイツ人のブラームスが持つ憂愁感が現れている、と片づけてしまいたいところですが、もう少しいろいろと想像するのもいいと思います。

Classical

Schumann: Liederkreis Op.39/Dichterliebe Op.48 Schumann: Liederkreis Op.39/Dichterliebe Op.48
Dietrich Fischer-Dieskau、 他 (1990/10/25)
Philips

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シューマンの「詩人の恋」作品48と「リーダークライス」作品39を、ディースカウとブレンデルのコンビで。
詩人の恋はハイネの詩に曲がつけられています。どれもがロマン的な恋愛感情を歌ったものでです。あまりに若々しすぎて、ふつうの健康な人間にとっては女々しい詩かともとらえられてしまうおそれがあると思います。ですが、詩人や音楽家のように、常に魂と格闘している人間にとっては、アクチュアルな問題なのです。それは恋愛感情にとどまるものではなくて、たとえば真善美の追求といった問題にまで拡大できるのだと思います。解説書には、シューマンが妻(クララ・シューマン)に対して抱いていた感情がこの曲を作らせしめたと書いてありましたが、果たしてそれだけなのでしょうか、という疑問を抱いてしまいました。単なる恋愛感情を赤裸々に述べるのではなく、もっと高次なレベルにまで昇華できうるのが芸術家の芸術家たる所以の一つなのではないでしょうか。
「詩人の恋」では、歌詞が未解決の和声で終わることが多いのです。それを解決するのが伴奏のピアノなのですが、この仕掛けも、すこしうがって考えてみると、詩人が歌手でピアノがその相手だったりするのではないか、とも思えてきます。最後の解決はピアノが与えるのですが、それは、詩人にとって必ずしも望んだ解決ではないはずで、だからこそ短調の和声で曲が閉じられることが多いのです。
「リーダークライス」のほうはアイヒェンドルフの詩に曲がつけられています。「詩人の恋」にくらべて、詩の意味するところは多くのアレゴリーで覆われていて、その深い森の中に分け入っていく努力を必要とします。やはりそこには喪ったものに対する愁然たる思いが満ちているような気がします。9曲目「悲しみ」では夜鶯の歌に込められた深い嘆きには誰も気づかない、と訴える部分があります。この部分も健康的な大人にしてみれば、なんと女々しいことを!と思う向きが多いと思います。しかし、それが芸術家の栗シミなのでしょう。ただの石ころに見えるものであっても、それが宝石の原石であることを見抜き、懐でゆっくり暖め熟成さえ、いつの日か美しい宝石に磨き上げてしまうのが芸術家というものなのでしょう。
12曲目「春の夜」は、春の到来に寄せる歓喜が歌われているように思えますが、果たしてそうなのでしょうか?ここでも夜鶯が登場し、「あの人はおまえのもの!」と歌います。しかしそこに込められた真の意味は、誰にも分からないのです。それは9曲目「悲しみ」で暗示されています。春ほど美しい季節はありませんが、春ほど残酷な季節もないのです。皆が皆春の美しさを享受できるとは限りませんから。
ディースカウは低音から高音まで本当によく聴かせてくれています。低音で雄々しい詩人を歌うかと思うと、今にも消え入りそうなナイーブな高音で、嘆く詩人をも演じています。ドイツの生んだ良心がここにもあるのだな、と思ったのでした。

Classical

Symphonies 1-4 Symphonies 1-4
Schumann、Sawallisch 他 (2002/04/09)
EMI Classics

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ホルンの音に導かれて、瑪瑙細工のように厚みはあるけれどその奥から金色の光が差し込んでくるような、聴き手に寄り添うってくるやわらかい弦楽部の序奏部。金管部と弦楽部との対話が続き、弦楽部の高音域から低音域までの幅広い音帯の中で、自在に繰り広げられる和声の響きが、まるで整然と駆ける軽騎兵団ような軽やかさで主題を展開させて行きます。展開部のフーガの伸張も見事。ゴシック教会の天井の梁が均質かつ複雑に絡み合っている様子を思い出させます。ヴァイオリンとコントラバスのユニゾンの力強さについてもぜひ書き加えておきたいと思います。本当に見事な弦楽部の調和です。
サヴァリッシュの指揮は本当に安定しています。ドイツ的といってもそこにはさまざまな意味が含まれることになるのですが、そのなかでも「良心」と呼ばれるものがここに宿っていると言っても過言ではないと思います。そして、録音は1972年台。サヴァリッシュは1923年生まれですから、もう49歳なのに、この若々しさは何なのでしょう?第二楽章の駆動感は特に素晴らしいものがあります。第三楽章の後半部のデュナミークへの牽引力も卓然たるものがあります。第四楽章の祝祭感はハ長調という調性がもたらすものなのでしょうか?しばしば短調の和声をはさみながらも、その針路は常に高揚へと向かっています。金管の華やかなファンファーレとティンパニーの力強い四分音符がこの晴れ晴れしい交響曲の幕を閉じます。ここには内心にいくばくかの不安を抱えながらも希望と明るさを持ったシューマンがいます。私たちはその後のシューマンを知っているだけに、この晴れ晴れしい幕切れにも感傷的にならざるを得ません。
それにしてもドレスデンシュターツカペレの透き通るような弦楽部の音といったら!ああ、これがドレスデンの音なのだ、と思います。さすがはマイセン白磁器を生んだ土地柄です。録音はルカ教会です。クライバーがドレスデンシュターツカペレを振った「トリスタンとイゾルデ」の録音もやはりルカ教会。カール・ズスケのバッハ無伴奏ヴァイオリンソナタ・パルティータの録音もやはりルカ教会でした(この録音では、良く聴くと外の通りを走る車の音が聞こえるのです!)。昔もブログに書いたことがあると思うのですが、この教会のリヴァーヴ感はとても大好きです。比較的強めのリヴァーヴ感で、コーラスがかかったように音に厚みが増していくのを感じます。ルカ教会をGoogle Mapで探してみたのですが残念ながら見つけることができませんでした。かつてドレスデンを訪れたときもルカ教会を探したのですが見つかりませんでした。現存しないのでしょうか…?

Classical

シューマン:子供の情景 シューマン:子供の情景
オピッツ(ゲルハルト) (1991/11/21)
BMG JAPAN

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使い古された題材とは思いますが、「子供の情景」といえば、「トロイメライ」にその焦点を合わさざるを得ません。だからこそ「名曲300」にエントリされたのでしょう。「トロイメライ」も他の曲と同じように「白昼夢」とか「夢想」とでも素直に訳せばよいのに、「トロイメライ」とドイツ語読みで知られるようになったのが幸いして、たゆたいまどろむような語感が旋律とよくあっています。昼間部の和声が短調を響かせるあたりに、この「夢想」が、単なる「夢見心地」なのではないということを感じさせられます。
オピッツの演奏にはもう少し艶っぽさがあった方がいいかもしれませんが、ドイツ正当派ピアニストとしてはこの演奏があるべき姿なのでしょう。「大事件」の低音和声の堂々たる響きは感嘆に値します。

Classical

Schumann: Fantasie: Symphonische Et醇・en Schumann: Fantasie: Symphonische Et醇・en
(1996/12/05)
Deutsche Grammophon

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シューマン「幻想曲」をケンプの演奏で。1836年、シューマン26歳の時の作品です。若いのにこれほど複雑な和声を駆使するとは、と感嘆することしきりです。23歳で音楽の道を志したのですから、それから3年でこの高みへと昇ったのかと思うと、空恐ろしさを感じます。やはり歴史に名を残した音楽家といえば、それほどの天才でなければならないということなのでしょう。それでもまだ曲調には若い希望が見いだせる気がします。所々に木漏れ日のように垣間見える明るい和声がそれを物語っていると思うのです。
今年はシューマン没後150年です(1810年〜1856年)。46歳という年齢で逝ってしまい、なお晩年は病に苦しんだシューマンもまた、生き急いだ偉人の一人なのでしょう。若い頃は法学部に籍を置いていたのですが、音楽の道へと転身したというのですから、相当無理をしたのだと思います。無理をせずばそこまでゆけず、無理せずにそこまではゆけず。人間の一生とはなんとも歯がゆいものだと思います。

Classical

シューマン:チェロ協奏曲/ピア シューマン:チェロ協奏曲/ピア
カザルス(パブロ) (1995/02/22)
ソニーミュージックエンタテインメント

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憂鬱な蒼林を思いおこさせる悲痛なチェロの音色が胸の当たりに鋭い痛みを与えます。作品番号を見ると、ああやっぱり、晩年の作品でした。シューマンはこの曲を作曲した4年後に投身自殺を企図しています。晩年むけて精神状況が非常に悪くなっていき、精神病院に入院することになります。そういう背景もあってか、この曲は本当に聴くのがつらいですね。交響曲第1番「春」のあの若々しい朗々たる空気はどこへ行ってしまったというのでしょうか?
演奏は、カザルスとオーマンディ。カザルスのエネルギッシュな演奏のベクトルは悲劇的方向へと強く向かっているように思えてなりません。それは僕の認知的作用の及ぼすところなのかもしれません。あらゆる表象は主観的作用によって形成されるのでしょうから。しかし、それでもやはり、この曲の持つ水面下でうごめく強い感情の力には圧倒されざるを得ません。チェロとオーケストラの間に交わされる濃密な会話の中には、楽観的なそれを聴くことができるとは思えないのです。時宜を得て聴くべき曲なのかもしれません。しかし、悲劇が人間にもたらす力を信じるのと同じように、この曲(のように悲劇的と思われる曲)と向き合うことは、食事をし、仕事をし、眠りにつくという生活の中にあっても決して忘れてはならない事だと思えるのです。